某掲示板に去年の9月頃アップしたものです。

 探偵と被疑者の関係は、批評家と作者の関係に非常に似通っている、というか、探偵は、行われた犯罪に対して、隠喩でも直喩でもなく、文字通りの「批評」を行う存在なのである。
 大抵の場合、探偵が登場する時点で、既に事件は完了してしまっている。探偵がすることと言えば、事件そのものを「生きる」ことではなく、それを後追いし、模倣することでしかないのだ。だから、「推理小説」である、「盗まれた手紙」という「作品」には、D**大臣による陰謀という「作品」と、それに対するデュパンの「批評」という入れ子構造が存在することになる。
 作品=犯罪が、それ自体の論理で存在を全うしようとする動物だとするならば、批評は狩猟者なのであり、その根底にあるモチベーションは、生存ではなく、「プライド」である。ゆえに、デュパンとD**大臣の関係は、本質的に非対称なものとならざるを得ない。それは、両者を流れる時間の質の違いという形で、端的にあらわれる。
 D**大臣は、(たとえG**警視総監による伝聞という形をとるにせよ)、あくまで「現在」を生きる存在である。後にデュパンによって「模倣」されることになる、D**大臣による最初の盗みは、瞬時の観察と決断によるものである。また、その盗んだ手紙を、あえて誰の目にも触れる場所に置くという決断も、不確定な未来に対する、現在における挑戦に他ならない。
 このように、神業的な反射神経を持ち、なおかつ、論理的なものであり、同時に美的なものである、未来に投機される「プラン」を描き、実行できる人物。「詩人でしかも数学者」。これがD**大臣である。
 一方、優美な野生動物であるD**大臣=作者を追う、狩猟者=批評家であるデュパンはどうか。
 彼にはありあまる時間がある。つまり、全ては既に起こってしまっているからだ。彼の行うことは、まず過去の分析である。さらに、彼は周囲の環境による、生存上の束縛を受けない。まあ推理小説の探偵とは大抵そんなものなのだろうが、それでも物語上、彼は事件に鼻面を突っ込まなければならないので、ポーもいくつかの布石は敷いている。つまり、5000フランの報酬、デュパンの政治的信条、そして最後に文字通り「取ってつけられた」個人的な復讐に至るまで。しかし、こうしたものは、単なるアリバイに過ぎない。デュパンをこの事件に結びつけるものは、本質的には、狩猟者としての「プライド」と、そして(同じことだが)批評家としての、作品に対する強烈な「復讐心」でしかない。この「復讐心=プライド」は、推理小説である「盗まれた手紙」の背骨をなすものである。
 この復讐心は、最後にほのめかされるD**大臣とデュパンとの過去の因縁が原因なのではない。むしろ事態は逆なのであって、この、作品に対する、批評の本質的な復讐心を正当化するために、このエピソードが添えられているのだ。
 ところで批評とは何か、という問題だが、批評の秘められた、しかし最大の野心とは、作品を正確に分析して見せることではなく、「作品にしっぺ返しを食らわせる」ことではないか。
 しかしこれは、作品とは別個に存在するフォーマットに従って、作品を断罪することではない。それを試みて失敗しているのが、警視総監のG**なのであって、「彼は、扱っている事件をあまり深く考えるか浅く考えるかして、いつも失敗してしまう」のだ(まあこれは大抵の「文学研究者」に当て嵌まりそうですねえ)。たとえば、この小説において、「手紙」そのものは「マクガフィン」でしかないのだから、これに過剰な意味付けをするような読解はG**並みの愚鈍さだと思う。 
 批評による作品への復讐は、まずは批評が、作品を徹底的に模倣するところから始められなければならない。その原理は、デュパン本人によって、「丁半遊び」の常勝法という形で述べられている。つまり、批評とは、まず己を殺して、「ものまね」をしなければならない、とデュパンは説いている。
 これは、D**大臣も共有している概念である。なぜなら、彼もまた、警察の手法を知り尽くした上で、手紙を最も目立つ場所に放り出すという「批評」を行っているからだ。なぜこれが、批評の名に値する行為かといえば、これが、何らかの恒久的な知的フォーマット(例えばG**警視総監の捜査方法のような)に則って行われたものではなく、あくまで警察がどう出るかという「シミュレーション」を前提とした、動的な作戦であるからだ。
 つまり、D**大臣は、警察の捜査フォーマットという「作品」に対して、論理的帰結と、大胆な独創をもって「批評」を行っている。しかもこの批評は、作品への復讐という、批評の陰惨にして甘美な夢をついに実現してしまったのだ!
 ところが、この批評は、作品の完全な「ネガ」として存在しているがゆえに、全体としては不可視のままにとどまっている。D**大臣が、冷酷な悪役、というか、「いやなやつ」であるのは、この点に由来している。彼は「自分のためだけに」批評を行ったのだ!そして、それを己の「作品」としたのだ!この事態は断固是正されなければならない。そこでデュパンの登場、となるわけだ。
 もちろん批評とは言葉なので、デュパンの仕事は主に喋ることである。デュパンはとにかく喋りまくる。これは、D**大臣が表向きは「アンニュイにひどく悩まされている」という態度を崩さないのと好対照を為している。D**大臣は作者=行為者としての絶対的優位を保持しており、それに対して批評家デュパンのできることは、基本的には「D**大臣自身をシミュレートした言葉」を語ることでしかない。
 しかし一方で、批評家のやるべきことは、そのシミュレートされた像に、僅かな変奏、偏差、ノイズを持ちこんで、ある種の「奇型児」を産み落とすことでもあるのだ。批評家の隠された夢とは、その歪んだ私生児を「作品」の前でかざし、「ほら、これがあなたの子供なのだ。驚いただろう」と叫ぶことに他ならない(つまり、批評とは「隠し子騒動」なのだ!この思いもよらぬ結論に至って、今、私は戦慄に身震いしているううう)。デュパンが大詰めで行う仕掛けは正にそれである。彼は、D**大臣が行った手紙のすりかえを、彼なりの流儀で反復する。こうしてデュパン=アトレは、D**大臣=ティエストの子供=陰謀を、密かに料理して差し出すわけだ。「ほら!これがあなたの子だ!」と。
 これにて「批評」の「作品」に対する復讐は完遂される。
 しかしこれは果たして大勝利なのだろうか?デュパンは物語を産み出すのではなく、あくまで批評を行う人間である。この差は埋めがたい!つまり彼は、D**大臣が瞬時の判断でやりおおせたことを、周到な準備のもと、まる二日もかかって達成しているのだ。
 この物語を通じて、己のめぐらした陰謀によって、人生の恐るべきアップダウンを生きるのは、D**大臣である。作中、真に生きていると言えるのは、この人だけなのであって、デュパンはその影、本体に復讐を誓った、二律背反的な影に甘んじている。では、何がデュパンを生かしているかといえば、それは批評精神である。つまりは純粋状態にある、猟師のプライドなのだ。
 おそらく知性には二つの種類がある。あるフォーマットやモデルを産み出し、それを運用する知性と(これはスタティックな知性と言ってよい)、ある状況に対して「批評」を行う知性と(これは動的な知性と言えよう)。ポーは、後者の知性の権化としてデュパンなる人物を産み出した。しかし、この動的な知性が産み出す批評行為には、実は終端というものがない。
 D**大臣とデュパンとの対決は、デュパンの勝利で幕を閉じるが、「丁半遊び」の腹の読み合いで既に暗示されていたように、このゲームは権利上、際限なく積み重ねることができるのだ。デュパンは仮に勝利したのに過ぎない。なぜなら、「手紙」そのものに、絶対的な意味も価値もないからだ。この、おはじきの玉にも等しい「マクガフィン」が、批評行為の無限の続行を可能にしている。これは知性の勝利なのか?それとも呪いなのか?この小説の結びとなる引用文が、際限のない復讐劇から取られていることは偶然ではないと思う。
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あめりか物語 岩波文庫   『あめりか物語』 永井荷風 岩波文庫 2002年改版


 独身者は、いつも「外」に誘われるようにして彷徨いを始める。
 独身者は足音をひそめて、ひとり霧深い夜半の街を歩いてゆく。

「ここに半夜を費やし、やがて閉場のワルツに送られて、群集と共に外に出れば、冷き風、颯然として面を打つ…………余は常に劇場を出でたるこの瞬間の情味を忘れ得ず候。見回す街の光景は、初夜の頃、入場したる時の賑さには引変えて、静り行く夜の影深く四辺をこめたれば、身は忽然、見も知らぬ街頭に迷出たるが如く、朧気なる不安と、それに伴う好奇の念に誘われて、行手を定めず歩みたき心地に相成り候」(「夜あるき」)

 しかしどうしたことか、絶えず「外」を求めてやまないはずの独身者は、今度は家々の窓から漏れる暖かな灯火に吸い寄せられて行くのだ。

「ある日本人は盛に、米国の家庭や婦人の欠点を見出しては、非難しますが、私には例え表面の形式、偽善であっても何でもよい、良人が食卓で妻のために肉を切って皿に取って遣れば、妻はその返しとして良人のために茶をつぎ菓子を切る、その有様を見るだけでも、私は非常な愉快を感じ、強いてその裏面を覗って、折角の美しい感想を破るに忍びない」
(「一月一日」)


 それら明るい窓々が懐かしいのは、寂寥や疲れにさいなまれた独身者が、たとえ一時の気の迷いであれ、家庭主義者に鞍替えしたからなのだろうか。違うのだ。独身者は、常に「外」を求めてやまないものである。戸外に出た瞬間、外は「外」であることをやめてしまい、今度は、独身者にとって、壁に囲まれた家の中こそが「外」となったからだ。全てはガラス窓越しの風景である。独身者は、その後ろに控える「裏面」だの「真実」などには一顧だにしない。そして独身者、荷風にとって、4年間を過ごした北米大陸は、巨大なひとつの「外部」に他ならなかった。

「自分は走行く電車の中から幾人と数え尽されぬほど、多くの美人多くの美男子を見た。自分は美人美男子を見る時ほど、現生に対する愛着の念と、我と我存在を嬉しく思う事はない。科学者ならぬ無邪気の少女は、野に咲く花をただ美しいとばかり、毒草なるや否やを知らぬと等しく、道学者、警察官ならぬ自分は、幸にして肉体の奥に隠された人の心の善悪を洞察する力を持っていないので美しい男、美しい女の歩む処、笑う処、楽しむ処は、すべて理想の天国であるが如く思われる。」
(「夏の海」)


 こうした独身者の彷徨いは、しかし行き着く場所を知らぬ、魅惑によって呪われた永久運動となるしかない。

「夢、酔、幻、これ、吾らの生命である。吾々は絶えず、恋を思い、成功を夢みているが、しかし、決してそれらの、現実される事を望んでいるのではない。ただ、現実されるらしく見える、空(あだ)なる影を追うて、その予想と予期に酔うていたいのである」
(「おち葉」)


「自分は結婚を非常に厭み恐れる、と答えた。これはすべての現実に絶望しているからである。現実は自分の大敵である。自分は恋を欲する、が、その成就するよりは、むしろ失敗せん事を願っている。恋は成ると共に煙の如く消えてしまうものであれば、自分は、得がたい恋、失える恋によって、わずかに一生涯をば、まことの恋の夢に明してしまいたい――これが自分の望みである」
(「六月の夜の夢」)


 一見すれば気恥ずかしいほどキザな大見得だが、実はこれらは独身者の峻厳なマニフェストなのだ。絶えず「外」へ「外」へと横滑りして行くこと。独身者にとっての恋とは、この終着点を持たぬ無限運動そのものなのだ。
 では、冬にあっては夏を、夏にあっては冬を夢見る独身者にとって、最も至福に満ちた時はいつ到来するのか?それは、夏や冬の盛りではなく、それらの間の移行の瞬間である。その刹那においてのみ、「外」が「外」としての不可能な実体を露わにするのだ。

「一閃の朝日が、高い見世物の塔の上に輝き初めた――ああ、何たる美しい光であろう。自分は一夜、閉込められた魔窟から救い出されたように感じて、覚えずその光を伏拝んだのである」
(「暁」)


 しかし、その光が独身者の最終的な救いとはなりえないことは、もはや言うまでもない。見よ。瞬く間に朝は「外」でなく、今ひとつの「内」になってしまったではないか。そしてまた夜が来て、朝が来る。
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『シルヴィウス』
アンリ・ボスコ 天沢退二郎 訳 新森書房 1988年


 夢見るような小説である。
 しかしアンリ・ボスコの小説には、夢そのもの、幻想そのものが現れるのではない。
 大著『マリクロワ』も、その外伝ともいえる本書も、現実の世界からもう一つの世界へ移行しようとする魂の高まりだけを描くのだ。
 現実の風景に、ふと不可思議で濃密な気配が漂い、あわやそこにもう一つの世界が二重写しになろうとする刹那で、物語はつつましく足を止める。
 なぜなら、あまりに美しい夢は、ひとを殺すからだ。
 主人公のシルヴィウスを見舞う運命がそれである。
 現実と夢の越境者である彼は、死によってわれわれの前から姿を消す。
 しかし物語はもはやその後を追って夢の中に彷徨いこんだりはしないのである。
 シルヴィウスはメグルミュー家の一員である。南仏の田舎町、ポンディヤルグに根をおろしているこの一族は、みな堅実で優しく夢見がちだが、極端な出不精で、自分達の住み慣れた土地から決して離れようとはしない。
 しかしシルヴィウスはある冬の日、雪に蔽われた荒野に吸い込まれるようにして町を離れる。彼はその果てにたどり着いた村で、ある旅回りの人形劇団が演じる不思議な芝居を見て、すっかり心を奪われてしまう。

 それこそはまことのシルヴィウスの国、かれの夢の夜明けからずっと夢に見てきた、そしてあんなにも遠くから想像してきた国なのだった。まさしく、永久にそこにたどりつくことはないと諦めて、かれは、毎日自分の心の中にその国を作り出すのだったが、そこから毎日その素晴らしさが、少しずつ消えていくのだ。そしていま、その国が目の前に、六フィート四方の布張りの舞台に、現実でありながら虚構のものとして、手でさわれると同時に、つかむことができないものとして、デリケートな形(フォルム)と声――ふるえるような老人の声と、鈴をころがすような女性の声と――をそなえて、そこにあるのだった。そして、その形と声とを通して、これまで彼シルヴィウスが六十年間も夢の中でたくさんたくさん生み出してきたのと同じような、解き難い物語(ファーブル)が。(48-49頁、カッコ内は原文ではルビ)

 シルヴィウスはその場で劇団と運命を共にすることを決意する。メグルミュー家の人々は、失踪した彼を八方手を尽くして何ヶ月も探し回り、ついにある夏の日に、彼が劇団と出会ったその村で、今は楽士となったシルヴィウスと再会するのだ。一族は、彼が奏でるクラリネットの調べに深く心を揺り動かされる。

 …ところが今、言うに言われぬ秘密、かれらの夢の遠い泉が、初めて言葉を得て、夏のさなか、星でいっぱいの田園へ向かって枝をひろげた古いカシワの木の下で、ついに語っているのだった――メグルミュー家の人々が、始祖以来、自分たちの魂の中に聞きとりながら理解できずにいたものを。(77頁)

 そのとき、一族の長であるフィロメ―ヌ伯母さんは思わず叫ぶのだ。

「シルヴィウス、もうやめて頂戴、あなた、あたしたちを殺す気……」

 彼女は本能的に知っている。あまりに真実な夢はひとを殺すのだ。
 しかし、ここで起こったことは、実はある予感に過ぎない。まだ夢は独立した肉体を得てはいないのだ。それは、あくまで「現実でありながら虚構のものとして、手でさわれると同時に、つかむことができないものとして」、現実のクラリネットの音から立ち現れる影のようなものでしかない。そして、現実の生の領域で、芸術がなしうるのはここまでである。この小説そのものも含めて。
 一方、一族によって生まれ故郷の町に連れ戻されたシルヴィウスは、さらにその先、純粋な夢の領域に越境してしまうのだ。もはや目覚めることのない眠り、つまり死を通して。彼は、彼がはじめて劇団と出会った日の一年後の午前零時に、眠りからそのまま死に移行するようにして息をひきとるのである。
 この美しい寓話は、夢が生まれ、再び還って行く不可視の場所が、現実とは別の場所にあるというより、現実そのものの内の、ある到達不可能な極限にあることを示唆している。現実は、その極限に引き寄せられて、時にわずかにかき乱され、振動を起こすが、それは海が潮汐運動によって波打ちながらも、決して月に達することがないようなものである。もちろん、その極点とは死そのものに他ならない。あらゆる夢は、あらゆる物語は、死に牽引され、その周りをめぐりつづける。
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『朝日の中の黒い鳥』
ポール・クローデル 内藤高訳 講談社学術文庫 1988年


 著者はかのカミーユ・クローデルの弟である。彼は1921年から1927年まで大使として日本に滞在した。本書はその時の印象を記したエッセイをまとめたものである。ちなみにタイトルの「朝日」は日本、「黒い鳥」はクローデルのことである。クローデルは「黒鳥」と自分の名前の音の響きがよく似ていることに親近感を抱いていたという。
 ところで、「外国人の見た日本」なるものから我々が得るのは、決して新たな角度から見られた自己イメージなどというものではない。それらは鏡を提供するわけではないのだ。例え観察者の文化的背景によってエキゾチックに、あるいはグロテスクに歪められた鏡を想定するにせよである。
 いずれにしても鏡=反射という概念は、光の透明な等価交換を前提とし、同時に限界としているのである。反射率120%の鏡など存在しないからだ。この考えからいえば、鏡たる観察者の反射率が高いにせよ低いにせよ、そこに映し出される像は、実物に対して常にいくぶんかの減衰を生じることになる。 つまり、そこでは仮想された100%の真実に対して、どれだけ正しく、またはどれだけ誤っているかが問題とされるのだ。
 しかし、本書で起こっていることは、そうした真偽の体系とは何の関りもない。ここに現れているのは、純粋なる観念の力とでもいうべきものなのだ(これはバルトの『表徴の帝国』についてもいえることだと思う)。
 クローデルは能について書かれたエッセイの冒頭で、こう断言する。

 劇(ドラマ)、それは何事かの到来であり、能、それは何者かの到来である。(117頁)
 さらに、地謡はこのように捉えられる。

 その声は、まるで夜、野を渡る声、自然からの無形の呼びかけのように、広大な空間と隔たりとの異様で劇的な印象を与える。あるいはまた、それは人間の言葉になろうとして暗闇の中で努力する動物の叫び声、発せられては絶えず裏切られるあの声、絶望的な努力、苦痛に満ち定まることのない証言ともいえよう。(119頁)

 これらが果たして事実に照らして正しいか誤っているかは問題ではない。 事実の表土の地下深くに真実が埋もれているすれば(真実は、その相補的存在として虚構や誤謬や嘘も含んでいる)、これらの言葉は重力のくびきを遁れて、いわば事実の上空を舞っているのである。
 重ねて強調すれば、それらをフィクション=虚構と見なすのは不正確である。なぜならそれらはある時、真実=虚構の地下のシステムと正反対の位置から、すなわち座標を欠いた輝かしき天空から、獲物めがけて急降下する猛禽類のように、暴力的かつ理不尽に地表の事実に「折り重なり」、瞬時のうちに、その事実そのものを、どことも知れぬ場所にさらってゆくからだ。
 その意味でそれらは「実在する力」である。
 つまり、日本人にせよ、西欧人にせよ、この書を読んだ後、能の見方がわずかなりとも変容しないとは考えられない(とは言え、私はまだ能は見たことがないのだけど)。

 ふと、昔ドイツ文化センターで見た、フリッツ・ラング監督のサイレント映画「ハラキリ」を思い出す。いわゆる「国辱映画」なのだけれど、あそこにも、美しき誤謬に彩られた、純粋な観念としての日本があった。
 おそらく大西洋岸で撮影されたと思われる日本の浜辺の風景に、紛れもない日本の太平洋岸のうらうらとした陽光が降り注いでいて、あれはどういう魔法だろう。
 未知なる何かへの強烈な郷愁。

2005/06/22

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おまけ:これも同じ原書の翻訳本です。講談社学術文庫版にないエッセイを収録していたりもするのですが、いかんせん題名と装丁にセンスがない。
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『ヘンリー・ミラー全集 第8巻 マルーシの巨像』
幾野広 訳 新潮社 1966年


 ミラーは大戦が勃発した1939年にギリシアを旅している。
 これはその記録である。
 しかし、自ら「賢明な人間は旅に出る必要がない。虹の端に金の壷があると思って探しに出掛けるのは馬鹿者だけだ。(・・・)航海は人間の内部で成し遂げられる。そして最も危険な航海は、言うまでもなく、現在いるところから一歩も動かずに行われるものなのだ」と書くミラーの手になる書物が、観光ガイドとも歴史探訪とも風土記ともなりえないのは言うまでもないのであって、読むものは「私の前にはもはやどんな目標もなかった――私は<進路>と一つになった」と語るミラーと共に、かくかくの地理上の土地ではなく、「新しい精神の緯度と経度の中への前進」を行うのである。
 だが、ここに綴られているのは決してミラーの個人的な心象風景ではない。彼が踏みしめるのはあくまで現実の土地である。ただミラーは大抵の旅行者とは異なり、異国の風景の向こうに、何か新しいものや、何か価値のあるものをうろうろ探したりはしないのだ。彼の視線の元では、「他のどこか」ではなく、「いま、ここ」が、単にいま、ここにあることが、目も眩むような神性を帯びることになる。ミラーは場所Aと場所Bの間を移動する観察者ではない。彼はあらゆる瞬間に満たされている。彼は植物的な存在なのだ。飢えを満たすためにあちこち放浪するのではなく、いかなる瞬間にもその場に降り注ぐ光から滋養を受け取るのである。
 ミラーはだから、人間がどこか他の所にある何かを欲望してしまうことを、ことあるごとに激しく糾弾する。この書物は、アメリカ批判、文明批判としての一面を持っている。そしてそれは、我々の際限のない欲望、我々の埋められることのない空隙、我々の行き場のない精神の放浪に対する批判に他ならない。
 ミラーはアテネで巧妙かつ執拗に金をねだる寸借詐欺師を頑固に撃退した後、何の卑下もなく率直に手を差し出した乞食に250ドグラマ(結構な金額らしい)を手渡し、こう続ける。
 「求めよ、」とわれらが主、救世主イエス・キリストは言った。「されば与えられん」。求める(訳文では傍点)、それが大切なことだ。強要するのでも、哀願するのでも、甘言を弄するのでも、煽てるのでもない。きわめて簡単なことだ、と私は心の中で言った。簡単すぎるほどだ。とは言え、それ以上の方法があるだろうか。

 ・・・難しいよ、バカ。

2005/06/17
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『ふらんす物語』
永井荷風 新潮文庫 昭和43年改版


 長らく荷風は読まず嫌いだった。いわくキザで身勝手な感傷家。
 モテない貧乏人のヒガミもあったろう。ヒガミというか、何だかこういうスマートでダンディでデカダンな人は理解不能というか、正直ちょっと怖かったのである。
 その点同じデカダンでも、安吾や太宰はスボンと靴下の間からちょっとスネ毛が覗けるようで安心できる。その安吾がどっかで荷風を全否定していて、それを鵜呑みにした私は、安心して荷風を無視していたのである。
 しかし、本書を読み終えた私は今、他愛もなく「一生ついていきます!荷風先生!」などと口走っているのだから、人の心は頼りないものである。
 素晴らしいです。『ふらんす物語』。荷風は、明治の父権的風土の中で花開いた、稀有の独身的存在とは言えないか。例えば鴎外の「舞姫」と荷風の「雲」とを比べてみればよい。両者ともに女性に対する専横的で残酷な振る舞いが主題になっているが、その残酷さの質がまるで違う。

 恋の成功とは此(かく)のごときものか、吾々の若き血が、嘗て羨み、望み、悶えたる、空想の実現とは此の如きものか。吾々が、その作りし空想の影に惑わさるる事も又甚だしからずや。われにして若し彼女に死せよと云わば、彼女は喜んで死するやも計られず。されどかくまでにして、自己の威力について確信するも、又何の興味かある。空想、成功の実現は、失敗の恨みより、更に更に大なる悲哀と落胆とを感ぜずばあらず………。(「雲」より。145頁)
 
 成功などした覚えがない私が、「うんうん、そんなもんだよなあ」などと通勤ラッシュの電車の中で相槌を打っているのだから、文学は恐ろしい。人の心は信用できない。中でも最も信用ならないのは自分の心である。そしてこの作品集を貫いているのが、正にそうした恐ろしさ、寂しさなのだ。

 「雲」の他に強い印象を受けた短編に、小文集「橡の落葉」中の「墓詣」がある。
 これはトリュフォーの映画そのものです。トリュフォーの映画が、彼がデビューする半世紀以上も前に、一人の東洋人の筆によって撮られてしまっていたことを一体どう解釈すればいいのだろう。 しかもここに登場する荷風自身は、まぎれもなくジャン・ピエール・レオーによって演じられているのだ。そうとしか思えない。この不可思議。

2006/02/16
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『蒲団・一兵卒』
田山花袋 岩波文庫 1972年改版


 『蒲団』。頑張っている小説である。日本人的に頑張っている。この頑張っている感じは、ちょっと前に読んだ藤村の『破戒』にも通じているように思う。
 この二つの小説は、言わずと知れた日本の自然主義文学の嚆矢にして代表作である。今、えらそうに「言わずと知れた」などと書いたが、私はこの年まで『蒲団』も『破戒』も読んだことがなかった。「自然主義」なるものがいかなるものかをおぼろげながら知ったのもごく最近である。中村光夫の著作をなんとはなしに読み始めて、なるほど日本文学史上そんなに重要な作品なのか、どれ読んでみようと手にとったのがこの二冊だったという次第。いわば「お勉強」のための読書である。普段はこういう読書はしない主義である。だから読み始めた最初から何となく居心地が悪い。そもそも中村光夫は『蒲団』に対してかなり批判的な立場を取っているのでなおさらである。
 話は変わるが、私は全くのスポーツ音痴である。自分でもやらないし、テレビでも観ない。特に野球など何が面白いのかさっぱりわからない。たまたまテレビをつけて野球の中継をやってたりすると、ちょっとの間ボーっと眺めた後にチャンネルを変えてしまう。すぐ変えるのではなくちょっと間があるあたりに、むしろ自分の野球への無関心さが現れているように思うのである。で、その見るともなく見ている刹那の時間にいつも感じるのは、選手の動きがまるでかっこよく見えないということだ。こんなことを書くと野球ファンには顰蹙を買いそうだが、何と言うのか、操り人形のようにぎくしゃくして見えるのである。重心が自分の体の中にはなく、どこか外にあって、その外部の重心にむりやり引き摺られているような感じだ。ちなみにこの印象は野球だけではなく、サッカーだろうが陸上だろうが、日本人選手の動き全般がそんなふうに見えてしまう。何か無理して型にはまって頑張ってる感じなのである。
 ところが、これもたまたまテレビをつけたときにチラッと見たことのあるメジャーリーガーたちの動きの印象はガラリとちがう。素人感想だが、フォームは日本人の選手に比べていくぶんいい加減な気すらするけれども、確かに「自分で動いている」ように見える。ちゃんと身体が、その動きの主人になっているのである。
 こんな関係のないことを長々と書いたのは、『蒲団』を読んでいるときに感じた窮屈な感じが、まさに夏の甲子園のイガグリ坊主たちの、バネ仕掛けのように律儀なスライディングを連想させたからである。
 「自然主義」だと言う。「此の一篇は肉の人、赤裸々の人間の大胆な懺悔録である」(島村抱月。この言葉は、『蒲団』擁護論として有名な文句らしい)と言う。たしかにそこには、妻子ある中年作家の若い女弟子に対する人目はばかる煩悶がこれでもかとばかりに暴露されている。しかし私は、その告白を強いる力そのものには、いささかの「自然」も「肉」も感じることができないのだ。告白が、内的な圧力に耐えかねて抑えきれず、自ずから迸り出て歌となっているのではなく、不自然な理知の力が、こわばった自白を強いているようにしか見えない。
 その不自然な力を一言で言えば、それは花袋そのひとの「文学的野心」ということになるのかも知れない。で、この時代は、どうやら「文学的野心」=「文壇的野心」といってよいようなのである。
 ちょっと長くなるが、ここに花袋自身の言葉を引いてみる。花袋は、日露戦争直後の社会の活気が文壇にも及んで、藤村の『破戒』や国木田の『独歩集』が世の喝采を呼んだことを述べた後、こう続ける。

…『ようやくわれわれの時代になって来そうだぞ。』こう国木田君は笑いながら言った。
 私は一人取り残されたような気がした。戦争には行って来たが、作としてはまだ何もしていない。小諸から出て来て、大久保の郊外で、トタン屋根の熱い下で、袒(はだぬぎ)で島崎君が努力した形などを見て知っているので、ことに堪らない。何か書かなくちゃならない。こう思って絶えず路を歩いていても、何も書けない。私は半ば失望し、半ば焦燥した。
 ところへ『新小説』から頼みに来た。
 『書いて見ましょう。』
 私は息込んで言った。
 私は今度こそ全力をあげなければならないと思った。社へ往復の途中、新たに開けた郊外の泥濘(どろ)深い路を、長靴か何かで、いかに深く製作のことについて頭を悩ましたであろう。あれでもないこれでもない。こういうふうに考えて打ち消し、打ち消しては考えた。


 要するに、花袋を悩ましていたのは「人生の問題」ではなく、もっぱら「文学の問題」だったのだ。
 中村光夫は『風俗小説論』において『蒲団』を槍玉にあげている。中村は、作者の田山花袋と主人公の竹中時雄を同一視した上で、「主人公は作品と同じ幅に拡がってしまひ、しかも作者と主人公はたえず同一視されるため、作品全体が結局作者の『主観的感慨』の吐露に終わってしまふ」と述べている。これは、この作品がきっかけとなって分断の主流をなすに至った「私小説」全体への批判でもある。しかし、この批判はある意味で、自らも「文学=文壇」の思考回路に捕らわれているとは言えないか。なぜなら、作中の作家である竹中時雄は、決して『蒲団』を書いたりはしないだろうからだ。
 本質的な問題は、花袋をはじめとする明治の文人達をこうも駆り立てた「文学」とは一体何だったのかということだと思う。
 上の引用でもちょっと触れられていたが、島崎藤村が『破戒』を執筆したときの悲壮なありさまは、感動を呼ぶというよりは、ちょっと人を鼻白ませる体のものである。彼は、教師を辞めて東京に出てきて、奥さんは栄養失調で夜盲症になるわ、子供はバタバタ死んで行くわという極限状況を背水の陣として処女長編を書き上げるのだ。そして花袋は花袋で、自分の最もプライベートな内的生活を「文学」にささげてしまう。これはもう『アストロ球団』の世界である。
 おそらく、それが明治という時代だったのかも知れない。必死で白球を追う高校球児たちの祖祖父たちも、必死で西洋を追い、必死で文学を追っていたのだろう。ムリしてるのだ。みんな。おつかれさま。
 後藤明生の『小説―いかに読み、いかに書くか』では、そのムリさかげんの一端が別の視点から明らかにされている。ロシア文学においては、近代ロシア文学が産声を上げたのは、首都ペテルブルグが建設されてから百二十年後だそうだ。つまり、それを明治元年とすると、プーシキンの『オネーギン』が書かれるのは、なんと1988年まで待たねばならないことになる。
 後藤はここで、明治19年に発表された二葉亭の『浮雲』がいかに先駆的な仕事であったかということを強調する。ちなみに『破戒』と『蒲団』が発表されるのはそれぞれ明治39年と40年である。二葉亭も明治人らしく必死で頑張った。しかしその頑張り方は彼の後輩とは全く違う方向でなされた。つまり花袋や藤村と違って、二葉亭はまず人生や世界と格闘して頑張ったのであって、彼にとっては文学は目的ではなく手段に過ぎなかった。
 二葉亭四迷の試みが全く孤立したまま挫折し、その20年後の「文学至上主義者」たちが近代文学の直接の源流となったことは、ある意味で非常に日本的な現象だと思う。『浮雲』はいわば大陸的なのだ。その狙う射程はあまりに遠く、あまりに茫漠としている。ここまでが人生、ここからが芸術、といった線引きがないのである。一方『蒲団』はわかりやすく、追随しやすい。そこでは「芸術」が一つの確固たる聖地となって、外界から区別されているからだ。甲子園球場のようなものである。かくしてイガグリ坊主どものご先祖様たちは、文壇という閉ざされた世界の中で、必死で白球ならぬ文学を競って追いかけることになる。そして私はそういう日本が嫌いである。これは批判ではない。単に嫌いなのだ。だから『蒲団』も『破戒』も嫌いである。高校野球も嫌いである。それらは皆、不自然で神経質で心の底からの笑いがない。

付記:

『一兵卒』は、こうした明治という狂騒する巨大な歯車にひき潰される無名人を描いてちょっと面白いです。個人的には『蒲団』よりも上だと思う。

2005/12/22
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『破戒』
島崎藤村 新潮文庫版 昭和62年改版


 正直好きな小説とは言えないし、貶そうと思えばいくらでも貶せる気はする。
 主人公の小学校教師、丑松を取り巻く人物たちが、善玉も悪玉も男も女も皆類型的で影が薄い。被差別部落の出身者である主人公の葛藤も、島崎が手本にしたとされる『罪と罰』のねちっこさに比べればどこか通り一遍な気がする。でも、はっとさせられた所が一つだけある。それは最後に主人公が自分の出身を周囲に明らかにする場面である。
 彼は、同じく部落出身者である思想家、猪子を敬愛している。猪子は「我は穢多なり」と自らの著作の冒頭で宣言するような人物で、丑松は、その堂々たる生き様と壮絶な死に様を目の当たりにする。その死が丑松にカミング・アウトの決心をつけさせる。
 こういう物語の流れ上から見れば、彼は「俺は穢多だい!文句あるか!」と啖呵でも切りそうなものである。ところが彼はまず、教室で教え子の児童たちに向かって、「今まで騙して悪うございました、私は卑しい穢多でございます」と土下座してしまうのである。なんじゃそりゃ。
 直ちに思い浮かぶのは、殺人を告白して大地に接吻するラスコリーニコフの姿である。島崎は明らかにこの有名なエピソードを意識している。それにしても、丑松が今まで自分の身分を隠して生きていたことは、果たして「罪」なのだろうか?彼の身振りはあまりに不自然で、到底読む者の共感を得られるとは思えない。
 しかし私はここに、単なる一個の作中人物の行動を超えて、作者本人の自意識の身振りを見るのだ。感動的なのは、心理的ないしは劇作的な整合性を置いてきぼりにしてまで、主人公に性急に土下座をさせてしまう島崎藤村自身なのである。日本の被差別者の取った行動は、あるいはロシアの殺人者の猿真似に過ぎないのかも知れない。しかし彼らの造物主である藤村とドストエフスキーは、小説を書くという行為そのものにおいて、もっと深いところで通底し合っているように思うのだ。
 島崎自身は部落出身者ではない。彼は、自意識の牢獄とでも言うべき自らの内的な状況を、主人公の置かれた社会的状況に重ね合わせているのだ。そのことによって丑松は、他の傀儡じみた人物たちとは異なり、辛うじて血の通った人間たりえているのである。それはドストエフスキーが『地下室の手記』や『罪と罰』の主人公に託したものと同質である。ラスコリーニコフが永遠の青年像たりえているのは、殺人という罪を犯したからではない。彼は、それ以前に孤独という名の許されざる原罪を背負っているのだ。
 だとすれば、丑松とラスコリーニコフが同じような行動を取るのはさほど不思議なことではない。ここで起っているのは、いずれも内的エネルギーの発散、文字通り「大地=アース」による魂の放電現象である。
 島崎もドストエフスキーもこう言いたそうだ。

「私があまりに高みに立ちすぎて、本当に申し訳ない。私は孤独によって生かされているが、一番憎むのもこの孤独というしろものなのだ。私は喜んで君らの元に降りて行こう。地べたに顔をこすりつけよう。高みにあることは、恐ろしい呪いであり罪なのだから。小説を書くということは、天空から大地に至る重力の仕業なのだ」

2005/10/18
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『平凡』 
二葉亭四迷 新潮文庫 昭和43年


 途中までは、何となく『更級日記』のことを思い出しながら読んでいた。
 『更級日記』は、平安の地方官吏の娘である作者が人生の晩年にあって自分の一生を振返るというもので、田舎の「文学少女」が憧れの京に上がり、宮仕・結婚・出産・子育てと、浮世の波にもまれるごとに現実的なオバサンとなって行く様が綴られている。
 一方『平凡』は、若いころ新進気鋭の作家として立ったが、今は小役人としてあくせく働いている中年の作者が、自分の半生を苦く思い出す、というもの。
 この2作品を並べたくなったのは、もっと恣意的な理由もある。前者は、幼いころ飼っていた猫の死について語っていて、後者は犬の死を語っているのである。両方とも、全体の中で、一番美しいくだりと言ってよいと思う。

「・・・四月の夜中ばかりに火の事ありて、大納言殿の姫君と思ひかしづきし猫も焼けぬ」

 住み慣れていた自分の家が全焼して、引っ越さざるを得なくなったのに、作者が一番悼んでいるのは猫のことなのである。

「そのやっぱり犬に違いないポチが、私に対(むか)うと・・・犬でなくなる。それとも私が人間でなくなるのか?・・・何方(どっち)だかそれは分からんが、とにかく互の情熱情愛に、人畜の差別を撥無して、渾然として一如となる。
 一如となる。だから、今でも時々私は犬と一緒になってこんなことを思う。ああ、侭(まま)になるなら人間の面の見えぬ処へ行って、飯を食って生きてたいと。
 犬もそう思うに違いないと思う。」


 『平凡』は朝日新聞に二ヶ月ほど連載されたものだが、全61章の内10章がこのポチと出会いから、ポチが犬殺しに殺されるまでの思い出に割かれているのである(これは作者の幼いころの思い出ということになっているが、解説によれば、事実は、ポチは作者が30越えてから飼いはじめた犬らしい。これはこれで悲哀をさそう)。
 しかし、平安女の『更級日記』と明治男の『平凡』とが似ているのはここまでで、社会人デビューしてからの両者の筆致はかなり異なってくる。『更級日記』の作者は全ては夢よという諦念で後半生を振返っているのだが、二葉亭にとっては、青年期は未だにうずく生傷なのだ。自分の青春期への呪詛、文学への呪詛、不当なほどの自己卑小化、本書の後半は、ほぼこういうものだけで占められていて、とにかく生臭い。
 二葉亭が46歳で客死したのが明治42年で、連載が明治40年だから、本書は二葉亭が四十四、五歳のころの作品ということになる。自己の青春時代を毒づくさえない四十男。つまり、かっこ悪いのである。でも、その煮え切らないかっこ悪さと生臭さがなんとも良い。好きです。
 最後に引用をもう一つ。

「近頃は自然主義とか云って、なんでも作者の経験した愚にも付かぬ事を、聊かも技巧を加えず、有のままに、だらだらと、牛の涎のように書くのが流行(はや)るそうだ。好い事が流行る。私もやっぱりそれで行く。」

2005/07/19
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『長鼻くんといううなぎの話』
イオシーホフ作 福井研介 ほか共訳 講談社 昭和48年


 今日、古本屋で見かけて思わず買ってしまったのである。小学生のころ、本が擦り切れるほど何度も何度も読み返した愛読書であるが、いつのまにかどこかに消えてしまってそれっきりの本の一つ。
 いい年こいた男が、そんなものを見つけて他愛もなく喜んでいるのも、あまり誉められた姿ではないのだが、まあいいのだ。200円だったし。
 節操のない好奇心と食欲の持ち主である鰻の長鼻くんが、サルガッソ海で生まれ、大西洋を横切って、地中海にわたり、さらに黒海をへてロシアの川をさかのぼり、そして再び海に帰って行くまでのお話である。いくつかのイメージ、例えば長鼻くんが、ひょんな偶然から地下水脈に迷い込んでしまい、白くて目のない「魚の幽霊」が徘徊する暗闇の中を、地上への出口をさがして幾日もさまようエピソードなどは、私の夢想の底に横たわる「原型」として、今も私の精神の「地下水脈」を成しているとは言えないか。近頃、小学校低学年のころの読書が、人のイメージの原型を作り出すような気がしてならない。
 で、今読み返しても、なかなかのものなのである。

 …しかし、魚たちは、健康とか、健康でないとかという話は、おたがいに、ほとんど口にしません。どうしてそうなのか。それには、わけがあるのです。ぐあいが悪いからといって、それをいいふらそうものなら、海の底のほうから、すぐに救急隊と名のる魚がうかび上がってきて、
「ははあ、病気っていうのはおまえだな。じゃ、応急手当をしてあげよう。さあ、わたしの口の中におはいり。」
 これで、魚の苦しみもおしまいになります。
 魚は、自分が死ぬときがやってきた、と感じたばあい、ようすはすっかりちがうのです。ありったけの声でなきさけんで、なかまや友だちにきけんを知らせます。
「ぼくは、ころされそうだ。みんな、にげろ!」
 でも、人間が生きたままの魚をしおづけにするたるの中になげこんだり、生きたままうろこをはいだり、切ったりしても、魚は声一つたてません。なぜでしょう。
 そんなことをしても、むだだからです。


 名文である。

2005年7月21日
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『ゼーロン・淡雪 他十一篇』 
牧野信一 1990年 岩波文庫


 今まで牧野信一については、坂口安吾の年長の友人、若くして自殺、程度の知識しかなかった。
 手元の文庫版安吾全集をめくってみる。
 『牧野さんの祭典によせて』と題された短文では…

「私の考へ方が間違つてゐるのかも知れないが、私には牧野さんの死がちつとも暗く見えないし、まして悲痛にも見えない。却つて明るいのである。
 牧野さんの人生は彼の夢で、彼は文学にそして夢に生きてゐた。夢が人生を殺したのである。殺した方が牧野さんで、殺された人生の方には却つて牧野さんがなかつた。牧野さんの自殺は牧野さんの文学の祭典だ。私はさう考へていいと思つてゐる。

(中略)

 牧野さんは日常自殺や死に就て語ることがなかつた。私達がそれに就て語ると、あらはに不興な顔をしたり、軽蔑するやうな顔付をした。牧野さんにとつて生きることは難く、死は余りに容易であつたのだ。死には一文の値打もなく語る値打もなかつたのだらう。

(中略)

 彼の死ほど物欲しさうでない死はない。死ぬことは、彼にはどうでもいいことだつた。すべてはただ生きることに尽されてゐた。彼の生は「死」の影がすこしも隠されてゐない明るさのために、あまりにも激しく死に裏打されてゐた。生きることはただ生きることそれだけであるために、彼の生は却つて死にみいられてゐた。だから、彼の死は自然で、すこしも劇的でなく、芝居気がなく、物欲しさうでないのだ。即ち純粋な魂が生きつづけた。死をも尚生きつづけた。さうではないか、牧野さん。生きるために自殺をするといふのは多くの自殺がさうであるが、牧野さんは自殺を生きつづけたと言ふべきである。彼は生きつづけてしまつたのだ。明るい自殺よ。彼の自殺は祭典であつた。いざ友よ、ただ飲まんかな。唄はんかな。愛する詩人の祭典のために」
(引用は「青空文庫」より)

 相も変らぬ安吾節である。
 ここには牧野信一がいるというよりは、安吾その人がいるのであって、安吾のそのあまりの明るさのために、牧野の肖像は、その陰影をくまなく光で塗りつぶされてしまっている。真っ白だ。
 ずっと以前、その明るさを頼りに生きていた一時期があった。安吾が全てで、彼の目で世の中を見ようとし、また生きようとも思った(この「思った」というのがミソであるw)。しかしそんなことは到底ムリなわけで、今もそのころと相変わらず、灰色の自分をもてあましつづけている。そして、その灰色の自分が初めて牧野を読んだのである。

 面白い。特に「鬼の門」「泉岳寺附近」「天狗洞食客記」あたり。この面白さを、仮に「光学的自己批判」とでも呼んでみる。いわゆる私小説作家一般に共通のことであるが、この作家も、自己の人知れぬ暗黒面への批評眼というか暴露癖が顕著である。しかし、この時期の牧野の作品には、そうした視点にありがちな、湿った感傷や嘆きが全くまとわりついていない。作者が自己と世界を見つめるのは、「自意識」などという模糊としていやらしい装置ではなく、もっぱら鏡やスクリーンや覗き眼鏡といった、単純で玩具じみた光学機器を通してなのだ。
 もっともここに現れる鏡は、事物を愚直に反射するそれではなく、あの、一昔前のどたばた喜劇に必須の、どこか胡散臭い鏡である。鏡は、そこに映されている人物の動きを忠実に真似ていると思いきや、ぐにゃっとゆがんだり、人物が鏡から目をそらした瞬間に舌を出したり、動作の左右を間違えたり、鏡面からにゅっと足を突き出して、「オリジナル」の尻を蹴飛ばしたりするのである。「鬼の門」の主人公と強欲の酒屋の主人の関係、あるいは「天狗洞食客記」の主人公と天狗洞の主との関係は、正にそれである。
 小説=フィクションの面白さとは、結局そうしたものではないか。つまらぬ現実との、微細にしてFATAL(今ふさわしい日本語を思いつかない)な差異。この差異が、ゼーロンと呼ばれる駄馬をペガサスに、小田原の僻村をどことも知れぬ神話的空間に変貌させるのである。ところで、「鬼涙村」では、主人公が本物の鏡を通して自分の姿を見る場面があるのだが、この小説が、上記の作品と比べて明らかに力を減じているのは示唆的である。小説には本物の鏡は要らぬ。それを見誤るものが、例えば太宰の『人間失格』などを誉めそやす。
 鏡に限らず、牧野の用いる光学機器は、ことごとく縁日の屋台に並ぶ品々の胡散臭さと魅惑を放射している。

「月光の、静寂な大気の――無限大に青白いスクリーンの中央に、世にも不思議な巨大なランプの月の傘の如く八方に放った光芒(こうぼう)が澄明な黄金の輪を現出して、その一区劃の中ばかりが戦闘準備のように花々しい活気を呈している面白い光景に僕は魅了された。
 ……すると――おそらく僕が余りに凝然と眼を視張って眼ばたきもしないでいるために起る視覚の錯誤なのだが、その巨大な提燈は、活躍を続けている花々しいシルエットをはらんだまま、スーッと音もなく滑走し、宙に浮んで、小さく、明るい月に変った。それでもそこに立働いている人たちの姿は相変らずはっきりと見え、丸源の太郎、二郎、三郎の顔かたちはおろかどんなことを話しているのか、その口の動きで想像も出来るくらいにまざまざと判別出来るのだ」
(「吊籠と月光と」引用は「青空文庫」より)

 言うまでもなく、ここにあるのは、現在の映画のスクリーンではなく、日本では昭和に入ってからもしばらくは命脈を保っていたサイレント映画のそれである。サイレント映画は、事物から音声と共に重力まで奪い去る。全てが光の軽さを持つ。「天狗洞食客記」の硬直症に陥った主人公が寄宿する、薄暗い四畳半の部屋に穿たれた丸窓も同様のスクリーンである。

「やがて藤の房はめき/\と伸びて、窓の先を覆はんばかりであつた。その間からどん/\橋をゆきゝするテルヨさんの姿が窺へるのであるが、藤紫色の着物と代つたので、もう窓の下まで伸びて花をつけた藤の花の一房が揺れてゐるかのやうに私の眼に映るのであつた。それが、怪しく妍麗な幻のやうに淙々として、私は次第に私のうらぶれた夢の中に鏘然と鳴り渡るものを感ずるらしかつた。異様な酒の酔で私の眼も頭も終日朦朧としてゐるせゐか彼女がゆきゝする藤の花の盛りの庭の光景から、古風な舞踊劇の舞台面でゝもを眺めるかのやうな作りものとしての悦ばし気な絢爛さに目を奪はれるのであつた。
 三度の食事を彼女がこゝに運んで来るのであつたが、眼近かでは私はその姿を眺めぬことにしてゐるので、空を覆ふた藤棚の下に眺める彼女が幻灯の中のものゝやうに見えるのであつた。」
(「天狗洞食客記」引用は「牧野信一電子文庫」より)

 事物を秩序立てる遠近感が失われ、遠くの女性の姿が、手前の藤の花と混ざり合ってしまう。これもまた、スクリーンに住まう夢魔の一つである事はいうまでもない。
 この小説で、音声と映像の乖離は奇妙な形をとる。主人公とテルヨは、極端に嫉妬ぶかい主人に常に見張られているため、食事中会話を交わすどころか、互いの顔を見ることすらままならない。そこで二人は、池を挟んで、やはり丸窓を通して二人の様子を監視している主人を欺くため、顔と口を全く変えずに会話を交わすことになる。丸窓はくるりと反転して、スクリーンから覗き眼鏡へと姿を変える。それと同時に、見る者が今度は見られる者となるのである。

「それから私たちは食事の度毎にそれとなく四方山のことなどをはなすやうになつたが、顔つきや口つきを全く動かすことなしに言葉を吐くといふことは妙なもので、「言葉」といふものが全々発声者とは関はりなく、夫々游離して、明らかに空間に於ける別個の存在物と感ぜられた。私は、私と小間使がとり交す言葉の凡てが、眼にこそ見えないが、眼に映る凡ゆる物象と同様に、あれらの転生宗教家連が信ずる如く夫々命を持つてたゆたうてゐると思はれた。」(同上)

 ここでは、サイレント映画の台詞が挿入される字幕によって表されるのと同様の現象が起きている。言葉が発声者から奪われ、「空間に於ける別個の存在物」になるのと同時に、発声者は純粋な光学的映像となる。ここからドタバタ喜劇がはじまり、そして「美」が現れる。
 しかしこの美の何と言うはかなさか。これら光学的存在を構成するのは太陽の光ではない。月の光や幻灯の光である。夜の光である。
 かつて安吾の太陽しか知らなかった。その当時、牧野の作品を読んでも、真昼の単純にして強烈な光にくらんだ目には、なにやら朧な影が闇の中でうごめいているようにしか見えなかったように思う。今の私は、そのころから成長しているのか、衰退しているのか。

2006年3月22日