『夢と夢の間』
後藤明生 集英社 1978年


「だからさ、その文房具を買って来て、包み紙をはずしてしまえば、もう輪ゴムはいらなくなるわけだよな」
「うん」
「しかしだな、確かにそれで輪ゴムの用はなくなるわけだけどね、だからといって、輪ゴムが、ゴムでなくなるわけじゃないだろう」
「うん」
(p216)


 これは、主人公の大学講師と、中学三年になるその息子との会話である。
 敗戦直後の物資欠乏の中で育った主人公が、高度経済成長後の繁栄を空気のように呼吸している息子から、なぜ輪ゴムを捨てずに、机の上のインク瓶に巻いて取っておくのかと聞かれ、苦心して説明を試みているのである。世代間の断絶の描写としては、一見ありふれたもののように見える。おそらくこの時代の大抵の家庭では、これに類する会話が一度ならず交わされたのではないか。私もまた両親の「ものを大切に」という説教が、その効果はともかく、いまだに耳朶にこびりついている世代に属している。
 ただ、主人公の直面する困難は、世の親達のそれとは少し性質を異にしているのかも知れない。彼は別に息子に対して、ものを大切にせよと説教しているのではないのである。なぜなら、彼がインク瓶に巻きつける輪ゴムは、ただ巻きつけられたままで、何かに役立てられることもなく、インク瓶が空になるのと同時に、一緒に捨てられてしまうからだ。
 この事態を説明する際の困難さというか、もどかしさは、そのままこの小説が耐えている困難さに一致する。そこで何か難解なことや困難なことが語られているというわけではない。作者の現実が幾分か反映されてもいるであろう主人公は、あくまでも平凡な小市民として存在しており、その思考も行為も、読者の常識を逸脱することは決してない。単に「世代論」として読まれるのであれば、本書は気の抜けたビールのように希薄な存在感しか示さないだろう。
 ところが本書がはらむ困難は、正にこの平易さと希薄さそのものの中にあるといってよい。「輪ゴム」が「輪ゴム」としての用途=「メッセージ」を剥奪された後も、ゴムという物質であり続けるように、日常はふとした瞬間に、その希薄に纏われた「意味」を吹き払われて、単なる「物質」としての己をあらわにするのだ。そのあるかなしかの瞬間を現前させるために、意味はできるだけ希薄でなければならない。しかも、その意味を取り払われた後に残る物質も、いわゆる「真理」などというものとは程遠い、鈍い肉体的な感覚をつかの間与えるのみなのだ。

「彼は、妻とのやりとりを打ち切って、もう一度、競馬場の方を眺めた。すると、自分が今こうして、この京葉ハイツと呼ばれるハイツの、五階のベランダで、道子という名前の女と並んで立っていることが、何か不思議なことのような気がしてきた」(p173)

「この二つの世代の違いは大きい。(中略)しかし不思議なことは、その違いそのものよりも、そういう二つの世代が、こうやって親子として暮らしているということだろう」(p12)

「彼はふとんの中から、呆んやりと仕事部屋の天井を見上げた。そして、また、おや、と思った。天井は白木の板だった。それが何か不思議なことに思えた。この鉄筋コンクリートのハイツの中に、そんなものがあることが意外だったのである。
 もちろん山川の仕事部屋の天井が、とつぜん白木の板に変わったわけではなかった。山川が忘れていただけだった」(p344)


 このように、主人公は何度も「不思議」がる。しかし、その感覚が彼を実存的な考察に追いやることはついになく、平凡な市民である主人公は、一瞬の眩暈の後に、再び日常の世界へと戻って行く。では、この希薄な意味を纏った希薄な物質としての日常の正体とは何だろうか。それはおそらく「言葉そのもの」なのだ。言葉は、ゴムや紐(これも主人公の執着の対象である)のような物質的存在としてあり、本書もそのような限りなく無意味に近い物質の集積として存在している。そこに纏わりついている「意味」などは夢のようなものに過ぎぬ。「夢と夢の間」に言葉がある、というよりは、言葉と言葉の間に夢があるのだ。
 ところで後藤は、このような状況が結局は「歴史的」なものであることを、別の著作の中で述べている。

「つまり「日常」とは別のどこかに「異様」な世界があるのではない。日常そのものが異様なる世界なのである。そしてそれは「僕らの日本」が、戦争に負けることによってはじめて発見された、小説の新しい世界ではないかと思う」
(後藤明生 『小説――いかに読み、いかに書くか』 講談社現代新書 p212


 つまり後藤は、敗戦直後の自分達の体験が「リアル」であり、それに続く世代のそれが希薄な虚構だなどとは決して言わないのだ。敗戦を境に、そもそも我々の「リアリズム」は失われてしまったのである。だから、主人公とその息子の関係も「夢と夢の間」なのだ。この過激な「歴史認識」は、あくまで希薄な言葉でしか語られ得ない。それが息子の疑問を前にした主人公の困難であり、同時に本書の野心なのである。
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4、小説の言葉

 拙からうが、旨からうが、自分の思つたことを書き得たと信じ得られさへすれば、それで文章の能事は立派に終るのである。何も難しい字句を聯ねたり、色彩ある文字を拾ひ集めたりして、懊悩煩悶するには少しも当らぬ。
『露骨なる描写』 田山花袋
(『小説――いかに読み、いかに書くか』42-43頁の引用より)

 当時、坪内先生は少し美文素を取り込めといはれたが、自分はこれが嫌ひであった。否寧ろ美文素の入つて来るのを排斥しようと力めたといつた方が適切かも知れぬ。そして自分は、有り触れた言葉をエラボレートしようとかゝつたのだが、併し逐う逐う(原文では繰り返し記号)不成功に終わつた。恐らく誰がやつても不成功に終わるであらうと思ふ、中々困難だからね。
『余が言文一致の由来』 二葉亭四迷 (同上、43頁の引用より)

 後藤は、それぞれ日本近代小説の始祖といってよい二人の作家の言葉を引いて、それらを以下のように「読み直す」。

 そして、これをわたし流に解釈すれば、要するにそれまでのいわゆる「文学らしい」といわれた「文学的」修辞のほぼ全否定であって、当時としては、革命的と呼んでいいくらいの(実際それは、現代流行の「記号論」にも通じるような新しさではないかと思う)散文論が前提になっているのではないかと思う。(44頁。斜字は引用者)

 つまり、存在するのは、言葉=日本語だけであって、そもそも「文学的」言葉とか「非文学的」言葉という区分があるわけではない。(44頁)

 これは、当り前のようで、実はよく誤解されるようであるが、小説の言葉というものは、どの国語辞典にでも載っている、ふつうの日本語以外のものではない。(102頁)

 言うまでもないことだが、後藤の小説は、この「わたし流」の「解釈」を徹底的に実践したものである。特に「ですます」調を取り入れた後期の作品の「ふつうの日本語」っぷりは、その見かけの地味っぽさに反して(あるいはとことん地味だからこそ)、まさに「革命的」である。二葉亭によって性急に開始された「言文一致」という名の「革命」が、約一世紀の年月の果てに、ようやく後藤明生において完成したのだ。
 では、後藤のいう「ふつうの日本語」は、いかにして小説の言葉になるのか。後藤は、一番下の引用部分に続けてこう述べる。

 その、ふつうの日本語のどれを選び出して、どう組合わせるか、ということである。その選び方が、その小説家の「自分の言葉」ということであり、その組合わせ方が、その小説家の「自分の文章」ということなのである。(102頁)

 木で鼻をくくったようなふつうさ、あたりまえさである。ここに書かれているのは小学生でもわかる理屈である。いやになるほど「普遍的」で、「一般的」である。しかし、このあたりまえさにこそ、後藤の過激なマニュフェストがあるのだ。後藤は、文学は言葉と言葉の「組合わせ方」にしかない、つまり、より後藤的な表現にいい換えれば、言葉と言葉の「関係」にしかない、と言っているのである。問題は、その「関係」がいかなるものかである。その「関係」が、いかなる亀裂を孕んだ概念であるかである。
 ここで、前章の冒頭に引いた、志賀の「いい色をしてゐた。」という表現と、後藤の「明るくもないし、真暗でもない。」という表現を再び取り上げてみよう。両者ともに「ふつうの日本語」である。しかし、志賀の「いい色」という言葉は、作者=主人公である志賀直哉という存在に直接結びついており、ゆえにそれをとりまくその他の言葉と「関係」を持たない。絶対的で、「神格」化された「いい色」である。
 一方、後藤の「明るくもないし、真暗でもない。」という表現は、志賀の「いい色」の正反対の極北に位置するものである。文学が、いわゆる「文学的」なるものから、これほど離れた地点に達した例を私は知らない。ここにはただ言葉と言葉の「関係」があるだけで、語り手=観察者である「作者」の特権的な視点など、どこにも存在しないのだ。これは「わたし」の言葉でもないし、「われわれ」の言葉でもない。それは「よい」表現でもないし、「悪い」表現でもない。「文学的」言葉でもないし、「非文学的」言葉でもない。ただの「ふつうの日本語」である。のっぺらぼうの言葉である。「誰か」の言葉である。つまり他者の言葉である。ここでなぜか、「ふるさと」という言葉が思い浮かぶ。安吾のいう意味での「ふるさと」である。そう、こうした地点こそ、文学の「ふるさと」ではないか。「ふるさと」とは何か。それは、もはやそこを越えると虚無しかないような地点のことではないか。
 わたしなりに読み換えてみよう。つまり、後藤の言う「方法」とは、言葉と言葉の「関係」そのものであり、「一般」や「普遍」は、その「関係」が成立するような環境のことである。そして「他者」とは?わたしはそれは結局言葉そのものではないかと思う。誰のものでもない、そして誰のものでもありうる、むきだしの、のっぺらぼうの言葉のことである。つまり「ふるさと」のことである。

2005/12/31
3、小説の普遍性

 わたしは、二匹の猫が一目散に駆け降りて行った芝生を見下ろした。芝生は、道路端の水銀灯と、向かい側の棟の階段昇り口の電灯に照らされている。明るくもないし、真暗でもない。
『めぐり逢い』 後藤明生 集英社文庫版(昭和56年)157頁

 自分は何気なく傍(わき)の流れを見た。向こう側の斜めに水からでてゐる半畳敷程の石に黒い小さいものがゐた。蠑虫原(ゐもり)だ。未だ濡れてゐて、それはいい色をしてゐた。
『城の崎にて』 志賀直哉 (『小説――いかに読み、いかに書くか』84頁の引用より)

 おそらく、今までに存在したあらゆる小説の情景描写は、後藤明生と志賀直哉を両極とする間に納まるのではないか、と言いたくなるくらいに、この二つの文章が作り出すコントラストは強烈である。
 そして本書では、「明るくもないし、真暗でもない。」と書いた後藤が、「それはいい色をしてゐた。」と書いた志賀を激しく糾弾しているのである。実際、「いい色って一体どんな色なんじゃい!われぃ!」と、時代も何も飛び越えて、直に志賀直哉の胸倉を掴みかねないほどの勢いなのだ。

 たかがイモリの色ではないか、といってしまえば、もちろんそれまでだろう。しかしそうなれば、他ならぬ志賀直哉が黙ってはいなかったと思う。つまり、これはそのくらい重大な「いい色」なのである。実際、志賀文学評価の分れ目といってもよいくらいだ。いや、ひょっとすると、日本近代文学史の流れにかかわる問題だといっても、けっして大袈裟ではないような気もする。
(85-86頁)

 後藤がこうもイキリ立っているのは、結局「いい色」という言葉が、一切の分析や異論を拒否した、絶対的な「いい色」であって、それが作者=主人公である志賀直哉の「神格」化(後藤自身の言葉)に結びついているからである。「いい換えれば、志賀直哉の「文学」「小説」の中には、作者=主人公と異なる「目」を持った「他者」は存在できない」(87頁)

 私小説は小説の仮構性を排斥した結果、その社会性をも喪失してしまったので、それは作者が「誰」であるかについての予備知識をすべての読者から要求する点で、発表を目的としないで書かれた日記や私信に近づいて行つたのです。
『風俗小説論』 中村光夫 新潮文庫版 昭和44年改版 61-62頁

 これは中村の『蒲団』批判の一部だが、後藤は、この部分を引いて、章の最後で、お前、断罪すべきは『蒲団』じゃなくて志賀直哉だろ!と叫んでいる。だが、中村と後藤の本質的な違いは、志賀をどう見るか、ということではない。後藤は上の中村の言葉に対して、私小説一般に対する批判としては同意を示しているのだが、中村が「社会性」という言葉を使っている同じ場所に、後藤は「他者」という言葉を用いている。これも後藤の言う「読み直し=パロディ」の一つと言っていいだろう。しかし、この読み直しが横切る亀裂は、一見微かなものであっても、おそらく底無しである。「社会性」とは、「同じ」社会であるとか、「同じ」文化であるとか、「同じ」時代であるとか、とにかく同一のグループ内の関係である。つまり「わたし」→「われわれ」の包括関係である。しかし「他者」とは、もはや誰とも知れない相手、必ずしも価値観を共有しているとは限らない「知らない人」のことである。つまり「わたし」←→「誰か」の対立関係である。前者は集団的であるが、後者は個別的である。そしてこの亀裂は、「現代」と「近代」を分かつ亀裂と、たぶん同じ物だ。
 我々は、この亀裂に敏感でなければならない。後藤の「あたりまえさ」は、この亀裂のために、ある種の罠を潜ませている(これを「難解さ」といってもいいかもしれない)。例えば以下の部分である。
 
 「神格」化し「神話」化するということは、分析を拒絶するということである。分析を拒絶することは、一般化、普遍化を拒絶することである。一般化、普遍化を拒絶することは、特殊化することである。そして特殊化することは、すなわち「神格」化することであるが(…) (83頁)

 いい換えれば、これは、いわゆる「文は人なり」ということかもしれない。つまり、志賀直哉の文学が「方法」でない以上、それを凡人たちが抽出して学ぶことは、不可能だろう。(90頁)

 後藤はとにかく志賀に対して怒りまくっている。しかし、上記の怒りはちょっと学者的な本末転倒に見えなくもない。つまり、後藤は志賀の作品が「一般化、普遍化を拒絶する」=「『方法』でない」から怒っているのである。だいいち、方法化できないからイカンというのは、ずいぶん「文学」の通念に反した理屈ではないのか。
 実は、後藤の使う「一般」「普遍」「方法」という、それ自体一般的で普遍的な言葉は、すでに「社会性」と「他者」を分かつ亀裂を内部に含んでいるのだ。それはオーソドックスな意味での「一般化」「普遍化」「方法」ではなく、それらの「読み換え=パロディ」と見なければならない。この説明がちょっと抽象的でわかりにくいと思われたら、何でもいい、後藤自身の書いた小説を一つ思い浮かべていただきたい。何でもいいのだが、例えばそれを『めぐり逢い』として、「『めぐり逢い』は一般的で普遍的な小説である」というテーゼを立ててみる。つまり、後藤の「一般」「普遍」とは、そのような「一般」「普遍」なのだ。ずいぶん奇妙な「一般」であり「普遍」なのである。では、後藤の小説は、いかに一般的で普遍的であるのか。それは、一言でいえば後藤の小説が「ふつうの日本語」で成り立っているということである。からかっているのではない。

2005/12/31
2、「そして」の文学史

 (…)しかし、同じ「喋るように」書かれたものでも、谷崎潤一郎の『盲目物語』が、いかにも物語らしくストーリーを進めてゆくのに対して、『蔵の中』のモノローグは、けっして直線的に進行せず、脇へ脇へとズレてゆく。いったい何を話そうとしているのか、肝心の語り手自身が忘れてしまっているようにさえ見える。いったいどこへたどり着くのやら、皆目見当のつかないアミダクジ式の迷路のようだ。 (107-108頁)

 (…)それはいわゆる意識の流れ、ともいえるが、流れといっても一定の方向に流れるわけではないから、むしろ意識の運動と呼ぶ方がよいと思う。そしてその運動は、いつどこで、どんな記憶と結びつくかわからない。われわれの意識とは、そういう迷路のようなものではないかと思う。この迷路の中では、「時間」もけっして直線的には進行しない。アミダクジ式に折れ曲がり、また、行きつ戻りつ循環するのである。 (109頁 下線は原文では傍点。以下同)

 上に引用したのは、宇野浩二の『蔵の中』についての記述である。
 しかし、後藤の小説を読んだことがある人間なら、これがそのまま後藤の自作の解説であっても、全く違和感がないことに気がつくだろう。
 後藤と宇野の作風が似ているというのではない。また、後藤が宇野を模倣したと言うのも少し違う。やはり、後藤が『蔵の中』を「読み直した」としか言いようがない。では、この「読み直し=パロディー」において反復されているのは何か。「読みとられた」ものは何か。後藤は、それは「方法」なのだと語る。

 (…)しかしいかにドストエフスキーが「天才」であったとしても、ゴーゴリの「天才」を、自分のものにすることはできない。先にも書いた通り、「才能」や「天分」や「個性」は、一般化も普遍化もできないからだ。それでは彼は、ゴーゴリの何を読み取ったのか。彼はゴーゴリの「方法」を読みとったのである。「方法」は一般化、普遍化できるものだ。つまり、読みとって、自分のものにすることができるものだ。逆にいえば、一般化、普遍化できないものは「方法」とはいえない。 (14頁)

 何か難解で独創的なことが語られているどころか、ここで示されているのは、きわめてあたりまえで誰にでもわかる理屈である。しかし、後藤の真骨頂はこの「あたりまえさ」にあると言ってよい。そして、このあたりまえの言葉の連なりが我々を連れ去る世界は、決してあたりまえの姿はしていないのである。
 後藤は「方法」は「一般化、普遍化できる」と語っているが、これは例えば「自然主義」の「主義」や、「耽美派」の「派」のようなものとは全く異なる概念であることは注意すべきだろう。それは哲学と言うよりは、「手つき」に近い何かであり、集団的なものではなく個人的なものである。つまり、「方法」を媒介として見ると、近代日本小説史は、芸術家集団の変遷を追ったいわゆる通史とは似ても似つかない、奇怪な姿に変貌してしまうのだ。
 ちなみに本書の構成は、田山花袋→志賀直哉→宇野浩二→芥川竜之介→永井荷風→横光利一→太宰治→椎名鱗三の順に、それぞれ彼らの代表作が章を分けて語られるというものである。つまり、明治から敗戦に至るまでに活躍した作家が、オーソドックスな時系列に従って並べられている、一見きわめて普通の構成だと言ってよい。しかし、本書が例えば中村光夫の『風俗小説論』や『日本の近代小説』『日本の現代小説』二部作に似ているのはそこまでである。中村の著作においては、社会と芸術家集団とのせめぎあいを軸とした変遷の全体が、一貫したパースペクティブの元に、見事に視界に浮かび上がってくるのだが、本書をいくら読んでも、全体の見取り図のようなものは見えてこない。中村の歴史把握が視覚的だとすれば、後藤のそれは、徹頭徹尾触覚的なのである。手触りによる歴史と言ってよいかも知れない。
 『蒲団』と、そこで読み直され、パロディー化されているハウプトマンの『寂しき人々』、芥川の『藪の中』と『今昔物語』、宇野の『蔵の中』とゴーゴリの『外套』、『墨東綺譚』とジッドの『贋金作りの日記』…こうした「関係」の中で立ち現れてくる「歴史」は、横から眺められるものではなく、あくまで具体的実践に関る何かである。それは時間軸に沿って進行する歴史ではなく、「読む←→書く」の循環運動によって無方向に増殖して行く歴史である。それは大きな歴史ではなく、小さな分子状の歴史である。それは「正しい」歴史ではなく、「唯一の」歴史でもなく、何度でもそのつど「読み直し」され、姿を変えて行く歴史である。この視点から、後藤の以下の「あたりまえの」言葉は理解されねばならない。

 もちろん以上はすべて、断るまでもなく、あくまでもわたしの読み方である。(64頁)

 さて、このような小説群のおりなす時空は、「そして私は質屋に行かうと思ひたちました。」という書き出しで始まる『蔵の中』の世界に何と似通っていることか。それらは「けっして直線的に進行せず、脇へ脇へとズレてゆ」き、「いったいどこへたどり着くのやら、皆目見当のつかないアミダクジ式の迷路」であり、「行きつ戻りつ循環する」のである。後藤は、『蔵の中』の書き出しの「そして」に注目する。

 (…)したがって、この書き出しの「そして」は、はじまりであって同時に終わりであり、終わりであって同時にはじまり、でもある。すなわち、もっとも意味のない接続詞「そして」によってはじまり、迷路的、アミダクジ式に語られてきたこの小説は、ちょうど自分の尾をくわえた宇宙蛇のように、ぐるりと循環して、ふたたび書き出しの「そして」に戻る。 (111頁)

 後藤や宇野の小説の中で、いや、あらゆる小説の中で読み取られるべく眠っている「歴史」とは、このようなものではないかと思う。これらの「歴史」は、一直線に流れ去るのではなく、「読む」という「現在」と際限のない循環運動を起こすのである。あらゆる小説は「蔵」ではないか。

 (…)そして作者は、その「三日間」の中に、「私」の四十何年かの過去を、ちょうど質屋の中の蔵の中にとじ込められた着物や蒲団のように、詰め込んだのである。(110頁)

2005/12/29
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『小説――いかに読み、いかに書くか』
後藤明生 講談社現代新書 1983年


 著者が行なった講義を、自身でリライトしたものである。
 この、あまりに直球的なタイトルを持つ本書の冒頭で、著者はこれまたあまりに直球的な問いを放つ。
 すなわち、「なぜ小説を書きたいのだろうか」
 恐るべきことに、答は直ちに示されるのだ。
 「それは小説を読んだからだ」
 
1、読む←→書く

 「なぜ小説を書きたいのだろうか。それは小説を読んだからだ」
 これが本書の中核をなすテーゼである。
 しかし、ここに学者くさいディレッタンティズムや「ポストモダン的」ニヒリズムは微塵もない。これは、あくまで実践にかかわる問題なのだ。
 その上、後藤が使う言葉は、皆平易で、誰でも知っている言葉ばかりである(ここにむしろ後藤の野心が存在することは後で述べる)。
 後藤はここで「パロディー」という言葉を持ち出す(これも誰でも知っていながら、使い方を誤りやすい言葉だ)。
 後藤は「パロディー」をこう定義する。

 つまり、自分たちの先輩によって書かれた先行作品を、いかに読みとるか、いかに読み直すか、ということである。そしてそれを、いかに自分流に「変形」「発展」させるか、ということである。(13-14頁、下線は原文では傍点)

 つまり、ドストエフスキーの『貧しき人々』はゴーゴリの読み直し=パロディーであり、花袋の『蒲団』はハウプトマンの『寂しき人々』のパロディーであり、芥川の『藪の中』は『今昔物語』のパロディーであり…というわけだ。本書は、この「読む←→書く」という関係を、ひたすら列挙し続ける。そこに現れるのは、ある種の歴史である。実は、本書全体が一つの読み直し=パロディなのだ。そして読み直されるものが何かと言えば、それは日本近代小説史の全体に他ならない。さらに言えば、後藤は明らかに、本書で中村光夫の『風俗小説論』のパロディーを試みているのだ。

2005/12/29
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『首塚の上のアドバルーン』
後藤明生 講談社文芸文庫 1999年


 この小説が書かれたのは1986年から89年、バブル真っ盛りの時代である。
 著者は幕張の新築マンションの14階に引っ越してくる。小説は、その14階のベランダから眺められる急速に変貌してゆく千葉の湾岸地域の風景を出発点にしている。ちなみに今調べたら、この時期はちょうど京葉線の開通前後にあたる。幕張メッセがオープンしたのが89年、ついでに東京ディズニーランドの開業は83年である。このイケているようないないような極めて散文的なロケーションからして、何と言うか、非常に後藤明生的だと思う。
 著者は眼下に見下ろされる湾岸道路沿いの、どう贔屓目に見ても個性的とは言いかねる風景のディテールを、奇妙な情熱を込めて語り出す。その中で、屋内テニス場である「黄色い箱」の背後に見える「こんもり繁った丘のようなもの」が次第に著者の興味を惹きつけてゆく。やがてそれは「馬加(まくわり)氏」なる室町時代の地方領主の首塚であることがわかる。そこから小説は、様々な「首」をめぐって、「太平記」や「平家物語」をはじめとする膨大な文書の海に漕ぎ出してゆくのである。
 後藤明生の面白いところは、現在の千葉の慌しく変化してゆく時間と、文書によって掘り起こされるいわば考古学的、地層的な時間の間に何の垣根も設けていないことだと思う。この意図的な遠近法の廃棄はまず高層マンションから眺められる地表の風景として予告される。そこに現れる特権的な色彩は「黄色」である。後藤はクレーの絵「建造中のL広場」についてこう語る。

 (…)それらの家や塔やドームはL広場の周りに、すでに存在しているようにも見える。同時に存在のPlanに過ぎないようにも見える。存在と存在予定(原文では傍点)の中間といった不安定な存在の仕方です。
 未定、予定、未完成、不確実、不安、変化の予兆、存在と非在の中間、緑と茶あるいはオレンジの境界。黄色というのは、そんな色かも知れません。つまり「建造中」です。建築現場の色です。横にひょろ長いS字に囲まれた黄色い地面に書かれた、L・Platzの文字は、建築現場の資材にエナメルで塗られた標識のようにも見える。

(70-71頁)

 上の引用に後藤の文学精神を読み取ることはたやすい。後藤の小説は、このニュアンスを欠いた「建造中」の黄色で端から端まで塗りたくられている、というか、書かれている言葉そのものがそういう性格を持っている。後藤の後期の小説をしだいに占めてゆく書簡風の「ですます」調は、まさに「クレーの絵」と「建築現場」をなかだちする機能を担わ されているのではないか。
 でもここに現れているのは、全ての差異や遠近が撤廃された平坦な空間なのではないと取リあえず言っておきたいと思う。後藤のよく口にする「楕円」理論においても、二つの 「焦点」そのものが消失するわけではないからだ。「黄色」は、それ自身としてはニュアンス を欠いていながら――むしろ、そのために――他のあらゆる色彩とそのニュアンスを通過するのである。先の引用の直後から続けて見る。

 黄色い地面のところどころに、薄い黄緑の塊が見えます。その一つが、S字道路に面した真正面の、黄色い四角い家のすぐうしろにあります。黄緑の塊は黄色い家の半分くらいです。しかし、黄緑と黄色は互いに境界を無視して、相手の領域内にはみ出しています。つまり緑の下半分は黄色い家の屋根にかぶさっており、一方、四角い四階建ての黄色い家の、三階および四階の窓は緑の領域に割り込んでいます。
(71頁)

 この「互いに境界を無視して、相手の領域内にはみ出」る運動が、後藤の全ての小説を貫いていることは言うまでもない。でも後藤の真骨頂は、この後に続く一言にあるように思われてならない。

 ここで、あっとおどろきました。L・Platzとはどこにあるのか。もちろん、どこだって構いません。クレーの『建造中のL広場』は一九二三年作となっています。しかし、それは一九八七年の十四階のベランダからの眺めそっくりです。S字型六車線に面した巨大な黄色い箱とその後ろの首塚の丘にそっくりです。(71頁)

 後藤のすごさは、ここで「あっとおどろきました」などという、むしろ読者の緊張に水を差すような、調子外れで素人くさいフレーズをさしはさむところにある。 なんせ「あっとおどろきました」である。しかも、読者は先行する風景描写で、とっくに二者が「そっくり」なことには気がついているのだ。そこで、白々しくも真剣に「あっとおどろ」いてみせること。作者と作中人物との関係にも「楕円」を持ち込むこと。この反=韜晦とでも言うべき困難な身振りに、後藤の抱える危機と、そこから生まれる創造の秘密が隠されているように思う。全て平均化された黄色の世界のただ中において、あらゆる色彩を見出すこと。しかし、それらの色彩を決して固定せず、常に黄色に立ち戻ること。こうして、むしろ各々の色彩は、固定して死んだ状態ではなく、純粋な運動として立ち現れてくるのである。
 そう、新田義貞の首も平家物語の数々の首も馬加氏の首も、現在の湾岸地域の殺伐とした日常と、確かに繋がっているのだ。これは「文学上」の関係ではない。むしろ、その「関係」のために文学がある。しかし、その関係を生きるためには、決してある出来事を特別なドラマに仕立て上げてはならない。全てを語り終わり、またもとの黄色に戻った後に「あっとおどろきました」などとトボけてみせればよいのだ。

2005/11/14
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『四十歳のオブローモフ』 
後藤明生 文藝春秋 昭和四十八年


 作者自身の影と見られる団地住まいの作家の日常を、とりとめもなく綴った小説、とまずは言えるのだが、さてその先が難しい。
 とにかく、面白いのです。でも、その面白さの質を説明するのが、これほど面倒な作家も珍しいと思う。
 主人公の作家は、色々な次元で「宙吊り」の状況を生きている人物である。
 まず、東京近郊のマンモス団地の104号棟の303号室という、彼とその家族の住居がいかにもという感じだ。5階建てのちょうど真中なわけである。
 次に表題にもある彼の年齢。四十歳が「不惑」とされるのも、人生五十年と見なされていた時代の話で、例えば、主人公を襲う「二日酔いからさめかけの不安」なるものは「何故だかわからないが、世界中の一切のものから自分一人が忘れ去られてしまうのではないか、といった不安なのである。生きながら、土中に葬られるような、恐怖なのである、叫んでも、訴えても、誰一人振り向こうとはしない」といったものである。
 この感情は主人公が小学生時代、だれもいない夏休みの校庭でぽつんと一人で立っていた時の記憶とはるかに連なっている。少年時代を朝鮮半島で過ごした主人公は、終戦で福岡に引揚げ、そこで青春時代を送るのだが、彼はその「第二の故郷」にはついに馴染むことがない。主人公は講演のために福岡に帰省し、母親や兄弟の家族と一緒に花見に出かける。そこで主人公がノスタルジーに襲われるとすれば、当然それは極めて屈折した姿を取らざるを得ない。

 西公園は宗介の故郷ではなかった。その西公園の展望台から、埋め立てられて石油コンビナートになった博多湾を見下ろしながら、宗介は北朝鮮の小学校の、夏休みの校庭を思い出していた。そして、それは何故だろうかと考えていたのである。それは失われたものだからであろうか?それとも、どうしても失うことのできぬものだからだろうか?(268頁)


 これまでクスクス笑いを伴いながら語られてきた主人公の「宙吊り」状態の水面下で、故郷喪失者の悲しみが途切れることなく基調低音を奏でていることが、次第に明らかになってくる。
 ところで、「宗介」という名前は、夏目漱石の「門」の主人公と一字違いであり、「オブローモフ」は、ゴンチャロフなるロシアの作家の小説に登場する怠け者の名だということである。しかし、本書で作者が最も意識をしているのは二葉亭四迷の『平凡』だろう。(ちなみに以上のことは、後書きで後藤本人が語っていることです)『平凡』の飼い犬にまつわる甘美で悲痛なエピソードが、本書の最後で唐突に再現される。宗助の小学生の長男が子犬を拾って来るのである。当然団地では犬は飼えない。

 お父さんだって我慢しているんだ! と宗介は叫び出したい気持ちだったのである。そして長男を力一ぱい抱きしめてやりたかった。長男はいま、悲しみを経験している。その小学五年生の悲しみが、人間そのものの悲しみであるように思われたからだ。
 (…)
「とにかく、何か食べ物をやろうじゃないか」
 そのとき長男が、とつぜん、しゃくりあげた。宗介は耐えた。四十歳の男として、その人生におけるすべての経験の名において、何としてでも長男の悲しみに耐えなければならない。
「とにかく牛乳を飲ませてやろう。それからお父さんと一緒に、その犬を捨てに行こう」
(334-335頁)

 宗介は、自分の「父親の役を演じている大根役者」ぶりを強く意識しながら、煙草を一本取り出してくわえるのだが、その一瞬の間に、不可思議にも、息子と子犬は彼の眼前から消えうせてしまう。

 玄関のドアは外側に向かってあけ放しのままだった。したがって、宗介の真正面に見えているのは、階段を挟んだ向い側の、閉じられたドアだった。304である。サンマルヨン。火のついていない煙草をくわえたまま宗介は、青ペンキで塗られた鉄製のドアに書かれた、白い数字を見ていた。 (337頁)

 これが小説の結びである。夏目漱石や二葉亭四迷と、後藤明生とを隔てる何かが、ここに現れているように思う。近代の文豪は、やりかたこそ各々違え、とにかくある「全体」を小説に詰め込もうと試みたのではないだろうか。それに対して、後藤明生の場合、「全体」は「外部」にあると言うべきだろう。この「外部」とは、小説に描かれている時制の過去や未来としてあるもの、つまり、失われたものや、来るべきものではなく、また、本を読み終えた我々が再び目にするもの、つまり、この現実でもなく、ある「絶対的な外部」であって小説は、その絶対的な外部の気配を常に背後に感じながら、ひたすら宙吊りの時間を生きてゆくことになる。「全体」は、完成されうるものとして存在するのではなく、むしろその不可能性と不可視性を存在基盤としている。後藤明生にとっての「故郷」とは、そうしたものの化身だとは言えないだろうか。

2005/11/08

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しかし、こういうのはいかがなものかと…