『カルメンという名の女』
ジャン=リュック・ゴダール監督 フランス映画 1983年 映画のラストの有名なやりとり。
カルメン「あれは何と呼ぶの? 一方に罪なき人、一方に罪ある人…」
ホテルのボーイ「存じません、お嬢様」
カルメン「探すのよ、バカ」
ボーイ「存じません、お嬢様」
カルメン「皆が全てを失敗しても、陽は昇り、呼吸する空気がある…」
ボーイ「それは暁と呼ぶのです、お嬢様」 つまり、恐れのない目で見れば、全ては美しい、ということだ。
その中でも、とりわけ人間は美しい。
その冷淡さも、愚鈍さも、美しい。不能であることすら、美しいのだ。
ゴダールの映画があれば生きて行ける。
しかしゴダール本人は、劇中でこんな台詞を吐く。
「美は耐えなければならない恐怖(テロル)のはじまりなのだ」
昨夜は久しぶりに小津安二郎の『東京暮色』を見た。
F・ラングの『暗黒街の弾痕』やN・レイの『夜の人々』に比すべき「暗黒映画」の傑作であることを、改めて確認する。
ただしヒロインの有馬稲子の傍らには、クローベット・コルベールに対するヘンリー・フォンダや、キャシー・オドネルに対するファーリー・グレンジャーのような、地獄行きを共にする片割れがいない。
それが小津の世界なのだ、と思う。
*某掲示板で、「蓮實重彦は優秀な輸入屋に過ぎぬ」という内容の書き込みがあり、それに反論する形で、ここ数日書き連ねた文章です。 二つのハワード・ホークス論、ジャック・リベットの
「ハワード・ホークスの天才」*1と、蓮實重彦の
「ハワード・ホークス、または映画という名の装置」*2を続けて読む。
いくつかの共通点がたちどころに浮かび上がってくる。まず二人のキャリアの中で、比較的初期に書かれた評論だということ。そして、両者共にある種の時代思潮に抗う形で書かれたということである。
二十数年という年月によって隔てられていながら、二つの論文をめぐる状況は、ある意味でよく似通っている。簡単に言えば、1953年のフランスにおいても、1977年の日本においても、ホークスは多少は器用だが、つまるところ凡庸な娯楽映画監督だとみなされていたのであり、こうした扱いへの苛立ちが、両者が書かれる原動力となっているのである。
ここでは確かに、「輸入者」蓮實という視点が十分に成り立ちうる。フランスでのホークス評価の先鞭となったリベットの論文を蓮實が意識していなかったことはありえないし、直接の影響を受けていると思われる表現も実際に散見される。リベットの指摘したホークスの「連続性へのこだわり」という考え方をさらに純化し、洗練させたのが、蓮實の提示する「逆行」「交換」「捕獲」といった概念であることは、二つの論文を読み比べれば容易に見て取れるのである。両者は良く似ているというよりは、ある意味相互補完的である。一方で萌芽の形でのみ存在する概念が、他方では十分に展開されている。逆もまた真である。つまり蓮實は、リベットの論文で「未だ言われていないこと」のみを用意周到に選択しているのだといってよい。
しかしここに蓮實の「オリジナリティ」を見るのも、逆にその欠如を見るのも、両者共に殆ど意味のない態度だといえよう。一般的に職業的な研究者が先人の影響を受けないことはありえないし、またそれらの影響に対して自意識を働かせないこともありえないからだ。重要なのは、これほど緊密な影響関係にありながら、両者の論文が全く異なる思考様式のもとに書かれていることである。一方は特権的な視点から特権的な言葉で特権的な事態を描く。しかし他方は、誰にでも共有しうる視点から、誰にでも共有しうる言葉で、特権的な事態を描こうと試みるのだ。

リベットの「ハワード・ホークスの天才」はこう書き出される。
「明白さとは、ホークスの天才の目印である。『モンキー・ビジネス』〔53年〕は天才の映画であり、その明白さによって有無を言わさず見るものの精神を納得させてしまう」 この文章自体が、有無を言わせぬ調子というか、石つぶてでも投げ込むような攻撃性と性急さを帯びている。こうした戦闘的なスタイルは、この時期のカイエの同人達に共通のものだ。ヒッチコックやホークスを持ち上げることは、当時の映画業界にとって、挑発的だったどころか、スキャンダルに近いものですらあったらしい。彼らは新参者の常として、事あるごとに大声をあげ、まず結論から先に叫ばなければならなかったのである。
成りあがり者の常套手段はもう一つある。それは、既存の伝統的な価値観を可能な限り味方につけるというものだ。今、私の手元にある『ユリイカ』のヌーヴェル・ヴァーグ30年特集号に収録されている評論の中でも、ゴダールはダグラス・サークの『翼に賭ける命』を
「映画がフォークナーにひけをとらないことを示したのはこれがはじめてなのである」*3と断言し、シャブロルはヒッチコックを
「バルザック、ドストエフスキー、ベルナノスらが半ば失敗した企てに見事成功した」*4と持ち上げ、リベットも当の評論の中で、
「(ホークスの)『赤い河』や『コンドル』の血縁として挙げられるべき人は、コルネイユをおいてほかにはいない」と述べている。香具師の口上といってしまえばそれまでだが、彼らはそのような戦術を是非必要としていたし、またそれらの固有名詞は、権威付けの為に持ち出されたというよりは、ある直接的な「威力」となって拳のように打ち下ろされるのだ。むしろ我々は、ヒッチコックやホークスと一緒に、これらの先人をも「発見」するのである。

一方、蓮實は、まさにこうしたやり方すべてに「逆行」するのだ。「ハワード・ホークス、または映画という名の装置」の書き出しはこうである。
「ハワード・ホークス的「作品」とは、透明なあまり視界に影すら落とそうとはしない不可視の装置である。どこまでも澄みわたって視界をさえぎることもなく、また尋常な瞳にはとうてい捉えきれないほどに巨大な空間を占有する精密な玩具である」 一見して韜晦的な文章である。カイエの同人達のハングリー精神は微塵もない。だが、蓮實が、世に出た当時から現在に至るまで誤解を受けてきた理由は、これらの言葉の連なりの中に、何か特殊で、余人には図りがたい「意味」があるのではないかと(あるいはそう見せかけて人を煙に巻いているのではないかと)、あらぬ勘繰りをされてきたことにある。事実はまるで逆なのだ。「透明」は単に透明なのであり、「不可視」は単に不可視なのだ。それらの言葉は背後に何も隠してはいない。それらは「美的な」言葉でも、「詩的な」言葉でも、「哲学的な」言葉でもなく、単なる「言葉」なのだ。その意味で、これらの言葉は、
「一枚のレインコートはレインコートに、一丁の拳銃は拳銃にそっくりのイメージをかたちづくっている」*2ホークスの映画そのものに限りなく接近することになる。
「(…)ホークス的な挑発性は、(…)日常的な言語の制度化した安定を擾乱することで詩的言語とやらの復権を目論んだりはしない。日常言語と詩的言語といったすでにそれ自体が古典的な対立を越えて、詩的言語の挑発性と呼ばれる概念そのものを挑発し、その無廃を宣言するのだ。つまりそれは、詩人の存在そのものを撃つ透明な挑発性なのである」
(蓮實、前掲書) これは、別の場所で、批評家たるものは
「嫉妬のあまり映画そのものを模倣するまでに至らねばならない」*5と述べる蓮實にふさわしく、まさに蓮實の批評のマニフェストにもなっている。ではなぜ、ホークスの映画は一見誰にでもわかりやすく、一方、蓮實の文章は「難解」なのか?それを明らかにするために、再びカイエの同人達の言葉に戻ってみよう。
「敢えて言ってしまえば、運命、神々しいもの、悪魔的なるものといった、あらゆる偉大な作品の品質保証として通用している観念こそ、クロード・シャブロル、ジャン・ドマルキ、フランソワ・トリュフォーが、ヒッチコックにおいてもそれが認められることを異口同音に説き、はっきりと示してみせようとするものなのである」
(エリック・ロメール「誰のせいなのか?」*6)「知的で厳密な映画作家でありながらも得体の知れぬ力や魅惑の力の塊であるホークスの中には、秩序立った錯乱に惹かれるゲルマン的天才が潜んでいる」
(リベット、前掲書) 翻訳文特有の混乱を別にすれば、これらの文章はわかりやすい、というか、とりあえず何か分かったような気にはさせられるのである。なぜなら、ここで使われている、「運命」「神々しい」「悪魔的」「知的で厳密」「得体の知れぬ力」「魅惑の力」「秩序だった錯乱」「ゲルマン的天才」といった言葉たちは、とりあえず何らかの特殊な深みというか、特殊な「価値」を有するイメージを、漠然とではあれ、直ちに読む者に喚起するからだ。それらは、フォークナーやドストエフスキーやコルネイユといった固有名詞が喚起するイメージと同様に、カイエの同人達がよりどころにしているものである。「明白さとは、ホークスの天才の目印である」という文章を目にしたとき、われわれは、それに同意するか否かはさておき、「明白さ」「天才」といった言葉が漠然と抱かせるイメージを共有しつつ、それらのイメージがさらに垂直に深まって行き、今は隠されている特殊で複雑な地点で焦点を結ぶことを期待する。つまり、「じゃあホークスはどういう意味で天才なの?」「明白さってどういうこと?」という「問い」が生まれるのだ。この、次第に奥まって行く垂直の運動をたやすく追うことができれば、その文章はやさしいということになり、逆に困難を伴えば難解であることになる。
ところが蓮實とホークスは、自らの作品から、こうした「深み」を徹底的に排除するのだ。できあいの、共有された深みも、特殊で深遠な深みも、共に排除されるのである。そこからホークスの古典的で透明な画面の連鎖と、蓮實の迂回に迂回を重ねる文体が生まれる。それらはやさしくもなければ難解でもない。

ではそこで一体何が起こっているのか?一言で言えば、映画においても、批評においても、「運動」が生じるのだ。各々の画面や言葉はもはや、背後に読み取られるべき思想も感情も隠してはいない。それらは垂直に奥まって行く神秘的な存在であることをやめ、ただお互いどうしの水平の関係を生きるのだ。その関係は、抽象性や一般性に還元されることのない、ひたすら具体的なものである。この具体性こそが運動なのだ。重要なのは、これらの運動は、ホークスのそれであれ、蓮實のそれであれ、「誰にでも見える」ということである。それらを追うのに、知識も想像力も体験も必要とされないのだ。逆にいえば、蓮實の文章を読んだり、ホークスの映画を見るときには、知識も想像力も体験も、まるで役に立ちはしないということである。ごく乱暴に言い切ってしまえば、蓮實の文章を追うのはそう難しいことではない。幼児がお話の続きをせがむように、ひたすら「それから?それから?」と言葉の連なりをたどってさえいれば、行き着くべき場所に到達するような仕組みになっているのだ。ただし、間違っても、途中で立ち止まって、「これはどういう意味?」などと尋ねてはならない。レインコートがレインコートでしかなく、拳銃が拳銃でしかないように、言葉は言葉でしかないのだから。
しかし、蓮實の批評の言葉の連なりと、ホークスの映画の画面の連続は、ある地点で決定的に袂を分かつことになる。言葉はある時、光に眩惑されたように、はたと歩みを止めてしまうのだ。
「みずからの「生」を決して見ることがないように、誰もホークス的「作品」を見たりはしない。「死」とは秩序の崩壊ではなく、凝固することで変容を逸した均衡にほかなるまい。ホークス的循環装置は、その無限の交換によって均衡の成就をたえず一瞬さきに伸ばすことで宙に吊られる、来たるべき透明な「作品」なのである」
(蓮實、前掲書)「つまり「批評」とは、不可視を可視の世界に引きずり出したり、未知を既知によって解明したりすることではなく、みずから白痴の表情をまとって「制度」の一劃にかたちづくられる時ならぬ事件を生きざるをえないものの、絶対的な畸形性を前にした不条理な苛立ち、欠語をむなしく宙に放出するしかない無力感、そしてその苛立ちと無力感とを外気にさらすことでみずからの崩壊を受け入れながら、積極的に他者の生成に加担してしまう自分自身への深い驚きだ、ということである」(蓮實重彦 「表層の回帰と「作品」」*7) 注目すべきは、常に「過剰なるもの」との遭遇を説く蓮實の言説に、いかに「欠如」を示す語彙が豊富に用いられているかということである。「宙に吊られる」「来たるべき」「透明」「苛立ち」「欠語」「無力感」…。カイエの同人達が「ホークスは偉大である」と宣言する同じときに、蓮實は「ホークスは不在である」と述べるのだ。
ここには二重の操作がある。第一に、言葉を可能な限り貧困なものとすること。あるいは言葉そのものの貧困さを露呈させること。次にその貧困化された言葉に「敗北宣言」をさせることである。ある意味でこれは「出来レース」以外の何ものでもない。時には敬虔な宗教劇を、時には陰惨な復讐劇を思い起こさせる、この「弱者の言葉」によるドラマに、蓮實の魔術の一切がある。
つまり、蓮實がある時期、あれほどの追随者や模倣者を生み出したのは、彼が特権者による特権的な言葉を語っていたからではないのだ。事態はまるで逆である。むしろ特権者による特権的な言葉は、たとえばゴダールのそれやジョナス・メカスのそれ、あるいはブレッソンのそれのように、徹底的に孤立すべく運命付けられるだろう。一方蓮實が語るのは、アルカイズムや蛮勇を最後のひとかけらにいたるまで抜き取られ、去勢された、つるんとした言葉である。学者の言葉であり、平等主義の言葉であり、民主主義の言葉であり、ニーチェのいう「終わりの人」ならぬ「終わりの言葉」である。そして蓮實はわれわれの耳元でこうささやく。「これこそわれわれの言葉だ。君らの言葉だ。いや、誰のものでもない「匿名」の言葉だ」と。そして「作品」は、それらの言葉が潰えた極限に初めて現れるのだと。

私は何も蓮實が詐欺師であると主張したいわけではない。逆に言いたいのは、蓮實はたゆまぬ努力の人だということであり、他人にも常に努力を要求しているのだということである。今ネットでちょっと面白いテキストを見つけたので、少し長くなるが紹介する。蓮實が映画の学校で講義をした時の採録らしい。タイトルは「映画は個性的でない人によってつくられる」というものである。
「もう一つの問題もあります。それは、ここのような映画の学校で何を教えるべきなのか。何をというのは講義の内容ではなく、何になれと教えているのか、ということです。ここにはさまざまな科の生徒さんがおられるということですが、わたくしの大原則は、間違っても個性的であろうとするなということです。自分は個性的だと思っている人が、世界の、人類の、99.9パーセントであるとするなら、間違ってもそんな連中を真似してはいけない。ですから、断固、個性的たろうすることをやめなければいけない。なぜなら、映画は個性的ではない人によってつくられた、という大原則が存在しているからです。「映画の父」といわれるデヴィット・ウォーク・グリフィスは決して個性的な天才ではない。ごく普通の監督でありながら、それ以前には存在していなかった「映画作家」として自己を開花させた、ということです。個性的な才能という点をとってみれば、シュトロハイム、等々、他にもっともっとたくさんいるでしょう。だが、なぜグリフィスが「映画の父」といわれているかというと、彼が普通の映画作家だったからなのです。普通の映画作家であったということは何を意味しているかというと、与えられた条件の中で自分自身の表現をどこまで高めていくかという、いわば、最良のための努力をたえずしていた監督であるわけです。ゴダールのような人でさえ、最良のための努力をたえず行っている。「相対的によりよい表現がある」ということ、これは幻想かもしれません。だが、それを信じなくては映画は成立しません」(2006年4月1日)http://www.eigabigakkou.com/speak/index.html ここには「教育者」蓮實重彦の真髄がある。この講義に先立つこと四半世紀前にも、
「顔と記憶と名前を失って充実した匿名性の中に埋没することは、自分を虚構の存在になぞらえつつ主体の維持を錯覚することよりはるかに困難ないとなみなのだ」*8と述べている彼は、彼のいう「擬似冒険者」には徹底して手厳しい。
「あらゆる「制度」に蔓延している怠惰な事実誤認、それは、「未知」なるものはいま、ここにはなく、したがって見えてはいないと信ずることであり、そんな「貧しい」確信が、「未来」だの「彼方」だの「深さ」だのを捏造してもっと奥、もっと遠くへと困難な距離を踏破して進まんとするあまたの擬似冒険者を生み落とすのであり、そうした楽天的な魂たちは、自分に最もふさわしい仕草を、「未知」なるものを「既知」なるものへと移行させんとする「発見」の旅だと信じて疑わない。だが、存在が真に有効な視線を欠いているのは、まさしく、いま、この瞬間に、ここにあるものをめぐってなのであり、そのとき瞳を無効にされた存在は、『彼方』を見やって視力の回復をはかるのではなく、むしろ自分自身の瞳を積極的に放棄して、『既知』と思われた領域の一劃に不意に不可解な陥没点を現出せしめ、そこで、いま、この瞬間に、ここにあるものと接しあいながら、もはや自分自身には属さない非人称的な瞳を獲得して、世界を新たな相貌のもとに把えることになるだろう」(斜体は原文では傍点)
(蓮實重彦 「言葉の夢と「批評」*9)
長々と引用した二つのテキストは、それぞれ相互依存する二つの軸に対応している。一つは「匿名性」=「主体性」の軸であり、もう一つは「いま、ここ」=「彼方または奥」の軸である。ここで注意すべきなのは、今しがた等号で結び付けられた2項の間の道筋が、「制度」の内部において「連続」しているという点なのだ。人は瞳の焦点を、地平線の彼方から自分の足元にゆっくりと移動させることができるし、日常の中で仮構された「主体」もまた、例えばある映画のある場面に接した瞬間などに、つかの間であれ、「匿名性の中に埋没する」機会を有するのだ。蓮實はこうした姿勢を「困難ないとなみ」だとは言うが、「不可能」だとは決して言わない。蓮實はただこう言うのである。「努力せよ」と。
つまり、「教育者」蓮實が、その著作の中で、繰り返し提示しているのは、「絶対」に到るための「相対的な」道のりなのだ。権利上、その道は「誰でも」巡ることができるのである。迂回に迂回を重ねてのたうつ文体は、その漸進的な軌跡に他ならない。しかしその向かう先はといえば、畏敬の対象とする他には料理の仕様もない、まったき闇やまったき光なのだ。道はそこにたどり着くゼロ秒前で断ち切られる。「絶対」は、一瞬、「不在の輝き」を放ったかと思うと、その絶対/相対の陰鬱なシステムが作り上げる「事象の地平線」の彼方に没し去ってしまうのだ。蓮實の著作は、「その先」については何も答えてはくれない。
そこから何が生まれたか?模倣者の際限のない饒舌と、もう少しおひとよしで生真面目な連中を襲った失語症である。しかし、これはいささかアキレスと亀のパラドックスに似た事態なのではないか?あるいは、『女と男のいる舗道』の中で、ブリス・パランがアンナ・カリーナに語った『三銃士』のエピソードを思い出しても良いのかも知れない。そこでは、ある男が、「なぜ右の足と左の足が交互に前に出るのか」という問題で悩みだし、その結果一歩も歩けなくなって命を落とすのである。彼はものを考えることによって死に至らしめられたのか?いやむしろ、彼は「制度=物語」に殺されたのだといってよいだろう。
蓮實はことあるごとに、自らの著作もふくめ、全てが「物語」なのだと、全てが「制度」なのだと説く。しかしこれは両刃の剣なのだ。いつしか蓮實の「物語」は、「世界」という名の唯一の「物語」であるかのような相貌を呈しはじめたからだ。おそらく、この「栄光と退廃」は、「リュミエール」の発刊あたりで始まったのではないかと思われる。もう詳しく述べる気力がないが、『映画に目が眩んで』に始まるジャーナリスティックな批評における、蓮實の「転向」ぶりは驚くほどのもので、例えば
「ゴダールの『パッション』は、世界で初めての絵画を翻案した野心的で美しいフィルムである」*10といったタイトルなどは、一見蓮實が「カイエ・デュ・シネマ」の同人たちのスタイルを模倣したかのようである。しかし、ここで行われているのは異なる価値観の間の「闘争」ではなく、均質な環境のもとでの「啓蒙」に過ぎぬのだ。

では、「われこそ世界である。絶対に向けて、相対的に努力せよ」と抑圧にかかる強大な「物語」に対して、いかに振舞うのか。
私の回答は簡単である。「唯一の真理」がないのと同様、「唯一の物語」というものも存在しないのだ。物語は複数存在する。
例えばそれは、徹底して断片に止まろうとするゴダールの物語でも、一切の自己反省を排して縷縷と語りつづけられるドゥルーズの物語でも何でも良い。人は、とにかく何かを「具体的に肯定する」必要があるのだ。それがたとえ愚行であれ。「絶対」を前にした硬直症には、「ある物語」が、「ある思考」が有効である。それは「正しい」物語である必要も、「唯一の」思考である必要もない。そのときに勇気を与えてくれるのが、「カイエ」の同人達や、ニューヨークの実験映画作家らが持っていたアナーキズムなのだ。例えば、ジョナス・メカスは、ジョン・フォードの作品をこのように褒め称える。
「彼の最新作<ドノバン珊瑚礁>を見てくれ。二千年たって、ナイルの砂漠の中から、こんな映画が掘り出されることを想像してみてくれ!」
(ジョナス・メカス『メカスの映画日記』*11) 泣いたね。俺は。これを初めて読んだとき。蓮實に徹底的に欠けているのは、この無垢なのだ。しかし私は、最後にメカスを引き合いに出して蓮實を貶そうというのではない。蓮實の批評は決して過去のものではない。その一見遊戯的な文体にぶら下がっている陰鬱さは、映画や世界と向き合うある時期には是非とも必要なのだ。ひとは一度は「世界」を背負って苦しまねばならぬ。しかし、それは到達点ではなく出発点なのだ。ニーチェのいう「三段の変化」でいえば、蓮實の批評はちょうど「らくだ」の時代にあたるのではないかと思われる。ひとはある日、蓮實の『映像の詩学』なり『表層批評宣言』なりを叩きつけ、「知るか馬鹿野郎!」と吼えて「獅子」となるのである。しかし、人生は一方向に進むのではなく、何度か「回帰」するものなのだ。「獅子」から「赤子」へ、そして再び「らくだ」へと螺旋を描くように戻ってくるのである。そのときに再会する蓮實の書物は、全く見知らぬ相貌をしているだろう。正にこのようにして、カイエの同人達と蓮實の評論は、互いに循環しつつ、そのたびごとに別の表情をあらわにするのである。蓮實のホークス論を通過して、再びリベットの「ハワード・ホークスの天才」と相見えるとき、その結びの言葉は、以前には隠されていた新たな輝きを帯びるはずだ。
「ホークスは歩くことによって運動を明らかにし、呼吸によって生を明らかにする。在るものは在るのである」(了)
*1
「ハワード・ホークスの天才」
ジャック・リベット 『カイエ・デュ・シネマ』誌 1953年5月号
翻訳:鈴木圭介 『ユリイカ臨時増刊 総特集 ヌーヴェル・ヴァーグ30年』 青土社 1989年12月
*2
「ハワード・ホークス、または映画という名の装置」
蓮實重彦 『映像の詩学』 筑摩書房 1979年
初出:『國文學 解釈と教材の研究 臨時増刊 映像と言語』 1977年06月号
*3
「優雅にして的確―ダグラス・サーク『翼に賭ける命』」
ジャン-リュック・ゴダール 『アール』誌 1958年8月6日号
翻訳:奥村昭夫 『ユリイカ臨時増刊 総特集 ヌーヴェル・ヴァーグ30年』 青土社 1989年12月
*4
「悪を前にしたヒッチコック」
クロード・シャブロル 『カイエ・デュ・シネマ』誌 1954年10月号
翻訳:野崎 歓 『ユリイカ臨時増刊 総特集 ヌーヴェル・ヴァーグ30年』 青土社 1989年12月
*5
「映画と批評」
蓮實重彦 『映画 誘惑のエクリチュール』 ちくま文庫版 1990年 p358
初出:『新映画辞典』 美術出版社 1980年
*6
「誰のせいなのか?」
エリック・ロメール 『カイエ・デュ・シネマ』誌 1954年10月号
翻訳:野崎 歓 『ユリイカ臨時増刊 総特集 ヌーヴェル・ヴァーグ30年』 青土社 1989年12月
*7
「表層の回帰と「作品」」
蓮實重彦 『表層文化宣言』 ちくま文庫版 1985年 p78
初出:『展望』誌 1975年6月号
*8
「映画と批評」 既出 p356
*9
「言葉の夢と「批評」」
蓮實重彦 『表層文化宣言』 既出 p42
初出:『展望』誌 1975年2月号
*10
「ゴダールの『パッション』は、世界で初めての絵画を翻案した野心的で美しいフィルムである」
蓮實重彦 『映画に目が眩んで』 中央公論社 1991年 p48
初出:『ブルータス』誌 1983年 (号数不明)
*11
「ジョン・フォードの芸術について」
ジョナス・メカス 『ヴィレッジ・ヴォイス』誌 1963年(号数不明、記事には8月1日の日付がある)
翻訳:飯村昭子 『メカスの映画日記』 フィルムアート社 1993年改訂版 p91
『ルパン三世 カリオストロの城』宮崎駿 監督 東京ムービー新社 1979年 美少女キャラが売り物の宮崎アニメではあるが、彼の全作品中で私が一番好きな登場人物はなんといっても『未来少年コナン』のダイス船長で、その次がカリオストロ伯爵なのである。この時期の宮崎駿は、明らかに、これら働き盛りのおっさんたちに切実な自己投影をしているのだ。彼らを通して、本来作り物の世界であるアニメーションの只中に風穴が穿たれ、そこからふと現実が顔を覗かせる。そのわずかな息吹によって、むしろ作り事の世界は、見るものの胸をしめつけるような鋭角の生気を帯びはじめるのである。
『未来少年コナン』では、ダイスとモンスリーのおっさんおばさんコンビが、コナンの破天荒な活躍を背後で支えていた。「現場監督」としての重責を負いながら、組織のさらなる上層部には頭が上がらないという、彼らの抱える中間管理職独特の鬱屈や悲哀は、そのままアニメーション製作の過酷な現場を指揮していた宮崎駿の偽らざる実感だったはずである。
『カリオストロの城』では、銭形警部がそのへんの「おっさんの悲しみ」を随所に振りまいていて泣かせるが、私が一番胸にぐっと来るのは、カリオストロ伯爵が偽札の原版を作る部下に指示を与える、ごくさりげない場面だったりする。
原版にルーペで職人的な眼差しを注ぎ込んでいた伯爵は、「質が落ちてる」とつぶやき、受注に対して生産が追いつかないと訴える部下に対して、「やり直せ。納期も遅らせてはならん」と低い声で言い捨てる。このときの伯爵の顔は、一国一城を構える悪の主領というよりは、納期に追われる中小企業の社長の疲弊したそれであり、スケジュールとクオリティーとの板ばさみになって苦しむアニメーション監督のそれなのだ。
ところが、宮崎アニメが世間から認められるにしたがって、作品の中からは、こうした生々しい矛盾や葛藤が失われてゆく。それがあらわになってきたのは『魔女の宅急便』あたりからで、ヒロインが自らの職業を選ぶという物語でありながら、ここではいわゆる「大人の事情」なるものがほとんど姿を消してしまっているのである。続く『紅の豚』では、おっさんはついに現場放棄をし、文字通り楽隠居の豚と化してしまった。そのせいか知らないが、私は宮崎アニメがこれほど退屈な代物に成り果ててしまったことに、暗澹たる気分で劇場を出たことを覚えている。続く『もののけ姫』も技術だけが肥大したスカスカの大作にしか見えなかった。『千と千尋の神隠し』には、少しはっとさせられる場面はあったが、あの世界全体が主人公の夢か遊園地のようなものであり、最初から完全に毒気を抜かれてしまっていることがいかんせん物足りなかった。結局、少女達やお姫様たちの苦しみや闘争は、宮崎駿本人にとっても絵空事に過ぎないのだろう。
だから、宮崎駿の巨匠への足取りは、おっさんやおばさんの身を切るような現実の葛藤が、環境問題だの自分探しだのといった、少女達の華々しくも、その実去勢された偽りの葛藤の陰で、徐々に磨耗し、消滅して行く過程でもあったのだ。
『カリオストロ』のころの宮崎は、王女様を救う無責任なアウトローではなく、王の地位を狙わんと、腹に様々などす黒くも悲しい苦悩を渦巻かせていた摂政の側にいたはずである。もちろん、歳月と共に人は変わるし、変わらなければいけないものなのでもあるが、私は『カリオストロ』を見直すたびに、ギトギトと脂染みていたころの宮崎駿を深く悼むのである。

『夏の庭 The Friends』
相米慎二 監督 讀賣テレビ放送株式会社 1994年 12年前に書いたものです。ちょっと用事があって、古いワープロを引っ張り出してあれこれやってたら、ひょっこり出てきた文書です。あのころからちっとも成長していないなあとつくづく思います。 縁側に胡座をかいて座り、西瓜を口一杯に頬張りながら、少年は日焼けした顔の中で白々と輝く瞳を左右に向け、ついで上を見やる。その瞬間、ぱらぱらという正体不明の音が響く。奇妙に張りつめた時間の中で、彼は訝しげな表情を、何かほっとしたような笑顔に変え、上を向いたまま良く透る声で「雨や」と言う。その声を合図にしたように夕立が降り始め、スクリーンには涼しげな空気が漂い始める。
それにしても、少年は、視線を上方に向けたとき、確かに雨を見たのだろうか。むしろ、彼は何も見てはいなかったのだと言うべきなのではないか。「お引越し」の中で、天に向かって「いただきます」と呼びかけた少女のまなざしが、すでにこう告げていたはずだ。スクリーンの外側に仮定され、想像されるいかなる存在も――それが人物であろうと、自然現象であろうと、たとえ人智を超えた何ものかであろうとも――、視線が存在し、なおかつその対象が不在であるという厳密な事実がもたらす畏怖すべき豊饒さには、決して及びはしないのだと。
だから、少年の頭上で響いた妙に乾いた音は、決して「雨音」として自らの現在を生きていたわけではない。「雨や」という言葉は、その音が時間の中に完全に消え去った後に発せられたものなのだ。それは、雨がまだ雨として存在を始める零秒前にそうであったもの、何ものでもないと同時に、何ものでもありえたもの、雨でもありえたし、ピンポン球の跳ねる音でもありえたし、豆の鞘のへたを千切る音でもありえたものなのだ。その直後に顕在化された雨は、この主語をもたぬ運動、この生の最も純粋な形態が、一瞬で弛緩し、物質化したものに他ならない。そのような、零秒のうちに閃き出る絶対的な生は、全く同時に零秒のうちに弛緩し消滅する死でもある。だから、重要なのは「夏の庭」が死をテーマとしたり、死を表象したりしていることではなく、死がそのまま映画の運動のジェネレーターとして提示されていることなのだ。
そして、そのような飽和した生=死が現れるのは、瞳が視線を持ちながら盲目となる瞬間においてでしかない。言いかえれば、そのとき視線は、その対象に収束することなく、肉体の運動と同様に、あるいはそれにも増して、自ら充実した運動となるのだ。キャメラは瞳と、それが目の当たりにしている光景を同時に捉えることができない。この宿命的な限界が、隠蔽の対象ではなく、映画の生命そのものとなるとき、瞳はあらゆる存在と瞬時に関係を結び、それらを選別し、そこに価値の序列を打ち立てるような保護者のそれではなく、盲目の孤児のそれとなる。孤児の瞳は何も見ない。何も保護せず、何ものによっても保護されない。しかし、そのような瞳こそが、全ての存在を肯定するのだ。
孤児の視線が何ものをも保護しないとすれば、あらゆる存在もまた、各々の孤児たる他はない。例えば、三國連太郎は、まだ少年たちの観察の対象であった時には、むしろ彼らの懸命な凝視の焦点から外れた地点から登場することが多い。彼は、少年たちの背後から、あるいは側面をつく形で、少年たちの当面の関心事とは全く無縁に、生い茂る緑の中からぬっと現れる。しかもこれら雑草や木々は、事物を遮蔽する障壁としては極めて曖昧模糊とした存在なので、われわれは、彼の肉体の最初の断片が、光学的存在としてスクリーンに現れた瞬間を知ることが出来ない。また、戸田菜穂は、雑草を綺麗に抜き取られて暖色の肌を晒している地面に、少年たちが種を蒔き終え、ホースで水を掛け合っている最中に登場するのだが、白い日傘が、庭と道路を隔てる板塀に沿って植えられた木々の間からチラチラと見え隠れしていたときも、その曖昧な登場ぶりを支えていたのは、スクリーン上の人物の視線でも、われわれの視線でもなく、当の日傘そのものでしかない。彼女は、三人の少年の担任の教師なのだが、彼女が去った後に、三人の主人公の一人であるデブの山下によって律義に説明されるまでは、彼女の正体は皆目分からない。吹き上げられたホースの水が中空に描き出す虹を見て、彼女があげる感嘆の叫びも、教師らしさといったものからは限りなく遠いものなのだ。つまり、彼女もまた、自分自身以外の何ものによっても根拠付けられないということにおいて、確かに孤児たちの饗宴への参加資格を与えられているのだ。ついでに言えば、淡島千景もまた、自他の関係を視線で繋ぎ止めることのできない人物である。彼女の視線が初めて焦点を結ぶのは、すでにこの世にない人の上なのだ。 つまり、「夏の庭」において、あらゆる存在は、視線によって待ち望まれた決定的な瞬間といったものを常に奪われ続けていると言ってよい。人は孤児としてふと現れ、孤児としていつの間にか立ち去って行く。三国の死もまた、三人の少年たちの瞳にとって(そして恐らく本人にとっても)、全くの不意打ちとして訪れる。だからこそ、死は、生の相対的な消失としての虚無に堕することも、想像上の彼岸に属することもなく(両者の間にどんな違いがあろう)、少年たちに決定的で不可逆な痕跡を刻み込むことによって、絶えざる生のざわめきに合流して行く。
そのような世界においては、存在と存在の間には、いかなる序列も生じえない。運動し、語る人物。それを受け止める人物。カラフルに塗られた短冊をくるくる回転させる風鈴。偶然に画面をついとよぎる小さな昆虫。黄昏の光を受けて輝くコスモスの花。それら全てが同じ資格で存在しているのだ。「同じ」とは、均等さを意味しない。全ての存在が、自らの各々の瞬間ごとの生=死以外の何ものにも縛られぬ状態をそう呼ぶまでのことである。「夏の庭」が、以前の相米映画を支えていたような特権的な存在や瞬間に乏しいと思われるとすれば、それは、演出が失敗しているからでも、その力が相対的に衰えているからでもなく、むしろそれがもはや人物と事物の垣根すら越えて、奇跡的なレベルにまで徹底されているからだ。しかし、そんな世界を隈なく目の当たりにできる瞳などは存在しない。「夏の庭」は、その容赦なき肯定によって、見ることとは、それ自体充実した不可能な試みに他ならないということを、抜き差しならぬまでの明瞭さで示してみせる。保護者の視線が支配の能力を無条件に与えられているのに対して、孤児は、あくまで愛する権利を所有しているにすぎないのだ。この困難さは、映画の中の人物のまなざしも、それを見るわれわれのまなざしも、等しく耐えなければならぬはずのものだ。それにしても、後者の方が、より強く、敗北を運命づけられているのは確かなようだ。
だが、この映画には、確かに一つの特異点が存在している。それは他でもない、三人の少年が庭の隅の枯井戸を覗き込む場面なのだが、そこでは、生=死は、時間の流れに一瞬で呑み込まれたりはしない。そもそも、そこでは「流れ」としての時間が存在しないのだ。このアイリスに酷似した時空では、生が、なかんずく死が、無限に引き伸ばされて存在しているのである。しかしそれは、井戸が、物語の上であの世とこの世を結び付ける回路としての機能を担っているからではない。事態はまるで逆なのであって、ここに起こっている奇跡は、またしても厳然たる事実に属しているのだ。晴れやかな表情であの世の人に別れを告げるとき、「文学的」に表現すれば無限の暗闇を覗き込んでいるはずの3つの視線は、明かに、有限の距離にある一点、すなわちキャメラのレンズ上に焦点を結んでいるのである。では、彼らは何を見つめているのか。
それらの視線は、仮想上の冥土に向けられているのではなく、われわれの視線と相対しているわけでもない。彼らは何も見てはいないのだ。彼らの瞳の焦点は、実はキャメラのレンズ上にあるのですらない。なぜなら、空間の中に位置を持つ広がりゼロの点であるはずの光学的な焦点が、矩形の平面へと無限に引き伸ばされているのだから。視線は永遠に盲目たる他はない。時間は流れない。キャメラに向けられた視線こそが、孤児の瞳の盲目性を決定的に露わにし、スクリーンが「窓」ではなく「壁」であることを暴露するのである。その瞳たちは無慈悲に優しい。ここで、井戸の深さは、単なる距離であることを止め、より禍々しく豊饒な何かに姿を変えている。それは、生者と死者との、視線とその対象との、キャメラと被写体との、そしてわれわれとスクリーンとの、空間的な距離には決して還元されえない絶対的な距離なき距離なのだ。その飽和した断層は、絶対的な生=死として、全てを隔てるがゆえに、全てを開示するのである。われわれもまた、盲目の孤児なのだ。
しかし、われわれは、スクリーンを隔てた対称性によって、自らもまた孤児であることを自覚するわけではない。むしろ、ここでは見るということの決定的な盲目性、非対称性が最も純化された姿で現れているということにおいて、彼ら三人の孤児たちと、同じく孤児たるわれわれがある不可能なまなざしを交わすのである。井戸に向かって放たれる叫び声や、大きく手を振合う仕種は、孤児同士の交わす厳しい肯定の身振りに他ならない。それは、われわれの瞳をスクリーンとの幸福な合一に導いたりはせずに(それこそが保護者の身振りでなくてなんであろう)、むしろ身を守る術とてない吹き曝しの荒野に突きやるのだ。そこには誕生や、成熟や、老化や、それらの死は存在しない。つまり、生の物語も、虚無としての死も存在しない。ただ、全ての個々の存在の運動が、個々の瞬間における生=死のみが時空を超えて谺し合っているのだ。かつてゴダールは言い切った。「いい映像や悪い映像があるのではなく、ただ映像があるだけだ」と。瞳が憩う場所など、もともとありはしないのだ。だとすれば、「映画の死」なども一つの虚構に過ぎないのだろう。しかし、それをひ弱な冗談だと笑いとばす資格を持つのは、肯定することの苛酷さに身を晒し続けることのできる者だけなのは間違いない。
『修羅雪姫 怨み恋歌』
藤田敏八 監督 東京映画 1974年 ところで、ひとが己や世界について、ふと何かを垣間見てしまう瞬間というものは、決まって孤独なとき、それも弛緩や放心の時ではないか。
こんなことを思ったのは、この映画の冒頭の殺陣シーンを見ていた最中である。修羅雪姫にふんする梶芽衣子が、林の中の一本道を歩きながら、群れをなして襲い掛かってくる刺客を仕込み刀で次々と倒して行く。カメラは延々と後退移動をしながら、木の間から白じらと注ぐ真昼の光の下、半ば放心したような足取りで歩いてゆく梶芽衣子を、正面から受け止め続ける。彼女は周りを取り囲む男どもの存在などはまるで眼中にないように、ふらふらと孤独な歩みを進める。獣じみた荒い息を吐きながら、彼女の前後で身構える男たちからも、殺気というよりは、やるせない疲労感が漂ってくるようだ。ときおり、思い出したように男の中の一人が輪を抜けて彼女に切りつける。そのたびに蛇の目傘に仕込まれた細い刀身が短く閃き、派手に噴き出す血しぶきとともに、男はどうと倒れるのだ。しかし、不思議と耳に残るのは彼女の下駄の立てる淋しげな足音ばかりである。長廻しのカメラの前に、けだるい、延々と続く白日夢のような時間が、生のまま投げ出されている。
この場面をだらしないと評してもそう差し支えはないのだ。殺陣に冴えがあるというわけではなし、だいいち梶芽衣子がそんなに強そうには見えない。エキストラの暴漢どもの動きも、どこか投げやりで、素人臭くさえある。もっとも、この緩みぶりは、この映画に限ったことではない。この時期の映画は皆おしなべてこんなものなのだ。いわゆる五社体制の崩壊によって、各社の撮影所で培われてきた技術と伝統は失われ、今まで緊密な職人芸によって隅々まで埋められてきたスクリーンを、白痴めいた空白や隙間があらゆるレベルで侵食してゆく。そしてそれは、ほんの数年のうちに起こった出来事なのだ。その崩壊がいかに決定的で致命的であったのかは、例えば同じ三隅研次が監督した60年代の『座頭市』シリーズと70年代の『子連れ狼』シリーズを見比べれば素人目にも明らかだろう。
藤田敏八が頭角をあらわしてきたのは、ちょうどこの日本映画の崩壊期にあたる1970年前後のことである。そして、彼において、日本映画は吹きさらしに放置された孤児としての己を見出すのだ。彼の演出の過激な「だらしなさ」において、映画は生まれて初めて裸の自分と出会ったのである。
梶芽衣子の殺陣シーンは、映画がついに自らの裸の姿と出会ってしまったことからくる、鈍い覚醒感としか形容のしようのない充実した空白で満たされている。空白そのものが確かな肉体を獲得しているのだ。その空白の中で、梶芽衣子は何ものにも保護されていない。例えば彼女の傍らに藤純子の姿を置いてみればよい。1972年に一度「引退」している藤純子と梶芽衣子とは、年齢もキャリアも数年の差しかない。にも関わらず、二人は全く異なる時代を生きた女優なのだ。藤純子は最初から最後まで撮影所システムに保護された女優である。緋牡丹のお竜は、いくら刺青を晒したところで、決して裸の自分などというものに出会いはしなかった。映画は自明の環境として、常に彼女の全身を親密に包んでいたのだ。一方梶芽衣子はその映画がほころび、破れ目を急速に広げていたころに活躍した女優である。藤田敏八は、その白じらとした空虚の中に、梶芽衣子を裸で置き捨てる。この苛烈な美しさを前にすれば、劇中飛び交う血しぶきなどは物の数ではないのだ。日本映画の70年代を見あやまってはならない。それはチープな過激さにけばけばしく装飾されながら、実は映画が自らの裸体と一番のっぴきならぬ形で対峙した時代なのだ。
『アウトロー』 THE OUTLAW JOSEY WALES
クリント・イーストウッド 監督 アメリカ映画 1976年
『獣兵衛忍風帖』
川尻善昭 監督 マッドハウス 1993年 川尻善昭とイーストウッドはほんの少し、似ていると思う。両者共に大人でストイックなのである。川尻善昭は日本のアニメーション監督の中では抜群の演出力を持ちながら、宮崎駿や押井守や庵野秀明らに比べると知名度が低い。なぜなら彼の作品には、大向こうを狙ったテーマ性のようなものもなければ、個人的な思い入れを誘うような細部もないからだ。『獣兵衛忍風帖』はただひたすら面白いだけなのである。川尻の高度な演出力は思想だの感傷だのには見向きもせず、もっぱらアクションの緊密な連鎖のみに全力を注ぐのだ。このいさぎよさによって、作品は世界の中途半端な真似事たることを免れて、かえって独自の宇宙を作り出している。しかし、この宇宙の言葉はわれわれの住む世界の言葉に翻訳するのがきわめて困難なのだ。ゆえに、良くも悪くも現実世界に片足を残している『もののけ姫』や『攻殻機動隊』や『エヴァンゲリオン』が止め処も尽きぬ饒舌を生み出しながらもてはやされる一方で、『獣兵衛忍風帖』はせいぜい良くできたエンターテインメントとして片付けられてしまうのである。
これは、イーストウッドをめぐる状況とよく似ている(もっともイーストウッドは『許されざる者』以降、ようやく優れた映画作家として世間からも認められ始めてはいるのだが)。『アウトロー』はアメリカ建国200年を記念して製作されたということである。映画はそれにふさわしく、南北戦争を背景としていたり、インディアン(最近は「原住民」と表記せねばならないらしい)の迫害の歴史が語られたりもしている。しかしそれでも『アウトロー』はつつましく「ただの西部劇」に止まりつづけるのだ。この寡黙な美しさは、決して世の中に流通する言葉を生み出したりはしない。ちょうど映画のラストで、賞金首として伝説化された自らの名前を葬り去ったジョージイ・ウェールズのように、『アウトロー』は匿名の、裸のままの映画なのだ。
『鶴八鶴次郎』
成瀬巳喜男 監督 東宝 1938年 この時期の山田五十鈴の美しさはただ事ではない。
彼女の長く充実した芸歴の中でも、二十歳前後という、表情から未だあどけなさが消え切らない年齢と、幼少時から教え込まれた芸に培われた身のこなしとが、すれ違いの一瞬に目配せをしあって、永久に遠ざかって行く、そんな輝かしくも切ない、特別な季節である。
さらにもう一つの偶然のタイミングが、彼女の美を完璧なものにしている。それは、この時期に最初の絶頂期を迎えた日本映画界の撮影技術に他ならない。彼女の細長い卵型をした純白の顔にかかる柔らかな陰影に見ほれていると、時折その唇の間から、さらに白く輝く歯が太陽のようにこぼれ出る。肌が直に微光を放っているような、この透明な質感は、カラー撮影では到底得られるものではない。この作品を最初にスクリーンで見たときは、本当に数日間うなされたものだ。今回は残念ながらビデオの小さな画面だが、それでもその時の記憶をたどることは十分できるのである。
しかし、約1時間半という持続の中で、絶えず移り変わる山田五十鈴の表情の、あらゆる瞬間のあらゆる細部を見逃すまいとする欲望には、ついに混じりけのない陶酔が訪れることはない。その欲望の裏側には、常にかすかな息苦しさ、胸騒ぎが貼り付いているからだ。われわれは、刹那の美に出会うとき、それが目の前にある瞬間にあってさえ、あらかじめそれが失われてしまうことの予感に貫かれて苦しむのだ。ましてや映画は「毎秒24コマの死」なのだから、映画において美に出会うことは、実は悲しみに満ちた残酷な体験なのだ。
『勝手にしやがれ!! 黄金計画』
黒沢清 監督 ケイエスエス 1996年 ふと気が付いたこと。
黒沢清の映画には、子供じみた行動を取る人物は多数登場するが、子供そのものが登場することは殆どない。黒沢清にとって、子供はあくまで演じられる対象であって、演じる主体ではないのだ。この映画で行われるどんな逸脱や悪ふざけも、明確な意識のコントロールを介さないものはない。カメラはそれらの行動を、終始距離をおきながらとらえつづける。この無邪気を装った諦念というか、不遜な退行現象は、例えばホークスの『モンキー・ビジネス』や『紳士は金髪がお好き』などを思い起こさせる。ホークスも知性の人だった。知性は子供に向かって成熟するものなのかもしれない。
『江戸の悪太郎』
マキノ正博 監督 日活京都 1939年 単なる偶然だが、昨夜見た『駅馬車』と同じ年に製作された作品である。
『駅馬車』と比べれば、なんともでたらめでいい加減な映画だが、マキノとフォードに共通して言えることは、サイレント時代からキャリアを始めた監督の映像による造形力や構成力は、トーキーしか経験していない監督のそれとは比べものにならぬほど力強いということである。彼ら古武士は画面そのものに語らしめる術を熟知していた。カメラは、轟夕起子が柱に背中をもたれかけさせている姿を少し遠くからとらえる。するとそのショットが愛の表現になってしまうのである。こんな芸当ができるのは、やはりマキノくらいではないか。あるいは轟夕起子と嵐寛寿郎が、傘貼りの内職をしながら噛み合わない会話を交わす場面を思い浮かべても良い。画面の手前に円い傘の骨組みを配するだけで、滑稽なやりとりがたちまち愛の予感を帯びるのである。これらは今やわれわれから永久に失われてしまった魔術なのだ。映像が技術と共に進化しているなどというのは嘘っぱちである。映像が音声を獲得したことにより払われた代価はあまりに大きい。