
人類の進歩は、コンビニに並ぶカップ麺の品数で測られる
とは、一体誰の言葉だったか。
誰もそんなことを言ってやしない。
この僕にだって、そんなことを断言する勇気はない。
それに、そんなことを断言するほどの責任感も倫理観も、僕にはさらさらないのだ。
それにしても、朝からの冷たい雨に濡れそぼりながら思い出すことは、
さっき受け取ったつり銭の500円玉が、僕の手のひらで立てた、ちゃりんという響き。
貨幣と商品との交換は、暗闇の中の跳躍のようなものだ
とは、一体誰の言葉だったか。
これは確かに、いつかどこかで誰かが言った言葉。
そう、さっき能面のような顔をしてレジ打ちをしていた若い女店員の手から、
まるで汚いものでもあるかのように零された500円玉は、
数センチの漆黒の闇を落下して、ほんのちょっと先に到着していた10円玉と、
僕の手の上で激しく衝突したのだった。
その音が、決して宇宙全体を揺るがせたりはしなかったのは、
思えば何とも不思議なことだ。
硬貨たちが落下した数センチの空間は、
実は無限によってしか測られえないような、果てしもない深淵だったのに。
僕は想像する。
人に喜びも悲しみも決して見せようとはしないあの女店員が、
ある時、人知れず、苦い涙を一粒、落としたとして、
自らを照らし出す一片の言葉すら与えられずに、
そのまま地中深く、どこまでも沈み込んでいった、その涙が、
めぐりめぐって、千年の後に、どこかで蓮の花を咲かせる様を。
それが何になる
と、僕の目の前を通りすぎた猫が言った。




テンプレのレイアウトをちょっと変えました。
これで横長の写真も、かなり大きなサイズで見ることができるようになりました。
今まで横長の写真をアップするときに、内心かなりのフラストレーションを感じていたので、これを機会にうさを晴らしたいと思います。
今まで発表したものの他、数点、「これは小さく見せても伝わらないよなー」という理由でボツになった写真をまぜて、まとめて公開させていただきます。
まあ、自己満足以外の何ものでもないのですが、少しでも楽しんでもらえたら幸いです。
G商店街、午後6時59分、
まばらな買い物客たちが、三々五々、急ぎ足でアーケードの出口に向かっている。
気の早い店主たちは、もうガタガタと音を立てて、シャッターを閉め始めている。
子供たちは、とうに家に戻って食卓の前に座っている。
そんなつかの間の、のっぺらぼうの時間、
誰も彼もがよそよそしい顔をして通りすぎて行く、
そんな置き捨てられた時間に、
いつの頃からか、時々、一つ目の小鬼が現れるようになったそうな。
その小鬼は、何の化身か、身の丈1メートル足らず、
青銅色の、ひびが入った古タイヤのような肌をして、
特に何をするでもなく、物陰から、お椀ほどの目玉を見開いて、
舗道にはみ出た色とりどりの果物や、合成皮のサンダルや、
朱色に塗られた小さな箸などが、
しらじらとした蛍光灯の光を、行く当てもなく反射している様子などを、
ただじーっと眺めているそうな。
その少し青みがかった水晶のような目の玉は、
何かを語るには、あまりに透き通ってはいるけれど
やはり幾分か灯りを反射して、
まん丸のその淵が、てらてらと濡れたように光っているそうな。
その様が、時々泣いているようにも見えるそうな。
さて、もしそんな小鬼に出くわしてしまったら、
一体私に何ができるだろう。
(何もできまい!決まり切ったことだ!)
そんなことを、考え考え、歩いていたら、
目当てのスーパーをだいぶ通り過ぎてしまった。
――私は地方主義者だ。それがありのままの私だ。私はつねにどこかの場所に所属している。どこへでもいいから私を置き去りにしてみたまえ。渇いた、生き物などまったくない、死に絶えた、そこで暮らしたいと思う人など一人としていないような不毛の土地に――私はそこで育ちはじめ、瑞々しくふくらむだろう。スポンジのように。私には抽象的な国際主義はありえない。将来のための足がかりを作っておこうとも思わない。私には、「いま」と「ここ」しかない。それは私が、むりやり故郷からひき離されたためだろうか? 私がつねに新しい故郷を求めるのは、あそこ、あの土地以外のどの場所の人間にもなりきれないからだろうか? あの私の幼年時代があった土地。もう永遠に取り戻すことはできないであろうか?
――ジョナス・メカス
(『メカスの映画日記』 飯村昭子訳 フィルムアート社 1993年改訂版 序文より)
問い : 一体、こんなことばかりしていて良いのでしょうか?
答え : はい、良いのです。
『カルメンという名の女』
ジャン=リュック・ゴダール監督 フランス映画 1983年 映画のラストの有名なやりとり。
カルメン「あれは何と呼ぶの? 一方に罪なき人、一方に罪ある人…」
ホテルのボーイ「存じません、お嬢様」
カルメン「探すのよ、バカ」
ボーイ「存じません、お嬢様」
カルメン「皆が全てを失敗しても、陽は昇り、呼吸する空気がある…」
ボーイ「それは暁と呼ぶのです、お嬢様」 つまり、恐れのない目で見れば、全ては美しい、ということだ。
その中でも、とりわけ人間は美しい。
その冷淡さも、愚鈍さも、美しい。不能であることすら、美しいのだ。
ゴダールの映画があれば生きて行ける。
しかしゴダール本人は、劇中でこんな台詞を吐く。
「美は耐えなければならない恐怖(テロル)のはじまりなのだ」