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2008年08月30日17時00分、群馬県沼田市大原
 
 
 
 
2008年08月30日17時04分、群馬県沼田市大原
 
 
 
 
2008年08月30日16時48分、群馬県沼田市大原
 
 
2008年08月30日14時38分、群馬県沼田市大原
 
 
 
 
2008年08月30日14時42分、群馬県沼田市大原
 
 
 
 
2008年08月30日10時41分、群馬県沼田市大原


 先月の29日から、2泊3日で群馬の山奥にある母方の実家に泊まった。友人のY氏も一緒である。
 実家とはいえ、祖母も祖父もとうの昔に亡くなっており、母の妹も嫁いで行ってしまったので、長らく空家のままである。そこを私の家族が、時々別荘のように使っているのである。上越線のN駅を下車してバスに揺られること1時間弱。国道のバス停から村落を通り抜け、谷間に広がる畑の中を数分歩けば、そこはもう山々を目の前に控えた村外れである。私たちの「別荘」は、そこにぽつんと建っている。
 私はじっくりと読書をしようと本を持参していた。もとより最寄のコンビニまで歩けば1時間かかるような場所である。当然ネットなどはない。テレビはあるが、電波状態が悪く、ほとんど何が映っているかわからない。私もY氏も車を持たぬので、陸の孤島同然の環境である。Y氏は何やらここで人生を見つめ直すつもりらしかった。
 さて結果であるが、私は目当ての本を5ページも読み進められなかった。では何をやってたかといえば、私たちは二日二晩ひたすら飲んだくれていたのである。その間飲んだビールと発泡酒はロング缶で20本を軽く越え、その他に焼酎とウイスキーの瓶をそれぞれ1本ずつ空にした。夕方いい気分で散歩に出ては、踊ったり、叫んだり、すれ違う車を睨みつけて中指を立てたり、農家の庭先で吠えかかる犬に襲撃をかけたりした(私たち二人の内、どちらがリーダー格だったのかは想像にお任せする)。
 私たちは31日の朝、ぐったりとして荷物をまとめ、バスに乗った。Y氏と私はN駅で別れた。彼はそのまま家に帰り、私はさらに上越線を下って新潟に向かったのである。Y氏とはそれきりなのだが、一つ聞き忘れたことがある。果たしてこの3日間で、Y氏は人生について何か悟ることはあったのだろうか。
 
 
2008年08月05日19時42分、新潟市
 
 
 
 
2008年08月05日22時23分、新潟市、飲み屋Gにて
 
 
 ギャラリーがはねた後、O氏と連れ立って夜の街に繰り出し、何軒かハシゴして朝まで飲む。2軒目に入ったO氏のなじみの飲み屋で、ママから何度も「バカァ!」「バカァ!」と怒られる。なぜ怒られたのかはよく覚えていない。小アジのからあげがやたらうまかったのは覚えている。最後の店には、そのママも一緒にやってきて、O氏と3人でへべれけになる。
 ホテルで昼過ぎに目を覚ますと猛烈な二日酔である。寺泊に寄ろうという計画は即座に捨て、一度ギャラリーに寄って、半死半生の体でO氏に別れを告げると、さっさと新幹線に乗ってしまった。2時間寝て過ごすと、もう東京である。胃は相変わらず重い。でも楽しかった楽しかった。
 
 
2008年08月05日18時21分、O氏、新潟市のギャラリーEにて
O氏。 
 
 
 
2008年08月05日18時25分、O氏、新潟市のギャラリーEにて
 
 
 
 
2008年08月05日18時26分、新潟市のギャラリーEにて
奥にある人形は、O氏の手になる「ノロマ人形新郎1号」である。
 
 
2008年08月05日16時57分、新潟市
 
 
 
 
2008年08月05日17時31分、新潟市、柳都大橋より信濃川をのぞむ
 
 
 
 
2008年08月05日17時38分、新潟市
 
 
 
 
2008年08月05日17時41分、新潟市
 
 
 昨日今日と新潟に出かけてきた。
 友人のO氏が新潟市内のギャラリーで個展を開いているので、久しぶりに会って飲もうということになったのである。私は幼少時を新潟で過ごしているので、里帰りのような意味合いもある。
 新潟駅前は、日本全国どこにでもあるような、無個性で殺伐とした繁華街である。それでも降り立った瞬間に、ああ新潟に帰ってきたなあと思った。気のせいだと言われればそれまでだが、新潟の大気には独特の匂いがあるような気がする。親密で、なおかつ清潔な、豆炭のようにほこほことした、あるかなきかの香りが。
 その感覚は、信濃川を渡って古い町に入り込んで行くと、さらに強いものになる。新潟は空が広い。その茫洋とした空の下で、人間の営みが、平たく、いじらしく、どこまでも続いている。
 その広がりを真っ二つに割って信濃川が流れていて、私は5歳まで、堤防をすぐ背にした木造平屋の社宅に住んでいた。よく堤防のへりから川の流れをぼーっと眺めていた気がするが、河口を目と鼻の先にひかえた大河の流れはごくゆっくりしていて、海から来る微風が立てる細波のせいか、私は川上と川下をすっかり逆にとりちがえていた。
 そこからもわかるように、幼い私にとっての信濃川は、ちょうど家の裏の堤防から目のとどく範囲にだけ存在していた。それは裏庭の背後にそそり立っている昭和橋から始まって、向こうに霞んで見える越後線の鉄橋あたりで尽きていた。その彼方でも川が続き、世界が無限に広がっているであろうことなどは、夢にも考えなかったような気がする。
 今から思えば、ここで過ごした数年間が、私の一生の中でも一番のんびりした時代だったかも知れない。私はここで、確かに何度かの四季を過ごしたはずなのだが、私の記憶の中の信濃川の流れは、いつも春の陽気の中で灰色にまどろみ、満ち満ちて欠乏を知らず、堤防のコンクリに、たぷんたぷんと眠気を誘うリズムで打ち寄せているのだ。私にとってこの頃は、苦しみをまだ知らない、理想郷にも似た原風景として記憶に残っている。もっとも母に言わせれば、この時期の我が家は、まだ若い父の安月給と家庭に対する冷淡さに苦しめられて、暗澹たる時代だったそうである。当時の私はそんなことは夢にも知らず、世界一の母と、ちょっとこわくて得体の知れないところはあるが、やはり世界一の父といっしょに、世界一の家に住んでいると信じ切っていた。狭くて荒れた裏庭も、私にしてみれば運動場のように見えた。そこには小さな空色のプラスチックの池があり、メダカのような金魚が泳いでいた。奥には蜜柑の木が一本立っていて、ある日、どこからか迷いこんできた緑のセキセイインコがとまっていた。春先には小さくて赤いイチゴがとれ、砂糖とミルクをかけて食べるのがごちそうだった。
 このころ見た美しい夢を、いまだに一つ、覚えている。当時の私の疑問は、夜と朝の境い目は、一体どうなっているのだろうということだった。ある日、それを夢に見た。私は夜中、縁側から真っ暗な裏庭を眺めている。すると天空からまぶしく輝く星が一つ飛んできて、ネズミ花火のようにはじけながら、庭のそこら中をはねまわる。すると、オーケストラのジャーンという長調の響きと共に、にわかに空が明るくなって、朝が訪れたのである。
 私は5歳の春、父の転勤で、新潟市内から寺泊という海辺の町に引っ越した。寺泊は今でこそ海産物が売り物の観光名所となっているが、私が住んでいた当時は、まだちっぽけな田舎の漁師町に過ぎなかった。
 私はそこで、生まれて初めて、生きることが苦しいことだと知ったのである。今まで母に守られ、クリスチャンの幼稚園でのほほんと育ってきた私は、寺の境内にあるペンキが剥げかけた木造の保育園で、荒荒しい漁師のせがれたちの格好の嘲弄の的となった。真っ黒く日焼けした顔の中で目と歯だけ白くキラキラ光らせた、これら敏捷で獰猛な小動物たちは、私の動作が一々のろいことを、ことあるごとに笑いものにしたのである。先生も味方にはなってはくれなかった。私は給食を食べるのが遅いと責められ、まずい脱脂粉乳を吐いたので責められ、昼寝の寝つきが悪いと責められ、不器用で折り紙がうまく折れないことを責められた。皆の画帳は、色とりどりの紙で折られた梅の花やうぐいすやふくろうで次々と埋まって行ったが、最初の折り鶴でつまづいてしまった私の画帳は、いつまでも真っ白のままだった。
 廊下にひとり立たされて泣いていると、年長組の、太った細い目の女先生が、私の足元に四角いブリキの缶を置いた。涙がどれぐらいたまるか、ひとつ見てやろうというわけだった。そしてオルガンが鳴り、皆が大声で合唱した。
「オバカサーン、オバカサーン、ドコデショウ!」
「アソコデース、アソコデース、アソコデス!」
 今から思えば笑ってしまうほどひどい話だが、幼く愚かだった私は、それらの仕打ちを、草食動物のようにじっと耐えていた。恨みも、反省もなかった。漠然と、自分とはそういうものなのだと思っていた。幼いながら死について初めて考え、眠れない夜を過ごしたのもこのころだと思う。私に残っている寺泊の記憶の底ではいつも、冬の鉛色の曇天の下、海から吹きつける霙まじりの吹雪が荒れ狂っている。これが私のもう一つの原風景である。
 この情景の彼方に透かして見えるからこそ、信濃川縁ですごした時代がなおさら美しく思い出されるのかも知れない。いずれにしても信濃川は、私にとってある種の聖地である。ギャラリーに向かう途中で、新しくできた大きな橋を渡った。そこから見下ろす茶色くたゆたう流れは、記憶の中のそれと寸分たがわない。細波の具合で、実際の流れと逆に流れているように見えるのも、昔と同じである。
 
 
2007年9月24日 月曜日 午後4時38分、熱海市伊豆山
 
 
2007年9月24日 月曜日 午後4時18分、熱海市伊豆山

 
  
 
2007年9月24日 月曜日 午後4時12分、熱海市伊豆山

 
 
 
2007年9月24日 月曜日 午後4時15分、熱海市伊豆山

 
 
 
2007年9月24日 月曜日 午後4時30分、熱海市伊豆山 border=

 
 
 
2007年9月24日 月曜日 午後4時40分、熱海市伊豆山
 
 
2007年9月15日 土曜日 午後3時39分、イリヤ・カバコフ、神奈川県立近代美術館 葉山

イリヤ・カバコフ(1933-)
 
 
 葉山の県立近代美術館に、イリヤ・カバコフの展覧会を見に行く。
 私は現代美術に関しては全くの門外漢だが、このウクライナ出身の芸術家は大好きなのだ。
 今日は展覧会の初日で、私が展示を見終わってエントランスに戻ると、ちょうどレセプションが始まるところだった。なんとカバコフ本人もいるではないか。
 関係者にまぎれて、係の女性からワインのコップを受け取り、最前列で乾杯する。
 初めて見るカバコフ本人は、快活で人のよさそうな老人だが、旧ソヴィエトの体制下で、絵本の挿絵作家としてしたたかに生き抜いてきたその人生を思うと、柔和な笑顔にも何だかすごみが感じられるようである。
 
 
2007年5月9日 水曜日 午後2時7分、横浜市港北区新横浜、新横浜駅

 
 
 
2007年5月8日 火曜日 午後5時10分、東京都千代田区神田須田町

 
 
 
2007年5月8日 火曜日 午後5時42分、東京都千代田区神田小川町

 
 
 
2007年5月7日 月曜日 午後3時53分、鎌倉市山ノ内

 
 
 
2007年4月30日 月曜日 午後2時44分、港区港南
 
 
2007年5月2日 水曜日 午後2時23分、海老名市上郷

 
 
 
2007年5月5日 土曜日 午後5時17分、横浜市南区弘明寺町

 
 
 
2007年5月7日 月曜日 午後3時50分、鎌倉市山ノ内



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テンプレのレイアウトをちょっと変えました。
これで横長の写真も、かなり大きなサイズで見ることができるようになりました。
今まで横長の写真をアップするときに、内心かなりのフラストレーションを感じていたので、これを機会にうさを晴らしたいと思います。
今まで発表したものの他、数点、「これは小さく見せても伝わらないよなー」という理由でボツになった写真をまぜて、まとめて公開させていただきます。
まあ、自己満足以外の何ものでもないのですが、少しでも楽しんでもらえたら幸いです。