問い : 一体、こんなことばかりしていて良いのでしょうか?
答え : はい、良いのです。

近所のスーパーへの道すがら。
私がこれらの忘れられたものたちを見いだした、というだけでは、事実の半分をしか伝えていないことになる。
私は最初、足元に気のない一瞥をくれるだけである。すると時に、石ころやゴミや葉っぱが、じっと私を見つめ返してくるのだ。瞳もなく、感情もなく、それでも私自身の眼差しをはるかに凌ぐ強さと執拗さで私を凝視し返してくるのである。私ははっとなって、思わず足を止めてしまう。
道にかがみこんで、無言のうちに視線を交わしていると、それらに魂がないということが、どうにも解せなくなってくる。
あるいは、私が私であって、ポッカのキャップでも葉っぱでもないという厳然たる事実が、どうにも不可思議で納得がいかないことのように思われてくるのである。なぜ私は私であり、目の前で先刻からの小雨に濡れそぼっている真っ赤な葉っぱであってはいけないのか? なぜ私は、他の場所や時ではなく、「いま、ここ」にいるのか? そんなことを考えていると、みぞおちのあたりがすーっと軽くなって、ふわふわと宙に浮かんで行きそうな心地がしてくる。
もちろん私は凡庸な人間なので、そういう問いを必要以上に長引かせたりはしない。何かのアリバイのように、携帯のカメラでパシャリとやったあとは、まあ、生きるってことは、もともと何かと不自由だしな、よっこらせ、とひとりごちながら腰を上げ、何もかも忘れて歩き出すのである。