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2008年02月19日15時58分、中央区築地、中央卸売市場、ここが私のポジションだった

 
 
 
 
2008年02月19日16時02分、中央区築地、中央卸売市場

 
 
 
 
2008年02月19日16時05分、中央区築地、中央卸売市場

 
 
 
 
2008年02月19日16時07分、中央区築地、中央卸売市場

 
 
 
 
2008年02月19日16時31分、中央区築地、中央卸売市場



 もう大昔のこと、まだ20世紀の時分に、私は一時期、築地市場で警備員をしていたことがある。
 夕方から翌朝までの、たしか十五時間の勤務だったと思う。
 季節は年の暮れだった。
 市場の喧騒は、夜明け前あたりにピークに達し、通路はトラックと大八車とターレットと呼ばれるエンジン付きの荷車で隙間なく埋め尽くされる。
 そんな中で、私たちの仕事は、場内のゴミ捨て場の前に立ち、作業員に向かって、ちゃんとゴミを分別しましょうと呼びかけるという、まことに結構なものだった。
 私たちの職務は表向き、不法投棄の監視に過ぎなかったが、殺気立っている荒くれ男どもは私たちの声にはてんでおかまいなしで、さばいた後の魚の残骸を、ビニールや発泡スチロールなどとごたまぜにしてドカドカと放り捨てて行く。中には焼酎を一杯引っ掛けてからやってくるような強者もいて、へたに声をかけようものならボカンと殴られかねなかった。結果、私たちは仕方なく、魚の血と臓物にまみれながら、せっせと分別にいそしむことになったのである。
 正に3K(死語か?)仕事ど真ん中の職場だったが、私はそれほど嫌いではなかった。真夜中、無数の灯りが煌煌と輝く下で、人と車が大河となって轟々と流れてゆく様は、何か気持ちを浮き立たせる眺めだったし、自分がその流れの一部となって手足を動かしているという感覚も好きだった。私は魚の返り血を全身に浴びながら、何の屈託もなく、雨の日のアマガエルのように、あっけらかんとして業務に励んでいたのである。
 それでも、私がことのほか好きだったのは、月に何度かある市場の休業日の警備だった。この日だけはいつもの人波は魔法のように消え失せて、がらんとした暗い構内には人っ子ひとり見当たらない。暮れの夜中の寒さの中、私は一人、ゴミ捨て場の傍らのパイプ椅子に座り、することもないので、明るい上弦の月が隅田川の上をゆっくりと西に渡って行くのを何時間でも眺めていた。市場を覆う巨大な闇の奥で、小さな灯りがいくつか瞬いていた。その遠くでかすかに揺れているオレンジ色の灯りは、ずっとすが目で凝視し続けていると、だんだんにぼーっと滲んで見えた。私は分厚い防寒着の襟を合わせて、俺は今、何でこんなに幸せな気分なんだろうと自問した。
 今から思うと、この頃の私は心身ともに若くて健康だったのだ。悲しいほどに、健康だった。勤務中、4時間の仮眠の時間が交代で与えられたが、私はこの時間を読書にあてていた。黄ばんで湿っぽい詰所の畳に腹ばいになって、できるだけ難解な本を読みふけった。フーコーの『言葉と物』を読破したのもこの時である。同僚たちは気取っていると揶揄したが、私は意に介さなかった。仕事が、日常が、体と心をあまりに悩みなく滑らかに流れて行くので、脳がものたりぬと不平を訴えていたのである。隙あらば惰眠を求めてくる現在の私の頭脳からは想像もつかないことである。
 私はニコニコと笑いながら、同僚たちとは適当な距離を保っていた。また同僚たちも、それぞれに個人主義者だったので、私はまあまあ快適に過ごしていた。自衛隊を辞めてホストになり、ヤク中になったというタヌキのように目をクリクリさせてしゃべる若い男がいた。やはり自衛隊くずれの若者がもう一人いて、彼はタヌキとは逆に寡黙で暗い目をした男だったが、病的なミリタリーマニアで、毎日大きな黒いバッグにその手の雑誌をぎっしりと詰めこんで出勤してきた。「自分は指二本で人が殺せます」が彼の口癖だったが、遅刻が多く、ある朝タヌキに制裁を食らってから出てこなくなった。人妻と不倫をしていることが唯一の自慢である五十がらみの大男もいた。一番の変り種は、借金で郷里を追われたという元村長さんで、伴淳によく似たこのじいさんは、いつも笑みを絶やさず、小柄な体で勤勉に動き回っていた。
 私は数ヶ月でここを離れ、別の現場に移ったが、あきれたことに、私の後釜に入った男が場内で自転車を盗み、直ちに見つかって大騒ぎになった。たぶんその事件で、私のいた警備会社と市場を管理する東京都との取引は打ちきられたのだと思う。もっともそこは、誰も行きたがらぬ現場だったので、警備員たちは胸をなでおろしたに違いない。私は好きだったのだけど。
 築地を訪れたのは、それから十年以上ぶりだろうか。夜、銀座で友人と飲む約束があったので、ふと思い立ち、夕方の閑散とした場内を一時間ほどかけて歩き回った。何も変わっていないように見えた。ひとりでアハハと笑いながらシャッターを切った。
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