観光コースから少し外れたところにその墓所があった。
あまり人が訪れることはないらしく、由来を記した案内版なども見当たらない。ただ、ふもとの道路に面して建てられた石碑に、後醍醐天皇の親王である護良親王の墓所だと簡単に示されているのみである。
その背後で石段が一筋、ほの暗い森を二つに割って、高く真っ直ぐに伸びている。なんとなく気になって、登ってみることにする。音を立てて群がってくる大きな蚊を打ち払いながら、滝のようにこめかみを滴り落ちる汗をぬぐいぬぐい、百段以上もあるかと思われる石段を登り切ると、そこは木々に囲まれた、階段の踊り場のような狭い土地である。その先は鉄の門で閉ざされていて、さらにそこから数メートル続く石段の上に、特にどうという特徴もない墓石が立っているのが見える。ただそれだけである。門の前には花が献じられている。花々はまだ瑞々しく、木漏れ日をスポットライトのように浴びて輝いている。あるいは毎日でもこの石段を登って花を手向けているひとがいるのかも知れない。
後でネットで調べたら、この護良親王なる人物は、若くして非業の死を遂げたということである。
国立近代美術館に写真展を見に行く。
数年前に亡くなった写真家、アンリ・カルティエ=ブレッソンの回顧展である。
恥ずかしながら、この写真家については、辛うじて名前は知っているという程度の知識しかなかった。これまで今回の展覧会の存在も知らなかったのだが、数日前の夜、友人から突然電話がかかってきて、熱烈な調子で薦められたのである。
その友人には感謝をしなければなるまい。
展示を見ながら、何度も背中を電流が駆け抜けるのを感じた。これだよ!写真は!という感じである。我、天命を見出したり!という感じである。
かなり大規模な展示会で、展示作品は数百点はあったように思う。その順路の半ば過ぎあたりから、何だか体がうずうずしてきた。早くここから外に飛び出して、自分で写真が撮りたくなってきたのである。
最後の遺品のコーナーは端折るように駆け抜けて、ほの暗く空調の効いた美術館から、うだるような炎天下に踊り出る。街が撮りたい!人が撮りたい!
美術館のある竹橋と、勝手知ったる古本の街、神田神保町とは目と鼻の先である。ところが日曜日の古書店街は半数以上の店が閉まっていて閑散としており、肩透かしを食わされた。仕方がないのでさらに歩いて秋葉原に出る。ここは表通りにも裏通りにも人が溢れている。
しかし、である。何かがおかしいのだ。思ったように写真が撮れない。直上から照りつける太陽と街の熱気に脳髄を灼かれながら、悩み悩み、いたずらに歩き回る。上の写真も「あれ?なんで俺こんなの撮ってるの?」と訝しみながら撮ったものである。
だが、考えてみれば当たり前の話なのだ。天才の写真を見て感動したというだけで、天才的な写真が撮れてしまったら世話はない。古いたとえだが、やくざ映画を見終わった後の観客が、肩で風を切って劇場から出てくるのと、ちょうど同じような現象が私にも起こったということなのだろう。
でも、私はここで、映画監督のフランソワ・トリュフォーの言葉を思い出す。
「もっともすばらしい映画とは、扉が開かれるような印象を与える映画であり、そこから映画が始まるようなもしくは、今あらためてまた映画が生まれるような感じを抱かせてくれるものだ」 カルティエ=ブレッソンの写真も同じだと思う。それらは単なる過去の記録ではなく、見るものの現在に直接訴えかけてくる。整然と並べられた四角のフレームからはみ出し、観客の魂を鼓舞し、挑発する。お前の今生きている現実は、本当はこんなものじゃない、お前が望みさえすれば、世界はもっと美しく、すばらしいものになりうるはずなのだと、優しく厳しい叱咤を飽くことなく繰り返す。
もちろん、それらのメッセージはある意味でフィクションである。それらは、夢の中の飛行の体験に酷似している。歌の文句ではないが、誰もが、行きたい場所に行けるわけではないのだ。今日の私自身が、まさにそれを証明している。
にもかかわらず、私は進んでその法螺を信じようと思う。まあ撮り続けてさえいれば、脆くてささやかな自己満足と、砂を噛むような幻滅を繰り返した果てに、何かの間違いで、芸術の神様が微笑んでくれないとも限らないではないか。