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百万円落ちてたりとかしないかしら。
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 友人とK市で飲んだ後で、ギリギリの終電で何とかねぐらに戻ることができた。
 K駅でその友人と別れたときは、帰れないことを半ば覚悟していた。
 彼の家に泊まることもできたのだ。
 でも私は本能的に、乗換駅で終電を逃して路頭に迷うことを覚悟しつつ、友人に笑顔で手を振り、その駅からの最終電車に飛び乗ったのだった。
 友人、と言った。でも友人というよりは、二人のエゴイストが年に一二度、互いの孤独を確かめ合うために飲むだけの間柄なのかも知れぬ。別に彼がいなかったとしても生きてゆけないわけではない。それは向こうも同じ事だと思う。だから気軽に何でも話せるのである。
 私がおととい映画館で見た、ある映画について話が及ぶ。あまりにくだらなすぎて、このブログで感想を記すのも馬鹿馬鹿しいと判断した映画である。題名を『あんにょん・サヨナラ』という。それは日韓の歴史問題をテーマとしたドキュメンタリー映画だった。
 かわいそうな被害者がいる。それに対して頑張っている支援者がいる。戦争によってこれだけ人生を痛めつけられた人がいる。だから戦争は悪だ。それに対して手を携えて戦っている人々は、正しく、美しい。靖国神社で、自分の父親を強制的に兵隊に取られ、その父親は南京で帰らぬ人になったという韓国人のおばさんが、頼むから自分の父親を、靖国で祭るのはやめてくれと抗議する。それに対して右翼のおっさんが、朝鮮人はとっとと帰れと悪罵を浴びせる。「支援者」のまだ若い日本人女性が、金切り声で軍国主義への反対を訴える。もみ合いが起きる。双方頑張っている。でも全てが退屈だ。
 掘り下げるべき問題は、良心や謝罪や正義ではない。なんで右翼が情熱を燃やし、左翼が情熱を燃やすのか。なぜ人は人を殺すのか。なぜ人は人を愛するのか。なぜ人は悲しむのか。人間が生きるということは、どういうことなのかということのはずなのだ。ついでに言えば、善意と愛とは不倶戴天の敵である。
 韓国人のおばちゃんは、父親が戦死した南京を訪れる。南京大虐殺の記念館でショッキングな展示を見て悲鳴をあげる。父親が死んだとされる病院跡で大声を上げて泣き叫ぶ。私は決してそれを冷笑しようというのではないのだ。でも、私のはらわたの奥底から、言いようもない憤りが突き上げてくるのである。
 許し難いのは、そうした「あらかじめ答えがわかりきっている」状況を演出した製作者たちである。おばちゃんがカメラの前で泣き崩れる。そこに感傷的な安っぽいピアノ曲がかぶさる。次のショットは靖国に参拝する歴代首相の姿だ。ふざけるな。あまりに人間を馬鹿にした構成ではないか。大本営発表のニュース映画と何が違うというのか。こいつらは、被写体も、観客も、映画も馬鹿にしている。それが善意だと信じているのがなおさら救い難い。映像の本当の力も、映像の本質的な無力さも、何も知っちゃいない。その韓国人のおばさんと、「問題意識に目覚めた」日本人のちょび髭のおっさんがこの映画の主人公なのだが、そのおっさんは、南京大虐殺の記念館の展示を前に、あろうことか涙を流して「ごめんね」などと口走るのだ。なんと醜い光景だろう。お前ごときが「ごめんね」なんて涙を流したところで、一体何が変わるというのだ。こいつらは、人間の悲しみにたいして、徹底的に傲慢で不真面目だ。悲しみや絶望は、善意や反省ごときでどうかなるものではないのだ。ならばハンパな善意でうやむやにごまかすよりは、死ぬまで憎み続ける方が正しいのだ。所詮人が生きている限り、人は傷付け合うのだ。
 だから平和を本気で願うならば、むしろ血みどろの不断の闘争を戦わねばならぬ。常に戦略的であらねばならぬ。署名運動やら、憲法第九条やらに頼ってる時点でお前らはダメダメだ。人間が生きてる限り、これで全てが解決するなんていうアオイのモンドコロなんて存在しないんだ。平和主義者こそ、第九条を捨てねばならぬ。平和を疑わねばならぬ。正義と善意のゆりかごから巣立たねばならぬ。大人になれ。左翼が何よりも自国の平和を願うならば、とりあえず米軍に頼ればよいのだ。右翼が国家の真の独立を願うならば、沖縄の米軍基地撤退を先頭に立って主張すべきなのだ。左翼も右翼も頭が悪すぎる。もっとモノを考えろよ。クズども。
 と盛り上がったところで、ノンポリ無産階級エゴイストの二人はどちらともなく「そろそろ」と言って居酒屋を後にしたのだった。乗換駅で奇跡的に乗り継ぎに間に合い、路頭に迷わずに無事アパートに帰り着くことができた幸せをかみ締めつつ、駅からアパートまでの一キロあまりの道を歩く。
 雨が降っている。傘はない。でも細く暖かく肩に頭に降りしきる雨はいつになく優しい。自然は平等だ。目の前に、闇の中、うつむきかげんに傘を差して家路にむかうおっさんの後姿がある。おなじ道を歩いている。その姿を、アスファルトに照り映える水溜りを、全てを、携帯のカメラで撮影したいのだが、あいにくバッテリーが空なのだ。雨が降っている。私は生きている。
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 わーい、祭りだ祭りだ。
 T駅とK駅の間にて
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『花と怒濤』

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『肉体の門』

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『俺たちの血が許さない』

以上全て
鈴木清順 監督 日活 1964年


 1964年に製作された三本の清順映画。
 中でも一番気合が入っているのが『肉体の門』である。清順はこの映画の撮影中一睡もしなかったらしい。ちなみに日活時代の清順の作品の中で、私が一番好きなのはこの作品かもしれない。そして三本の中で一番分裂症が進んでいるのが『俺たちの血が許さない』である。
 乱暴な分類かも知れないが、清順の映画は、清順にとって思い入れのある脚本で撮られたものと、そうでないものとの二つに分けられるのではないか。そして、『肉体の門』や『悪太郎』などが属する前者と違って、後者の『関東無宿』や『俺たちの血が許さない』といった作品群については、単独の作品分析などはあまり意味をなさないような気がする。それらの作品の各々のディテールは、それらの個々の作品世界に属するというよりも、より茫漠たる虚空に向かって、それぞれ自分勝手に彷徨い出してゆくように見えるからだ。
 それら凶暴な分裂症の記号群はしかし、程度の差こそあれ、「真面目に」撮られた『肉体の門』にも確かに存在している。例えば唐突に画面にオーヴァーラップされる、紙の鬼の面をかぶった宍戸錠などがそれである。その後野川由美子によって、幼馴染が学芸会で鬼が島の鬼を演じた思い出などが語られ、そのイメージの意味が一応納得されるのだが、とにかくその画面が出現した瞬間には、全く得体が知れないのだ。
 あるいは『花と怒濤』で、小林旭の背後に置かれていた神興が無人のままに唐突に動き出す場面を思い起こしてもよい。その場面の直後から回想が始まり、そこでは祭りの日、威勢良く神興を担ぐ小林旭の姿があるので、その前の神興の動きは、その回想場面へのブリッジであることが分かるのだが、小林旭の背後で神興がのっそりと動き出す瞬間に背筋にぞくっとくる感覚は、恐怖映画のそれに近い。
 それらの瞬間に何が起こっているかといえば、記号が誕生したのだとしかいいようがない。まだ名づけられていない、のっぺらぼうの、物質的存在としてだけある、裸の記号である。それらの記号は、その前後の記号と過不足なく連携して線形の連なりを形成するにはあまりに無垢で荒々し過ぎるのだ。だから、それら原初の記号群のアナーキーな連鎖は、決して一個の作品としての総体を形成することなく、悪夢に似た無方向な拡散ぶりを見せるのである。この事態を清順的「スタイル」と呼ぶのは、皮肉や反語にすらならないだろう。
 だから『俺たちの血が許さない』で、高橋英樹と小林旭が車中で会話を交わす時に窓の外で荒れ狂っていた怒涛は、単なる心理描写や美学には到底おさまりがつかない凶暴さで作品の外部に溢れ出すのだ。しかしこの場合の「作品」とは?「外部」とは?それを知るために、清順の世界にさらに深く分け入ってゆかなければならない。

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『悪太郎』
鈴木清順 監督 日活 1963年


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『関東無宿』
鈴木清順 監督 日活 1963年


 相次いで作られた作品ながら、なんとも対照的な二本である。『悪太郎』は清順らしい才気が随所に見られるものの、基本的にはオーソドックスに演出された青春映画である。一方『関東無宿』は任侠映画のふりをした怪奇映画とでもいうべき代物なのだ。もっともこの場合の「怪奇」とはジャンルとしての怪奇ではない。ただ伊藤弘子が玄関でうつむき加減に座っているだけで何か怖いのである。この女性もまた、『野獣の青春』の渡辺美佐子にはじまる「二重の女」の系譜にある。ちなみに『チゴイネルワイゼン』では、この玄関での仕草が大谷直子によってそっくりそのまま反復されていて、これもまた怖い。
 この怖さは何だろうか?『関東無宿』は小林旭主演の仁侠映画なので、幽霊などは出てこない。しかしここには時折、顔を奪われたのっぺらぼうのような記号がぬっと現れるのだ。座っている伊藤弘子もそうである。不気味に間延びした表情の江角英明もそう。女子高生の松原智恵子と進千賀子が銀杏並木で戯れるという、この手の映画には明らかに場違いなシーンも怖い。これらのイメージがわれわれに襲い掛かってきそうだというのではない。しかし、お化けは立っているだけで怖いものなのだ。そう、お化けは襲い掛かってこないからこそ怖いのである。われわれが目にするのは、仁侠映画というジャンルの裂け目からぬっと現れる、物言わぬ不能の記号群なのだ。おそらく清順は、この『関東無宿』で映画の諸ジャンルの間に横たわる真空地帯とでもいうべき領域を発見したのである。そこでは諸々のイメージはあらゆる文脈から切り離され、ただの物質的存在にまで還元された己を見出すのである。この鈍く、冷たい感触は恐ろしい。しかしこの震えこそが、おそらく感動と呼ばれるものなのだ。

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『探偵事務所23 くたばれ悪党ども』
鈴木清順 監督 日活 1963年


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『野獣の青春』
鈴木清順 監督 日活 1963年


 鈴木清順と宍戸錠が初めてコンビを組んだ二本であり、清順の「美学」が最初に花開いた作品として誉れ高い。
 特に『野獣の青春』は、後年の『チゴイネルワイゼン』や『陽炎座』の世界と、既に地続きとなっている印象を受ける。つまり清順のフィルモグラフィーには、『野獣の青春』以前と以後の間で、一つの大きな亀裂が走っているように思われるのだ。
 しかしこの亀裂は、(一般にいわれているように)単にスタイルの変化で片付けられるものではないように思う。重要なのは、『野獣の青春』において、今までの清順作品には見られなかった全く新しい主題体系が浮上してきたということなのだ。むしろ清順のスタイルないし美学と呼ばれるものは、この新たな主題に奉仕するために生まれたのではないか。
 例えば赤・青・黄といった強烈な原色の使用は、決して色彩に対する清順個人の趣味を反映させたものなのではない。それらは皆、ある機能を担わされているのだ。それらは、各々の色彩の間に越えることのできぬ裂け目を生じさせ、一つのスクリーン上に複数の異質な時空を現前させることである。そして、その機能が奉仕する主題とは、一枚の膜=スクリーンを隔てて存在する二つの世界が、ついにどことも知れぬ曖昧模糊とした空間の中で一つに溶け合ってしまうというものなのだ。この一枚の紙の裏表であるような二つの世界が、この世とあの世の組合せであれば、そこには『チゴイネルワイゼン』の世界が現れるだろうし、それが夢=虚構と現実との対立となれば、『陽炎座』が出来上がるであろう。重要なのは、量産プログラムピクチャー監督である清順にふさわしく、それらの二項対立は常にとりあえず選択されたものに過ぎず、任意に交換が可能だということだ。だからそこには「この世」とは何か?「あの世」とは何か?「現実」とは何か?「虚構」とは何か?といった深刻さに装われた通俗的な問いが挟まれる余地は一切なく、見るものは、これらの世界の間を死を賭して越境する主人公達の血みどろのアクションにひたすら目を奪われるばかりなのだ。
 そう、『野獣の青春』は清順が初めて世に送り出した、真の意味でのアクション映画なのである。以前書いたように、これに先立つ時期の清順は「青春映画」の監督としてあった。その時期コンビを組んでいた和田浩治が担っていたのは、「運動の飛躍」と「無駄な運動」であったことも書いた。一方『野獣の青春』というタイトルにも関わらず、宍戸錠は既に青春期を脱した成熟した男性である。彼との出会いと共に、清順の映画を支配する運動=アクションもまた、新たな局面を迎えることになる。成熟者のアクションは、浸犯し、越境するのだ。
 この浸犯=越境のテーマは、映画の冒頭から、ごく分かりやすい形でそこここに顔を覗かせている。まず宍戸錠が演じる元警察官が、殺された同僚の復讐をするために身分を隠して暴力団に潜入するという物語からして、このテーマに相応しい。もっともそれ自体はこの種の映画の設定としてはありふれたものである。しかし清順の真骨頂は、使い古しの素材のプリコラージュにあるといってよい。

(まだ途中です。つづく)
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『うつうつひでお日記』 
吾妻ひでお 角川書店 初版発行日 2006年7月10日


 人類は偉大な書物というものを多数生み出してきたわけだが、その輝かしい歴史の中でごく稀に、書いてある内容以上に、その存在そのものがすごい、という書物が出現することがある。
 古くはサドの『ソドムの百二十日』から(読んだことがない人は、立ち読みでいいから一度「完訳版」をどのページでもよいので開いてみてください。イヒヒ)から、比較的新しい例でいえば山田風太郎の『人間臨終図巻』(古今東西の有名人の死に様が死亡年齢順に列挙されている。単行本で2巻、文庫本で3巻、1500ページ超の大著)まで、それらの書物は、読む必要すらなく、ただ書棚に置いてあるだけで、周囲に神聖にして禍禍しい魔力を発散するものなのだ。
 こうした魁偉な異形の書物群は、著者の人間離れした情熱や執念の結晶であることがほとんどだ。しかし『うつうつひでお日記』の孤高にして偉大なる歩みは、正にそれらの逆方向をゆくのである。
 本書には、2004年7月7日から2005年2月16日までの著者の日記が、漫画という体裁で途切れることなく綴られている。しかし延々200ページにわたるその内容は、何を読んだとか、図書館で何を借りたとか、仕事が2ページ進んだとか、昼食に何を食べたかとか、眠れないので睡眠剤を飲んだとか、不安の渦に巻きこまれて抗鬱剤を飲んだとか、半ば引きこもりの著者の、とにかく何の落ちもカタルシスもない日常の繰り返しなのだ。
 ためにするラディカリズムなのではない。本書は自費出版の形で限られた読者を相手に細々と続けられてきた「絵日記」をまとめたものである。このささやかな日々の作業が、そのまま著者の「生」そのものであったろうことは想像にかたくない。ところで「生」とは必ずしもポジティブな概念ではない。どんな輝かしい生にも、徒労、無駄、繰り返しといった巨大な灰色の領域が、殆ど物質的なまでに、否応もなく存在するものである。ある意味圧巻なのは、ほぼ全てのページに何の脈絡もなく挿入されている、セーラー服姿や半裸の少女のイラストである。元祖ロリコン漫画家(!)である著者の日常と平行して、無意味かつ無限に再生産されるこれらの人形たちは、おそらく生きるということのある側面を無言のままに語っているのだ。物質と化した生。それが偉大な作品の条件である。ゆえに『うつうつひでお日記』は永遠の書物となるのだ。
 本書に引用されている短歌。
「サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい」(穂村弘)
 本書の放つ負の輝きは、この象のうんこに案外近いのかも知れない。
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『ハイティーンやくざ』
鈴木清順 監督 日活 1961年


 川地民夫主演のモノクロ映画。『百万弗を叩き出せ』と『俺に賭けた奴ら』の間に撮られた作品である。
 新興住宅地の開発が急ピッチに進む地方都市がこの作品の舞台である。しかし随所に登場するダンプの群れは、いかなる社会的な意味も担わされることなく、ただひたすら画面狭しと地響きを立てて往来するだけなのだ。それは登場人物たちも同じ事である。彼らは確かに怒ったり泣いたり笑ったり殴りあったりはするのだが、それらの行動は全て意味も感情も脱色されて、ダンプの走行と何の区別もつかない無機質な運動と化している。ヒトはモノである。人生もまた、良い人生や悪い人生であるまえに、単にごろんと丸太のように転がっているモノなのではあるまいか。
 全くもってすがすがしい映画である。
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『百万弗を叩き出せ』
鈴木清順 監督 日活 1961年


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『俺に賭けた奴ら』
鈴木清順 監督 日活 1962年


 鈴木清順=和田浩治コンビの最後の2本。両方ともボクサーものである。日活の男性スターは、必ず一度はボクサー役をあてがわれたというので、企画としてはありふれたものだったのだろう。下の記事を書いて燃え尽きてしまったので細かい感想は割愛するが、『百万弗を叩き出せ』は『峠を越える若い風』と同様に金子信雄が素晴らしい。和田の演技も初期の臭みが取れて朴訥でよい。野呂圭介も泣かせます。『峠…』と並ぶ青春映画の隠れた傑作。相米慎二のデビュー作『翔んだカップル』には、この作品の香りがはるかに受け継がれている気がするのだが。
 『俺に賭けた奴ら』では、次作品の『探偵事務所23』から始まる清順黄金期が既に頭をもたげ始めている。

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『散弾銃の男』

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『峠を渡る若い風』

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『海峡、血に染めて』

以上全て
鈴木清順 監督 日活 1961年


 この3作品の中では『峠を渡る若い風』が圧倒的に素晴らしい。ちなみに『散弾銃の男』は二谷英明主演のいわゆる日活無国籍アクションで、『海峡、血に染めて』は和田浩治扮する新入りの海上保安庁職員が密輸・密航組織を相手に立ち回りを演じるというもの。
 一方『峠を渡る若い風』は、放浪学生の和田浩治と旅芸人の一座との交流を描いたものであり、いわゆる青春映画に分類される作品である。そして、この作品が、同時期に製作された他の2作品に対して示している優位は、もっぱらこの「青春」というジャンルに起因するものだと思うのだ。
 これは、後年の清順の作風と比べると、一見奇異なテーゼに思われるかも知れない。なぜなら、彼の日活時代の代表作と目される作品群は、例えば山根貞男のいうように、「登場人物の行動もセリフも、心情の流れを形づくることはなく、乾ききっていて無機質で、記号としてだけ展開され、画面は感情移入をいっさい排して、動きと形をのみ訴え出す」「そこではつねに、ジャンルを横断し無化してしまう記号とフォルムの運動が、圧倒的な豊かさを持つ賑わいをくりひろげるばかりである」(『日本映画テレビ監督全集』 キネマ旬報社 1988年 213頁)といったものだからだ。
 しかし、それら成熟期の作品の前史であり萌芽でもある一連の和田浩治シリーズにおいては、会社のお仕着せに他ならぬ、この青春というジャンルが、作家としての清順の形成に重要な役割を果たしたのではないかと思うのだ。そう、この短い過渡期における清順は、アクション映画の巨匠ではなく、まぎれもなく青春映画の名手だったのである。
 では青春とは何か?一言でいえば、それは運動の飛躍と無駄な運動に他ならない。両者はいずれにしてもある種の経済性からの逸脱として現れるのである。この場合の経済性とは、視線とそれが捉える運動との連携によって計られるものだといってよい。視線は登場人物のものでもカメラのものでも観客のものでもありうるのだが、青春の運動は、それらの視線に対して、つねに早すぎるか遅すぎるかのどちらかなのだ。そして『峠を渡る若い風』は、飛躍する不可視の運動が徐々にテンポを落とし、ついには視線から決定的に遅延することによって再び不可視の領域に至るまでの映画だといってよい。重ねて強調すると、この経済性からの逸脱は、清順個人の作家的資質によるものであると同時に、ジャンルとしての青春が、ぎりぎりのところで許容するものなのだ。ほぼ同時期に製作された「アクション映画」である『散弾銃の男』と『海峡、血に染めて』においては、清順の才能は基本的に視線とアクションとの過不足ない連携に費やされているのである。そしてその経済性は、もちろん商品としての映画の経済性に一致するのだ。この2作品の中で後期の清順の奔放さを連想させるシーンといえば、『海峡、血に染めて』の、 清水まゆみがワカメの中に顔だけ出して埋もれているショットくらいではないか。
 さて、『峠を渡る若い風』の冒頭では、田舎の駅にいかにも貧乏旅行中の学生といった風貌の和田浩治が降り立ち、無一文に近い彼がバスに乗車拒否をされ、巡業中の奇術師の一団をのせたトラックに拾われるまでが、わずか10カットほどでテンポよく描写されている。この浮き立つような画面の連鎖にあって、各ショットは時間と空間の連続性というよりは、それらの飛躍によって結びついている。この場面からだけでも、清順の才気は十分に覗われるのである。しかしこの作品に清順が賭けたものは、別な形で徐々に現れてくる。この映画の素晴らしさは、最初このように颯爽と登場した和田浩治が、結局ほとんど何も活躍せずに終わるところにある。これまでの一連の和田浩治主演映画にあっては、彼が持ち前のさわやかさと才気を武器に八面六臂の活躍をするのが一番の見せ所だったのだが、この作品にあっては、彼のさわやかさはただ無駄にふりまかれるばかりで、ストーリーの要である芸人一座の運命にはほとんど関わらないのだ。興味深いのは、ある映画検索サイトでこの映画のあらすじを読むと、そこでは主人公が立ち回りの末にヒロインを悪の手から救出したりして、定石どおりの活躍を見せていることである。そのソースがこの作品の原作本なのか当時のプレスリリースなのかは不明だが、実際の作品では、ヒロインは自力で自らの運命を切り開くのであり、主人公はあくまでその傍観者的な立場に止まるのだ。でも、この無為こそが青春というものではないか。そしてこの青春の無為を描くことが、B級プログラム・ピクチャーのローテーション監督だった清順の、本作品におけるささやかにして大いなる野心だったと思うのだ。
 この映画の最も美しい瞬間の一つに、指相撲の場面がある。団員同士のいさかいの仲裁に入った和田浩治が、怒り狂う力自慢の男をうまくなだめて指相撲の勝負に持ち込むのだが、二人は同時にどっかりと座敷に座り込み、それまでにらみ合う二人を真横から捉えつづけてきたカメラの視界の下に消えてしまう。しかしカメラは微動だにせず、ひたすら二人を見守る団員達の姿だけを見つめるのだ。この奇妙な間が、なぜこうも胸を締めつけるのかはうまく説明ができない。しかし明らかなのは、この感動は映画技法のシステムからの逸脱が生み出すものだということである。しかしこの逸脱は、何かの過剰によるものではなく、逆に無為や空白や間隙といった負の記号のなせるわざなのだ。『峠を渡る若い風』は決して自らの逸脱や奇型性を誇示したりはしない。この作品は静かな映画なのである。
 しかし、この静かなる逸脱の映画に最もふさわしい身振りを示す役者は、実は和田浩治ではない。それは、団員の一人をつけねらう流れ者のやくざを演じる金子信雄なのだ。普段は卑劣な悪役を専門としている彼は、人情味に溢れるこの役を、いくぶん照れくさげに演じているのだが、感動的なのは、彼がいささかもその存在を画面に誇示しようとしたりはせず、あくまで画面に穿たれた曖昧な空白として振舞っていることである。カメラはこの人物を殆どアップで捉えることをしない。金子信雄は、彼のトレードマークである、あの追いつめられたときの口をひん曲げたしかめ面を奪われ、かといって「いい奴」らしき小芝居をすることもなく、視線を素通りさせる負の記号として、画面の片隅で、つつましくフルショットからセミロングあたりのサイズに収まりつづけるのだ。ところで、清順の全フィルモグラフィーの中で、相当マイナーな位置にあるこの作品にも、比較的よく言及される場面が一ヶ所だけ存在する。それは、祭りの日に和田浩治と若い団員が決闘をするシーンで、和田が相手にカキ氷のシロップを何度も頭からかぶせられるとき、そのシロップの色に合わせてライトが赤・青・黄色に変化するというショットなのだが、その場面で最も感動的なのは、いかにも「清順らしい」と評されるその瞬間ではなく、もう少し後に訪れるのだ。それは、二人が笑い合いながらパターン通りの和解をする背後で、ほとんど素なのではないかと思われる、嬉しいようなはにかんだような笑みを浮かべている金子信雄の、すこしピンぼけぎみの立ち姿に他ならぬ。定石であれば、決闘の立会人として二人を見守る心優しきやくざの笑みを、一つの「記号」として最後にアップで示すべきところである。しかし金子信雄の笑みは、そうした視線と感動の経済学を逃れ、ただ背景の一部としてひそやかに存在しているだけなのだ。
 この映画には、こうした人目につかぬ間隙や空白が随所にちりばめられている。それらは何も意味しない。表現の経済学からすれば、それらは無駄なものでしかない。しかもその無駄は、意味のシステムに捕われた視線からは完全に逃れ去るがゆえに、ノイズや異物として意識されることすらないのだ。そこからは何も発せられはしない。逆に、それら不可視のささやかな亀裂を満たしに、われわれの思いがどっと流れ込むのである。映画の中の季節は夏から秋口にかけてである。最後に闇の中にひとり去って行く金子信雄の背後で、静かにこおろぎやマツムシが鳴いている。別にその場面に清順らしいスタイルがあるわけではない。ただの、匿名の瞬間だ。しかし、成熟期のスタイルをはぐくむのは、こうした青春期の匿名の空白ではないのか。当時すでに40に近かった清順は、あるいは和田浩治との出会いによって、その完成の時期の直前に、短い第二の青春を生きたのかも知れない。

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 早めに仕事が終わったので、関内駅で降りて伊勢崎モールをぶらぶらすることにする。
 今日は夜、年長の同僚であるK氏と二人で飲む約束になっているので、それまでの数時間をつぶそうというのだ。この通りには古本屋がぱらぱらと、6、7軒ほど散在している。
 しかし蒸し暑い。仕事帰りのスーツ姿なのでなおさらである。通りの奥に進むほど、古本屋は汚く、古ぼけてゆく。どの店も空調があまりよく効いておらず、外にいても内にいても、全身からいやな汗がカタツムリの歩みのように着実にじんわりと湧き出てくる。昨晩寝る前にぐいぐいと煽ったウイスキーがいまだに胃の腑から抜けきれていないこともあり、体調はよろしくない。
 伊勢崎モールは、1キロ以上にわたってにぎやかな通りが続いた後、どこで終わりということもなくだんだんと寂れていって、そのまま住宅街とも商店街ともつかぬ曖昧な町並がいつ果てるともなく延々と続いている。一番外れの古本屋から出た後、何とはなしにそのまま歩き続けることにする。まだたっぷり時間があるし、待ち合わせ場所も、ちょうどその方向に数キロも歩けばたどり着けるはずなのだ。
 その最後の古本屋を境にして、そこから先は私にとって未踏の土地である。通りはやがて、コンクリートに護岸された小さな川にぶつかって尽きた。高速道路の高架の下を流れるどぶ川である。橋の上からこげ茶色に濁った川面を覗くと、白くて丸いものがゆらゆらといくつも流れて行く。クラゲだ!この川にはクラゲが住んでいるのである。ふわふわと伸び縮みしながら、二匹、三匹と固まって流されて行くクラゲは、水面からほんの数センチ下を泳いでいるのに、極度に汚れた水のせいで、幽霊のようにおぼろにかすんでいる。この川は海に近いので、クラゲは干潮になると下流に押し流されてゆき、満潮になると再び川をさかのぼるのだろう。そう、ここは横浜なのだ。ある映画で、横浜は「ちびた小指とメルヘンの街」だと形容されていた。なるほどこの土地では、荒廃と詩情とが不思議な結びつきを見せているのである。
 クラゲは海のほうに流されていったが、私はどんどん陸の奥へと歩いていった。知らない街を歩くこと。多分、私が一番好きなことはこれなのだ。少なくとも本を読むことや映画を見ることよりも好きなことは確かである。この二つを始めるにはある程度の意志の力が必要とされるが、街を歩くときの私は、何の意志もなく、ただ視界の彼方に奥まって行く道々に吸い込まれるように、ふらふらと歩き始めるのである。そのときの私はゾンビに似ているのではないかと思う。ここしばらく、そんな機会にはとんとご無沙汰していたが、告白すれば、私が夜見る夢の大半は、知っているとも知らないともつかぬ街々を、古本屋を訪ねてひたすら彷徨うというものなのだ。考えてみれば情けない話ではある。私の無意識は、大空も大平原も大海原も求めてはおらず、何の変哲もない灰色の町並を好んでいるようなのだ。
 今日の私も、夢見ているときの私と区別がなかった。私はどんな平凡な風景の中を歩いていても、それが初めての場所でさえあれば、浮き立つような幸福感を得ることができる。もう蒸し暑さも重い胃袋も気になりはせぬ。私は羽毛のように軽く、いくつもの商店街や路地や大通りを流されて行く。私はこれらの風景に、何のかかわりも持たない。私は単なる目なのだ。だから私は、これら眼前を行過ぎる見知らぬ人生の見知らぬ舞台を、今しがた目を開いたばかりの新生児のように、純粋な光の塊として愛でるのである。何かの始まりだ。しかしその始まりは、私を含めた誰の人生にもかかわりを持たない。純粋だが、主語を持たぬ、役立たずの始まりである。でも私は、この役立たずの始まりを、一生愛して行くのだと思う。
 日が暮れて、ほぼ時間きっかりに待ち合わせ場所のG駅に到着する。K氏を待っていると、改札から上司のYさんが現れる。彼はこの近辺に住んでいるのである。後から合流するので、店が決まったら電話をくれと言って去る。やがて現れたK氏と共に適当な居酒屋の暖簾をくぐる。K氏は私より15歳年上である。92歳の父親が、今あぶなくて、今日明日にも緊急手術を受けるとの事。私がこんなところで飲んでてよいのかと聞くと、「もう生き過ぎたよ親父は。男はダメだね。役立たずになったらさっさと安楽死するべきだよ、男は。女は年取っても自分の身の回りのことはちゃんとやるけど、古い男は何もできないんだもの。お袋は親父の世話で先に参っちゃったんだよな」とつぶやきながら、あまり飲めぬはずのビールをちびちびすすっている。
 Yさん(50代、独身)がやってくる。職場にいる美人の既婚女性をめぐって話がはずむ。その人は結婚12年目だが、清楚な気品があり、職場の男性の人気者である。
K氏「でも、女は夜になると豹変するからね、ほんと」
Yさん「そりゃKちゃんの実体験で言うわけ?」
K氏「そうそう。だからさ。Hさん(私の名)も結婚するなら早く結婚したほうがいいよ」
私「そんなにいいですかね、結婚」
K氏「いいよ!俺なんて結婚したてのころは毎晩楽しみだったもの。今日はどういう体位でやろうかって。48手全部試したよ。中には難しいのがあるんだよな。座位とか、ウフフ」
 オヤジである。
 クラクラするほど濃厚なオヤジトークである。
私「アッハッハッ。おねえさん、生中おかわり」
 そういえば私もオヤジなのだった。


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『くたばれ愚連隊』
鈴木清順 監督 日活 1960年


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『東京騎士隊』
鈴木清順 監督 日活 1961年


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『無鉄砲大将』
鈴木清順 監督 日活 1961年


 鈴木清順はこの時期、和田浩治を主演に七本もの映画を撮っている。これはその最初の三本。
 ちなみに『くたばれ愚連隊』は清順の和田浩治との最初のコンビ作品であると同時に、最初のカラー作品でもある。
 これらの作品では、昨日見たデビュー直後の作品群に迸っていた鋭角の才気は一見影を潜めているように見える。かわってそこには正攻法の堂々たる演出がある。『くたばれ愚連隊』の時点で、清順は既に二十本弱の作品を世に送り出している中堅である。しかし一般に、清順はこの時期の直後、1963年に宍戸錠主演で撮られた『探偵事務所23』や『野獣の青春』あたりで真の自分のスタイルを確立したと言われているので、和田とコンビを組んだ時期は、その前の序走にあたると言えなくもない。
 じっさい、『8時間の恐怖』の殺伐としたモノクロ・スタンダードの画面を見たばかりの眼には、カラー・シネマスコープの(というか日活スコープの)『くたばれ愚連隊』は、眩暈をさそうほどの明朗さに満ち溢れている。石原裕次郎、小林旭、赤木圭一郎に続く「第四の男」と言われた和田浩治は、「小型裕次郎」の名の通り、若さと裕次郎に顔が似ていることだけがとりえの二流どころだが、このほどよい無個性さが、この時期の清順の作風と奇妙にマッチしているように思える。清順のスタイルは、この三作品のあたりで最も匿名性に近づいたのではないか。その中でも『くたばれ愚連隊』は、鈴木清順のトレードマークである視覚的特長が特に希薄で、この時代、週単位で大量生産されていたプログラム・ピクチャー群の一編として、何の違和感もなくおさまっているように見える。
 しかし匿名は決して凡庸を意味しない。むしろ映画の持つ豊穣さの本質は、この匿名性の中にあると言ってよい。映画におけるあらゆる個性は、匿名の大洋の中の一滴として生まれ、そして再びそこに戻ってゆくのである。異端者と目される清順も、一人のプログラムピクチャー職人として、そのことには十分自覚的だったと思うのだ。彼の斬新なカット割も、美術も、アクションも、いわば既に存在しているものの組合せに過ぎない。そして彼は、署名を持たぬ共有された財産としての技術を使いこなす術を十二分に習得していた。彼が正攻法の演出をやろうと思えばいつでもできたことを、この時期の作品群は教えてくれるのだ。
 しかし、この三本を順に見てゆくと、微妙だが明らかな変化が見られて面白い。『東京騎士隊』は前作『くたばれ愚連隊』のニュートラルな演出に比べると、少し清順特有の硬質さと鮮やかさを増している。『無鉄砲大将』の肌合いはさらに鋭角になり、冒頭の車の中のぬいぐるみや、クライマックスでヒロインが監禁された時に示される剥製のショットなどは、もう完全に『東京流れ者』の世界である。
 どうも今回の文章は冷静に過ぎるようである。でも告白すると、私は『東京騎士隊』を見ながら始終泣きどおしだったのだ。他の2作品も十分に面白かったが、そこまでの感動はなかった。『東京騎士隊』はとにかく懐かしい映画である。とはいえ、この映画を見るのは正真正銘初めてなのだ。最初はこの不思議な既視感の正体が分からなかった。が、映画が進むにつれて、次第にある記憶がよみがえってきて、最後にはとうとう確信に変わった。そう、この作品は、相米慎二の『セーラー服と機関銃』の直接のルーツなのだ。私は今日、一つの生きた「映画史」を目の当たりにしたのである。
 この確信を、客観的な事実で証拠立てることはそれほど難しいことではない。相米が清順に深く傾倒していたことは、彼が照明の熊谷秀夫や脚本の田中陽造ら清順ゆかりのスタッフとよく組んでいることからも、あるいは『雪の断章』や『光る女』の細部からも容易に見て取れる(ちなみに『東京騎士隊』と『セーラー服と機関銃』には共通のスタッフが一人いる。編集の鈴木晄である)。また、この2作品のストーリーや人物設定の類似点をリストアップすることも、あながち無駄な作業ではないだろう。
 でも、この二人のいずれ劣らぬ異端児が交わる場所は、もっと別のところにあるのだ。それは単に、相米が清順のまねをしたとか、影響を受けたということではない。一方の作品のふとした瞬間に流れる空気が、遥かにもう一方の作品の記憶を呼び覚ますといった経験においては、あるいは映画を離れてもっと一般的に、ある瞬間にふと別の瞬間の記憶が呼び覚まされるときには、それらの懐かしい感覚は名前を持たないのだ。それらの匿名の瞬間は、1対1の関係から生ずるのではなく、広く深い匿名の記憶の海の中から現れるのである。
 ある動作、ある表情、群像のざわめき、走る自動車や馬、雨、風、音、光、これら匿名であり、同時に固有のものである各々の瞬間は、全体でひとつの大洋をなすのだ。映画史の全体もまた、この匿名の記憶の海に帰せられる。プログラム・ピクチャーの魅力は、まさにこの海にあそぶことにあるのだ。しかし、既にプログラム・ピクチャーが滅びて数十年が過ぎ、その海の最後の住人だった(と私は思う)相米慎二ももうこの世にはいない。ところで清順は現在、また別のところにいるのだが、それは別の機会に考えようと思う。

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『悪魔の街』
鈴木清太郎 監督 日活 1956年


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『裸女と拳銃』
鈴木清太郎 監督 日活 1957年


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『8時間の恐怖』
鈴木清太郎 監督 日活 1957年


 鈴木清順が改名する前の初期作品ばかりたて続けに見る。
 清順はどこかで、自分は日活では二本立て興行の「添え物映画」しか撮らせてもらえなかったので、40本ものフィルモグラフィーの中で裕次郎主演の作品が一本もないと、半ば恨みがましく、半ば誇らしげに語っていた。この三本の主演男優も、上から河津清三郎、水島道太郎、そして金子信雄(!)と、シブさを通り越して薄ら寒さすら感じさせる顔ぶれである。しかも『悪魔の街』と『裸女と拳銃』の悪役は共に菅井一郎で、この役者の容貌がかもし出す陰惨さは、かえって惚れ惚れするほどのレベルに達している。
 この中では『8時間の恐怖』だけが唯一喜劇として演出されている。しかし、この作品は笑えるどころか、清順の全フィルモグラフィーの中でも、その陰惨さにおいて群を抜いているといってよい。あの呪われた傑作、『悲愁物語』に匹敵する負の美学が全編にみなぎっているのである。当初サスペンスとして企画されたこの作品を勝手にコメディーにしてしまったことで、清順は半年ほどの間、会社から干されてしまうのだが、この映画から立ち上るあまりに禍禍しい気配には、日活の上層部もさすがに鈍感ではいられなかったということなのだろう。
 ところで、笑えぬ喜劇とは何だろうか?そこでは何が起こっているのだろうか。この映画の筋立ては、いわゆる「グランドホテル形式」と呼ばれるものである。山間を走る鉄道が災害で止まってしまう。振替輸送にかり出されたおんぼろバスに、それぞれ訳ありの乗客たちが乗り込み、真夜中の危険な山道をゆくバスの車中で様々なドラマが交錯する。そこに逃亡中のギャングが現れ、バスを乗っ取ってしまう。その極限状況の中で、乗客たちのエゴが次第に剥き出しになって行く。登場人物たちは、資産家、学生運動家、商人、農夫、二号とそのツバメ、子連れの未亡人、元娼婦と、社会のあらゆる階級の寄せ集めである。そして金子信雄扮する主人公は、殺人を犯して護送中の元軍医である。彼は引揚者であり、再婚していた元妻とその夫を殺してしまったのだ。
 つまり、この映画は『駅馬車』のパクリ以外の何ものでもない。しかし清順は、この出がらしの企画から、世界から孤立した異形の作品を産み落としてしまうのだ。しかし、これはいわゆる芸術家の気まぐれといったものではない。清順は、徹頭徹尾倫理的な作家なのだ。彼は、いわゆる人間ドラマというものをまるで信じていない。信じるふりもしなければ、その不信に絶望の身振りを交えるといった通俗性とも無縁である。各階級のカリカチュアとしてふるまう登場人物たちは、あくまで人形芝居に興ずるばかりである。もちろん、そこに当時の社会の縮図というものが現れていないでもないのだろう。しかし、清順には社会風刺などという小市民的な趣味はない。人間社会が滑稽なのではない。笑われるべき人間や、笑われるべき振る舞いがあるというのでもない。人間の生き死にというものが、そもそも滑稽なのだ。清順は、類型も個性も共に信じない。
 かくしてそこには、深みという次元をまるで欠いた、水平のアクションの連鎖が現れるのである。登場人物たちは、個人的心理も、社会的関係も、それらの否定ではなく(これが重要な点だ)、それらの極度のデフォルメと抽象化によって奪われてしまう。そこに生ずるのが笑えぬ喜劇なのだ。見るものは、登場人物たちに感情移入する契機も、軽蔑の念を抱く契機すら奪われたまま、ひたすらアクションの推移を見守ることになる。このアクションによって、個人のものでも社会のものでもない、ある人間の原型が現れるのだ。それは幾分滑稽で、しかし孤独な姿をしている。一人であることの孤独ではない。宇宙の中での人間という存在の孤独である。この集団劇が笑いも感情移入も悲劇的な高ぶりも呼び起こさないのは、人間が人間の外から見据えられているからだ。もちろん、人間はそういう視線にそうそう耐えられるものではない。だから人間には笑いが必要とされるのだ。『8時間の恐怖』は笑えない。しかし、人間の笑いがどこからくるのかを教えてはくれるのである。

 余談:ふとここで、笑いの残酷なふるさとを提示しつづけた今一人の映画監督の名前が思い浮かぶ。ブニュエルである。そういえば、『8時間の恐怖』と『昇天峠』とはどこか似てはいないだろうか。

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10年前の日記です。そうです手抜きです。疲れてます。

1996年2月25日

 松戸にて交通量調査のバイト。一人で駅前の交番に孤独な襲撃を繰り返していた浮浪者のおっさんに話しかけられる。数分の内に今何時かと何度も尋ね、その時計は盗んだものかと尋ね、違うと答えると、「チクショー」と笑う。抜けた歯の間からつばきが飛び散る。何度となく交番のドアに体当たり(だろうと思う。交番はちょうど僕の真後ろにあったので、僕はドスンドスンという音と、甲高いわめき声と、怯えて小走りに通り過ぎて行く通行人から判断するのだ。)をかましておきながら、ケーサツはどっちだと何度も聞く。よろめいて何度も地面にどうと伏す。何を言っているのかさっぱり分からないが、「交通事故」という単語が何度か出てきて、同意を求めるので曖昧にうなずいていると、「…コロシ!…」と甲高く叫び、また笑う。つばきが飛び散る。要するに、それだけ大それたことをしないと警察は相手にしてくれないということが言いたいらしい。時々、通行人に向かってか、それとも想像上の相手に向かってか、獣じみた形相で威嚇の言葉を吐く。これを狂気と呼ぶには、翼が余りに矮小な気がする。こういったものに芸術を求めること自体が間違っていることはよく分かっているが…。要するに、僕にはこのような在り方がよく分からないのだ。
 警察はしばらくの間相手にもしていなかったが、静かになったと思ったら、交番の中に招き入れられたらしく、いつの間にか彼は姿を消していた。ほどなくしてパトカーが一台到着し、運転席から降りた警官が後部座席に防水シートのようなものを被せた。おっさんは案外おとなしく警官に腕を引かれて現れ、パトカーに乗ってどこぞに消えた。今から思えばそれを望んでいたのだろう。その直後、一人の警官が、何をしているのかと聞いてきた。学生かと聞かれてプーだと答えると、何か夢があるのかと聞いてくる。通りすがりの人間と交わす会話じゃありませんねと答えると、だしぬけに公務員は安定してていいぞ、公務員にならんかと言ってくる。そいつはバイトが終わる間際にもやってきて、二日で一万六千は安すぎる。どうせピンハネされているんだろう。どうだ公務員にならんかと言う。ひとなつこそうな人物で腹は立たなかったが、僕にはこういう奴等もよく分からない。駅前のロータリーを隔てた向こうの歩道橋を上り下りする黒い遠い人影を眺めていると、言い知れない陶酔感が襲ってくる。あるいは僕の目の前で、停車場に着けるためにカーブを切りながらバックするバスの側面が、僕の視界をゆっくりと切り取って行く運動にも。僕にに分かるのはそれだけだ。でもそれが芸術なのだろうか。単なる水っぽい麻薬に過ぎないんじゃないかという気もする。
 帰る道すがら、向こうから歩いてきたカップルの男の方が、擦れ違いざまに「傘持ってるくせして何でささねえんだよ。」と言うのが聞こえた。二人の顔も見ていない。さっきから小雨がぱらつき始めていて、僕の手には傘がある。しばらくして女にではなく、自分に向けられた言葉なのかも知れないと気付く。赤の他人の俺になんでそんな事を言う必要があるのかといぶかしがりながら、段々と強くなる雨足に傘をさす。電車から降りると、雨はさらに強くなっていた。温かい、春の雨だ。
 小便をしようとアパートの暗い廊下に出ると、どっと雨の音に包まれた。思わず目をつぶる。ここしばらく雨の音を聞いていなかったせいだけではないだろう。廊下の両端の窓は両方半分ほど開いており、どうやら廊下が管楽器の役を果たして、微妙な共鳴が起こっているらしい。まず、打ちっぱなしのコンクリートのように垂直にそそり立っている雨音の壁がある。そして大きな水滴が水溜まりを打つ不規則な音が、その壁の根元に飛沫と染みを作っている。よく耳を澄ますと、音の壁の向こうには、低音域から高音域にかけての広大な奥行きが、細かいざらつきを持ちながら、ほぼ均質に広がっているのが分かる。まず高音部に感覚を集中し、次に低音部に耳を澄ます。するとそこには、冬の夜、満天の星を仰いでじっと目を凝らしたときのような重力と位置の奇妙な失調現象が、簡単に言うと眩暈が起こる。音は、光以上に物質的なのだ。もう何年も見ていないが、『ノスタルジア』に確かこんな雨の音が響き渡っていたような気がする。
 反省:もっと人間に向き合わなければならない。でも、どうやって。
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『夏の庭 The Friends』
相米慎二 監督 讀賣テレビ放送株式会社 1994年


 12年前に書いたものです。ちょっと用事があって、古いワープロを引っ張り出してあれこれやってたら、ひょっこり出てきた文書です。あのころからちっとも成長していないなあとつくづく思います。

 縁側に胡座をかいて座り、西瓜を口一杯に頬張りながら、少年は日焼けした顔の中で白々と輝く瞳を左右に向け、ついで上を見やる。その瞬間、ぱらぱらという正体不明の音が響く。奇妙に張りつめた時間の中で、彼は訝しげな表情を、何かほっとしたような笑顔に変え、上を向いたまま良く透る声で「雨や」と言う。その声を合図にしたように夕立が降り始め、スクリーンには涼しげな空気が漂い始める。
 それにしても、少年は、視線を上方に向けたとき、確かに雨を見たのだろうか。むしろ、彼は何も見てはいなかったのだと言うべきなのではないか。「お引越し」の中で、天に向かって「いただきます」と呼びかけた少女のまなざしが、すでにこう告げていたはずだ。スクリーンの外側に仮定され、想像されるいかなる存在も――それが人物であろうと、自然現象であろうと、たとえ人智を超えた何ものかであろうとも――、視線が存在し、なおかつその対象が不在であるという厳密な事実がもたらす畏怖すべき豊饒さには、決して及びはしないのだと。
 だから、少年の頭上で響いた妙に乾いた音は、決して「雨音」として自らの現在を生きていたわけではない。「雨や」という言葉は、その音が時間の中に完全に消え去った後に発せられたものなのだ。それは、雨がまだ雨として存在を始める零秒前にそうであったもの、何ものでもないと同時に、何ものでもありえたもの、雨でもありえたし、ピンポン球の跳ねる音でもありえたし、豆の鞘のへたを千切る音でもありえたものなのだ。その直後に顕在化された雨は、この主語をもたぬ運動、この生の最も純粋な形態が、一瞬で弛緩し、物質化したものに他ならない。そのような、零秒のうちに閃き出る絶対的な生は、全く同時に零秒のうちに弛緩し消滅する死でもある。だから、重要なのは「夏の庭」が死をテーマとしたり、死を表象したりしていることではなく、死がそのまま映画の運動のジェネレーターとして提示されていることなのだ。
 そして、そのような飽和した生=死が現れるのは、瞳が視線を持ちながら盲目となる瞬間においてでしかない。言いかえれば、そのとき視線は、その対象に収束することなく、肉体の運動と同様に、あるいはそれにも増して、自ら充実した運動となるのだ。キャメラは瞳と、それが目の当たりにしている光景を同時に捉えることができない。この宿命的な限界が、隠蔽の対象ではなく、映画の生命そのものとなるとき、瞳はあらゆる存在と瞬時に関係を結び、それらを選別し、そこに価値の序列を打ち立てるような保護者のそれではなく、盲目の孤児のそれとなる。孤児の瞳は何も見ない。何も保護せず、何ものによっても保護されない。しかし、そのような瞳こそが、全ての存在を肯定するのだ。

 孤児の視線が何ものをも保護しないとすれば、あらゆる存在もまた、各々の孤児たる他はない。例えば、三國連太郎は、まだ少年たちの観察の対象であった時には、むしろ彼らの懸命な凝視の焦点から外れた地点から登場することが多い。彼は、少年たちの背後から、あるいは側面をつく形で、少年たちの当面の関心事とは全く無縁に、生い茂る緑の中からぬっと現れる。しかもこれら雑草や木々は、事物を遮蔽する障壁としては極めて曖昧模糊とした存在なので、われわれは、彼の肉体の最初の断片が、光学的存在としてスクリーンに現れた瞬間を知ることが出来ない。また、戸田菜穂は、雑草を綺麗に抜き取られて暖色の肌を晒している地面に、少年たちが種を蒔き終え、ホースで水を掛け合っている最中に登場するのだが、白い日傘が、庭と道路を隔てる板塀に沿って植えられた木々の間からチラチラと見え隠れしていたときも、その曖昧な登場ぶりを支えていたのは、スクリーン上の人物の視線でも、われわれの視線でもなく、当の日傘そのものでしかない。彼女は、三人の少年の担任の教師なのだが、彼女が去った後に、三人の主人公の一人であるデブの山下によって律義に説明されるまでは、彼女の正体は皆目分からない。吹き上げられたホースの水が中空に描き出す虹を見て、彼女があげる感嘆の叫びも、教師らしさといったものからは限りなく遠いものなのだ。つまり、彼女もまた、自分自身以外の何ものによっても根拠付けられないということにおいて、確かに孤児たちの饗宴への参加資格を与えられているのだ。ついでに言えば、淡島千景もまた、自他の関係を視線で繋ぎ止めることのできない人物である。彼女の視線が初めて焦点を結ぶのは、すでにこの世にない人の上なのだ。 つまり、「夏の庭」において、あらゆる存在は、視線によって待ち望まれた決定的な瞬間といったものを常に奪われ続けていると言ってよい。人は孤児としてふと現れ、孤児としていつの間にか立ち去って行く。三国の死もまた、三人の少年たちの瞳にとって(そして恐らく本人にとっても)、全くの不意打ちとして訪れる。だからこそ、死は、生の相対的な消失としての虚無に堕することも、想像上の彼岸に属することもなく(両者の間にどんな違いがあろう)、少年たちに決定的で不可逆な痕跡を刻み込むことによって、絶えざる生のざわめきに合流して行く。
 そのような世界においては、存在と存在の間には、いかなる序列も生じえない。運動し、語る人物。それを受け止める人物。カラフルに塗られた短冊をくるくる回転させる風鈴。偶然に画面をついとよぎる小さな昆虫。黄昏の光を受けて輝くコスモスの花。それら全てが同じ資格で存在しているのだ。「同じ」とは、均等さを意味しない。全ての存在が、自らの各々の瞬間ごとの生=死以外の何ものにも縛られぬ状態をそう呼ぶまでのことである。「夏の庭」が、以前の相米映画を支えていたような特権的な存在や瞬間に乏しいと思われるとすれば、それは、演出が失敗しているからでも、その力が相対的に衰えているからでもなく、むしろそれがもはや人物と事物の垣根すら越えて、奇跡的なレベルにまで徹底されているからだ。しかし、そんな世界を隈なく目の当たりにできる瞳などは存在しない。「夏の庭」は、その容赦なき肯定によって、見ることとは、それ自体充実した不可能な試みに他ならないということを、抜き差しならぬまでの明瞭さで示してみせる。保護者の視線が支配の能力を無条件に与えられているのに対して、孤児は、あくまで愛する権利を所有しているにすぎないのだ。この困難さは、映画の中の人物のまなざしも、それを見るわれわれのまなざしも、等しく耐えなければならぬはずのものだ。それにしても、後者の方が、より強く、敗北を運命づけられているのは確かなようだ。

 だが、この映画には、確かに一つの特異点が存在している。それは他でもない、三人の少年が庭の隅の枯井戸を覗き込む場面なのだが、そこでは、生=死は、時間の流れに一瞬で呑み込まれたりはしない。そもそも、そこでは「流れ」としての時間が存在しないのだ。このアイリスに酷似した時空では、生が、なかんずく死が、無限に引き伸ばされて存在しているのである。しかしそれは、井戸が、物語の上であの世とこの世を結び付ける回路としての機能を担っているからではない。事態はまるで逆なのであって、ここに起こっている奇跡は、またしても厳然たる事実に属しているのだ。晴れやかな表情であの世の人に別れを告げるとき、「文学的」に表現すれば無限の暗闇を覗き込んでいるはずの3つの視線は、明かに、有限の距離にある一点、すなわちキャメラのレンズ上に焦点を結んでいるのである。では、彼らは何を見つめているのか。
 それらの視線は、仮想上の冥土に向けられているのではなく、われわれの視線と相対しているわけでもない。彼らは何も見てはいないのだ。彼らの瞳の焦点は、実はキャメラのレンズ上にあるのですらない。なぜなら、空間の中に位置を持つ広がりゼロの点であるはずの光学的な焦点が、矩形の平面へと無限に引き伸ばされているのだから。視線は永遠に盲目たる他はない。時間は流れない。キャメラに向けられた視線こそが、孤児の瞳の盲目性を決定的に露わにし、スクリーンが「窓」ではなく「壁」であることを暴露するのである。その瞳たちは無慈悲に優しい。ここで、井戸の深さは、単なる距離であることを止め、より禍々しく豊饒な何かに姿を変えている。それは、生者と死者との、視線とその対象との、キャメラと被写体との、そしてわれわれとスクリーンとの、空間的な距離には決して還元されえない絶対的な距離なき距離なのだ。その飽和した断層は、絶対的な生=死として、全てを隔てるがゆえに、全てを開示するのである。われわれもまた、盲目の孤児なのだ。
 しかし、われわれは、スクリーンを隔てた対称性によって、自らもまた孤児であることを自覚するわけではない。むしろ、ここでは見るということの決定的な盲目性、非対称性が最も純化された姿で現れているということにおいて、彼ら三人の孤児たちと、同じく孤児たるわれわれがある不可能なまなざしを交わすのである。井戸に向かって放たれる叫び声や、大きく手を振合う仕種は、孤児同士の交わす厳しい肯定の身振りに他ならない。それは、われわれの瞳をスクリーンとの幸福な合一に導いたりはせずに(それこそが保護者の身振りでなくてなんであろう)、むしろ身を守る術とてない吹き曝しの荒野に突きやるのだ。そこには誕生や、成熟や、老化や、それらの死は存在しない。つまり、生の物語も、虚無としての死も存在しない。ただ、全ての個々の存在の運動が、個々の瞬間における生=死のみが時空を超えて谺し合っているのだ。かつてゴダールは言い切った。「いい映像や悪い映像があるのではなく、ただ映像があるだけだ」と。瞳が憩う場所など、もともとありはしないのだ。だとすれば、「映画の死」なども一つの虚構に過ぎないのだろう。しかし、それをひ弱な冗談だと笑いとばす資格を持つのは、肯定することの苛酷さに身を晒し続けることのできる者だけなのは間違いない。