尾道で撮った最後の一枚。
多少センチメンタルになってしまったのはお許しくださりたく。
延々と続いたこのシリーズもこれにておしまいです。
酔狂な企画に長々とおつき合いいただいた皆様、どうもありがとうございました。
さようなら、尾道。また会う日まで。
尾道は海運で栄えた町として古い歴史を持つ土地だが、山の斜面を細い坂や路地が縦横に這い回っている特異な景観は、実は比較的最近現れたものらしい。
明治のころ、尾道に鉄道が開通した。そのとき立ち退きを迫られた周辺の住民が、もともと平地の少ない海っぺりの土地ゆえ、余儀なく山へ山へ、上へ上へと追いやられて行ったのが「坂の町」の始まりだというのだ。
この覚めて見る夢のような幻惑的な土地が、近代化の波という、それ自体は風情もへったくれもない騒々しい現実から産み出されたというのは、何とも不思議な話である。
とはいえ、この町を実際に作ったのは国家でも鉄道会社でもなくて、それらの勝手な都合に人生を振りまわされた人々なので、この町に棲む夢魔は、情け容赦もない現実から自らのささやかな生活を精一杯守り通すべく、崖のような急斜面に石段を作り、井戸を掘り、家を建てた彼らのけなげさとしたたかさから香り立つのだろう。
そして、その人知れぬ歴史も、今やどうやら終わりに近づいているらしい。細い裏道を歩いていると、廃屋の多さががいやでも目に付く。急な坂道を大儀そうに上り下りしているのは、私のような観光客を別にすれば、腰の曲がった老人ばかりである。おそらく、あと10年か20年かの後には、この一帯はゴーストタウンになってしまうのではないだろうか。
さびしいことである。でも、それでもいいじゃないかという気もする。充分頑張ったんじゃないか。尾道は、坂の町であるとともに、名刹、古刹の町でもあるが、私は何百年も長らえている寺だの神社だのが美しいと思ったことは一度もない。始まりがあれば、終わりもある。それでいいじゃないか。近代化と過疎化という、教科書に載るような大きな歴史、公式の歴史、冷たい歴史の間に挟まれて、今この町は、闇と泥濘の中で育った真珠のように輝いている。

1月7日から9日まで、尾道に滞在していた。
6日の夜、高速バスにて東京を出発。7日早朝に福山駅着。山陽本線で尾道に向かい、それから三日間、朝から晩まで、尾道のあらゆる路地を歩き尽くして、9日夜発の高速バスで帰るという、貧乏性とリアル貧乏がなせる強行軍である。
上の写真は、7日の朝7時に尾道駅の改札を出た後、朝食がとれる店はどこかないかと、空き腹抱えて街をさまよいながら撮ったものである。かなり大きな街なので、牛丼屋やハンバーガー屋の1軒くらいはあるだろうと思いきや、東西に長く伸びるアーケード街を歩けど歩けど、閉ざされたシャッターが並んでいるばかりで閉口した。
(しばらくこのシリーズ続きます)
今年もよろしくお願いします。