午前中仕事を休み、実家近くの病院に健康診断を受けに行く。
病院に行くのはたしか、五年以上ぶりである。
しばらく廊下の長椅子で待たされた後、名を呼ばれて内科の診療室に招き入れられる。 まず身長と体重を計られ、次に聴診器を当てられ、その次は血圧、またその次は心電図と、ベルトコンベア―式にテンポよくことが運ぶ。 最後は採血だった。
丸い回転椅子に座り、右腕を伸ばして、見る見るうちに注射器を満たして行く自分の血を眺めながら、何だかどす黒い色だなあ、いやだなあと思っていると、針が引き抜かれ、代わってガーゼの切れはしが押し付けられる。
「強く押し付けていてくださいっ」
と、その女性看護士は「い」の後にちいさな「っ」をつけて言い放ち、私に背を向けた。 二十代半ばから後半くらいだろうか。 なにやら作業をしている手元を休めないまま、私に横顔を見せる。
「次は二階の健康管理室になります。場所はわかりますね?」
「いえ、わかりませんが」
彼女の口元がにっとつりあがった。
「なによ、田舎者ね、二階の健康管理室も知らないなんて」
という風の笑みである。 その上では小さな鼻がちょこんととんがり、その下では 同じく小さなあごがちょこんととんがっている。 青白く、肉の薄い頬にわずかなそばかすがある。
「じゃあそこの階段かエレベーターを使って二階に上がってください」
「はあ、わかりました」
彼女は近寄ってきて、ガーゼを小さな四角い絆創膏と取り替えた。
「このまま2、3分押し付けておいてください…二階に上がったら、吹き抜けがありますから、その周りをぐるっとまわってください。 反対側が健康管理室ですから」
「はい」
座ったままの私を真上から見下ろして、彼女の顔に勝ち誇った笑みが浮かび、小さな鼻とあごが、ますますつんと反り返った。 そのきらきら輝く細長い目がこう言っていた。
「あなたごときに、二階の吹き抜けを回り込んで、反対側の健康管理室にたどり着くことができると思って? 無理ね。 分をわきまえなさい、おほほほほ」
シュークリーム一個とウイスキー一瓶が入った籠を持ってレジの前に立つと、さすがの私もちょっと目つきが悪くなります。
(悪いかよ!シュークリームとウイスキーを一緒に買って悪いかよ!)
もう何日か前のことになるが、あるブログに、自主映画の上映会を見に行ったときの感想が記されていた。
一読して、ざわざわと血が騒いだ。
私自身も恥ずかしながら、つたない「自主映画」を何本か作ったことがあり、仲間内でささやかな上映会を開いたことがある。
だから、そこに書かれている出来事の一つ一つが身につまされ、到底他人事とは思われない。私は時に赤面したり、時に青ざめたりしながら、その辛らつな記事を読み終えたのである。
もったいぶって「あるブログ」などと書いたが、そこの管理人さんとは、ネットを介してかなり親しくお付き合いをさせてもらっている。この記事も、直ちにその人に読まれるだろう。また私もそのつもりで書いている。
その人は(仮にYさんとしておく)、特にその方面に明るいというわけではないらしく、たまたま知り合いのH氏なる自主映画作家(?)に招待されて会場に赴いたらしい。それにしてもYさんの感想はクソミソだ。とにかくよほどひどい上映会だったのだろう。
さて、私はある夢想に陥ってしまう。私がもし、Yさんを自分の上映会に招待できたらどんなだろう。Yさんとの関係はあくまでネット上の付き合いでしかないので、顔も声も知らない。私は、Yさんを招待した人物に、正直ちょっと嫉妬しているのである。
そこでふと、太宰治の『パンドラの匣』という小説を思い出す。療養所で闘病生活を送る二十歳の青年を主人公にした小説である。どこまでも明朗でさわやかな小説だが、構成に少し捻りが加えられている。「ひばり」と呼ばれるその青年は、身辺で起こる出来事を一人の親友に宛て書き送るのだが、その手紙がそのまま小説となっているのである。
私は「幸福」ということについて考えるとき、いつもこの小説の一場面を思い浮かべてしまう。物語の後半で、今まで手紙を書き送ってきた相手が、主人公の目の前にふいに現れる場面である。そこでは、病人を親友が見舞うという、それ自体はごくありふれた出来事が、この小説の持つ語りの構造の中でショートを起こし、目もくらむような幸福となって迸るのだ。ちょっと長くなるが、その部分を引用してみよう。
マア坊が「お客様ですよ」と言って、君を部屋へ案内して来た時には、僕の胸が、内出血するほど、どきんとした。わかってくれるだろうか。久しぶりに君の顔を見た喜びも大きかったが、それよりも、君とマア坊が、まるで旧知の間柄のように、にこにこ笑って並んで歩いて来たのを見て、仰天したのだ。お伽噺のような気がした。これと似たような気持を、僕は去年の春にも、一度味わった。
去年の春、中学校を卒業と同時に肺炎を起し、高熱のためにうつらうつらして、ふと病床の枕元を見ると、中学校の主任の木村先生とお母さんが笑いながら何か話合っている。あの時にも、僕は胆をつぶした。学校と家庭と、まるっきり違った遠い世界にわかれて住んでいるお二人が、僕の枕元で、お互い旧知の間柄みたいに話合っているのが実に不思議で、十和田湖で富士を見つけたみたいな、ひどく混乱したお伽噺のような幸福感で胸が躍った。
(『太宰治全集 8』 ちくま文庫 pp.125-126)
私は想像する。自らの上映会場にYさんを見出したH氏の気持ちも、まさに「十和田湖で富士を見つけたみたいな、ひどく混乱したお伽噺のような幸福感」だったのではないか。しかし、ブログの記事を読む限り、YさんとH氏との出会いの場となった上映会は、Yさんにとって決して幸福な場所ではなかったようだ。私は同じ自主映画に携わる一人として、この悲劇を心より悼むものである。すっかり前ふりが長くなってしまったが、私はこれからおせっかいにも、沈黙したままのH氏になりかわり、Yさんの記事に散見される悲しむべき誤解を解こうというのである。私はもちろんその上映会には行ってはいないのだが、経験上、Yさんの文章から、全ての状況が手に取るように分かるのだ。
上映作品の紹介が書かれた紙を渡される。
読んで口元をゆがめる。仲間内でほめあっているのが、なんとも見苦しい。
(以下太字は全てYさんの記事からの引用)
私は今、胃袋がきりきり痛み、耳たぶがかっと熱くなるのを感じている。私もかつて、上映会の冊子に歯の浮くような大言壮語を書き散らし、仲間内からさえ顰蹙を買ったことがある。
芸術家はみな、じぶんが世界でいちばんだと思っている。
そう思わなければ芸術などやれないという事情もある。
他人の作品に感動することなどめったにない。
だが、人様からの賞賛をもっとも必要とするのがこの芸術家という種族。
このため大したことのない芸術作品をほめる。
かわりにじぶんの作品もほめてくれと暗に要求しているわけである。
しかしである。私は、自分自身がかつて、どんな思いで自他の作品を褒めちぎっていたかを思い出すにつけ、このYさんの分析には首を傾げざるを得ないのだ。Yさんは間違っている。芸術家が真に必要とするのは賞賛や賞賛者ではない。芸術家が本当に必要とするもの、それなくしては窒息してしまうものは別にある。それは「叫び」と「同志」なのだ。
どんな表現者も、それが映画監督であれ、小説家であれ、画家であれ、音楽家であれ、最初は大道でひとり泣き喚く孤児のようなものである。路上でひっくり返って大口開けて泣いている子どもに、「黙れ」と命令して何になるだろう。あるいは逆に「君はえらい、いい子だ」などとほめ言葉を与えて何になろう。孤児が望むのは、できるだけ大きな声を張り上げて、できるだけ遠くにいる人に自分の存在を知らしめることでしかない。そうしなければ死ぬからだ。そのためには、できるだけ声が大きいほうがよい。一人より二人のほうがよい。二人よりは三人のほうがよい。
Yさんは、そんなさまを「なんとも見苦しい」という。それはある意味で的確な表現だ。何の後ろ盾もない成り上がりものが、見苦しくなく振舞うことができるだろうか。そもそも「見苦しくない」状態とはどういうことだろう?最初から保護者がいて、はしたなくわめかずに、お上品にすましていても、なにくれと世話を焼いてくれる状態のことだろうか?そんなことがありえるのだろうか。あるいは、そんなことがありえたとして、それは望ましいことなのだろうか?
そうそう、映画の直後だったか。
この映画の主演女優によるライブが。バンドというのか。
彼女は顔をくしゃくしゃにさせて、自己陶酔している。
これは歌ではない。騒音である。顔をしかめる。さいわい2曲で終了。
大笑いしたのがこのあと。歌手はいう。
「聴いてくれてありがとうございます。
この曲を収録したCDを、あの、無料ですので、もらってくださいませんか」
一人ひとりに丁寧に手渡し。じぶんの立ち位置をよく把握していると感心する。
この女優、いや歌手か、音楽会社の名刺でも見せられたら、なんでもするんだろうな。
私はこのバンドの才能如何については何も判断しようがない。しかし、無料でCDを手渡すという彼らを「大笑い」するというのがなんとも解せない。「じぶんの立ち位置をよく把握している」?「立ち位置」という言葉で、Yさんがいわんとしていることは何か?才能か?名声か?いずれにしても、無料でCDを差し出す彼らを、Yさんは卑屈な乞食のようにみている。つまり、Yさんは、「持たざるもの」が天に向かって吼えれば「頭が高すぎる」と笑い、地面に這いつくばれば「卑屈だ」と笑うのだ。私はその「歌手」が「音楽会社の名刺でも見せられたら、なんでもする」かどうかは知らないが、それは恥ずべきことなのだろうか?
ここまで書いて、ふと気が付く。そういえば、Yさんは小説家志望なのだ。これで、われわれ(私?)とYさんの物の見方の違いが、ある程度説明できるかもしれない。文学は、いわゆる「新人賞」なる制度によって、H氏の上映会に集った面々が隠しようもなく漂わせている泥臭さを、とりあえずは目に付かないものにしているのである。つまり、「才能」さえあれば、「ある朝、突然に」日の目を見ることができるだろう、幸福になれるだろうという神話がそこにはあるのだ。だからYさんには、才能がない(かのように見える)無名の人間が、せいぜい数十人単位の関係の中で、どぶ板選挙じみた足掻きをしているのが滑稽に見えて仕方がないのだろう。
でも、表現なんて、そもそも泥臭いものではないか?自分の個人的な叫びを、人様の限りある時間を拝借して聞いてもらおうというのだから、何かを表現するということが、きれい事ですむはずがないのだ。最初から大ステージの満員御礼を望むのは、子どもの空想に過ぎない。まずは友達からそのまた友達、はては親兄弟や親戚縁者に至るまで無理やり呼び込んで、大いに恥をかく、というのが出発点であるべきだ。それに、それ以外にどうしろというのだろう?
これみよがしにため息を何度もつくが、
最前列にいるこの映画監督はうしろを振り向かない。
かわりにわたしが振り返る。客席は30人。半数が目をつむっている。
まあ、寝ているわけだ。わたしのような不眠症はこういうときにも損をする。
まえにある座布団をこの映画監督へ投げつけてやろうと何度も思う。
地獄の88分が終了。この作品だけである。拍手がひとつもない。
聞こえてくれと思いつつ「つまらない〜」と小声でいってみる。
Tというこの映画監督は、聞こえたのかどうか。こちらを向くことはない。
(中略)
映画監督はじぶんの映画を最前列で見る。決して客席を振り返らない。
これはある意味、きわめてYさんらしい意見である。Yさんは、常日頃から「読み手」のことを考えて文章を練るということを実践している。ここでは観客そっちのけの映画監督の態度が批判されているのだが、私はこれにもいくつか異論があるのである。まず、監督が最前列に座っている場合、多くはプロジェクターか映写機の傍らに座っているのであり、つまり監督が自らの作品の映写係および音響係となっていることが殆どである。これがまず、監督が最前列に座っていることの物理的理由。そして、もう一つが心理的な理由である。最前列に座ることを余儀なくされた監督が、果たしてちらちら後ろを振り向くなんてことができるだろうか?そんな光景を想像して御覧なさい。その監督は、ずいぶん下衆で卑小な印象を与えるだろう。というか、観客のほうで迷惑だと思う。
しかし、後ろを振り向かない監督が、観客そっちのけで自分の世界に入り込んでいるだろうというのは大間違いで、かれらは常に、後ろの観客の存在を背中でひしひしと感じているものなのです。監督をやってると、背後から不気味にのしかかってくる、その大いなる沈黙に押しつぶされそうになることも、決して珍しい体験ではない。上映会での監督は、まずもってこの孤独を耐えなければならないのです。Yさんが背後で毒づいていたとき、その前にいた監督さんは、さぞかしやるせない思いをしていたことだろう。
頼まれもしていないのに、長々と未知のH氏の弁護をしてきたが、私はあえて個々の作品の才能のあるなしについては言及を避けてきた。もちろん見ていないので言及しようにもしようがないのだが、これだけは声を大にして言いたいのである。結局才能があるから表現するのでも、賞賛を求めて表現するのでもないと思うのだ。ひとは、他に生きようがないから表現するのである。それは断じて笑われるべきではない。
しかし、私はこうも思うのだ。これほどの酷評を浴びながらも、やはりYさんを招待したH氏は嬉しかったのではないか。この「場所」にYさんがいたことが、幸せだったのではないか。Yさんは「十和田湖の富士」だったのではないか。

今日は朝から体調が悪く、午後になってから悪寒とだるさが激しくなってきたので、早々に退社する。
ところがである。同僚と上司の気遣わしげな視線に見送られ、エレベーターを降り、冷房の効いた薄暗いエントランスから、輝く真昼の往来に出たとたん、私は元気になってしまったのだ。
直前までの私は本当にフラフラだった。しかし、力なく落とした両肩に、直上から照りつける午後二時の太陽の光を浴びた瞬間、全身に血が勢いよくめぐり出し、宙に浮き上がりそうなほど軽くなったのを感じたのである。原因は全く分からない。でもそんなことより見よ! すぐ目の前を行く若い女性のむき出しの肩もまた、そのなだらかな稜線を露光オーヴァー気味に輝かせながら、リズムをつけてひらひらと飛び去って行くではないか。そういえば今は八月なのだ! 八月! 何と心を浮き立たせる響き! それにまだ今日という日はたっぷりと残っている。私は自由なのだ。
というわけで、いつもとは反対方向の電車にとび乗り、大きく遠回りをして、私鉄O線沿いの古本屋をうきうきとめぐりながら帰ったのである。ここでやたらに海やら山やらへ繰り出さないところが、私の年の功だといえよう。
今日の収穫:
『農民』 上下 バルザック 水野亮 訳 岩波文庫 1995年復刻版 650円
『二つの顔』 安岡章太郎 講談社 昭和33年 初版 850円
『果てもない道中記』 上下 安岡章太郎 講談社 1995年 初版 600円
『ユリイカ 1977年5月号 特集=ジュール・ヴェルヌ』 青土社 500円
同僚の皆様、上司の皆様、ごめんなさい。仮病じゃないんです。本当です。ここに謹んでお詫びを申し上げます。
友人とK市で飲んだ後で、ギリギリの終電で何とかねぐらに戻ることができた。
K駅でその友人と別れたときは、帰れないことを半ば覚悟していた。
彼の家に泊まることもできたのだ。
でも私は本能的に、乗換駅で終電を逃して路頭に迷うことを覚悟しつつ、友人に笑顔で手を振り、その駅からの最終電車に飛び乗ったのだった。
友人、と言った。でも友人というよりは、二人のエゴイストが年に一二度、互いの孤独を確かめ合うために飲むだけの間柄なのかも知れぬ。別に彼がいなかったとしても生きてゆけないわけではない。それは向こうも同じ事だと思う。だから気軽に何でも話せるのである。
私がおととい映画館で見た、ある映画について話が及ぶ。あまりにくだらなすぎて、このブログで感想を記すのも馬鹿馬鹿しいと判断した映画である。題名を『あんにょん・サヨナラ』という。それは日韓の歴史問題をテーマとしたドキュメンタリー映画だった。
かわいそうな被害者がいる。それに対して頑張っている支援者がいる。戦争によってこれだけ人生を痛めつけられた人がいる。だから戦争は悪だ。それに対して手を携えて戦っている人々は、正しく、美しい。靖国神社で、自分の父親を強制的に兵隊に取られ、その父親は南京で帰らぬ人になったという韓国人のおばさんが、頼むから自分の父親を、靖国で祭るのはやめてくれと抗議する。それに対して右翼のおっさんが、朝鮮人はとっとと帰れと悪罵を浴びせる。「支援者」のまだ若い日本人女性が、金切り声で軍国主義への反対を訴える。もみ合いが起きる。双方頑張っている。でも全てが退屈だ。
掘り下げるべき問題は、良心や謝罪や正義ではない。なんで右翼が情熱を燃やし、左翼が情熱を燃やすのか。なぜ人は人を殺すのか。なぜ人は人を愛するのか。なぜ人は悲しむのか。人間が生きるということは、どういうことなのかということのはずなのだ。ついでに言えば、善意と愛とは不倶戴天の敵である。
韓国人のおばちゃんは、父親が戦死した南京を訪れる。南京大虐殺の記念館でショッキングな展示を見て悲鳴をあげる。父親が死んだとされる病院跡で大声を上げて泣き叫ぶ。私は決してそれを冷笑しようというのではないのだ。でも、私のはらわたの奥底から、言いようもない憤りが突き上げてくるのである。
許し難いのは、そうした「あらかじめ答えがわかりきっている」状況を演出した製作者たちである。おばちゃんがカメラの前で泣き崩れる。そこに感傷的な安っぽいピアノ曲がかぶさる。次のショットは靖国に参拝する歴代首相の姿だ。ふざけるな。あまりに人間を馬鹿にした構成ではないか。大本営発表のニュース映画と何が違うというのか。こいつらは、被写体も、観客も、映画も馬鹿にしている。それが善意だと信じているのがなおさら救い難い。映像の本当の力も、映像の本質的な無力さも、何も知っちゃいない。その韓国人のおばさんと、「問題意識に目覚めた」日本人のちょび髭のおっさんがこの映画の主人公なのだが、そのおっさんは、南京大虐殺の記念館の展示を前に、あろうことか涙を流して「ごめんね」などと口走るのだ。なんと醜い光景だろう。お前ごときが「ごめんね」なんて涙を流したところで、一体何が変わるというのだ。こいつらは、人間の悲しみにたいして、徹底的に傲慢で不真面目だ。悲しみや絶望は、善意や反省ごときでどうかなるものではないのだ。ならばハンパな善意でうやむやにごまかすよりは、死ぬまで憎み続ける方が正しいのだ。所詮人が生きている限り、人は傷付け合うのだ。
だから平和を本気で願うならば、むしろ血みどろの不断の闘争を戦わねばならぬ。常に戦略的であらねばならぬ。署名運動やら、憲法第九条やらに頼ってる時点でお前らはダメダメだ。人間が生きてる限り、これで全てが解決するなんていうアオイのモンドコロなんて存在しないんだ。平和主義者こそ、第九条を捨てねばならぬ。平和を疑わねばならぬ。正義と善意のゆりかごから巣立たねばならぬ。大人になれ。左翼が何よりも自国の平和を願うならば、とりあえず米軍に頼ればよいのだ。右翼が国家の真の独立を願うならば、沖縄の米軍基地撤退を先頭に立って主張すべきなのだ。左翼も右翼も頭が悪すぎる。もっとモノを考えろよ。クズども。
と盛り上がったところで、ノンポリ無産階級エゴイストの二人はどちらともなく「そろそろ」と言って居酒屋を後にしたのだった。乗換駅で奇跡的に乗り継ぎに間に合い、路頭に迷わずに無事アパートに帰り着くことができた幸せをかみ締めつつ、駅からアパートまでの一キロあまりの道を歩く。
雨が降っている。傘はない。でも細く暖かく肩に頭に降りしきる雨はいつになく優しい。自然は平等だ。目の前に、闇の中、うつむきかげんに傘を差して家路にむかうおっさんの後姿がある。おなじ道を歩いている。その姿を、アスファルトに照り映える水溜りを、全てを、携帯のカメラで撮影したいのだが、あいにくバッテリーが空なのだ。雨が降っている。私は生きている。
10年前の日記です。そうです手抜きです。疲れてます。
1996年2月25日
松戸にて交通量調査のバイト。一人で駅前の交番に孤独な襲撃を繰り返していた浮浪者のおっさんに話しかけられる。数分の内に今何時かと何度も尋ね、その時計は盗んだものかと尋ね、違うと答えると、「チクショー」と笑う。抜けた歯の間からつばきが飛び散る。何度となく交番のドアに体当たり(だろうと思う。交番はちょうど僕の真後ろにあったので、僕はドスンドスンという音と、甲高いわめき声と、怯えて小走りに通り過ぎて行く通行人から判断するのだ。)をかましておきながら、ケーサツはどっちだと何度も聞く。よろめいて何度も地面にどうと伏す。何を言っているのかさっぱり分からないが、「交通事故」という単語が何度か出てきて、同意を求めるので曖昧にうなずいていると、「…コロシ!…」と甲高く叫び、また笑う。つばきが飛び散る。要するに、それだけ大それたことをしないと警察は相手にしてくれないということが言いたいらしい。時々、通行人に向かってか、それとも想像上の相手に向かってか、獣じみた形相で威嚇の言葉を吐く。これを狂気と呼ぶには、翼が余りに矮小な気がする。こういったものに芸術を求めること自体が間違っていることはよく分かっているが…。要するに、僕にはこのような在り方がよく分からないのだ。
警察はしばらくの間相手にもしていなかったが、静かになったと思ったら、交番の中に招き入れられたらしく、いつの間にか彼は姿を消していた。ほどなくしてパトカーが一台到着し、運転席から降りた警官が後部座席に防水シートのようなものを被せた。おっさんは案外おとなしく警官に腕を引かれて現れ、パトカーに乗ってどこぞに消えた。今から思えばそれを望んでいたのだろう。その直後、一人の警官が、何をしているのかと聞いてきた。学生かと聞かれてプーだと答えると、何か夢があるのかと聞いてくる。通りすがりの人間と交わす会話じゃありませんねと答えると、だしぬけに公務員は安定してていいぞ、公務員にならんかと言ってくる。そいつはバイトが終わる間際にもやってきて、二日で一万六千は安すぎる。どうせピンハネされているんだろう。どうだ公務員にならんかと言う。ひとなつこそうな人物で腹は立たなかったが、僕にはこういう奴等もよく分からない。駅前のロータリーを隔てた向こうの歩道橋を上り下りする黒い遠い人影を眺めていると、言い知れない陶酔感が襲ってくる。あるいは僕の目の前で、停車場に着けるためにカーブを切りながらバックするバスの側面が、僕の視界をゆっくりと切り取って行く運動にも。僕にに分かるのはそれだけだ。でもそれが芸術なのだろうか。単なる水っぽい麻薬に過ぎないんじゃないかという気もする。
帰る道すがら、向こうから歩いてきたカップルの男の方が、擦れ違いざまに「傘持ってるくせして何でささねえんだよ。」と言うのが聞こえた。二人の顔も見ていない。さっきから小雨がぱらつき始めていて、僕の手には傘がある。しばらくして女にではなく、自分に向けられた言葉なのかも知れないと気付く。赤の他人の俺になんでそんな事を言う必要があるのかといぶかしがりながら、段々と強くなる雨足に傘をさす。電車から降りると、雨はさらに強くなっていた。温かい、春の雨だ。
小便をしようとアパートの暗い廊下に出ると、どっと雨の音に包まれた。思わず目をつぶる。ここしばらく雨の音を聞いていなかったせいだけではないだろう。廊下の両端の窓は両方半分ほど開いており、どうやら廊下が管楽器の役を果たして、微妙な共鳴が起こっているらしい。まず、打ちっぱなしのコンクリートのように垂直にそそり立っている雨音の壁がある。そして大きな水滴が水溜まりを打つ不規則な音が、その壁の根元に飛沫と染みを作っている。よく耳を澄ますと、音の壁の向こうには、低音域から高音域にかけての広大な奥行きが、細かいざらつきを持ちながら、ほぼ均質に広がっているのが分かる。まず高音部に感覚を集中し、次に低音部に耳を澄ます。するとそこには、冬の夜、満天の星を仰いでじっと目を凝らしたときのような重力と位置の奇妙な失調現象が、簡単に言うと眩暈が起こる。音は、光以上に物質的なのだ。もう何年も見ていないが、『ノスタルジア』に確かこんな雨の音が響き渡っていたような気がする。
反省:もっと人間に向き合わなければならない。でも、どうやって。

今日の収穫。
原宿のブック○フにて。
『アドリア海の復讐』上下 ジュール・ヴェルヌ 金子博 訳 集英社文庫 1993年初版 各450円
『バルザック選集 1 シャベール大佐』オノレ・ド・バルザック 川口篤・石井 晴一 訳 創元ライブラリ 2005年 再版 350円
日頃お世話になっているブック○フだが、店員の「いらっしゃいませー」にはどうしても慣れることができない。今日も耳元でそれをやられて、殺意を押し殺しながら棚に目を走らせたのである。さらに輪をかけて腹立たしいのは、始終流される店員によるアナウンスである。なぜ腹立たしいかといえば、それらがごく単純にへたくそでプロ意識を欠いているからなのだ。彼らの息せき切った、あるいは舌足らずな声は、ただやたらに自分達が一所懸命であることを主張するのみで、客の方を全く向いていない。この自己完結した幼児性がなんとも不愉快で、苛立ちを誘うのである。
八百屋や魚屋の掛け声と彼らのそれとの違いは何か。一方が耳に心地よく響き、他方がやたらに耳障りなのはなぜか?とにかく八百屋の「いらっしゃい、いらっしゃい」にはリズムがある。ではリズムとは何か?それは生命が、世界に対して、「俺は俺のやりかたでやる」と高らかに宣言することなのだ。それは無関心で残酷で気まぐれな宇宙に対する、ささやかだが誇り高い返答であり、堅固な自衛手段なのである。およそプロのものといわれる仕事には、こうした固有のリズムがある。それらは、それぞれの個であることにおいて孤独であり、自己の行為の全責任を背負うものでありながら、周囲の世間との長年のせめぎあいによって磨かれてきたということにおいて、世界と結び合っている。だからプロの動きには、必ず幾ばくかの怒りや不機嫌や不遜な態度が含まれているのだ。それは社会体の末端の職業に近づけば近づくほど顕著な現象である。きわめて正確でありながら、自分が今行っている事になどさらさら重要性を認めないといったふうに、一見投げやりになされる動作は、例えば中華料理屋の厨房などでよく見かけられるものである。彼ら職業人は、自己の独立をそのようにして演じているのだ。「演じる」というのは虚勢を張るという意味ではない。それは、宇宙のものであり、同時に個のものであるようなリズムに乗るということである。
一方で、今日私の耳元で上ずった声を張り上げていた連中の何と無様なことか。彼らにはリズムがない。スタイルがない。ということは、彼らは周囲の世界との具体的な葛藤やコミュニケーションを拒絶しているということなのだ。ここにもつたないながら、演技というものが存在する。しかしその演技は、客や同僚といった、今、ここに存在する者たちに向けられたものではなく、それらを素通りして、一足飛びに、目に見えぬ無気味な「全体」に呼びかけるものなのだ。彼らが不断に忠誠を誓っているこの全体なるものが、ひとつの企業体なのか、ひとつの国家なのか、あるいは宇宙全体なのか、神なのかはさほどの問題ではない。いずれにしても、彼らの態度に現れている個と全体の関係は、まっとうな職業人に見られる個と世界とのかかわり方とは様相を全く異にしている。要するに、ブック○フには洗練を欠いた幼児的な個と、平均化された無表情な全体しか存在しないのだ。この二者はいささかも矛盾せずに共存できるものである。問題は、「個」か「全体」かという二者択一の元では、世界は決して見えてこないということなのだ。職業人は全体に奉仕するのではない。彼らは自らに見渡せる限りの世界と何とか折り合いをつけながら、その中で可能な限りの独立を守ろうと戦うのである。社会体においてある一定の役割を見出すこと。それは手段ないしは過程であって、決して目的ではない。販売員や営業マンの追従の笑いにすら、リズムやスタイルというものが存在するのだ。
たぶん、個による全体なるものへの無条件の奉仕がいかなるものかを、ブック○フは語っているのだ。本来の生の舞台である世界は、決して個の側にも全体の側にも存在しない。それはつねに両者の中間に生じるものである。従順な羊は世界を知りえない。世界は怒りと不機嫌とを通過しない限り、それらを通してある狩猟動物のリズムを確立しない限り、決して眼前に現れてはこないのだ。
てなことを考えながら、レシートと一緒に手渡された50円の引換券を財布にしまいこみ、ぷりぷり肩を怒らせて店を出たのである。
その後、青山通り沿いの某店にて更に1冊購入する。
『司馬遷―史記の世界―』 武田泰淳 講談社文庫 昭和47年初版 120円

今日の収穫。
JR線 I 駅近くの古ぼけた店にて。
『夢と夢の間』
後藤明生 集英社 1978年初版 1000円
『ブヴァールとペキシェ』(上)(中)
フロベール 鈴木健郎 訳 岩波文庫 1988年 各200円 さて、下巻とのめぐり逢いはいつになることやら。
伯父の葬式から3日が過ぎた。私の忘れっぽさは恐ろしいほどのもので、およそ十年ぶりに親戚一同と過ごした二日間の記憶は、既に所々ぼやけ始めてしまっている。残っている記憶すらも、その場で生起した様々な感覚や感情はほとんど脱色されてしまい、ただの映像のごときものになっているのである。全てを忘れ果てる前に、ここに記録を残しておこうと思う。
その日の午前中は、葬儀場の入り口で、弟や従兄弟らと一緒に受付の席に座っていた。私が背にしている薄い仕切板の向こうでは、別の家族の葬儀の準備だか後片付けだかが行われており、こちらではお坊さんが参列者が焼香する間お経を唱えつづけているというのに、遠慮なくガタガタと大きな音を立てて椅子を移動させている。開放された入り口の外では、時々小雨がぱらつく中、黒い人影がいくつもの大きな流れとなって、アナウンスの放送に促されて行きつ戻りつしたり、隅でタバコを吹かしていたりする。この斎場は都内でも有数の規模を誇っているという話で、葬儀場はコの字形をした建物の両翼に5室づつ、合わせて10室もあるのだ。そして今日は、全ての部屋がフル稼働している様子である。
こういうのも悪くはないな、と私は思った。死は個人や家族から見れば一大事だが、社会全体からすれば日常的な営みのひとつに過ぎないのだ。私の目の前を、草食動物のようにおとなしい会葬者の列が、次々とベルトコンベア式に通り過ぎてゆく。何とはなしに安らかな気分になる。死ぬということが、そんなに恐ろしいことではないような気がしてくる。
しかし、伯父の晩年は、相当に淋しいものであったようだ。私の前にある芳名帳は、まだ一頁分も埋まっていないのである。昨日の通夜の方がまだにぎやかだったように思う。伯父は5年程前に大病をして倒れてから、ずっと病院暮らしだった。最後は子供に戻ったようになって、週に何回か看病に訪れる娘に、ずいぶんわがままを言ったようである。娘に向かって「ママさん」と呼びかけたこともあったそうだ。伯父は生前の伯母をそう呼んでいたのだ。
その伯父が頼り切っていた娘であり、一児の母であり、頼りにならぬ喪主の妹である私の従妹は、昨日は洋装だったが、今日は和装である。この平板でくすんだ群像劇にあって、なぜか私の目には、彼女の姿だけが血の通った一個の人間として、周りから浮き上がって見えるのである。彼女は焼香が始まるまで、控え室と会場の間を機敏に動き回っていたが、今は会場の最前列で静かに頭を垂れている。ここからは彼女の表情は見えない。木魚のリズムは昨日より明らかにせわしくなっていて、読経にも何か激しい調子が含まれている。よくわからぬが、今が供養のクライマックスなのだろう。確かにお坊さんは、伯父の魂を成仏させるために、一所懸命に何かと戦っている感じである。すると隣の部屋でも読経がはじまった。こちらの部屋まで筒抜けである。最後の参列者が焼香を終えると同時に読経は終わった。今度は何の解説もなく、お坊さんは一礼すると退席した。期待していたので残念である。
棺が火葬場に運ばれる直前に、参列者全員で棺の中を花で埋めた。そのとき初めて伯父の死に顔を見た。昨日もその機会はあったのだが、薄情な私は何か億劫で避けていたのだ。伯父の顔は、生きているものと、単なる物体との中間にあった。私は美しいと思った。青白いその顔は、泣き寝入りをした幼い子どものように、悲しげで、かつ満ち足りているように見えた。彼は世界に対して完全に無防備だった。何の垣根もなく、そのまま宇宙と地続きだった。私は、ドロドロとした現生の苦しみの果てに、つかのまであれ、こういう美しい物体に変わるのであれば、死ぬことは悪くないなと思った。またしても私は、彼の死ではなく私の死を思ったのである。
しかし、そのような瞑想的な気分も、棺の後に続いて火葬場に入った途瑞に吹き飛んでしまった。コの字の斎場の中央に位置するそこは、広いエレベーターホールにそっくりの空間である。ただし、数えて九つ並んでいる金属製の四角いドアはエレベーターではなく、それぞれ九基の火葬炉の扉なのだ。互いの間には何の仕切りも設けられていない。私たちが並んだのは中ほどの火葬炉の前だったが、左右にも何組かの参列者が並んでおり、棺を炉に送り出したり、炉から遺骨を取り出したりしているのだった。私たちの隣の炉は一仕事終えたばかりで、灰色の制帽をかぶった係の人間が、事務的な手つきで灰を掃き出していた。普通の箒を使っている。すると会場係らしき女性が足早にやってきて、扉の横の壁に掛けられていたネームプレートと、そのそばに立てられていたポールの先の遺影を手早く差し替えて、やはり足早に去って行った。全てに無駄がない。その他の炉も全て稼動中で、それぞれの前に掲げられたネームプレートと遺影が、今まさに焼かれているのがどこの誰なのかを無表情に告げている。ひと昔前のSFが描いた未来の風景がそこにあった。ユートピアとも、アンチ・ユートピアともいいうるその無機質な空間に、私は感心した。ここには虚飾がない。命を失った人体は単なるモノに過ぎぬ。それは社会体の巨大な歯車の連なりの末端で、単に老廃物として処理されるのである。何かここには、涼やかで軽やかな優しさがないだろうか。無慈悲な懐かしさがないだろうか。
私たちは火葬に付される棺を見送った後、一旦SFの世界を離れ、2階の座敷でビールを飲みながら待った。1時間ほど後に、再び炉の前に並び、扉が開かれると、係の人間が火葬台の上に散らばった遺骨を手早く大きなアルミのトレーに移し、私たちを会場の隅に誘導した。そこで遺骨を壷に移すのである。振り返ると、既に伯父のネームプレートと遺影は見知らぬ他人のものに差し替えられ、次の火葬の準備が始まっていた。私たちが二人一組で長い箸で壷に遺骨を移す間、初老の係の男は、大きな金属製のへらでトレーの遺骨をならしていた。まるで屋台の焼きそばのようである。骨は真っ白だった。もう悲しむことも悲しませることもない。そんな罪のない無垢な色である。係の男は、最後に「これが頭蓋骨。これが耳の骨。これが喉仏。ちょっと崩れてしまってますが」などと慣れた口調で解説しながら壷の蓋を閉じた。悪くない。死んでこうなるのであれば、まったく悪くない。私は中原中也の「骨」という詩を思い出した。
私たちは遺骨と共に葬儀場に戻った。お坊さんがまたお経を上げた。今度は昨日の通夜の時のように緩やかなリズムを持ったお経だった。解説はやはりなく、お坊さんは「ではこれで」とビジネスライクとも取れる挨拶をして去った。その後は飲みどおしだった。二階の座敷で「精進落とし」と呼ばれる食事をした後、皆でマイクロバスで移動して遺骨を従妹の家に納め、近くの酒屋の座敷を借り切ってまた飲んで食べた。皆いい具合に酔っ払ったが、座が乱れるというほどでもなかった。葬式だから遠慮したというより、私たちの一族は、みな穏やかな気質をしているのである。それにしても十年ぶりに会った年下の従弟たちは、皆中堅どころの社会人に変貌していて驚かされた。十年前、従妹の結婚式で会ったときの彼らは、まだあどけなさを残した学生だったのである。こちらもそれなりの紆余曲折を経て今に至っているのだけど、どうも十年を眠るように生きてしまったという気がしないでもない。従妹はあいかわらず座から座に立ち回ってビールを注いでいる。彼女は私より一才歳下である。これからも法事が続いて大変だろうというと、これからのことは全部予測がつくから楽だという答えが返ってくる。私の母が、Yちゃんはお父さんにやってあげられることは全部やったねえとほめると、首をかしげてそうかなあ、そうだといいけど、まだやってあげられたんじゃないかと思うんだけどねえと言って笑う。涙は影もない。俺はこの娘の足元にも及ばないなあと思う。十年無駄飯を食って生きてきてしまった。まあいいさ。俺は俺。
こうしてフルコースで親戚づきあいを堪能したので、帰りは一人になりたいと思って、家族や親戚とA駅の前で別れ、冷たい雨が降る中古本屋を探す。一軒見つかる。そこそこ広いけど汚くて乱雑な店である。もう遅い時間だったが、店の隅のテーブルで、十代の少年達が数人、なにやらカードゲームのようなものに熱中している。埃がこびりついて黒ずんできているビジネス本の間に、なぜか一冊だけ挟まっていた岩波文庫を救出する。
『北村透谷選集』 勝本清一郎 校訂 岩波文庫 1970年 280円 500円出して220円のおつりである。こんな日にひとりじゃらじゃらと小銭のやり取りをしているのが、何だかやりきれなかった。
おまけ
中原中也 「骨」
http://akinao.at.infoseek.co.jp/chuya/a1.html#61

休日である。
目黒線、池上線、大井町線と、狭いエリアに三つの東急線が交錯して走っているあたりを歩く。
この近辺は商店街が網の目のように広がっていて、その全部を継ぎ足せば軽く10キロを超えるのではないかと思われる。
魚屋、八百屋、惣菜屋、衣料品店、飲食店、皆そこそこにぎわっているようである。地方の商店街によく見られるような荒廃の影がない。私はこういう場所を地元の人間みたいな顔をしてぶらぶら歩くのが好きだ。
その中にぽつぽつと古本屋が点在している。いわゆる新古書店を別にすれば、狭くて小汚くて、本も店番のじいさんばあさんも、一緒に色あせて埃をかぶっているような店が殆どである。私は半年から1年くらいの間隔をおいて、思い出したようにこの界隈を訪れる。そしてその度に、もうつぶれているんじゃないかと心配になるのだが、どの店も相変わらずやる気なさげに、通りに向かって暗い間口を開いているのだ。そこに私はほっとしたような、がっかりしたような脱力感とともに吸いこまれて行く。
今日の収穫。
『気球に乗って五週間』ジュール・ヴェルヌ 手塚伸一 訳 集英社文庫 1993年 初版本 300円
『必死の逃亡者』ジュール・ヴェルヌ 石川湧 訳 創元推理文庫 1972年 再版本 150円
『新世界ルルー』手塚治虫 角川文庫 平成7年 初版本 400円
『大洪水時代』手塚治虫 角川文庫 平成7年 初版本 350円
『メトロポリス』手塚治虫 角川文庫 平成7年 初版本 360円
『物語ソウル』中上健次 荒木経惟 PARCO出版 1984年 初版本 900円
(いずれも現在絶版)
で、『物語ソウル』だが、カバーがちょっと黒ずんでいるものの、本体の状態は悪くない。しかし帰宅して袋から出したとたん、かび臭い勾いがあたりにぷんと漂うのであった。古本屋の加齢臭としかいいようのない独特の勾いである。この本が薄暗い店の片隅で、棚ざらしになって耐えていた年月は10年か?20年か?
「おおよしよし、よくがんばったね」
私はほおずりをして、本棚にしまいこむ。