昨日(水曜日)。
神保町のK書店で久々に散財をする。
後藤明生 『歴史と文学の旅 雨月物語紀行』 平凡社 昭和50年 初版 2000円
後藤明生 『謎の手紙をめぐる数通の手紙』 集英社 1984年 初版 3000円
後藤明生 『思い川』 講談社 1975年 初版 2000円 以上。悔いなし。
その後友人Y氏と落ち合って、まだ明るいうちから後楽園の一角にあるビアガーデンに腰を据え、心ゆくまでビールをガブ飲みする。飲み放題の制限時間が来て、上野に出ようというY氏の後をいい気持ちでついて行くと、連れて行かれた先はなぜか東大の学食だった。
よくわからぬまま定食を注文し、隅っこのテーブルにつく。我々の間には、近くの売店で買った発泡酒が何本か並べられている。Y氏はここに御輿を据えて飲もうというのである。
地下にある半円形の広い食堂は、夕飯時とあって、かなりの賑わいを見せていた。そこここで食べたり語り合ったりしている青年たちは、皆頭はよさげだがどこか乳臭く、なるほど東大生という感じである。近くの座席を占めていた集団の中に女学生が一人だけいた。黒髪を短く真っ直ぐに下ろしたその子は、背が小さく、地味な格好をしていたが、中々かわいかった。彼女を取り巻いているメガネ君たちの間で、あるいは激しい恋の鞘当てが繰り広げられているのかも知れなかった。
年下の友人は、肩越しにぐるりとあたりを睥睨すると、血なまぐさい笑みを浮かべながら私に言った。
「こいつら全員ブチ殺したいと思いませんか?何の苦労もなく生きやがって」
つまり彼は、それが言いたくてわざわざ私をこんな場所に連れてきたのだろう。愛い奴だと思う。
「いや別に」と私。「東大生だって生きてりゃ色々あるんでしょ」
定食のピラフをかきこみながら、フフン、クールじゃん俺、フフン、大人じゃん俺、と思う。
水曜日、新宿に「インディ・ジョーンズ」の新作を見に行った。
友人などから伝え聞く評判はあまり良いものではなかったのだが、いやはやどうして、面白かったです。
もっともスピルバーグはいつもながら女の演出が下手で、敵役のKGBの女将校などは、例えばバーホーベンが監督だったらもっともっとエロくてエグくてドキドキものになっていたと思う。
思い出すのは、もう20年以上も前に、同じ新宿でこのシリーズの二作目を見たことである。
映画館は確かミラノ座だった。今回行った新宿プラザとは、歌舞伎町の広場を挟んで反対側にある映画館である。
当時まだ十代の子供だった私は、時々親の財布から万札を一枚くすねては、学校をサボって新宿に出て終日映画を見る、という悪癖に染まっていた。昼日中、まだ見慣れぬ東京の喧騒の中を歩いていると、罪悪感と開放感がないまぜになって、どこか赤錆の味のする、けだるい陶酔感に襲われたことをつい昨日のことのように思い出す。「インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説」も、そんな日々の中で見た一本だった。
たぶん、映画を見て涙を流したのはこの時が初めてだったと思う。「インディ・ジョーンズ」を見て泣くというのも妙な話だが、本当なのだから仕方がない。インディ・ジョーンズたちは、ヒマラヤ上空で、墜落寸前の飛行艇から決死の脱出を試みる。彼らの使った手段はゴムボートだった。空を飛んでいる飛行機からゴムボートで脱出する。このあまりに馬鹿馬鹿しい展開に、十代の私は感動で心の底から打ち震えたのである。何か、どんづまりでいじけていた自分が一挙に開放された感じだった。「これでいいんだ!」私は内心叫んだ。これぞ私の秘められた映画の「原体験」である。
もちろんそんなことで何が変わるでもなく、時は瞬く間に過ぎて、現在である。今度のインディも、××実験から○○○で脱出するという離れ業をやってのけた。私は今回は泣きこそしなかったが、かつての感動が遠いこだまのように蘇ってきて、少し声を出して笑った。
あの時と違って、平日とはいえ会社の公休日であり、チケットも何憚ることもない、自分で汗水たらして稼いだ金で買ったものである。しかし、平日の昼間に一人で「インディ・ジョーンズ」を見るのは、まだ何かに負けているという気がしてならない。
葉山の近代美術館にマティスとボナールの展覧会を見に行く。
美術館の裏手はすぐ海である。
展覧会を見た後、海の家でビールを一杯飲む。
海の水は淡い翡翠の色をしていた。