2006年10月10日火曜日午後3時30分、池袋本町
 

 最近フォトショップにはまっている。今日は日がな一日、自分の撮った写真をいじくり回していた。こういうのを「趣味」というのだろう。「趣味」。改めて書いてみると、何だかいやらしい言葉である。
 ちなみに読書も映画も「趣味」だと思ったことはない。
 

  2006年10月03日火曜日午後5時、南浦和駅近辺2006年10月21日午前8時45分、アパート付近
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  客のドタキャンがあったせいで、午後3時過ぎには自由の身となってしまう。
 事務所を出て駅に向かう。小さな山を一つ越えるのが近道である。
 もう傾き始めている陽の光を半身に受けながら、雑木林と住宅に挟まれた狭い坂道を歩いていると、一人の老婆の話し声が、生垣の向こうから低くぼそぼそと聞こえてくる。
 声は「ナナちゃん」に向けて、説教をしているとも甘やかしているともつかぬ、およそ意味のない事どもを、途切れることなくつぶやき続けている。どうやら飼い猫を諭しているらしい。
 猫の返事はない。郵便配達のスクーターが私を追い抜いて、苦しげなエンジン音を撒き散らしながら坂を駆け上がってゆく。
 


  2006年10月30日月曜日午後3時25分、横浜市港北区2006年10月30日月曜日午後3時35分、横浜市港北区2006年10月30日月曜日午後3時30分、横浜市港北区
 
 シュークリーム一個とウイスキー一瓶が入った籠を持ってレジの前に立つと、さすがの私もちょっと目つきが悪くなります。
(悪いかよ!シュークリームとウイスキーを一緒に買って悪いかよ!)
 
 花嫁の前で、牛を一飲みにするような大口が再び開いて、地獄の釜が沸騰したような笑い声が爆発した。それでも奇妙に離れ離れになった二つの緑色の目は少しも笑っておらず、眼前の生け贄が今にも泣き出すか、悲鳴をあげるかと、底なしに冷たく意地の悪い視線を、じっと花嫁に注ぎつづけた。
 花嫁は、おっとりとした外見とは裏腹に、たいそう気丈な娘だったが、せっかく今日この日のため、あれやこれやと手間ひまかけて吟味したウエディングドレス姿が、礼儀知らずの花婿によって無残にも宙吊りにされたままなのに、だんだんとやるせない気持ちが募ってきた。遠慮なく浴びせられる、ゴムが焼けたような異臭が混じる熱風にも閉口した。そこで娘は怪物の顔に向かって身を乗り出し、根元に木のうろのような穴が二つあいた鼻の頭にそっと手を置いた。新郎は思わず笑い声を止めた。娘は、目の前いっぱいに拡がっている怪物の顔の、眉間のあたりを見据えながら言った。
「ならば、私の命も明日か明後日までとなりましょう。もとより覚悟の上でございます。だからこそ、せめて皆様への最後のお別れは、美しく、華やかに行いたいのです。どうぞ哀れとお思いになって、少しの間だけ、お付き合いください」
 怪物は、しばし彫像のように動きを止めて黙っていた。それでも、その真っ黒な体と魂の中を、様々な邪悪な打算が嵐のようにめまぐるしく入り乱れていることは、誰の目にも明らかだった。やがて、憎悪と憤怒が静かな悪意と冷笑に席を譲った。怪物は、ふと体の力を抜いて娘を地面におろすと、どうやら猫なで声のつもりらしい、紙やすりをこすり合わせたような、ざらざらとした声でこう言った。
「あわれよのう、そちら朝に生まれ、昼にまぐわいて子をなしたかと思えば、夕べにたちまち老い腐れて死んで行く泡のような身の上は。婚礼の儀など、いかにもそちらが好みそうなたわけた茶番じゃわい。おお、ひと臭い、ひと臭いのう」
 
 
  2006年10月26日木曜日午後8時10分、東京都町田

 
 紫色のキリンに救われたい、だなんて、あんたちょっと虫が良すぎねえか、と声を荒げ、
 その若い牛丼屋の店員は、カウンターごしに私を睨みつけた。
 
 怪物の一言は、モーゼの杖の一振りのごとく、人の波を真っ二つに割った。その向こうに小柄な花嫁の姿があった。花嫁は、小さいがよく透る声で応えた。
「ここにおります」
 花嫁の口がまだ閉じるか閉じないかのうちに、人々の間を黒い稲妻が走り抜けたかと思うと、もう怪物は、花嫁の鼻先で、巨大な壁となって立ちふさがっていた。花嫁は、急に目の前が真っ暗になったので、まぶたをぱちくりさせた。すると不意に体が宙に浮いて、上から燐光を放つ二つの目玉が降ってきた。怪物は花嫁をひょいと片手に掴んで、間近に引き寄せたのである。怪物は、品物を吟味する商人のような手つきで、新婦の体をためすがめつし始めた。花嫁は、桜の木のように堅くてこぶだらけの手の中で前後左右上下に転がされながらも、サファイアのような冷たい光を放つ怪物の両の目の中に、鉱物性の悪意がだんだんとせりあがってきて、緑色の妖しい輝きに変わるのを見てとった。
 と、その目のすぐ下で、暗闇が横一文字に裂け、そこから更に暗く禍禍しい闇が現れた。怪物が、やにわに鱶のような大口を開いたのだ。その底知れぬ奥から、髪を焦がすような熱風が押し寄せてきて、花嫁の顔をまともに打った。同時に、じゅうじゅうという鉛が煮えたぎるような騒音が沸き起こった。一同はあわや花嫁が一飲みにされるかと息を呑んだが、娘は、その耳障りなざわめきが、どうやら化け物の笑い声らしいと気がついた。怪物の胸元では、鬼百合の花が、その身の毛もよだつ高笑いに合わせて、花びらを震わせながら、まだらに妖しく瞬いていた。花嫁は、有毒の呼気に思わず顔をそむけながらも尋ねた。
「何をお笑いなさります」
 怪物は笑い止めると、すっと目を細め、低く応えた。
「なに、そちが幾晩もつかと心配での」
「わしは毎年嫁を迎えるが、わしの夜伽の相手に、三晩と耐えた女子はおらんのじゃ。わしはせんかたなく、ぼろくずと成り果てた嫁を食らうことにしておるが、その趣向を毎度考えるのがまたひと苦労での。生で食らうのも、煮るのも焼くのも、干物にするのも飽きたわい」
 
2006年10月22日日曜日午前2時25分、実家
 

 昨日と一昨日は、久々に実家に泊まった。
 中学から大学時代までを過ごした家である。
 夜遅く、かつて私の部屋だった空き部屋に床を敷き、ぼんやりと天井を見上げる。
 そこに描かれている唐草模様の曲線が、昔、女の尻や胸に見えて仕方がなかったことを思い出す。
 今でもそう見える。
 
 人身御供となって、怪物のもとへと嫁がされることになった小間物屋の娘は、それでもチャペルで式を挙げることにこだわったので、安ホテルに隣接した教会堂に一族郎党が集まり、いまや花婿となる怪物の到着が待たれるばかりだった。肩を落として涙に暮れる両親を尻目に、純白のドレスに身を包んだ若い花嫁は、二人の幼い姪っ子を相手にお手玉遊びに興じていた。
 やがて教会の前に一台の黒塗りのリムジンが止まり、遠巻きにこわごわ見守る一同の前で、後部座席のドアがばたんと開いた。とたんに一陣のつむじ風が沸き起こり、ドアから目にもとまらぬ速さで黒いボールのようなものが飛び出したかと思うと、みるみるうちに膨らんで、見上げるばかりの真っ黒な化け物の姿となった。巌のように盛り上がった筋肉で、今にもはちきれそうな黒のタキシードの下からは、二本の牡牛のような蹄が突き出して、柔らかな芝生に深深とめり込んだ。両の袖からは鎌のような鉤爪が三本づつ顔を覗かせ、カチカチと耳障りな音を立てて、互いにぶつかっては火花を飛ばした。そして人の顔ほどもありそうな鬼百合の花を一輪挿した襟元からは、大木の幹かと見まごう首がにゅっと生えて、その上に蛇とも馬とも言いかねる、おどろに髪を振り乱した巨大な真っ黒い頭が乗っていた。その目の痛くなるような漆黒の闇の中で、狡猾で残忍そうな小さな目が二つ、煌煌と青い光を放っているのだった。
 怪物は少しの間、チャペルの前の階段で凍りついたように立ちすくんでいる人間たちを眺め回すふうだったが、やがて静かにこう言った。
「わしの花嫁はどこにおる」
 それはまるで洞穴の中を一時に幾千もの風が吹き抜けたような、およそ生あるものの声とは思えない響きだった。怪物の足元の芝生は、あたりに立ちこめる瘴気に、早くもぱりぱりと小さな音を立てて枯れ始めたが、その息吹をまともに浴びた鬼百合の花は、ふいごをあてられた燠火のように、かえって血の色に燃え上がった。



鬼百合
 
肺魚の化石らしいです
 
 
 昔々、名もない海の彼方の、名もない浜辺で、波打ち際の小さな水溜りに、たった一匹取り残されてしまった魚がありました。その魚は生まれつき、どこかぼんやりしていて機転がきかなかったので、いつしか群れからはぐれてしまい、とうとう海からも見捨てられてしまったのです。
 真上から照りつける太陽と魚との間には、がらんとした空が、ただ果てしなく広がっているばかりでした。海の中から見上げた時の、ダイヤモンドをまき散らしたような優しく心地よい光と違って、裸の太陽は、どこまでも意地悪く、ひとりぼっちの魚に、かんかんと遠慮ない高笑いを浴びせるのでした。
 空しくえらをぱくぱくさせて、魚は考えました。
「ああ、僕の一生にはろくなことがなかった」
 もう腹を湿らせるばかりの浅くて温い水を、ひれでパシャパシャと叩きながら、なおも魚は考えました。
「それにしても、これはあんまりだ。僕がいったい何をしたというのだろう」
 魚は知りませんでした。彼の前にも、同じように嘆きながら、同じように死んでいった同類が、この海が生まれてからこのかた、寄せては引いてきた波の数と同じほどいたことを。そして、自分がこれから、天の気まぐれで、いま少しの命を与えられるだろうということも。
 まして、彼がこれまでよりも、もっと不愉快でもっと骨の折れる生活を何とか乗り切った後、彼の子孫がやがてトカゲや鳥や獣やヒトとなって、大地を闊歩したり、空を飛んだり、パチンコですったり、電車の中で手鏡とにらめっこしたりするであろうことなど、背びれを原始の太陽にじりじりと灼かれながら、ぬかるみの中でのたうち回っている一匹の魚には、夢にも知りようがなかったのです。
 
2006年10月17日火曜日午前11時55分、近所のスーパー前
 

 同じ日に生まれた飼い犬にシャボン玉を吹かせようとして、母親にひどく叱られた少女は、次の日もずっと黙りこんだままだった。
 
 
   2006年10月14日土曜日午前8時50分、表参道
 
 
    至極あたりまえの話だが、写したその時の私の気持ちなどが、写真に写っている
   はずもないのである。
 
 
   2006年10月13日金曜日午後8時40分、アパート付近


   気まぐれでブログタイトルを変更してみました。
   坂口安吾の同名の短編小説より。
   でもすぐ元に戻すかもしれません。
 
 
  2006年10月11日水曜日午後12時41分、アパート付近
 
 
  ふとロシアに行ってみたくなる。
  錆色の曇天、一歩ごとに長靴にまとわりつくぬかるみ、湿り気を含んだ冷気、
  遠くで響く犬の鳴き声…
  そんな風景の中を、毛皮の帽子を耳まですっぽりとかぶって、外套のポケットに
  両手を突っ込み、まるで巨きな何かに打ちひしがれたかのように、肩を落として
  とぼとぼと歩いてみたい。
  で、日暮れまで歩いた後は、宿に戻ってボルシチと黒パンとウオッカ。
 
 
2006年10月10日火曜日午後2時、中浦和駅


  O Freunde, nicht diese Töne!

  (おお友よ!もうこんな歌は止めよう!)


2006年10月10日火曜日午後1時55分、別所沼公園前2006年10月10日火曜日午後1時50分、別所沼公園
 
  
   2006年10月8日日曜日午後5時45分、鶴見川沿い



    四月と十月のどちらが好ましいか、といったことは

    かわせみにとって、実はそう重要な問題ではないのだ、

    という趣旨のことを、太宰治に向かって長々と問いている夢を見た。

    太宰はあぐらをかき、腕を組んだまま、ずっと黙って聞いていた。
 

     2006年10月6日金曜日午後10時、近所のスーパー前


     嗚呼、ラーメン食べたい。
 もう何日か前のことになるが、あるブログに、自主映画の上映会を見に行ったときの感想が記されていた。
 一読して、ざわざわと血が騒いだ。
 私自身も恥ずかしながら、つたない「自主映画」を何本か作ったことがあり、仲間内でささやかな上映会を開いたことがある。
 だから、そこに書かれている出来事の一つ一つが身につまされ、到底他人事とは思われない。私は時に赤面したり、時に青ざめたりしながら、その辛らつな記事を読み終えたのである。
 もったいぶって「あるブログ」などと書いたが、そこの管理人さんとは、ネットを介してかなり親しくお付き合いをさせてもらっている。この記事も、直ちにその人に読まれるだろう。また私もそのつもりで書いている。
 その人は(仮にYさんとしておく)、特にその方面に明るいというわけではないらしく、たまたま知り合いのH氏なる自主映画作家(?)に招待されて会場に赴いたらしい。それにしてもYさんの感想はクソミソだ。とにかくよほどひどい上映会だったのだろう。
 さて、私はある夢想に陥ってしまう。私がもし、Yさんを自分の上映会に招待できたらどんなだろう。Yさんとの関係はあくまでネット上の付き合いでしかないので、顔も声も知らない。私は、Yさんを招待した人物に、正直ちょっと嫉妬しているのである。
 そこでふと、太宰治の『パンドラの匣』という小説を思い出す。療養所で闘病生活を送る二十歳の青年を主人公にした小説である。どこまでも明朗でさわやかな小説だが、構成に少し捻りが加えられている。「ひばり」と呼ばれるその青年は、身辺で起こる出来事を一人の親友に宛て書き送るのだが、その手紙がそのまま小説となっているのである。
 私は「幸福」ということについて考えるとき、いつもこの小説の一場面を思い浮かべてしまう。物語の後半で、今まで手紙を書き送ってきた相手が、主人公の目の前にふいに現れる場面である。そこでは、病人を親友が見舞うという、それ自体はごくありふれた出来事が、この小説の持つ語りの構造の中でショートを起こし、目もくらむような幸福となって迸るのだ。ちょっと長くなるが、その部分を引用してみよう。

 マア坊が「お客様ですよ」と言って、君を部屋へ案内して来た時には、僕の胸が、内出血するほど、どきんとした。わかってくれるだろうか。久しぶりに君の顔を見た喜びも大きかったが、それよりも、君とマア坊が、まるで旧知の間柄のように、にこにこ笑って並んで歩いて来たのを見て、仰天したのだ。お伽噺のような気がした。これと似たような気持を、僕は去年の春にも、一度味わった。
 去年の春、中学校を卒業と同時に肺炎を起し、高熱のためにうつらうつらして、ふと病床の枕元を見ると、中学校の主任の木村先生とお母さんが笑いながら何か話合っている。あの時にも、僕は胆をつぶした。学校と家庭と、まるっきり違った遠い世界にわかれて住んでいるお二人が、僕の枕元で、お互い旧知の間柄みたいに話合っているのが実に不思議で、十和田湖で富士を見つけたみたいな、ひどく混乱したお伽噺のような幸福感で胸が躍った。
(『太宰治全集 8』 ちくま文庫 pp.125-126)



 私は想像する。自らの上映会場にYさんを見出したH氏の気持ちも、まさに「十和田湖で富士を見つけたみたいな、ひどく混乱したお伽噺のような幸福感」だったのではないか。しかし、ブログの記事を読む限り、YさんとH氏との出会いの場となった上映会は、Yさんにとって決して幸福な場所ではなかったようだ。私は同じ自主映画に携わる一人として、この悲劇を心より悼むものである。すっかり前ふりが長くなってしまったが、私はこれからおせっかいにも、沈黙したままのH氏になりかわり、Yさんの記事に散見される悲しむべき誤解を解こうというのである。私はもちろんその上映会には行ってはいないのだが、経験上、Yさんの文章から、全ての状況が手に取るように分かるのだ。

上映作品の紹介が書かれた紙を渡される。
読んで口元をゆがめる。仲間内でほめあっているのが、なんとも見苦しい。
(以下太字は全てYさんの記事からの引用)


 私は今、胃袋がきりきり痛み、耳たぶがかっと熱くなるのを感じている。私もかつて、上映会の冊子に歯の浮くような大言壮語を書き散らし、仲間内からさえ顰蹙を買ったことがある。

芸術家はみな、じぶんが世界でいちばんだと思っている。
そう思わなければ芸術などやれないという事情もある。
他人の作品に感動することなどめったにない。
だが、人様からの賞賛をもっとも必要とするのがこの芸術家という種族。
このため大したことのない芸術作品をほめる。
かわりにじぶんの作品もほめてくれと暗に要求しているわけである。


 しかしである。私は、自分自身がかつて、どんな思いで自他の作品を褒めちぎっていたかを思い出すにつけ、このYさんの分析には首を傾げざるを得ないのだ。Yさんは間違っている。芸術家が真に必要とするのは賞賛や賞賛者ではない。芸術家が本当に必要とするもの、それなくしては窒息してしまうものは別にある。それは「叫び」と「同志」なのだ。
 どんな表現者も、それが映画監督であれ、小説家であれ、画家であれ、音楽家であれ、最初は大道でひとり泣き喚く孤児のようなものである。路上でひっくり返って大口開けて泣いている子どもに、「黙れ」と命令して何になるだろう。あるいは逆に「君はえらい、いい子だ」などとほめ言葉を与えて何になろう。孤児が望むのは、できるだけ大きな声を張り上げて、できるだけ遠くにいる人に自分の存在を知らしめることでしかない。そうしなければ死ぬからだ。そのためには、できるだけ声が大きいほうがよい。一人より二人のほうがよい。二人よりは三人のほうがよい。
 Yさんは、そんなさまを「なんとも見苦しい」という。それはある意味で的確な表現だ。何の後ろ盾もない成り上がりものが、見苦しくなく振舞うことができるだろうか。そもそも「見苦しくない」状態とはどういうことだろう?最初から保護者がいて、はしたなくわめかずに、お上品にすましていても、なにくれと世話を焼いてくれる状態のことだろうか?そんなことがありえるのだろうか。あるいは、そんなことがありえたとして、それは望ましいことなのだろうか?

そうそう、映画の直後だったか。
この映画の主演女優によるライブが。バンドというのか。
彼女は顔をくしゃくしゃにさせて、自己陶酔している。
これは歌ではない。騒音である。顔をしかめる。さいわい2曲で終了。
大笑いしたのがこのあと。歌手はいう。
「聴いてくれてありがとうございます。
この曲を収録したCDを、あの、無料ですので、もらってくださいませんか」
一人ひとりに丁寧に手渡し。じぶんの立ち位置をよく把握していると感心する。
この女優、いや歌手か、音楽会社の名刺でも見せられたら、なんでもするんだろうな。


 私はこのバンドの才能如何については何も判断しようがない。しかし、無料でCDを手渡すという彼らを「大笑い」するというのがなんとも解せない。「じぶんの立ち位置をよく把握している」?「立ち位置」という言葉で、Yさんがいわんとしていることは何か?才能か?名声か?いずれにしても、無料でCDを差し出す彼らを、Yさんは卑屈な乞食のようにみている。つまり、Yさんは、「持たざるもの」が天に向かって吼えれば「頭が高すぎる」と笑い、地面に這いつくばれば「卑屈だ」と笑うのだ。私はその「歌手」が「音楽会社の名刺でも見せられたら、なんでもする」かどうかは知らないが、それは恥ずべきことなのだろうか?

 ここまで書いて、ふと気が付く。そういえば、Yさんは小説家志望なのだ。これで、われわれ(私?)とYさんの物の見方の違いが、ある程度説明できるかもしれない。文学は、いわゆる「新人賞」なる制度によって、H氏の上映会に集った面々が隠しようもなく漂わせている泥臭さを、とりあえずは目に付かないものにしているのである。つまり、「才能」さえあれば、「ある朝、突然に」日の目を見ることができるだろう、幸福になれるだろうという神話がそこにはあるのだ。だからYさんには、才能がない(かのように見える)無名の人間が、せいぜい数十人単位の関係の中で、どぶ板選挙じみた足掻きをしているのが滑稽に見えて仕方がないのだろう。
 でも、表現なんて、そもそも泥臭いものではないか?自分の個人的な叫びを、人様の限りある時間を拝借して聞いてもらおうというのだから、何かを表現するということが、きれい事ですむはずがないのだ。最初から大ステージの満員御礼を望むのは、子どもの空想に過ぎない。まずは友達からそのまた友達、はては親兄弟や親戚縁者に至るまで無理やり呼び込んで、大いに恥をかく、というのが出発点であるべきだ。それに、それ以外にどうしろというのだろう?

これみよがしにため息を何度もつくが、
最前列にいるこの映画監督はうしろを振り向かない。
かわりにわたしが振り返る。客席は30人。半数が目をつむっている。
まあ、寝ているわけだ。わたしのような不眠症はこういうときにも損をする。
まえにある座布団をこの映画監督へ投げつけてやろうと何度も思う。
地獄の88分が終了。この作品だけである。拍手がひとつもない。
聞こえてくれと思いつつ「つまらない~」と小声でいってみる。
Tというこの映画監督は、聞こえたのかどうか。こちらを向くことはない。
(中略)
映画監督はじぶんの映画を最前列で見る。決して客席を振り返らない。


 これはある意味、きわめてYさんらしい意見である。Yさんは、常日頃から「読み手」のことを考えて文章を練るということを実践している。ここでは観客そっちのけの映画監督の態度が批判されているのだが、私はこれにもいくつか異論があるのである。まず、監督が最前列に座っている場合、多くはプロジェクターか映写機の傍らに座っているのであり、つまり監督が自らの作品の映写係および音響係となっていることが殆どである。これがまず、監督が最前列に座っていることの物理的理由。そして、もう一つが心理的な理由である。最前列に座ることを余儀なくされた監督が、果たしてちらちら後ろを振り向くなんてことができるだろうか?そんな光景を想像して御覧なさい。その監督は、ずいぶん下衆で卑小な印象を与えるだろう。というか、観客のほうで迷惑だと思う。
 しかし、後ろを振り向かない監督が、観客そっちのけで自分の世界に入り込んでいるだろうというのは大間違いで、かれらは常に、後ろの観客の存在を背中でひしひしと感じているものなのです。監督をやってると、背後から不気味にのしかかってくる、その大いなる沈黙に押しつぶされそうになることも、決して珍しい体験ではない。上映会での監督は、まずもってこの孤独を耐えなければならないのです。Yさんが背後で毒づいていたとき、その前にいた監督さんは、さぞかしやるせない思いをしていたことだろう。

 頼まれもしていないのに、長々と未知のH氏の弁護をしてきたが、私はあえて個々の作品の才能のあるなしについては言及を避けてきた。もちろん見ていないので言及しようにもしようがないのだが、これだけは声を大にして言いたいのである。結局才能があるから表現するのでも、賞賛を求めて表現するのでもないと思うのだ。ひとは、他に生きようがないから表現するのである。それは断じて笑われるべきではない。
 しかし、私はこうも思うのだ。これほどの酷評を浴びながらも、やはりYさんを招待したH氏は嬉しかったのではないか。この「場所」にYさんがいたことが、幸せだったのではないか。Yさんは「十和田湖の富士」だったのではないか。
 
  2006年10月3日午後3時15分、アパート前


 昼過ぎに目を覚ます。
 ビールを飲みながら、朝飯とも昼飯ともつかぬ食事をとる。
 昼寝する。
 再び目を覚ますと、もう夕方である。
 スーパー銭湯に行きがてら、近所をぶらぶらする。
 帰ってから夕飯。
 当然ビールを飲む。
 全てこの世はこともなし。


2006年10月3日午後5時15分、南浦和駅近辺2006年10月3日午後5時、南浦和駅近辺2006年10月3日午後5時10分、南浦和駅近辺
 
  2006年10月1日午後12時、アパート付近


 でも夕方からまた雨。
 
  2006年10月1日午後3時30分、文京区


 イベント二日目。
 昨日とはうって変わって、客足がばったり途絶える。
 がらんとした会場に、ただ雨の音が反響している。
 この幸福感。