昨日のこと。
鎌倉湖(通称。正式名称は「散在ヶ池」という何だかつかみどころのない名である)をひと目見ようと、北鎌倉駅から歩き始めたが、地図の不案内で大きく遠回りをすることになってしまった。
この神社は、その途中でたまたま立ち寄ったものである。
なんの変哲もない、さびれた神社だが、そこに立っていた詩碑の文句がちょと目にとまったので書いておく。
くむ酒は 是(これ)風流の眼(まなこ)なり つきを見るにも花を見るにも うまいことを言うと思う。
また、これくらいの歌なら俺にも詠めそうだという気もする。
隣に立っている案内板によれば、この歌の作者は、天廣丸と号した江戸後期の狂歌師だということである。
出生の地がこのへんだということなのだろう。
その案内板には、天廣丸の辞世の歌も記されていた。
心あらば 手向けてくれよ酒と水 銭のある人 銭のない人
朝、目を覚ますと、ひどい二日酔である。
大口を開けてあえぎながら、這うようにして会社にたどりつく。
昼休み、近くの公園で一眠りする。
少し楽になる。
友人と、まだ日が高いうちから飲み始める。
友人が土産に持ってきた、アルコール度数56度という中国の安酒を、調子に乗ってぐいぐい煽る。
まあ破滅型といってよいその友人が、心配そうな眼差しで見守っている。
それが何だか嬉しい。
勝った!という感じである。
しかし天罰覿面で、まだ宵の口だというのに足腰が立たなくなり、天地がぐるぐる回り始め、キリキリ舞いしてソファーベッドに倒れこんでしまう。
友人は呆れ顔で帰っていった。
ごめんねYさん。
長らく外国を放浪していた友人が帰国したので、アパートに招いて酒盛りをすることになった。
待ち合わせ時間よりも大分早く家を出て、あちこちをぶらぶらする。
すると、少し遅れるとの電話。
川べりで、風に当たりながら、ぼーっと待つ。



私は5年前の春までの数年間、高田馬場四丁目の古い木造アパートで暮らしていた。
もとは診療所だった建物である。家主の医者が亡くなり、その息子が地方で開業した後、残された老いた母が、生活費の足しにと間貸しを始めたのである。その老婆は、診療所とL字型につながっている母屋の一階に独りで寝起きしていたが、私が住んでいるうちに老人ホームに引き取られていった。
私が借りていた、二階の突き当たりにある六畳の板張りの部屋は、もとは分娩室だったという。
日当たりはよかった。木々が茂り、小さな池まである中庭がすぐ見下ろせた。
そこには大きなヒキガエルのつがいが住んでいて、夜、「コウ、コウ」と寂しげな鳴き声を立てたものである。
私はその部屋が好きだった。
もっとも私の隣人たちは、いずれも一癖も二癖もある変人ぞろいで、諍いが絶えなかった。共同便所を汚したと言っては怒鳴り込んでくる職人風の男。この男は背が低いのに、体が横方向にがっちりと発達し、特に夏などは、赤銅色に日焼けした裸の上半身が、蟹のような印象を与えた。
階段の脇の部屋に住んでいた、神経症気味の中年男。彼は、共同玄関の靴の置き方が乱れていると、それらの靴を黙って捨ててしまうので閉口した。
紅一点の韓国人の若い女性。彼女は誰とも口をきかず、あまり部屋の外にも出なかったが、真夜中トイレに立った時に、洗面所で静かに髪を洗っているのをよく見かけた。
日中、家主の老婆の介護にやってくるヘルパーのおばさんは、なぜか私たち住人を眼の敵にしていて、私が板の間に寝っ転がって昼寝をしている時など、下の中庭で、大声で悪口をまくし立てているのがよく聞こえたものである。
私は笑って聞き流していたが、ある時から、私も彼女を敵視するようになった。彼女はある日、「ああ気持ち悪い」などと毒づきながら、池のヒキガエルとオタマジャクシとその卵を、一時に虐殺してしまったのだ。
今ではその診療所だった建物は取り壊されて、敷地には小さくて小奇麗な賃貸アパートが三棟並んでいる。老婆は私が引っ越した時、既に齢九十を越えていたので、もう亡くなっているだろうと思う。
今回撮影したのは、私が住んでいた場所から、早稲田通りを隔てて反対側にある界隈である。そこにはかつて友人がひとり住んでいて、よく金の貸し借りなどをしたものである。彼は画家志望だったが、田舎に引っ込んでしまい、中学校の教師と結婚した。まだ子供はない。

夜、銀座にて友人の監督した映画の試写会に出席する。
それにかこつけて正午に会社を出、以前住んでいた高田馬場からぶらぶら歩き出し、鬼子母神を経て、東池袋に至る。
明治通り沿いの古書O堂にて買い物。
なぜこのような日記ふうの文章を添えるのか――
写真には分節がない。区切りがない。ただ無際限な現在だけがある。
深夜、自分の撮影した写真と黙って向き合ってると、時々空恐ろしい気持ちに襲われることがある。
自分に昨日までの歴史があり、そしてひとたび眠りにつけば、新しい朝がやってくるだろうということすらが、何だかおぼつかなくなってくるのだ。
誰が(私が。もちろん!)、どこで、何を、どのように、なしたか。
それを言葉にしなければならない。
私がアメーバのように終わりなき現在の中に溶け出てしまうのを、何とか食い止めなければならない。
今日の収穫:
『メメント・モリ――私の食道手術体験』 後藤明生 中央公論社 1990年初版 1050円
『メランコリーの川下り』 谷川俊太郎 思潮社 1988年初版 650円
『真っ白でいるよりも』 谷川俊太郎 集英社 1995年初版 680円
『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』 谷川俊太郎 青土社 1975年初版 520円
※以前「北鎌倉」のタイトルで発表した記事を、「鎌倉 その1 北鎌倉」と改題しました。
三連休の最後の日。
清澄白河駅近くのギャラリーで中平卓馬の個展を見る。
ギャラリーの奥の丸テーブルでは、中平氏本人がしんねりむっつりと座っていた。
その後神保町までぶらぶら歩く。
K書店で買い物。
日が暮れた後、渋谷に出て知人と飲む。
今日の収穫:
『疑問符で終わる話』
後藤明生 河出書房新社 昭和48年初版 2500円