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『今はむかし ある文学的回想』 
中村光夫 講談社 昭和45年


 還暦に近い著者が、学生時代からフランス留学直前までの交友を回想したもの。
 枯れた味わいの青春記、というか、正直ダシを取った後の鶏ガラみたいな、パサパサと味気ない印象を受けた。
 ところが最後の方、中原中也との交流を描いた部分だけ、急に桜色に血の気が差してくるようで面白かった。
 著者は、酔った中也にビール瓶で殴られたエピソードを、かなり嬉しげに回想したりなどした後で、こんなエピソードを披瀝している。

 …遠慮なくいえば、僕は、この実践的な(引用者注:中原の)純粋性が、作詞の母胎としては実に有効だが、自己と現実との関係で或る短絡(ショート・サーキット)をおこしているのではないか、一度所有した絶対を手放して、相対の人間世界にもどることが必要なのではないかと思っていました。
 あるときそれをいうと、(中原)氏はしばらく瞑目して黙っていましたが、やがて首をゆっくり左右にふって、大きく両眼をあき「お前の評論はこうだからな。お前にはそう見えるのだろうな」ともいいました。
 氏の「批判」はさすが正確で、僕は二の句がつげませんでした。氏が自分の道をまっしぐらに歩いて、詩に殉職してしまってから三十年たちますが、氏の倍の年齢に手のとどく今になって「絶対」を欠く人生の無意味がようやく実感されます。「どうだ、大分無駄飯を食ったな」と、うっかりあの世に行くと氏に言われそうです。


 残酷で美しい体験だと思う。著者はその後の生涯、ずっと中也の大きく見開かれた両眼に見つめられていたのではないか。

2005/11/03
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『日本の近代小説』 
中村光夫 岩波新書 1964年改版
『日本の現代小説』 
中村光夫 岩波新書 1968年


 こうしたおおざっぱなタイトルを掲げる書物は、どこまでも弛緩した精神のなせる業か、強靭な知性の緊張の賜物であるかのどちらでかでしかありえない。
 もちろん中村の著作は、ごく稀な後者に属するのだ。私は一般に、こうした「ガイドブック」的な本に対しては本能的な不信感を抱いてしまう性なのだが、そもそも混沌と逸脱を本質とする歴史が、それも文学者という個々人によって紡がれる文学史が、 かくもブレのない一貫した視点の元に、その多様性を失うことなく嘘のように平明に描かれていることには驚かされる。もっともその驚きにはなぜか、くやしさに似た感情が幾分か混じってはいるのだけど。
 正確に言えば、この2冊の本は「文壇文学史」である。つまり、作家個人というよりは、明治から昭和に至る諸々の流派の興亡が主に語られている。この限定というか割り切りが、ある意味中村の面目躍如なのだと思う。岩波新書というコンパクトな媒体で文学史を通観するには、こうした限定が不可欠なのは言うまでもないが、その限定の仕方そのものを、著者の文学精神の表現としているところ、やはり中村光夫は只者ではない。
 で、それら各流派の変遷は、ごく大雑把に言って、作家が「自己」と「他者」(観念的次元)ないしは「社会」と「個人」(これは現実的次元)をどう捉えて きたか、という足跡をたどることで語られている。
 このざっくりとした抽象化も、現実の歴史が持つ複雑さや多様性を損なうことなく、中村の語る歴史の道筋に、強い説得力を与えている。
 要は、中村は自分に何ができて、何ができないか、自分が何をすべきで、何をすべきでないかを明確に心得ている、全き成熟の人なのだ。でも、いい年してガキっぽさを脱することのできない私は、こうした知性にかすかな反発を覚えてしまう。
 「中村史観」によれば、文壇から見て傍流に位置する作家は、夏目漱石や森鴎外ですら、「例外的存在」として扱われてしまう。太宰や安吾などについては言わずもがなである。勿論、それらの作家が軽んぜられているわけではなくて、中村は的確な評論を沿えて、自らのパースペクティブの中に、彼等各々に、相応しい位置を与えることに成功してはいる。
 引っかかるのは、中村が歴史というバケモノを料理する際の、あまりの破綻のなさなのだ。岩波新書という性格を考慮に入れるにしてもである。
 まあ、ガキっぽい駄々ではある。「じゃあ、どうすればいいの?」と問い返されても私には答えはない。たぶん、「個人」と「社会」に対する経験と思索と諦念において、中村と私には天地の開きがあるということなのかも知れない。いずれにしても、私はくやしいのである。いつか倒すぞ。

2005/11/02
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『平和の死』 
中村光夫 講談社 昭和48年


 大人の小説である。というか、おじさんの小説というべきか。
 つまり、子供や青年の甘さが微塵もない。
 ある意味、前に報告を上げた『戦争まで』の姉妹編と言って良いのかも知れない。
 『戦争まで』は著者のフランス留学の実体験に基づいたもの。
 『平和の死』はそこから発想されたフィクション。
 『戦争まで』はトゥールでの滞在記が大部分を占めているが、『平和の死』ではそこに語られなかったパリでの生活が、フィクションではあるが語られている。
 『戦争まで』はフランス人観察記としての一面を持つが、『平和の死』はパリの日本人社会が鬱陶しいほど詳細に描かれている。
 『戦争まで』は中村の留学中から帰国直後にかけて書かれたものだが、『平和の死』は、その後三十余年を経て書かれている。等々。
 つまり、主人公は留学当時の中村本人を連想させる若い学生だし、舞台も大戦直前のフランスで、大戦の勃発と共に物語が終わるのも一緒だが、それを描き出す手つきは完全に壮年のそれなのだ。
 これは、著者の実年齢のことを必ずしも指すのではない。大概の作家には、年齢と関係なく、どこかに子供じみたところがあり、それが魅力の一部をなしていることも多いのだが、中村は、そうした甘さを(おそらく明確に意識して)きっぱり捨てている。
 こうしたタイプの作家で、私が他に知っているのは森鴎外くらいか(あるいは後藤明生もそうしたタイプに分類されるのかも知れない)。
 私はいつまでも子供なので、こうした作家には違和感というか、何か重苦しく鬱陶しい感じを持ってしまう。

「日本にいたころ、パリへの憧れが生きる目標であったころ、彼はともかく前方をむいて歩いてきた。しかし、それが生活になり、さらに強引に打ち切られようとしている現在、彼はいわば内面の配置を変えずには、これに応じられない。憧れを実現したものは、生きている人間から、生きてしまった人間になる。そのことで生命を失わぬまでも、少なくとも若さは失う。もっとも充実した生はもはや彼の後方にあるからだ。」

 こんなあからさまな文句は、五十をこえてから「処女作」を書いた批評家にしか書けないのかも知れない。

2005/10/19
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『戦争まで』 
中村光夫 垂水書房版 昭和35年


 著者が大戦直前のフランスに留学した時の体験記である。
 私の乏しい読書履歴の中でも、日本人のフランス滞在記がいくつかあるのだけれど、大好きな阿部良雄の『若いヨーロッパ』、そして一時期座右の書だった山田宏一の『友よ映画よ』と並んで、この本もこれから何度となくページを捲る本になりそうだ。
 『二葉亭四迷論』『風俗小説論』と、壮年期の代表作を読み進めて来たあとに、著者が二十代後半の時に書かれた本書を読むと、北国からいきなり南国にやってきたというか、モノクロの風景がいきなり総天然色に変わったような眩暈に襲われる。後期の著作の強靭な理知は、本書でも隠れなく示されているけれども、大半をトゥーレーヌ地方での滞在の記録に割かれている本書は、とにかくずっと読みつづけていると、頭の芯がじんじんしてくる位に官能的で瑞々しい。
 この官能性と瑞々しさは、二つの「青春」に由来しているのだと思う。一つは憧れの異国の地を踏んだ著者自身の青春。もう一つはトゥーレーヌ地方を発祥の地とするフランスのルネッサンスそのものである。この二つは本書の中で、ほとんど分かちがたい一つのものとして存在している。中村は、この地に16世紀に花開いた文化を評して「いわばこの短い過渡期は永続するにはあまりに美しすぎたのです(原文旧漢字)」と述べているが、これはそのまま1年余の中村のフランス滞在にも言えることではないか。中村は1939年の8月、大戦の勃発で留学の中途で日本に引き揚げざるを得なくなるのである。
 著者は戦争の開始を決定的なものにした独ソの不可侵条約締結の知らせをトゥールの下宿で耳にするのだが、その時の下宿屋の家族や、その後著者が行きつけのカフェで出会った欧州各国の留学生が示す狼狽や絶望の様は生々しく、痛々しい。
 ずっと夢を見るような口調でトゥーレーヌ地方の風物と歴史を語ってきた本書は、最後にこう締めくくられる。

「…そしてカフェのオーケストラに気のない拍手を送つたりしながらしばらく時間を潰し、十二時に音楽が終わるのをしほに、そろそろ客の空きかけたテラスを引上げましたが、帰り途に人影のまばらになつた暗い広場を横切ると、突当たりの市役所の玄関の脇に、いつの間に貼られたのか、非常の事態に鑑みて国民の財産を政府が臨時収用することがあらうといふ徴用の布告が、夜目にも白くくつきり壁に浮かんでゐました。(原文旧漢字)」

2005/10/14
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『風俗小説論』 
中村光夫 新潮文庫 昭和33年


「…しかもその『写実』の対象が作者自身に限定された結果、小説は作家のあらゆる苦行と精進に関わらず、結局彼の『生きた人生』の再現に止まり、彼が『生き得た筈の』人生の表現に達しなかったのです」

 これはいわゆる「私小説」が批判されている一節だが、同時に中村光夫の批評の態度をも端的に表していると思う。『二葉亭四迷伝』でもそうだったが、中村光夫はいわく言いがたい、優しい苛立ちのようなものに突き動かされている気がする。
 中村は、ある作品を既に完成された不動のものとは見ずに、常にその潜在的な可能性の方に眼差しを向ける。つまり「生き得た筈の」作品の姿に照らし合わせて今ある姿の作品を裁断するのだ。
 ごく乱暴に、私なりの言葉で中村の態度を要約すれば、「文学は文学で完結するべきではない」ということにでもなるだろうか。中村は、そのために文学に必要なのは「感覚」ではなく「思考」なのだと主張しているように思われる。感覚は「生きた人生」を捉えるのみであって、「生き得た筈の」人生を描くには、強靭な思考が必要とされるのだ。中村は、田山花袋の「布団」に始まる私小説の興隆が、日本文学から思考を奪ってしまったことを強く批判する。この批判が感動的なのは、既に起ってしまったことを現在において批判するのではなく、近代リアリズムが発生した当時に日本文学が持っていた様々な可能性に立ちもどってなされていることにある。つまり、これは老人ではなく、青春の側からなされている批判なのだ。
 そして、青春の特権的な徴は孤独である。中村は、「破戒」を書いた藤村についてこう語る。

「この『言いがたき秘密』を胸底に抱いていたとき、彼はおそらく自身で意識したよりもずっと、西欧の近代小説家の秘密に近づいていたので、フローベールも、ゾラも、バルザックも、己自身を人間の形をとり得ぬ怪物と信じていたからこそ、作品のなかにつくりだした人間典型を通じて、自我の社会性を恢復することを願ったのです。
 彼等の多くは、ただ彼等よりはるかに平凡な作中人物を通じて、ともかく社会に伍することができたほど孤独な存在であったので、僕等もまたボヴァリー夫人や、ジュリアンを経て、はじめてフローベールやスタンダールの生きた精神の像に触れ得るのです。」


 何だか無性に胸が熱くなる。

2005/10/11
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『二葉亭四迷伝』
中村光夫 講談社 1966年


 二葉亭四迷は、優しい。
 優しい人間は、無理して「全て」を抱え込もうとするので、結局足が竦んだままだったり、いたずらに右往左往したままで一生を終えてしまうことがままあるようだ。
 中村光夫は、こうした「なり損ねの偉人」の一人である二葉亭の一生、「理想を嫌悪する理想主義者、文学を否定する文学者」(原文は旧漢字、以下同)という、他ならぬ当人自身にとって最も荷やっかいな存在の一生を、明晰な筆致でざっくりと掬い上げる。
 中村によれば、「自分の思想を、『堂々と正面から』表白するのをどこか恥ぢるやうな」彼独特の羞恥心と、「僕には昔から何だか中心点が二つあって、始終其二点の間を彷徨してゐるやうな気がしたのです。だから事に当って何時も狐疑逡巡する、決着した所がない」(『其の面影』の主人公哲也の告白)という懐疑精神が始終二葉亭の人生に付きまとっている。
 それが彼のもう一つの資質である大きすぎる理想とぶつかった結果、二葉亭は文学においても政治においても生活においても流産をくりかえしたので、大抵の作家とは逆に、「二葉亭にあつては、彼の文学者としての業績は、その生活の『働き』の色あせた反映」に過ぎず、「したがって二葉亭の作品を論ずることは、彼の生活を描くことなしに不可能であり、また彼の生活の内面への手がかりはその作品以外にないので、この両者の触れあひから彼の精神の『働く』姿を見究めるには伝記といふ形式が一番適当なのです」と結論付ける。
 これは極めて野心的な試みではないだろうか。人一人の人生は(特に二葉亭のようにあちらこちらを彷徨いっ放しで終わった人生などは特に)生のままで差し出されれば、ほとんど無意味に近い混沌にしか見えないに違いない。そこから「明治という時代が抱くことを許したかぎりの最も美しいもの」である「彼が生かさうと試みた理想」を抽出する作業は、そのまま二葉亭が頓挫した試みを引き継ぐことに他ならない。
 二葉亭は「小説総論」の中でこう述べる。

「…実相界にある諸現象には、自然の意なきにあらねど、夫の偶然の形に蔽はれて判然とは解らぬものなり。小説に模写せし現象も、勿論偶然のものに相違なけれど、言葉の云ひ廻し、脚色の模様によりて、此偶然の形の中に明白に自然の意を写し出さんこと、是れ模写小説の目的とする所なり」

 つまり、これは「僕は人生の批評家、日本国民生活の批評家になりたいと思ふのだ」(矢崎鎮四郎による伝聞)という態度に一致する。『浮雲』で果たされようとしたこの試みは、中村によれば、当時の作者の若さも手伝って「失敗」に終わっているのだが、「批評家」中村光夫は、二葉亭が『浮雲』や『平凡』の主人公において成し得なかったことを、この『二葉亭四迷伝』という評伝の中で、長谷川辰之助、すなわち二葉亭四迷本人を描き出すことで完結させるのだ。
 結局、批評とは知性による魂の救済ではないだろうか。

2005/10/10
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