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『修羅雪姫 怨み恋歌』
藤田敏八 監督 東京映画 1974年


 ところで、ひとが己や世界について、ふと何かを垣間見てしまう瞬間というものは、決まって孤独なとき、それも弛緩や放心の時ではないか。
 こんなことを思ったのは、この映画の冒頭の殺陣シーンを見ていた最中である。修羅雪姫にふんする梶芽衣子が、林の中の一本道を歩きながら、群れをなして襲い掛かってくる刺客を仕込み刀で次々と倒して行く。カメラは延々と後退移動をしながら、木の間から白じらと注ぐ真昼の光の下、半ば放心したような足取りで歩いてゆく梶芽衣子を、正面から受け止め続ける。彼女は周りを取り囲む男どもの存在などはまるで眼中にないように、ふらふらと孤独な歩みを進める。獣じみた荒い息を吐きながら、彼女の前後で身構える男たちからも、殺気というよりは、やるせない疲労感が漂ってくるようだ。ときおり、思い出したように男の中の一人が輪を抜けて彼女に切りつける。そのたびに蛇の目傘に仕込まれた細い刀身が短く閃き、派手に噴き出す血しぶきとともに、男はどうと倒れるのだ。しかし、不思議と耳に残るのは彼女の下駄の立てる淋しげな足音ばかりである。長廻しのカメラの前に、けだるい、延々と続く白日夢のような時間が、生のまま投げ出されている。
 この場面をだらしないと評してもそう差し支えはないのだ。殺陣に冴えがあるというわけではなし、だいいち梶芽衣子がそんなに強そうには見えない。エキストラの暴漢どもの動きも、どこか投げやりで、素人臭くさえある。もっとも、この緩みぶりは、この映画に限ったことではない。この時期の映画は皆おしなべてこんなものなのだ。いわゆる五社体制の崩壊によって、各社の撮影所で培われてきた技術と伝統は失われ、今まで緊密な職人芸によって隅々まで埋められてきたスクリーンを、白痴めいた空白や隙間があらゆるレベルで侵食してゆく。そしてそれは、ほんの数年のうちに起こった出来事なのだ。その崩壊がいかに決定的で致命的であったのかは、例えば同じ三隅研次が監督した60年代の『座頭市』シリーズと70年代の『子連れ狼』シリーズを見比べれば素人目にも明らかだろう。
 藤田敏八が頭角をあらわしてきたのは、ちょうどこの日本映画の崩壊期にあたる1970年前後のことである。そして、彼において、日本映画は吹きさらしに放置された孤児としての己を見出すのだ。彼の演出の過激な「だらしなさ」において、映画は生まれて初めて裸の自分と出会ったのである。
 梶芽衣子の殺陣シーンは、映画がついに自らの裸の姿と出会ってしまったことからくる、鈍い覚醒感としか形容のしようのない充実した空白で満たされている。空白そのものが確かな肉体を獲得しているのだ。その空白の中で、梶芽衣子は何ものにも保護されていない。例えば彼女の傍らに藤純子の姿を置いてみればよい。1972年に一度「引退」している藤純子と梶芽衣子とは、年齢もキャリアも数年の差しかない。にも関わらず、二人は全く異なる時代を生きた女優なのだ。藤純子は最初から最後まで撮影所システムに保護された女優である。緋牡丹のお竜は、いくら刺青を晒したところで、決して裸の自分などというものに出会いはしなかった。映画は自明の環境として、常に彼女の全身を親密に包んでいたのだ。一方梶芽衣子はその映画がほころび、破れ目を急速に広げていたころに活躍した女優である。藤田敏八は、その白じらとした空虚の中に、梶芽衣子を裸で置き捨てる。この苛烈な美しさを前にすれば、劇中飛び交う血しぶきなどは物の数ではないのだ。日本映画の70年代を見あやまってはならない。それはチープな過激さにけばけばしく装飾されながら、実は映画が自らの裸体と一番のっぴきならぬ形で対峙した時代なのだ。
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『アウトロー』 THE OUTLAW JOSEY WALES
クリント・イーストウッド 監督 アメリカ映画 1976年


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『獣兵衛忍風帖』
川尻善昭 監督 マッドハウス 1993年


 川尻善昭とイーストウッドはほんの少し、似ていると思う。両者共に大人でストイックなのである。川尻善昭は日本のアニメーション監督の中では抜群の演出力を持ちながら、宮崎駿や押井守や庵野秀明らに比べると知名度が低い。なぜなら彼の作品には、大向こうを狙ったテーマ性のようなものもなければ、個人的な思い入れを誘うような細部もないからだ。『獣兵衛忍風帖』はただひたすら面白いだけなのである。川尻の高度な演出力は思想だの感傷だのには見向きもせず、もっぱらアクションの緊密な連鎖のみに全力を注ぐのだ。このいさぎよさによって、作品は世界の中途半端な真似事たることを免れて、かえって独自の宇宙を作り出している。しかし、この宇宙の言葉はわれわれの住む世界の言葉に翻訳するのがきわめて困難なのだ。ゆえに、良くも悪くも現実世界に片足を残している『もののけ姫』や『攻殻機動隊』や『エヴァンゲリオン』が止め処も尽きぬ饒舌を生み出しながらもてはやされる一方で、『獣兵衛忍風帖』はせいぜい良くできたエンターテインメントとして片付けられてしまうのである。
 これは、イーストウッドをめぐる状況とよく似ている(もっともイーストウッドは『許されざる者』以降、ようやく優れた映画作家として世間からも認められ始めてはいるのだが)。『アウトロー』はアメリカ建国200年を記念して製作されたということである。映画はそれにふさわしく、南北戦争を背景としていたり、インディアン(最近は「原住民」と表記せねばならないらしい)の迫害の歴史が語られたりもしている。しかしそれでも『アウトロー』はつつましく「ただの西部劇」に止まりつづけるのだ。この寡黙な美しさは、決して世の中に流通する言葉を生み出したりはしない。ちょうど映画のラストで、賞金首として伝説化された自らの名前を葬り去ったジョージイ・ウェールズのように、『アウトロー』は匿名の、裸のままの映画なのだ。
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『鶴八鶴次郎』
成瀬巳喜男 監督 東宝 1938年


 この時期の山田五十鈴の美しさはただ事ではない。
 彼女の長く充実した芸歴の中でも、二十歳前後という、表情から未だあどけなさが消え切らない年齢と、幼少時から教え込まれた芸に培われた身のこなしとが、すれ違いの一瞬に目配せをしあって、永久に遠ざかって行く、そんな輝かしくも切ない、特別な季節である。
 さらにもう一つの偶然のタイミングが、彼女の美を完璧なものにしている。それは、この時期に最初の絶頂期を迎えた日本映画界の撮影技術に他ならない。彼女の細長い卵型をした純白の顔にかかる柔らかな陰影に見ほれていると、時折その唇の間から、さらに白く輝く歯が太陽のようにこぼれ出る。肌が直に微光を放っているような、この透明な質感は、カラー撮影では到底得られるものではない。この作品を最初にスクリーンで見たときは、本当に数日間うなされたものだ。今回は残念ながらビデオの小さな画面だが、それでもその時の記憶をたどることは十分できるのである。
 しかし、約1時間半という持続の中で、絶えず移り変わる山田五十鈴の表情の、あらゆる瞬間のあらゆる細部を見逃すまいとする欲望には、ついに混じりけのない陶酔が訪れることはない。その欲望の裏側には、常にかすかな息苦しさ、胸騒ぎが貼り付いているからだ。われわれは、刹那の美に出会うとき、それが目の前にある瞬間にあってさえ、あらかじめそれが失われてしまうことの予感に貫かれて苦しむのだ。ましてや映画は「毎秒24コマの死」なのだから、映画において美に出会うことは、実は悲しみに満ちた残酷な体験なのだ。
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『勝手にしやがれ!! 黄金計画』
黒沢清 監督 ケイエスエス 1996年


 ふと気が付いたこと。
 黒沢清の映画には、子供じみた行動を取る人物は多数登場するが、子供そのものが登場することは殆どない。黒沢清にとって、子供はあくまで演じられる対象であって、演じる主体ではないのだ。この映画で行われるどんな逸脱や悪ふざけも、明確な意識のコントロールを介さないものはない。カメラはそれらの行動を、終始距離をおきながらとらえつづける。この無邪気を装った諦念というか、不遜な退行現象は、例えばホークスの『モンキー・ビジネス』や『紳士は金髪がお好き』などを思い起こさせる。ホークスも知性の人だった。知性は子供に向かって成熟するものなのかもしれない。
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2004年某月某日

 近所に買い物に出た帰り、ふとした気まぐれでいつもとは別の道をあるいていたら、古本屋を一軒見つけた。驚きである。ここに越してきて数年になるのに、いままでまるで知らなかった。一体いつからここにあるのだろうか。ちなみにここらは通りから一歩引っ込んだ、倉庫や事務所や小さな工場が立ち並ぶごく殺風景な一角である。
 たぶん埃で薄汚れた漫画本の類くらいしかないだろうと思いながら、倉庫をそのまま使った薄暗い店内に入る。また驚く。汚いのは予想通りだが、漫画は入り口近くのコーナーにあるだけで、奥には黒ずんだ専門書や文芸書や美術書が所狭しと並べられているではないか。すぐ目の前の棚には年代ものの岩波文庫がぎっしり。狂喜する。文化砂漠としかいいようのないこの界隈に、こんなオアシスがあったとは!
 しかし、胸を躍らせながら棚から棚へと目を走らせるうち、次第に期待が落胆に取って代わられ始める。良い本がないのである。これは私の趣味から言っているだけではなく、つまり普通の古本屋であれば、店外のワゴンで風雨に晒されているべき本ばかりなのだ。溜息をついていると、ふと背後に人の気配を感じる、振り向くと、いつのまにか店のお姉さん(といっても30代に入ったくらいか)がニコニコしながら立っているのだった。
「何かお探しの本があったらお声をかけてくださいね」
そう声をかけてきた彼女は、化粧気がなく、なかなか清楚な感じなのだが…何というか、そこはかとなく痛い雰囲気を漂わせているのである。客は私一人だ。「はあ」と答えたものの、急に何ともいえない息苦しさを覚えて、そそくさと逃げるようにして店を出る。

2005年某月某日

 ここに寄るのは一年ぶりくらいだろうか。下半分しか開いていないシャッターの奥を覗き込む。入り口そばの、レジやらパソコンやらが置いてある机の前にお姉さんが座っていたので、「開いてますか」と声をかけると、うつむいた顔も上げずに「どうぞ」という返事である。しかし私は入り口近くの漫画コーナーより奥へは一歩も進めなかったのである。本の山が棚からあふれ、通路を奥までびっしりと埋めて、人の背丈よりも高く積み上げられていたのだ。しかもそれらの本は、一体どんな買い付け方をしたものか、なぜか理数系の専門書や教科書らしき本ばかりで、同じ本が何十冊も紐でまとめれられ、積み重なっているのである。ちらりとお姉さんの様子を盗み見る。お姉さんの目は死んでいる。10秒ほどで店を出る。

2006年6月20日

 おーい、生きてるかあ。
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『バルザック選集1 シャベール大佐』 
オノレ・ド・バルザック  川口 篤・石井 晴一 訳 創元ライブラリ 1995年


 大きな活字で百数十ページ。コンパクトにまとまった『ゴリオ爺さん』といった趣がある。
 シャベール大佐を裏切るのは、彼の娘ではなく妻である。彼はナポレオン帝政下、ロシアとの戦いで死んだと思われていた。しかし彼は九死に一生を得、浮浪者同然となってパリに戻ってくる。ところが既に再婚していた彼の妻は、現在の自分の地位を守るため、彼の存在を認めないばかりか、彼を陥れる計略までめぐらすのである。
 一方、シャベール大佐は底抜けのお人よしである。つまりゴリオ爺さんの同類なのだ。バルザックの小説には、たいてい彼のような一方的な受難者が存在する。彼らは、様々な人物の欲望や打算や陰謀や裏切りが水平に交錯する「人間喜劇」の世界に、唯一垂直の次元をもたらすのである。ゴリオ爺さんの盲愛、モルソフ夫人の純愛、バルタザールの探究心、ユロ夫人の貞節、シャベールの寛容がもたらす底知れぬ受難劇は、彼らの破滅に至るまで、ブラックホールのように周囲の事象を飲み込み続ける。実はこれらの小説世界を運動させる原動力となっているのは、様々な登場人物たちの様々な正の値を持つ欲望ではなく、ある特異点をなす人物の、無限の負の値を持つ受難なのだ。しかし彼らは皆生身の人間である。無限の受難が、彼ら有限の存在を食らい尽くしたところで物語は終わる。だから彼らは皆、キリストのなりそこないである。復活も、昇天もない。
 このようにしてシャベール大佐も破滅する。物語の最後にわれわれが彼を目にするのは、貧民相手の養老院においてである。しかし、上に挙げた「人間喜劇」の他の受難者に比べて、彼の最後には、そこはかとない明るさが漂っているような気がする。たぶんそれは、彼ひとりがナポレオン帝政時代の最後の生き残りであるからなのだろう。他の人物たちは、それに取って代わった王政復古期のブルジョア社会の住人である。バルザック自身が、この時代を「それは寒々とした、けち臭い、詩に欠けた時代であった」と評している。それが過去形ではなく、現在まで継続していることは言うまでもない。それにしても21世紀の住人であるわたしが、200年も前に終わった時代の挽歌に打たれるのはなぜだろう。たぶん、バルザックの時代を境にして物語=叙事詩(ロマン)が死に、小説(ノヴェル)が生まれたからだ。バルザックの作品は、叙事詩の死にして小説の誕生なのだ。シャベール大佐は最後の叙事詩の英雄として、彼の妻をはじめとする、小説の時代の登場人物たちに滅ぼされたのである。
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『江戸の悪太郎』
マキノ正博 監督 日活京都 1939年


 単なる偶然だが、昨夜見た『駅馬車』と同じ年に製作された作品である。
 『駅馬車』と比べれば、なんともでたらめでいい加減な映画だが、マキノとフォードに共通して言えることは、サイレント時代からキャリアを始めた監督の映像による造形力や構成力は、トーキーしか経験していない監督のそれとは比べものにならぬほど力強いということである。彼ら古武士は画面そのものに語らしめる術を熟知していた。カメラは、轟夕起子が柱に背中をもたれかけさせている姿を少し遠くからとらえる。するとそのショットが愛の表現になってしまうのである。こんな芸当ができるのは、やはりマキノくらいではないか。あるいは轟夕起子と嵐寛寿郎が、傘貼りの内職をしながら噛み合わない会話を交わす場面を思い浮かべても良い。画面の手前に円い傘の骨組みを配するだけで、滑稽なやりとりがたちまち愛の予感を帯びるのである。これらは今やわれわれから永久に失われてしまった魔術なのだ。映像が技術と共に進化しているなどというのは嘘っぱちである。映像が音声を獲得したことにより払われた代価はあまりに大きい。
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『駅馬車』 STAGECOACH
ジョン・フォード 監督 アメリカ映画 1939年


 きわめて幾何学的な映画であり、同時にその幾何学があらゆる瞬間に裏切られ続ける映画でもある。
 映画は、例えそれがどんな駄作や凡作であれ、人間の知覚の限界を遥かに凌駕する情報量を持っている。
 ある一本の映画のあらゆる細部を知覚し、記憶しうる知性などは存在し得ないのだ。
 しかし、そういった映画の不可知性をじかに目の前に突きつけてくる映画は稀である。
 不可知の瞬間を呼び寄せるには、完璧な知性が必要とされるからだ。
 『駅馬車』はこうした希少な瞬間に満ち溢れている。
 ジョン・フォードは奇跡を待つ知性、というか、最後の瞬間に奇跡によって裏切られ、凌駕されるためだけに存在する知性の持ち主なのだ。
 『駅馬車』は人類には美しすぎる。映画は人類には偉大すぎる。
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『シルヴィウス』
アンリ・ボスコ 天沢退二郎 訳 新森書房 1988年


 夢見るような小説である。
 しかしアンリ・ボスコの小説には、夢そのもの、幻想そのものが現れるのではない。
 大著『マリクロワ』も、その外伝ともいえる本書も、現実の世界からもう一つの世界へ移行しようとする魂の高まりだけを描くのだ。
 現実の風景に、ふと不可思議で濃密な気配が漂い、あわやそこにもう一つの世界が二重写しになろうとする刹那で、物語はつつましく足を止める。
 なぜなら、あまりに美しい夢は、ひとを殺すからだ。
 主人公のシルヴィウスを見舞う運命がそれである。
 現実と夢の越境者である彼は、死によってわれわれの前から姿を消す。
 しかし物語はもはやその後を追って夢の中に彷徨いこんだりはしないのである。
 シルヴィウスはメグルミュー家の一員である。南仏の田舎町、ポンディヤルグに根をおろしているこの一族は、みな堅実で優しく夢見がちだが、極端な出不精で、自分達の住み慣れた土地から決して離れようとはしない。
 しかしシルヴィウスはある冬の日、雪に蔽われた荒野に吸い込まれるようにして町を離れる。彼はその果てにたどり着いた村で、ある旅回りの人形劇団が演じる不思議な芝居を見て、すっかり心を奪われてしまう。

 それこそはまことのシルヴィウスの国、かれの夢の夜明けからずっと夢に見てきた、そしてあんなにも遠くから想像してきた国なのだった。まさしく、永久にそこにたどりつくことはないと諦めて、かれは、毎日自分の心の中にその国を作り出すのだったが、そこから毎日その素晴らしさが、少しずつ消えていくのだ。そしていま、その国が目の前に、六フィート四方の布張りの舞台に、現実でありながら虚構のものとして、手でさわれると同時に、つかむことができないものとして、デリケートな形(フォルム)と声――ふるえるような老人の声と、鈴をころがすような女性の声と――をそなえて、そこにあるのだった。そして、その形と声とを通して、これまで彼シルヴィウスが六十年間も夢の中でたくさんたくさん生み出してきたのと同じような、解き難い物語(ファーブル)が。(48-49頁、カッコ内は原文ではルビ)

 シルヴィウスはその場で劇団と運命を共にすることを決意する。メグルミュー家の人々は、失踪した彼を八方手を尽くして何ヶ月も探し回り、ついにある夏の日に、彼が劇団と出会ったその村で、今は楽士となったシルヴィウスと再会するのだ。一族は、彼が奏でるクラリネットの調べに深く心を揺り動かされる。

 …ところが今、言うに言われぬ秘密、かれらの夢の遠い泉が、初めて言葉を得て、夏のさなか、星でいっぱいの田園へ向かって枝をひろげた古いカシワの木の下で、ついに語っているのだった――メグルミュー家の人々が、始祖以来、自分たちの魂の中に聞きとりながら理解できずにいたものを。(77頁)

 そのとき、一族の長であるフィロメ―ヌ伯母さんは思わず叫ぶのだ。

「シルヴィウス、もうやめて頂戴、あなた、あたしたちを殺す気……」

 彼女は本能的に知っている。あまりに真実な夢はひとを殺すのだ。
 しかし、ここで起こったことは、実はある予感に過ぎない。まだ夢は独立した肉体を得てはいないのだ。それは、あくまで「現実でありながら虚構のものとして、手でさわれると同時に、つかむことができないものとして」、現実のクラリネットの音から立ち現れる影のようなものでしかない。そして、現実の生の領域で、芸術がなしうるのはここまでである。この小説そのものも含めて。
 一方、一族によって生まれ故郷の町に連れ戻されたシルヴィウスは、さらにその先、純粋な夢の領域に越境してしまうのだ。もはや目覚めることのない眠り、つまり死を通して。彼は、彼がはじめて劇団と出会った日の一年後の午前零時に、眠りからそのまま死に移行するようにして息をひきとるのである。
 この美しい寓話は、夢が生まれ、再び還って行く不可視の場所が、現実とは別の場所にあるというより、現実そのものの内の、ある到達不可能な極限にあることを示唆している。現実は、その極限に引き寄せられて、時にわずかにかき乱され、振動を起こすが、それは海が潮汐運動によって波打ちながらも、決して月に達することがないようなものである。もちろん、その極点とは死そのものに他ならない。あらゆる夢は、あらゆる物語は、死に牽引され、その周りをめぐりつづける。
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 今日の収穫。
 原宿のブック○フにて。

『アドリア海の復讐』上下 
ジュール・ヴェルヌ 金子博 訳 集英社文庫 1993年初版 各450円
『バルザック選集 1 シャベール大佐』
オノレ・ド・バルザック 川口篤・石井 晴一 訳 創元ライブラリ 2005年 再版 350円

 日頃お世話になっているブック○フだが、店員の「いらっしゃいませー」にはどうしても慣れることができない。今日も耳元でそれをやられて、殺意を押し殺しながら棚に目を走らせたのである。さらに輪をかけて腹立たしいのは、始終流される店員によるアナウンスである。なぜ腹立たしいかといえば、それらがごく単純にへたくそでプロ意識を欠いているからなのだ。彼らの息せき切った、あるいは舌足らずな声は、ただやたらに自分達が一所懸命であることを主張するのみで、客の方を全く向いていない。この自己完結した幼児性がなんとも不愉快で、苛立ちを誘うのである。
 八百屋や魚屋の掛け声と彼らのそれとの違いは何か。一方が耳に心地よく響き、他方がやたらに耳障りなのはなぜか?とにかく八百屋の「いらっしゃい、いらっしゃい」にはリズムがある。ではリズムとは何か?それは生命が、世界に対して、「俺は俺のやりかたでやる」と高らかに宣言することなのだ。それは無関心で残酷で気まぐれな宇宙に対する、ささやかだが誇り高い返答であり、堅固な自衛手段なのである。およそプロのものといわれる仕事には、こうした固有のリズムがある。それらは、それぞれの個であることにおいて孤独であり、自己の行為の全責任を背負うものでありながら、周囲の世間との長年のせめぎあいによって磨かれてきたということにおいて、世界と結び合っている。だからプロの動きには、必ず幾ばくかの怒りや不機嫌や不遜な態度が含まれているのだ。それは社会体の末端の職業に近づけば近づくほど顕著な現象である。きわめて正確でありながら、自分が今行っている事になどさらさら重要性を認めないといったふうに、一見投げやりになされる動作は、例えば中華料理屋の厨房などでよく見かけられるものである。彼ら職業人は、自己の独立をそのようにして演じているのだ。「演じる」というのは虚勢を張るという意味ではない。それは、宇宙のものであり、同時に個のものであるようなリズムに乗るということである。
 一方で、今日私の耳元で上ずった声を張り上げていた連中の何と無様なことか。彼らにはリズムがない。スタイルがない。ということは、彼らは周囲の世界との具体的な葛藤やコミュニケーションを拒絶しているということなのだ。ここにもつたないながら、演技というものが存在する。しかしその演技は、客や同僚といった、今、ここに存在する者たちに向けられたものではなく、それらを素通りして、一足飛びに、目に見えぬ無気味な「全体」に呼びかけるものなのだ。彼らが不断に忠誠を誓っているこの全体なるものが、ひとつの企業体なのか、ひとつの国家なのか、あるいは宇宙全体なのか、神なのかはさほどの問題ではない。いずれにしても、彼らの態度に現れている個と全体の関係は、まっとうな職業人に見られる個と世界とのかかわり方とは様相を全く異にしている。要するに、ブック○フには洗練を欠いた幼児的な個と、平均化された無表情な全体しか存在しないのだ。この二者はいささかも矛盾せずに共存できるものである。問題は、「個」か「全体」かという二者択一の元では、世界は決して見えてこないということなのだ。職業人は全体に奉仕するのではない。彼らは自らに見渡せる限りの世界と何とか折り合いをつけながら、その中で可能な限りの独立を守ろうと戦うのである。社会体においてある一定の役割を見出すこと。それは手段ないしは過程であって、決して目的ではない。販売員や営業マンの追従の笑いにすら、リズムやスタイルというものが存在するのだ。
 たぶん、個による全体なるものへの無条件の奉仕がいかなるものかを、ブック○フは語っているのだ。本来の生の舞台である世界は、決して個の側にも全体の側にも存在しない。それはつねに両者の中間に生じるものである。従順な羊は世界を知りえない。世界は怒りと不機嫌とを通過しない限り、それらを通してある狩猟動物のリズムを確立しない限り、決して眼前に現れてはこないのだ。
 てなことを考えながら、レシートと一緒に手渡された50円の引換券を財布にしまいこみ、ぷりぷり肩を怒らせて店を出たのである。
 その後、青山通り沿いの某店にて更に1冊購入する。

『司馬遷―史記の世界―』 
武田泰淳 講談社文庫 昭和47年初版 120円
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『気球に乗って五週間』
ジュール・ヴェルヌ 手塚伸一 訳 集英社文庫 1993年


 ヴェルヌが生涯にわたって書きつづけた、六十編以上もの「驚異の旅」シリーズの記念すべき第一作である。
 物語は、イギリス人の科学者が、友人と召使と共に、新発明の気球に乗ってアフリカ大陸を横断するというもの。本書が書かれたのは1863年である。そのころの西欧にとって、アフリカはまだまだ多くの未踏の土地を隠し持った神秘の大陸だったのだ。
 どこかでだれかが、ある芸術家の処女作には、その作者が後に生み出すであろう全ての作品が凝縮されているというようなことを書いていた。確かにこの小説ではヴェルヌの魅惑の全てが、すでに完成された形で花開いている。ジャーナリストのヴェルヌと夢想家のヴェルヌが、すでに分かち難く一体となっているのである。
 ところで、空想的な読書が与えてくれる至高の喜びとは何だろうか。それは、われわれの形をなさないおぼろな夢が、明確なイメージの連なりとなって、奇跡のように眼前に現れることではないか。そう、私は確かにかつてこのように空を飛翔したことがある。いや、それは「かつてあった」ことへの追憶ではなく、「かくありたい」ことへの憧憬や渇望なのかも知れない。とにかく私は確かに知っているのだ。一面の緑の草の海の上を、微風に乗ってゆっくりと運ばれて行く快楽や、まるで地球の自転そのもののように、次々と眼前ににせり上がって来ては後方に流れ去って行く大地の起伏を。月光に照らされた雲海の美しさを。そして急激に迫ってくる地面との激突の恐怖を。しかも不思議なことに、この「私は昔から知っていた」という確信は、今しがた、生まれて初めてもたらされたものなのだ。
 本書は、飛翔の夢の様々な原型を、宝石箱のように詰め込んでいる。そしてそこには墜落の夢も含まれている。われわれは、心地よいゆったりとした浮遊の夢から、急激な落下の感覚と共に目覚めることがないだろうか。ヴェルヌの飛行の夢も、そのようにして終わるのだ。気球のヴィクトリア号は、最後にセネガル川の上に不時着し、一瞬で急流に飲み込まれてしまうのである。以前も書いたが、ヴェルヌの小説の主人公たちは、必ず最後には未知の世界から住み慣れたわれわれの世界に帰還してくる。そして、彼らを冒険へと連れ出す様々な乗り物は、彼らを再び元の世界に連れ戻す使命を完了したとたんに、決まって跡形もなく破壊されてしまうのだ。というより、それらが破壊されることによって、主人公達は夢の世界から現実の世界への帰還を余儀なくされるのである。なぜか。それは、終わらぬ夢はないし、終わらぬ物語もないからだ。
 だから、われわれは目覚めた後、突如として実はこれらの乗り物こそが、夢そのもの、物語そのものであったことを知るのだ。ヴィクトリア号も、ノーチラス号も、アルバトロス号も、スクリュー島も、ロケット弾も、実は空間の中を移動する物体ではなく、一つの世界全体だったのである。これらの心地よい小部屋の周りに、全宇宙はパノラマのように投影され、ぐるりと一回転したのだ。つまりそれらは、最後に破壊されることによって、逆説的に己の存在を、全宇宙に拡大するのである。いや、己の中に全宇宙を飲み込んでしまうといった方がよいのかも知れない。重ねて強調すれば、われわれがその小宇宙の全体像を知覚するのは、夢の中ではなく、あくまで目覚めた後、物語が終わった後、それら海や空を駆ける機械が破壊された後である。このフラッシュバックに似た全体的な知覚のありかたを、あるいは批評といっても良いのかも知れない。とにかくヴェルヌは夢を知っていただけではなく、覚醒がどのようなものなのかもよく知っていたのだ。物語はその終わりを、夢は覚醒を必要とする。

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原書(エッツェル版)の挿絵。 雲の中の蜃気楼。
Cinq semaines en ballon: voyage de découvertes en afrique par trois anglais 1863
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『朝日の中の黒い鳥』
ポール・クローデル 内藤高訳 講談社学術文庫 1988年


 著者はかのカミーユ・クローデルの弟である。彼は1921年から1927年まで大使として日本に滞在した。本書はその時の印象を記したエッセイをまとめたものである。ちなみにタイトルの「朝日」は日本、「黒い鳥」はクローデルのことである。クローデルは「黒鳥」と自分の名前の音の響きがよく似ていることに親近感を抱いていたという。
 ところで、「外国人の見た日本」なるものから我々が得るのは、決して新たな角度から見られた自己イメージなどというものではない。それらは鏡を提供するわけではないのだ。例え観察者の文化的背景によってエキゾチックに、あるいはグロテスクに歪められた鏡を想定するにせよである。
 いずれにしても鏡=反射という概念は、光の透明な等価交換を前提とし、同時に限界としているのである。反射率120%の鏡など存在しないからだ。この考えからいえば、鏡たる観察者の反射率が高いにせよ低いにせよ、そこに映し出される像は、実物に対して常にいくぶんかの減衰を生じることになる。 つまり、そこでは仮想された100%の真実に対して、どれだけ正しく、またはどれだけ誤っているかが問題とされるのだ。
 しかし、本書で起こっていることは、そうした真偽の体系とは何の関りもない。ここに現れているのは、純粋なる観念の力とでもいうべきものなのだ(これはバルトの『表徴の帝国』についてもいえることだと思う)。
 クローデルは能について書かれたエッセイの冒頭で、こう断言する。

 劇(ドラマ)、それは何事かの到来であり、能、それは何者かの到来である。(117頁)
 さらに、地謡はこのように捉えられる。

 その声は、まるで夜、野を渡る声、自然からの無形の呼びかけのように、広大な空間と隔たりとの異様で劇的な印象を与える。あるいはまた、それは人間の言葉になろうとして暗闇の中で努力する動物の叫び声、発せられては絶えず裏切られるあの声、絶望的な努力、苦痛に満ち定まることのない証言ともいえよう。(119頁)

 これらが果たして事実に照らして正しいか誤っているかは問題ではない。 事実の表土の地下深くに真実が埋もれているすれば(真実は、その相補的存在として虚構や誤謬や嘘も含んでいる)、これらの言葉は重力のくびきを遁れて、いわば事実の上空を舞っているのである。
 重ねて強調すれば、それらをフィクション=虚構と見なすのは不正確である。なぜならそれらはある時、真実=虚構の地下のシステムと正反対の位置から、すなわち座標を欠いた輝かしき天空から、獲物めがけて急降下する猛禽類のように、暴力的かつ理不尽に地表の事実に「折り重なり」、瞬時のうちに、その事実そのものを、どことも知れぬ場所にさらってゆくからだ。
 その意味でそれらは「実在する力」である。
 つまり、日本人にせよ、西欧人にせよ、この書を読んだ後、能の見方がわずかなりとも変容しないとは考えられない(とは言え、私はまだ能は見たことがないのだけど)。

 ふと、昔ドイツ文化センターで見た、フリッツ・ラング監督のサイレント映画「ハラキリ」を思い出す。いわゆる「国辱映画」なのだけれど、あそこにも、美しき誤謬に彩られた、純粋な観念としての日本があった。
 おそらく大西洋岸で撮影されたと思われる日本の浜辺の風景に、紛れもない日本の太平洋岸のうらうらとした陽光が降り注いでいて、あれはどういう魔法だろう。
 未知なる何かへの強烈な郷愁。

2005/06/22

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おまけ:これも同じ原書の翻訳本です。講談社学術文庫版にないエッセイを収録していたりもするのですが、いかんせん題名と装丁にセンスがない。
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 今日の収穫。
 JR線 I 駅近くの古ぼけた店にて。

『夢と夢の間』 
後藤明生 集英社 1978年初版 1000円
『ブヴァールとペキシェ』(上)(中) 
フロベール 鈴木健郎 訳 岩波文庫 1988年 各200円


 さて、下巻とのめぐり逢いはいつになることやら。
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『ヘンリー・ミラー全集 第8巻 マルーシの巨像』
幾野広 訳 新潮社 1966年


 ミラーは大戦が勃発した1939年にギリシアを旅している。
 これはその記録である。
 しかし、自ら「賢明な人間は旅に出る必要がない。虹の端に金の壷があると思って探しに出掛けるのは馬鹿者だけだ。(・・・)航海は人間の内部で成し遂げられる。そして最も危険な航海は、言うまでもなく、現在いるところから一歩も動かずに行われるものなのだ」と書くミラーの手になる書物が、観光ガイドとも歴史探訪とも風土記ともなりえないのは言うまでもないのであって、読むものは「私の前にはもはやどんな目標もなかった――私は<進路>と一つになった」と語るミラーと共に、かくかくの地理上の土地ではなく、「新しい精神の緯度と経度の中への前進」を行うのである。
 だが、ここに綴られているのは決してミラーの個人的な心象風景ではない。彼が踏みしめるのはあくまで現実の土地である。ただミラーは大抵の旅行者とは異なり、異国の風景の向こうに、何か新しいものや、何か価値のあるものをうろうろ探したりはしないのだ。彼の視線の元では、「他のどこか」ではなく、「いま、ここ」が、単にいま、ここにあることが、目も眩むような神性を帯びることになる。ミラーは場所Aと場所Bの間を移動する観察者ではない。彼はあらゆる瞬間に満たされている。彼は植物的な存在なのだ。飢えを満たすためにあちこち放浪するのではなく、いかなる瞬間にもその場に降り注ぐ光から滋養を受け取るのである。
 ミラーはだから、人間がどこか他の所にある何かを欲望してしまうことを、ことあるごとに激しく糾弾する。この書物は、アメリカ批判、文明批判としての一面を持っている。そしてそれは、我々の際限のない欲望、我々の埋められることのない空隙、我々の行き場のない精神の放浪に対する批判に他ならない。
 ミラーはアテネで巧妙かつ執拗に金をねだる寸借詐欺師を頑固に撃退した後、何の卑下もなく率直に手を差し出した乞食に250ドグラマ(結構な金額らしい)を手渡し、こう続ける。
 「求めよ、」とわれらが主、救世主イエス・キリストは言った。「されば与えられん」。求める(訳文では傍点)、それが大切なことだ。強要するのでも、哀願するのでも、甘言を弄するのでも、煽てるのでもない。きわめて簡単なことだ、と私は心の中で言った。簡単すぎるほどだ。とは言え、それ以上の方法があるだろうか。

 ・・・難しいよ、バカ。

2005/06/17
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『ふらんす物語』
永井荷風 新潮文庫 昭和43年改版


 長らく荷風は読まず嫌いだった。いわくキザで身勝手な感傷家。
 モテない貧乏人のヒガミもあったろう。ヒガミというか、何だかこういうスマートでダンディでデカダンな人は理解不能というか、正直ちょっと怖かったのである。
 その点同じデカダンでも、安吾や太宰はスボンと靴下の間からちょっとスネ毛が覗けるようで安心できる。その安吾がどっかで荷風を全否定していて、それを鵜呑みにした私は、安心して荷風を無視していたのである。
 しかし、本書を読み終えた私は今、他愛もなく「一生ついていきます!荷風先生!」などと口走っているのだから、人の心は頼りないものである。
 素晴らしいです。『ふらんす物語』。荷風は、明治の父権的風土の中で花開いた、稀有の独身的存在とは言えないか。例えば鴎外の「舞姫」と荷風の「雲」とを比べてみればよい。両者ともに女性に対する専横的で残酷な振る舞いが主題になっているが、その残酷さの質がまるで違う。

 恋の成功とは此(かく)のごときものか、吾々の若き血が、嘗て羨み、望み、悶えたる、空想の実現とは此の如きものか。吾々が、その作りし空想の影に惑わさるる事も又甚だしからずや。われにして若し彼女に死せよと云わば、彼女は喜んで死するやも計られず。されどかくまでにして、自己の威力について確信するも、又何の興味かある。空想、成功の実現は、失敗の恨みより、更に更に大なる悲哀と落胆とを感ぜずばあらず………。(「雲」より。145頁)
 
 成功などした覚えがない私が、「うんうん、そんなもんだよなあ」などと通勤ラッシュの電車の中で相槌を打っているのだから、文学は恐ろしい。人の心は信用できない。中でも最も信用ならないのは自分の心である。そしてこの作品集を貫いているのが、正にそうした恐ろしさ、寂しさなのだ。

 「雲」の他に強い印象を受けた短編に、小文集「橡の落葉」中の「墓詣」がある。
 これはトリュフォーの映画そのものです。トリュフォーの映画が、彼がデビューする半世紀以上も前に、一人の東洋人の筆によって撮られてしまっていたことを一体どう解釈すればいいのだろう。 しかもここに登場する荷風自身は、まぎれもなくジャン・ピエール・レオーによって演じられているのだ。そうとしか思えない。この不可思議。

2006/02/16
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『蒲団・一兵卒』
田山花袋 岩波文庫 1972年改版


 『蒲団』。頑張っている小説である。日本人的に頑張っている。この頑張っている感じは、ちょっと前に読んだ藤村の『破戒』にも通じているように思う。
 この二つの小説は、言わずと知れた日本の自然主義文学の嚆矢にして代表作である。今、えらそうに「言わずと知れた」などと書いたが、私はこの年まで『蒲団』も『破戒』も読んだことがなかった。「自然主義」なるものがいかなるものかをおぼろげながら知ったのもごく最近である。中村光夫の著作をなんとはなしに読み始めて、なるほど日本文学史上そんなに重要な作品なのか、どれ読んでみようと手にとったのがこの二冊だったという次第。いわば「お勉強」のための読書である。普段はこういう読書はしない主義である。だから読み始めた最初から何となく居心地が悪い。そもそも中村光夫は『蒲団』に対してかなり批判的な立場を取っているのでなおさらである。
 話は変わるが、私は全くのスポーツ音痴である。自分でもやらないし、テレビでも観ない。特に野球など何が面白いのかさっぱりわからない。たまたまテレビをつけて野球の中継をやってたりすると、ちょっとの間ボーっと眺めた後にチャンネルを変えてしまう。すぐ変えるのではなくちょっと間があるあたりに、むしろ自分の野球への無関心さが現れているように思うのである。で、その見るともなく見ている刹那の時間にいつも感じるのは、選手の動きがまるでかっこよく見えないということだ。こんなことを書くと野球ファンには顰蹙を買いそうだが、何と言うのか、操り人形のようにぎくしゃくして見えるのである。重心が自分の体の中にはなく、どこか外にあって、その外部の重心にむりやり引き摺られているような感じだ。ちなみにこの印象は野球だけではなく、サッカーだろうが陸上だろうが、日本人選手の動き全般がそんなふうに見えてしまう。何か無理して型にはまって頑張ってる感じなのである。
 ところが、これもたまたまテレビをつけたときにチラッと見たことのあるメジャーリーガーたちの動きの印象はガラリとちがう。素人感想だが、フォームは日本人の選手に比べていくぶんいい加減な気すらするけれども、確かに「自分で動いている」ように見える。ちゃんと身体が、その動きの主人になっているのである。
 こんな関係のないことを長々と書いたのは、『蒲団』を読んでいるときに感じた窮屈な感じが、まさに夏の甲子園のイガグリ坊主たちの、バネ仕掛けのように律儀なスライディングを連想させたからである。
 「自然主義」だと言う。「此の一篇は肉の人、赤裸々の人間の大胆な懺悔録である」(島村抱月。この言葉は、『蒲団』擁護論として有名な文句らしい)と言う。たしかにそこには、妻子ある中年作家の若い女弟子に対する人目はばかる煩悶がこれでもかとばかりに暴露されている。しかし私は、その告白を強いる力そのものには、いささかの「自然」も「肉」も感じることができないのだ。告白が、内的な圧力に耐えかねて抑えきれず、自ずから迸り出て歌となっているのではなく、不自然な理知の力が、こわばった自白を強いているようにしか見えない。
 その不自然な力を一言で言えば、それは花袋そのひとの「文学的野心」ということになるのかも知れない。で、この時代は、どうやら「文学的野心」=「文壇的野心」といってよいようなのである。
 ちょっと長くなるが、ここに花袋自身の言葉を引いてみる。花袋は、日露戦争直後の社会の活気が文壇にも及んで、藤村の『破戒』や国木田の『独歩集』が世の喝采を呼んだことを述べた後、こう続ける。

…『ようやくわれわれの時代になって来そうだぞ。』こう国木田君は笑いながら言った。
 私は一人取り残されたような気がした。戦争には行って来たが、作としてはまだ何もしていない。小諸から出て来て、大久保の郊外で、トタン屋根の熱い下で、袒(はだぬぎ)で島崎君が努力した形などを見て知っているので、ことに堪らない。何か書かなくちゃならない。こう思って絶えず路を歩いていても、何も書けない。私は半ば失望し、半ば焦燥した。
 ところへ『新小説』から頼みに来た。
 『書いて見ましょう。』
 私は息込んで言った。
 私は今度こそ全力をあげなければならないと思った。社へ往復の途中、新たに開けた郊外の泥濘(どろ)深い路を、長靴か何かで、いかに深く製作のことについて頭を悩ましたであろう。あれでもないこれでもない。こういうふうに考えて打ち消し、打ち消しては考えた。


 要するに、花袋を悩ましていたのは「人生の問題」ではなく、もっぱら「文学の問題」だったのだ。
 中村光夫は『風俗小説論』において『蒲団』を槍玉にあげている。中村は、作者の田山花袋と主人公の竹中時雄を同一視した上で、「主人公は作品と同じ幅に拡がってしまひ、しかも作者と主人公はたえず同一視されるため、作品全体が結局作者の『主観的感慨』の吐露に終わってしまふ」と述べている。これは、この作品がきっかけとなって分断の主流をなすに至った「私小説」全体への批判でもある。しかし、この批判はある意味で、自らも「文学=文壇」の思考回路に捕らわれているとは言えないか。なぜなら、作中の作家である竹中時雄は、決して『蒲団』を書いたりはしないだろうからだ。
 本質的な問題は、花袋をはじめとする明治の文人達をこうも駆り立てた「文学」とは一体何だったのかということだと思う。
 上の引用でもちょっと触れられていたが、島崎藤村が『破戒』を執筆したときの悲壮なありさまは、感動を呼ぶというよりは、ちょっと人を鼻白ませる体のものである。彼は、教師を辞めて東京に出てきて、奥さんは栄養失調で夜盲症になるわ、子供はバタバタ死んで行くわという極限状況を背水の陣として処女長編を書き上げるのだ。そして花袋は花袋で、自分の最もプライベートな内的生活を「文学」にささげてしまう。これはもう『アストロ球団』の世界である。
 おそらく、それが明治という時代だったのかも知れない。必死で白球を追う高校球児たちの祖祖父たちも、必死で西洋を追い、必死で文学を追っていたのだろう。ムリしてるのだ。みんな。おつかれさま。
 後藤明生の『小説―いかに読み、いかに書くか』では、そのムリさかげんの一端が別の視点から明らかにされている。ロシア文学においては、近代ロシア文学が産声を上げたのは、首都ペテルブルグが建設されてから百二十年後だそうだ。つまり、それを明治元年とすると、プーシキンの『オネーギン』が書かれるのは、なんと1988年まで待たねばならないことになる。
 後藤はここで、明治19年に発表された二葉亭の『浮雲』がいかに先駆的な仕事であったかということを強調する。ちなみに『破戒』と『蒲団』が発表されるのはそれぞれ明治39年と40年である。二葉亭も明治人らしく必死で頑張った。しかしその頑張り方は彼の後輩とは全く違う方向でなされた。つまり花袋や藤村と違って、二葉亭はまず人生や世界と格闘して頑張ったのであって、彼にとっては文学は目的ではなく手段に過ぎなかった。
 二葉亭四迷の試みが全く孤立したまま挫折し、その20年後の「文学至上主義者」たちが近代文学の直接の源流となったことは、ある意味で非常に日本的な現象だと思う。『浮雲』はいわば大陸的なのだ。その狙う射程はあまりに遠く、あまりに茫漠としている。ここまでが人生、ここからが芸術、といった線引きがないのである。一方『蒲団』はわかりやすく、追随しやすい。そこでは「芸術」が一つの確固たる聖地となって、外界から区別されているからだ。甲子園球場のようなものである。かくしてイガグリ坊主どものご先祖様たちは、文壇という閉ざされた世界の中で、必死で白球ならぬ文学を競って追いかけることになる。そして私はそういう日本が嫌いである。これは批判ではない。単に嫌いなのだ。だから『蒲団』も『破戒』も嫌いである。高校野球も嫌いである。それらは皆、不自然で神経質で心の底からの笑いがない。

付記:

『一兵卒』は、こうした明治という狂騒する巨大な歯車にひき潰される無名人を描いてちょっと面白いです。個人的には『蒲団』よりも上だと思う。

2005/12/22
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『破戒』
島崎藤村 新潮文庫版 昭和62年改版


 正直好きな小説とは言えないし、貶そうと思えばいくらでも貶せる気はする。
 主人公の小学校教師、丑松を取り巻く人物たちが、善玉も悪玉も男も女も皆類型的で影が薄い。被差別部落の出身者である主人公の葛藤も、島崎が手本にしたとされる『罪と罰』のねちっこさに比べればどこか通り一遍な気がする。でも、はっとさせられた所が一つだけある。それは最後に主人公が自分の出身を周囲に明らかにする場面である。
 彼は、同じく部落出身者である思想家、猪子を敬愛している。猪子は「我は穢多なり」と自らの著作の冒頭で宣言するような人物で、丑松は、その堂々たる生き様と壮絶な死に様を目の当たりにする。その死が丑松にカミング・アウトの決心をつけさせる。
 こういう物語の流れ上から見れば、彼は「俺は穢多だい!文句あるか!」と啖呵でも切りそうなものである。ところが彼はまず、教室で教え子の児童たちに向かって、「今まで騙して悪うございました、私は卑しい穢多でございます」と土下座してしまうのである。なんじゃそりゃ。
 直ちに思い浮かぶのは、殺人を告白して大地に接吻するラスコリーニコフの姿である。島崎は明らかにこの有名なエピソードを意識している。それにしても、丑松が今まで自分の身分を隠して生きていたことは、果たして「罪」なのだろうか?彼の身振りはあまりに不自然で、到底読む者の共感を得られるとは思えない。
 しかし私はここに、単なる一個の作中人物の行動を超えて、作者本人の自意識の身振りを見るのだ。感動的なのは、心理的ないしは劇作的な整合性を置いてきぼりにしてまで、主人公に性急に土下座をさせてしまう島崎藤村自身なのである。日本の被差別者の取った行動は、あるいはロシアの殺人者の猿真似に過ぎないのかも知れない。しかし彼らの造物主である藤村とドストエフスキーは、小説を書くという行為そのものにおいて、もっと深いところで通底し合っているように思うのだ。
 島崎自身は部落出身者ではない。彼は、自意識の牢獄とでも言うべき自らの内的な状況を、主人公の置かれた社会的状況に重ね合わせているのだ。そのことによって丑松は、他の傀儡じみた人物たちとは異なり、辛うじて血の通った人間たりえているのである。それはドストエフスキーが『地下室の手記』や『罪と罰』の主人公に託したものと同質である。ラスコリーニコフが永遠の青年像たりえているのは、殺人という罪を犯したからではない。彼は、それ以前に孤独という名の許されざる原罪を背負っているのだ。
 だとすれば、丑松とラスコリーニコフが同じような行動を取るのはさほど不思議なことではない。ここで起っているのは、いずれも内的エネルギーの発散、文字通り「大地=アース」による魂の放電現象である。
 島崎もドストエフスキーもこう言いたそうだ。

「私があまりに高みに立ちすぎて、本当に申し訳ない。私は孤独によって生かされているが、一番憎むのもこの孤独というしろものなのだ。私は喜んで君らの元に降りて行こう。地べたに顔をこすりつけよう。高みにあることは、恐ろしい呪いであり罪なのだから。小説を書くということは、天空から大地に至る重力の仕業なのだ」

2005/10/18
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『平凡』 
二葉亭四迷 新潮文庫 昭和43年


 途中までは、何となく『更級日記』のことを思い出しながら読んでいた。
 『更級日記』は、平安の地方官吏の娘である作者が人生の晩年にあって自分の一生を振返るというもので、田舎の「文学少女」が憧れの京に上がり、宮仕・結婚・出産・子育てと、浮世の波にもまれるごとに現実的なオバサンとなって行く様が綴られている。
 一方『平凡』は、若いころ新進気鋭の作家として立ったが、今は小役人としてあくせく働いている中年の作者が、自分の半生を苦く思い出す、というもの。
 この2作品を並べたくなったのは、もっと恣意的な理由もある。前者は、幼いころ飼っていた猫の死について語っていて、後者は犬の死を語っているのである。両方とも、全体の中で、一番美しいくだりと言ってよいと思う。

「・・・四月の夜中ばかりに火の事ありて、大納言殿の姫君と思ひかしづきし猫も焼けぬ」

 住み慣れていた自分の家が全焼して、引っ越さざるを得なくなったのに、作者が一番悼んでいるのは猫のことなのである。

「そのやっぱり犬に違いないポチが、私に対(むか)うと・・・犬でなくなる。それとも私が人間でなくなるのか?・・・何方(どっち)だかそれは分からんが、とにかく互の情熱情愛に、人畜の差別を撥無して、渾然として一如となる。
 一如となる。だから、今でも時々私は犬と一緒になってこんなことを思う。ああ、侭(まま)になるなら人間の面の見えぬ処へ行って、飯を食って生きてたいと。
 犬もそう思うに違いないと思う。」


 『平凡』は朝日新聞に二ヶ月ほど連載されたものだが、全61章の内10章がこのポチと出会いから、ポチが犬殺しに殺されるまでの思い出に割かれているのである(これは作者の幼いころの思い出ということになっているが、解説によれば、事実は、ポチは作者が30越えてから飼いはじめた犬らしい。これはこれで悲哀をさそう)。
 しかし、平安女の『更級日記』と明治男の『平凡』とが似ているのはここまでで、社会人デビューしてからの両者の筆致はかなり異なってくる。『更級日記』の作者は全ては夢よという諦念で後半生を振返っているのだが、二葉亭にとっては、青年期は未だにうずく生傷なのだ。自分の青春期への呪詛、文学への呪詛、不当なほどの自己卑小化、本書の後半は、ほぼこういうものだけで占められていて、とにかく生臭い。
 二葉亭が46歳で客死したのが明治42年で、連載が明治40年だから、本書は二葉亭が四十四、五歳のころの作品ということになる。自己の青春時代を毒づくさえない四十男。つまり、かっこ悪いのである。でも、その煮え切らないかっこ悪さと生臭さがなんとも良い。好きです。
 最後に引用をもう一つ。

「近頃は自然主義とか云って、なんでも作者の経験した愚にも付かぬ事を、聊かも技巧を加えず、有のままに、だらだらと、牛の涎のように書くのが流行(はや)るそうだ。好い事が流行る。私もやっぱりそれで行く。」

2005/07/19