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 2006年9月30日午後3時30分、文京区2006年9月30日午後3時30分、文京区


 都内のギャラリーで行われたちょっとしたイベントに参加する。
 一時間ほど会場の外の受付を任され、一人でボーっとする。
 こういうふっと現れる静かな時間が、たまらなく好きである。
 野に沸く泉を思いがけず見出したかのような、清らかで喜ばしい時間。
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2006年9月26日午後2時30分、中野区2006年9月26日午後2時30分、中野区


 雨である。
 友人宅に向かう途中、目的の駅を一駅乗り過ごしてしまう。
 舌打ちして下車し、反対側の電車を待とうとしたら、大きくて黄色い広告が目に入った。ブック○フが駅前にあるのである。約束の時間は過ぎていたが、そう迷惑をかけることはあるまいと思って、寄り道することにする。初めて降りる駅である。
 いつものごとく文庫本コーナーを一巡りし、単行本コーナーでは日本人作家の「か」行のみをチェックする。これもいつものクセで、何かの間違いで後藤明生の本が並んではいないかという虚しくもさもしい期待の為せる業である。
 最後に「文学」のコーナーに行く。ここの定番は日本文学全集の類の端本と「池田大作全集」で、まずろくなものがあったためしがない。
 しかし今日は違ったのです。長年探していた本が、正に「池田大作全集」に斜めに寄りかかって、私を待っていたのですよ。

こんな大判のものだとは知らなかった。イラストも豊富でうれしさしきり。

『現代語訳 日本の古典 雨月物語・春雨物語』
 後藤明生 学習研究社 1980年初版 950円

 ありがとう、神様。ありがとう、ブック○フ。ありがとう、池田大作。


                                       2006年9月26日午後10時45分、池袋駅

2006年9月24日午後5時、杉並区2006年9月24日午後5時、杉並区2006年9月24日午後5時、杉並区


 午後、阿佐ヶ谷で、知人の役者が主宰する劇団の旗揚げ公演を見る。
 帰り道、青梅街道を新宿に向かってぶらぶらと歩く。
 道すがら、街路樹の一本の根元に、ベニヤ板の粗末な看板が掛かっているのが目に付いた。手書きで、「古本・益子焼 11時~18時 ○○書店」とある。益子焼と古本!ダメ古本屋マニアの本能がざわざわと騒ぐ。看板の下に書かれた矢印に徒って脇道に折れると、果たしてその「店」があったのである。
 雨ざらしの木の看板が掛けられた門の後ろに、古ぼけた平屋の民家がある。正面の部屋のサッシ戸が開けられていて、中に本棚の列が見える。そこに並んでいる文庫本の背表紙が、皆、白じらと色あせているのが遠目にも分かり、心地よい脱力感を誘う。木々や花々が雑然と植えられている狭い庭を横切って戸口の前に立つと、「土足でお上がりください」とある。中に入ると売り場はその一部屋だけで、かつては居間だったとおぼしき板張りの空間は、六畳ほどの広さしかない。そこに人一人がやっと通れるほどの隙間を残して棚が並び、埃で黒ずんだ古本を天井まで溢れさせているのである。そして棚の一つには、たしかに黒光りする茶碗だの皿だの湯飲みなどが重ねて置かれているのだった。
 裸電球のオレンジの光にぼんやりと照らされた、この別天地に入り込んだときの幸福感をどう形容したものか。何か掘り出し物があるかもしれないなどとは夢にも期待していない。私は人生にそこまで多くを望みはしない。この場所を見出した、それだけで幸せなのである。
 売り場の奥の扉が開いている。覗いてみると、そこは応接間だったらしく、うっすらと埃をかぶったソファやローボードなどが、北側の窓から差し込む青ざめた光を浴びて沈黙している。その部屋が長年使われていないことは、がらんとした荒廃の気配ですぐ知れる。右側は玄関だが、そこにはLPレコードや色あせた漫画本がひもでくくられて、人の背丈ほどの高さに隙間なく積み重ねられている。左側の畳の部屋が唯一生活のにおいを発散させていて、白髪の老婆が一人座っている。私の姿を認めると、立ち上がって「いらっしゃい」と挨拶し、すぐに奥に消える。
 どうせ何もないだろうと思いつつ、それでも棚のあちこちを眺めていると、目の前に湯気の立つ茶碗が差し出された。「どうぞ」という老婆は、育ちのよさそうな笑みを浮かべている。でもこれがささやかな商売のやりかたなのだろう。私は勧められるままに番茶をすすりながら、困ったことになったぞと思い、文庫本の棚に隅から隅まで目を走らせる。やはり何もない。仕方なく、茶の間に向かって「ご馳走さまでした」と声をかける。すると、茶の間の奥で寝そべっていた老人が、のっそりと起き上がって茶碗を受け取りに来た。私は今まで彼の存在に気が付かなかったのである。やはり商売っ気の感じられぬ人のよさそうな笑みを浮かべている。私は会釈をし、そそくさと外に出た。
 おそらく老夫婦は、子どもを成人させ、退職して年金暮らしになってから、この商売を始めたのだろう。それからもう十年か二十年か。夫婦は共に80は越えているように見えた。部屋部屋や本や焼きものと一緒に、ゆっくりと色あせ、埃をかぶり、滅びへと歩んでいるのだろう。人生というものは短いようで、案外長いのかも知れない、などと、どうでも良いことを考えながら、なお歩く。


2006年9月24日午後5時、杉並区


今日の収穫:

『単語集』
 金井美恵子 筑摩書房 昭和54年初版 1000円
『闘争のエチカ』
 蓮實重彦 柄谷行人 河出書房新社 1988年 800円
『仰臥漫録』
 正岡子規 岩波文庫 1983年改版 280円
 
2006年9月23日午前6時、駅のホームから


 何やらにぎやかで、突拍子もない出来事に満ち溢れた夢から目覚めた時、なぜか私はしばしば強い悲しみに襲われる。今朝もそうだった。午前五時に目覚ましの電子音で目を開いた瞬間、悲しみが全身にどっと流れ込み、そのままバケツに満ちた水のように、体内でゆたり、ゆたりと波打つのである。私はじっと天井を見上げたまま、しばらく身じろぎもできないでいる。
 悲しみの正体は長らく謎のままだった。別に夢の中で悲しい思いをしたというのではない。むしろそういう時の夢は、楽しいものが多いのである。かといって、その楽しい夢と引き比べて、目覚めた現実を味気なく感じるということでもない。とにかく、それは幻想に属するにはあまりに生々しい、身を切るような、現実の悲しみなのである。確かにそこには何ものかに対する認識がある。悲しむとは、何かを知ることではないか。喜びや快楽よりも、悲しみや苦痛の方が、より認識の名に値するのではないか。
 最近私は、そういう朝を迎えたとき、できるだけ動作をゆっくりと保つことにしている。悲しみを振り払うのではなく、身体を悲しみのリズムに順応させ、悲しみが体内を経巡るままにするのである。そこに何かの真実があるなら、それは大事にせねばなるまい。それは間違いなく希少な時間なのだ。私は一日が終わろうとしている今、こう書きながら、実はもどかしい思いに捕らわれている。見た夢をすぐ忘れてしまうのと同様に、私はもはやその悲しみをよく思い出せないでいるのだ。
 しかし今朝、目を閉じながら、歯ブラシを殊更にゆっくりと上下させていたとき、私は世界と自己について、確かに何かを把握していた。夢の中で起こった出来事は、すでに記憶のほとんどが失われているが、およそありそうもないことの連続だったということだけは覚えている。だが、その中で右往左往していた私の喜怒哀楽は、あくまで現実のものなのだ。私は事実、夢の中でかくかくの感情を抱いたのであるから、夢は感情においては現実なのである。その夢の中のある瞬間、私は鼻も高々だった。めまぐるしく無責任に変化する状況の中で、私はそのときは消防隊員かレスキュー隊員のようなものだったらしく、職業に対する誇りや、信頼する仲間との一体感に他愛もなく酔っていた。火事や事故が起きたのではない。確か私は夢の中で、事務机に座り、同僚とただ雑談をしていただけである。
 そのおぼろげな記憶が、なぜ目覚めの瞬間に、こうも強烈な悲しみを惹き起こすのか?今朝私が達した結論はこうである。結局そこには、私の生存そのもの、魂そのものの他愛のなさが剥き出しになっているのだ。私は夢の中にある通りのものなのだ。私の喜び、誇り、満足、焦り、屈辱の念、恥ずかしさ、などというものは、高々この程度のものに過ぎないことを、夢はご親切にも教えてくれるのである。私はこの無限の宇宙の中で、笑ってしまうほど有限な存在に過ぎぬ。
 アパートから駅への道すがらもひたすら悲しかった。ホロホロと眠そうなコオロギの鳴声が悲しい。やはりまだ眠そうなヤマバトの鳴き声が悲しい。みのり始めたハナミズキの実の赤さが悲しい。すぐ前をうつむきがちに歩く女性の後姿が悲しい。そのポクポクいう靴音が悲しい。頭上に青黒く垂れこめた雲が、地平線に達する前に切りそろえたかのように途切れ、その彼方からぼんやりとした茜色がさしている。その光がやたらに悲しい。
 
2006年9月20日午後3時、文京区2006年9月20日午後5時、文京区

2006年9月20日午後5時、文京区2006年9月20日午後5時、文京区


 文京区と台東区の境目あたりを、午後から夕方にかけて歩き回る。
 下町情緒が売りのエリアだけあって、目を楽しませる光景には事欠かなかったが、何だか住むには窮屈な場所だという感じがする。


2006年9月20日午後5時、文京区


今日の収穫:

『詩めくり』
 谷川俊太郎 マドラ出版 1984年 735円
『文学のおくりもの21 ズボンをはいたロバ』
 アンリ・ボスコ 多田智満子 訳 晶文社 1977年初版 840円
『ユリイカ 1991年4月号 特集 鈴木清順』
 青土社 840円 (この間、神田の某店で購入しようとしたら、なんと4千円を超える
 値がついていた。ザマミロ)
 
練馬区、2006年9月19日午後12時43分


 友人の家に行く道すがら、私鉄S線N駅で降りる。
 駅前の繁華街を抜け、車が激しく行き交う幹線道路を横切り、消防署の手前の角を曲がる。とたんに強い既視感に襲われる。確かに私は以前ここに来たことがある。
 そこに何か印象的な風景があるというのではない。事実はまるで逆で、都内でも、この辺の町並みほど茫洋としてつかみ所のない表情をしている場所は思いつかない。そののっぺらぼうの無個性ぶりを際立たせている(矛盾した表現だが、そうとしか言いようがない)のが、何駅分にもまたがってS線に寄り添うように走っている幹線道路なのであって、沿線のどの駅で降りても、まず目の前にチェーン店のスーパーや飲食店が軒を連ねる商店街があり、そこを抜けるとすぐに役所やオフィスビルの立ち並ぶ広い道路につき当たるのである。
 十年くらい前にも、私はこのように、くすんだ繁華街を通り抜け、くすんだ道路のくすんだ横断歩道を渡り、くすんだ消防署の前を折れて、一軒のくすんだ古本屋に入ったのである。程よい天井の高さ、程よい暗さ、程よい雑然さ、棚に並ぶ絶版本の程よい黒ずみ、一歩入ってその店を好きになった。その時、講談社文庫の『南回帰線』を買ったことを覚えている。
 ところがその後すぐ、その店に行くにはどの駅で降りればよいのかを忘れてしまった。あまりに特徴のない街だったからである。その時から今日にいたるまで、私には困った癖がついた。交通量の多い殺風景な道路を歩いていて、たまたま消防署のある十字路に突き当たると、仕事中だろうが忙しかろうが、必ずその手前で曲がって、古本屋がないか確かめてしまうのである。しつこく十分以上も歩き続けた挙句、がっかりして逆戻りしたことも一度や二度ではない。とにかく消防署のあるあらゆる十字路は、私の思考回路の中で短絡を起こし、一つの場所に溶け合ってしまうのである。
 そしてとうとう今日、消防署の二軒先の雑居ビルの一階に、見覚えのある片開きのガラス扉を見出したのだった。不思議と感動はない。夢の中で飛行している自分に驚くことがないように、あるいは魚が水を意識することがないように、極めて当り前のごとくドアを開いて中に入り、ひとしきり物色する。店の中は十年前と少しも変わることがなく、棚に目を走らせている自分も、たぶん十年前と少しも変わることはなかった。レジで金を払って外に出る。相変わらず灰色の街並が延々と続いている。その色合いは、記憶や夢の中を照らすぼんやりした光によく似ている。

今日の収穫:

『小説入門』
 中村光夫 新潮文庫 絶版 315円
『美しい女』
 椎名麟三 中公文庫 絶版 315円
 (ついこの間、新潮文庫版を買っていたことに帰宅してから気づく。積読の報いである)
 
あめりか物語 岩波文庫   『あめりか物語』 永井荷風 岩波文庫 2002年改版


 独身者は、いつも「外」に誘われるようにして彷徨いを始める。
 独身者は足音をひそめて、ひとり霧深い夜半の街を歩いてゆく。

「ここに半夜を費やし、やがて閉場のワルツに送られて、群集と共に外に出れば、冷き風、颯然として面を打つ…………余は常に劇場を出でたるこの瞬間の情味を忘れ得ず候。見回す街の光景は、初夜の頃、入場したる時の賑さには引変えて、静り行く夜の影深く四辺をこめたれば、身は忽然、見も知らぬ街頭に迷出たるが如く、朧気なる不安と、それに伴う好奇の念に誘われて、行手を定めず歩みたき心地に相成り候」(「夜あるき」)

 しかしどうしたことか、絶えず「外」を求めてやまないはずの独身者は、今度は家々の窓から漏れる暖かな灯火に吸い寄せられて行くのだ。

「ある日本人は盛に、米国の家庭や婦人の欠点を見出しては、非難しますが、私には例え表面の形式、偽善であっても何でもよい、良人が食卓で妻のために肉を切って皿に取って遣れば、妻はその返しとして良人のために茶をつぎ菓子を切る、その有様を見るだけでも、私は非常な愉快を感じ、強いてその裏面を覗って、折角の美しい感想を破るに忍びない」
(「一月一日」)


 それら明るい窓々が懐かしいのは、寂寥や疲れにさいなまれた独身者が、たとえ一時の気の迷いであれ、家庭主義者に鞍替えしたからなのだろうか。違うのだ。独身者は、常に「外」を求めてやまないものである。戸外に出た瞬間、外は「外」であることをやめてしまい、今度は、独身者にとって、壁に囲まれた家の中こそが「外」となったからだ。全てはガラス窓越しの風景である。独身者は、その後ろに控える「裏面」だの「真実」などには一顧だにしない。そして独身者、荷風にとって、4年間を過ごした北米大陸は、巨大なひとつの「外部」に他ならなかった。

「自分は走行く電車の中から幾人と数え尽されぬほど、多くの美人多くの美男子を見た。自分は美人美男子を見る時ほど、現生に対する愛着の念と、我と我存在を嬉しく思う事はない。科学者ならぬ無邪気の少女は、野に咲く花をただ美しいとばかり、毒草なるや否やを知らぬと等しく、道学者、警察官ならぬ自分は、幸にして肉体の奥に隠された人の心の善悪を洞察する力を持っていないので美しい男、美しい女の歩む処、笑う処、楽しむ処は、すべて理想の天国であるが如く思われる。」
(「夏の海」)


 こうした独身者の彷徨いは、しかし行き着く場所を知らぬ、魅惑によって呪われた永久運動となるしかない。

「夢、酔、幻、これ、吾らの生命である。吾々は絶えず、恋を思い、成功を夢みているが、しかし、決してそれらの、現実される事を望んでいるのではない。ただ、現実されるらしく見える、空(あだ)なる影を追うて、その予想と予期に酔うていたいのである」
(「おち葉」)


「自分は結婚を非常に厭み恐れる、と答えた。これはすべての現実に絶望しているからである。現実は自分の大敵である。自分は恋を欲する、が、その成就するよりは、むしろ失敗せん事を願っている。恋は成ると共に煙の如く消えてしまうものであれば、自分は、得がたい恋、失える恋によって、わずかに一生涯をば、まことの恋の夢に明してしまいたい――これが自分の望みである」
(「六月の夜の夢」)


 一見すれば気恥ずかしいほどキザな大見得だが、実はこれらは独身者の峻厳なマニフェストなのだ。絶えず「外」へ「外」へと横滑りして行くこと。独身者にとっての恋とは、この終着点を持たぬ無限運動そのものなのだ。
 では、冬にあっては夏を、夏にあっては冬を夢見る独身者にとって、最も至福に満ちた時はいつ到来するのか?それは、夏や冬の盛りではなく、それらの間の移行の瞬間である。その刹那においてのみ、「外」が「外」としての不可能な実体を露わにするのだ。

「一閃の朝日が、高い見世物の塔の上に輝き初めた――ああ、何たる美しい光であろう。自分は一夜、閉込められた魔窟から救い出されたように感じて、覚えずその光を伏拝んだのである」
(「暁」)


 しかし、その光が独身者の最終的な救いとはなりえないことは、もはや言うまでもない。見よ。瞬く間に朝は「外」でなく、今ひとつの「内」になってしまったではないか。そしてまた夜が来て、朝が来る。
 
2006年9月10日午後3時 渋谷区 撮影時にテロのことは全く念頭になかった


 昨日に続いて、今日もやたらに蒸し暑かった。
 さっきニュースを見ていて初めて気がついたのだが、そういえば明日は「同時多発テロ」が起きてからちょうど五年目なのである。
 その日、貿易センタービルが崩れ落ちてゆく映像をテレビで初めて見たときの、何ともいえぬウンザリ感は今でもよく覚えている。衝撃も恐怖もカタルシスもなかった。ある種の憤りは感じたが、結局その感情は、ダメな映画を見せられているときの腹立たしく、やるせない気持ちと同じものだったと思う。私は悲しい確信を前に、深く嘆息したのだった。つまり、人類の歴史をつかさどる神がもしいるとすれば、彼はそこらで浮かれ騒いでいる頭の悪い中学生なみの精神の持ち主に違いないのだ。そしてこの確信は、近年ますます強くなるばかりである。
 何も「時事ネタ」をやりたくてこんなことを書くのではない。私の中で同時多発テロの記憶は、もっと個人的かつ重要な記憶に直ちに結びつくのである。2001年9月9日、つまり五年前の昨日、同時多発テロの二日前は、映画監督、相米慎二の命日なのだ。私はそれから、あまり映画館に足を運ばない人間になってしまった。
 
     2006年9月8日午後8時30分



 昔、男ありけり。女のえ得まじかりけるを、年を経てよばひわたりけるを、からうじて盗み出でて、いと暗きに来けり。芥川といふ川を率て行きければ、草の上におきたりける露を、「かれは何ぞ。」となむ男に問ひける。
 行く先多く、夜も更けにければ、鬼ある所とも知らで、雷さへいといみじう鳴り、雨もいたう降りければ、あばらなる蔵に、女をば奥に押し入れて、男、弓・胡ぐひを負ひて戸口にをり、はや夜も明けなむと思ひつつゐたりけるに、鬼はや一口に食ひてけり。「あなや。」と言ひけれど、雷鳴る騒ぎに、え聞かざりけり。やうやう夜も明けゆくに、見れば、率て来し女もなし。足ずりをして泣けども、かひなし。

 白玉か何ぞと人の問ひし時露と答へて消えなましものを

(『伊勢物語』 第六段 「芥川」より)


                                           2006年9月8日午後12時30分

      2006年9月7日午後9時


月の輝きが太陽の光の反射に他ならぬことは、知識としては誰でも知っている。
しかし、月の光の内に太陽を見出すことが、人間の知覚と精神に果たして可能だろうか。
それは耐え難いことなのではないだろうか。
 
  葛飾区堀切葛飾区立石


 葛飾区を歩く。
 正午から日が暮れるまで、古本屋に立ち寄る時間を除いて、ただひたすら歩く。
 貧乏人御用達のイタメシ屋で、ビールと共に夕飯を流し込んだ後も、更に数キロ歩く。
 夜の帝釈天の人気のない仲見世通りを歩きながら、ふと我に返る。
 そういえば今日一日、歩きながら何を考えていたか、少しも思い出せないのである。
 しばし悩んだ後、要するに良い休日だったのだろうとの結論に達し、帰途につく。


  葛飾区立石


今日の収穫:

『花地獄』
 鈴木清順 北冬書房 1972年初版 800円
『時代が終り、時代が始まる』
 中上健次 福武書店 1988年初版 1000円
『夜の帳の中で』
 吾妻ひでお チクマ秀版社(なんだここ) 2006年初版 600円

 最後のは8月に出たばかりの漫画本だが、1800円というぼったくり定価に腹を立てていた矢先だったのでラッキーであった。
  
2006年9月2日午後5時30分ハナミズキ、高架線、月


 秋空を見上げると、ついつい全てが救われたような錯覚に陥ってしまう私は、やはりだらしがないのでしょうか?
 
ハナミズキという名の木であることを最近知った。引っ越してきてから数年来、ずっと何という名前の木なのか気になっていたのである


 これといった理由は何一つ思い浮かばないのに、駅からアパートに向かう途中、不意に様々な憂鬱の念が次から次へと湧き上がってくる。
 昨日の電話口でのやりとり、来週、気の進まぬ飲み会があること、電車の中で子どもの泣き声がうるさかったこと等々、切れ切れの思いが手を変え品を変えて襲いかかってくるのだが、不思議なことに、それらの間には何の関連もないのである。
 しまいには中学時代の恥ずかしい思い出までもが突如としてよみがえり、はらわたに灼熱の棒を押し付けてくる。どうとでもしてくれよ、もう。