2008年08月31日17時48分、新潟県長岡市寺泊町、かつての父の職場
 
 
 
 
2008年08月31日17時44分、新潟県長岡市寺泊町、広場の噴水
 
 
 
 
2008年08月31日18時07分、新潟県長岡市寺泊町、昔ここの2階に住んでいた
 
 
 
 
2008年08月31日18時00分、新潟県長岡市寺泊町、野積橋より
 
 
 何十年か前のある時、ひなびた漁師町の外れに、真新しい近代建築の福祉施設ができた。国道を隔てた向かいの丘の上には、鉄筋コンクリート3階建ての、真っ白な社宅が建てられた。私たち家族は、そこの一期生である。
 まだ若く、同じような年代の夫婦同士はすぐに打ち解けて、家族ぐるみの親密な付き合いが始まった。みな平等に新参者だったので、煩わしい上下関係もなかった。私たち家族は、東の端の2階に住んでいたが、よく隣の家族や、その下の家族と夕食を一緒に食べたのを思い出す。
 残業のない公務員で、おまけに通勤時間が1分だったから、遅番でないかぎり、父の帰宅は早かった。夕食後、暮れ方に、私たち家族はよく近所を散歩した。歩いている内に、とっぷりと日が落ちて暗くなる。すると夜空との境界線を失いつつある暗い海の彼方で、イカ釣舟の灯りが点々と瞬き出すのである。そんな時、父と母は、よく声を合わせて歌を歌った。近所迷惑にならぬよう、アルトとバスの低い声で唱歌を歌うのである。
 私はこの時間が大好きだったが、社宅の裏の坂道を下るコースだけはいやだった。なぜなら坂の下の国道にぶつかるあたりには、一匹の猫の死骸が横たわっていて、いつまでも放置されていたからだ。猫は日に日に平たくなって、やがて骨と皮だけになり、ついには骨だけになってしまった。冬が来て雪が積もり、春が来て雪が溶けると、もう跡形もなくなっていた。私は死ぬことは恐ろしいと初めて思った。
 さて、私は部外者立入禁止の表示をものともせず、かつての父の職場の前に立っていた(なにせ私は一期生の息子である)。当時新築だった建物はすっかり古び、歴史的建造物の風格さえ漂わせていた。広場の四角い噴水は干上がっていた。その四隅に現代彫刻風のオブジェが置かれている。そうだ、私はこの不思議な形状を覚えている。この噴水の回りで、毎日のように遊んだものだった。
 国道を渡り、坂を登ってかつての家を見に行った。カーテンのない、むき出しの窓の列が残照を受けてオレンジ色に燃えている。今は誰も住んでいない廃屋なのである。ショックはない。むしろまだ壊されずに残っていることが驚きだった。
 再び坂を下りて、野積橋を渡る。寺泊に越して来る前、信濃川の河口近くに住んでいたことを以前に書いたが、不思議なことに、ここもまた信濃川の河口である。それが大河津分水という人工の支流だということは、ずっと後に知った。幼い私は、信濃川が二つあることを、ごく自然に受け入れていたのである。
 橋の真中に佇み、海の向こうに沈んで行く太陽を眺めていると、初めて感傷らしきものに襲われた。遠くに来たな、と思った。
スポンサーサイト