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某掲示板に途中まで発表したきりになっていたものです。
続きを書くか未定ですが、たぶん書かないです。


 黒沢清の映画を、大ざっぱに二つの系統に分けてみる。
 一つは、役所広司を主演とする系統。もう一つは、哀川翔を主演とする系統である。いくつかの相違点が、たちどころに見て取れる。
 まず、明らかに違うのが予算規模だ。役所広司が出てくる映画は、黒沢清の作品群の中では比較的バジェットが豊富で、公開の規模も大きい(ただしテレビ映画として製作された『降霊』は例外)。一方哀川翔主演の作品はどれも低バジェットであり、一応劇場で公開はされているようだが、規模としてはVシネ相当と見なせるだろう。
 もう一つは、上映時間の長さである。これは予算規模ほど目立つ相違ではないが、非常に重要な要素である。『CURE』にしろ『カリスマ』にしろ、またこれは役所広司が主演しているわけではないが、重要な役割を果たす『回路』にしても『ニンゲン合格』にしても、それらの上映時間は100分を越えている。100分から120分の範囲に収まる、これらの映画の長さは、最近の映画の傾向の中では決して長いとは言えないけれども、黒沢映画の中では明らかに長尺の部類に入るものだ。
 一方哀川翔が主演する作品群については、さらに厳密な規則が見てとれる。『勝手にしやがれ!!』シリーズにせよ、『復讐』シリーズにせよ、作品の長さはすべて80分から85分の長さに収まっているのである。
 後述されるように、上映時間の差は、作品の本質に関わる重要な要素である。しかし、両者の系統の最も大きな相違点は別にある。それは役所広司と哀川翔の「顔」の違いなのだ。
 役所広司と哀川翔が持つ顔の相違点について語る前に、まずこの二人の役者が共通に持つ美点について述べよう。両者は完全にタイプが異なる役者ではあるが、ある種の上品さを備えた演技ができるということで共通している。二人ともに、画面内の的確な場所に身を置き、風景の一要素として全体に溶け込みながらも、その透明さによって、何ごとかを表わしうるという稀有な才能を持っている。話をわかりやすくするために極端なたとえ話をするならば、もし『CURE』や『蛇の道』の主人公を、たけしやジャック・ニコルソンのような俳優が演じていたら、全てが台無しになったであろうということだ。
 映画には、大きく分けて2種類の顔が現れる。それらの顔は、映画の登場人物の「人格」が有する、二つのタイプに対応している。その違いを、本能によってか訓練によってか理解している俳優は良い俳優であり、両者がごっちゃになっている俳優は悪い俳優である。たけしやニコルソンが悪い俳優であるのは、まさにその点においてなのだ。
 一方に、不変の「キャラクター」を持つソリッドな顔があり、他方、可変で不確定な「心理」を持つ可塑的な顔がある。ハリウッドでの前者の代表格がハンフリー・ボガートであり、後者としてはジェイムス・スチュワートの名前が挙げられるだろう。
 『脱出』や『三つ数えろ』のボギーを見てみよう。彼の行動にはたいてい躊躇というものがない。彼が身に迫る危機を察知してから、彼の拳銃が火を噴くまでのタイムラグは、正確にゼロである。つまり、ボギーが持つ「キャラクター」とは、行動に際して力学的に作用する堅固な重心にしてテコのようなものなのだ。
 一方不変の「キャラクター」ではなく、刻々と変化する「心理」を持つ登場人物は、ある状況が与えられてから、最終的な行動に至るまで、一定の猶予ないしは躊躇の時間を持つ。ヒッチコックの「めまい」や、アンソニー・マンの一連の西部劇における、苦悩するジェイムス・スチュワートがそれにあたる。このとき、アクションは、苦悩や逡巡の果ての決断、つまりは人物の「変化」として現れる。
 ボギーの低く矢継ぎ早に繰り出されるダミ声と、ソリッドで感情を表さぬ面ざし、ジミーの喉に引っかかったような高音の口籠りと、歓喜から絶望へ、そして絶望から歓喜へと瞬時に移り変わる表情、この二つのタイプは、つまるところ行動の起点としての「人格」の、映画の中での機能の仕方の相違に対応しているのだ。問題なのは、登場人物が外部の環境から刺激を与えられてから、ある行動に至るまでの「タイムラグ」の在り方である。この視点から見て、黒沢清の映画は明確に二つの系統に分かれている。
 つまり、役所広司は可変の「心理」に起因する可塑的な顔を持ち、哀川翔は不変の「キャラクター」を背後に持つ無表情を有している。それに従って、この2系統の映画群は、それぞれ質の異なる時間を生きることになるだろう。この相違は、上に提示した上映時間の相違とも密接に関係している。そして、この「二つの戦線に立って戦う」黒沢清の姿勢は、高度にプロフェショナルなものであるのと同時に、高度に「批評的」な営みでもあるはずである。

 『CURE』と『カリスマ』における役所広司は、刑事の役柄である。黒沢清自身がどこかで述べていたと思うが、作り手がよく主人公を刑事にするのは、もっぱら物語を進める上で、効率がよいからだと言える。つまり主人公が、本来自分と無関係な「事件」に巻き込まれるような段取りを踏もうとするならば、主人公が刑事であることが手っ取り早い解決策なのだ。現実世界においては刑事は特殊な職業であるが、こうした事情から、映画における刑事は、極めてニュートラルで感情移入しやすい登場人物となる。刑事が観客によって見られるというよりは、刑事の視点によって、刑事と共に、観客は事態の推移を見守ることになるのだ。
 一方、一連の低予算作品における哀川翔は、役所広司が「見る主体」であるのとは逆に、「見られる客体」であることに徹底している。全てが見事に裏返しなのだ。役所が感情移入しやすい、社会システムの中の「インサイダー」であれば、哀川は安易な共感を厳しく撥ねつける「アウトサイダー」ないしは「ルーザー」である。『蛇の道』でその無表情は最高の強度を持つだろう。
 『CURE』や『カリスマ』の役所広司が、一連の試練の果てに、ある「変化」を経て、最後の決断=アクションに至ったのであれば、『蛇の道』で、哀川翔と香川照之に起こったことは何であろうか。可変の「心理」ではなく、不変の「キャラクター」を持つ登場人物を待つのは「変化」ではない。それは「裁き」に他ならない。
 『蛇の道』や『蜘蛛の瞳』、そして『復讐』シリーズにおいては、最大の悲劇は劇中で起こるのではなく、すでに起こってしまった取り返しのつかない事態に、どう落とし前をつけるのかが問題となる。しかし、映画で語られるその後の顛末も、つまりは全ては「あらかじめ起こってしまったこと」なのだ。ゆえに下される裁きは絶対である。香川照之に訪れる残酷な結末は、様々な変転の結果としてあるのではなく、最初から決定されているのだ。
 登場人物に生起するのが、「変化」であるのか、「裁き」であるのかは、登場人物の人格を決定するのものが、見る主体である「心理」であるのか、見られる客体である「キャラクター」であるのかによるのと同時に、映画全体を規定する時間の質に依存している。

 ところでドゥルーズは、「千のプラトー」の中で、小説の三種の形態と、そこに流れる三種の時制について語っている。彼によれば、まず「コント」(小話)を規定するのは「これから何が起きるのだろう」という問いであり、「ヌーヴェル」(中短編小説)を規定するのは「いったい何が起きたのだろう?」という問いである。そして、「ロマン」(長編小説)の場合は、「生の恒久的現在(持続)が変移していく中にヌーヴェルとコントの要素を取りこんでいながら、常に現在の時点で何かが起きるようになっている」のである。
 結論から先に言ってしまうと、ドゥルーズの分類法によれば、黒沢清の作品群において、役所広司を主演とする系列は「ロマン」に分類され、一方哀川翔主演の『復讐』シリーズとその発展形である『蛇の道』『蜘蛛の瞳』は「ヌーヴェル」に分類されると考えられる。これは上映時間の長短というよりも、時間の流れ方の質の違いの問題である。(もっとも『勝手にしやがれ!!』シリーズを考察するには、この概念をある程度修正することが必要とされるだろう。)ただし、全てが「現在」において進行する映画が、ロマンとヌーヴェルという二つの形態を取りうるということには、若干の補足が必要とされるだろう。上で、『蛇の道』においては「全てはあらかじめ起こってしまったこと」だと述べた。これは、観客があらかじめ結末を知らされていることを必ずしも意味しないし、また、進行が「回想」によって行われるという必要もない。これは語り=時間の経済性の問題である。
 しかし、映画において、ヌーヴェルというカテゴリーがいかにして成立するのかを説明するには、やはり倒叙法で語られる作品を持ち出すのが一番手っ取り早いだろう。たとえば、ルビッチの『天国は待ってくれる』はヌーヴェル(中短編小説)である。
 この映画は、約100分という時間の中で、ある男の一生を描いた作品であるが、にもかかわらずこれはロマン(長編小説)ではないのだ。映画の始まりは、主人公のドン・アメチーが、死後、閻魔大王の謁見を受ける場面から始まる。つまり、映画におけるヌーヴェルの特徴的な指標である「裁き」がまず前面に現れるわけだ。全編が、閻魔大王の前で自身の一生を語る、一人の浮気男の視点から語られる。ここで注目すべきなのは、本来は混沌の連続であり、要約など到底不可能なはずの一人の男の人生が、彼の女性遍歴を縦軸として、極めてコンパクトに語られていることだ。
 つまり、ここで語られている人生は、神の裁きを待つ死者の視点から「再構成」されているのであり、彼の人生のうち、「最後の審判」に関わらない、残りの出来事はきれいに取り除かれている。この「結末から再構成された出来事の総体」が映画における「ヌーヴェル」なのだ。
 この「時間=語り」の形態は、1930年代から1950年代に至るまで、ハリウッドでの映画製作が蒙っていた政治的=経済的拘束によって、個々の作家の資質を越え、高度に洗練されてきた。倒叙法の使用如何に関わらず、ハリウッド黄金期から衰退期にわたって制作された「フィルムノワール」の映画群は、すべて本質的には「ヌーヴェル」である。これは、二つの地理的、歴史的な制約が生み出した形態である。一つは、アメリカにおける2本立て興行という上映形態が、添え物の映画(=B級映画)のほうに上映時間70~90分という厳しい制約を課した結果である。先にロマンとヌーヴェルの違いは、必ずしも上映時間の長短によらないと述べたが、にもかかわらず、不確定な現在が際限なく更新されてゆく「ロマン」という形態が、この上映時間にそぐわないものであることは明らかだろう。もう一つの制約は、これもまた歴史的、地理的に限定されるものである。1930年代から1960年代に至るまでアメリカで施行されていた、ヘイズコードと呼ばれる映画の検閲制度下では、犯罪者が無事生き残るというストーリーが許されていなかった。ゆえに、『拳銃魔』においても、『夜の人々』においても、『ハイ・シェラ』においても、『暗黒街の弾痕』においても、これら共感を呼ぶ犯罪者たちは、犯罪者という不変の「キャラクター」を担わされ、更生や再出発といった「変化」を禁じられ、おまわりから浴びせられる銃弾というあらかじめ決定された「裁き」に向かって、一時間半弱という上映時間の中を、あわただしく駆け抜けるしかなかったのである。
 そしてゴダールは、こうしたあり方を今一度反復するのだ。ゴダールの映画は、ソリッドな「キャラクター」が不確定な「ロマン」の中を駆け抜けて行くという、極めて厄介で漫画チックな構成をしている作品が多いが、蓮實重彦が指摘しているように、ゴダールの劇場公開作品は、どれも90分という上映時間におさまっている。また、その中でも、処女長編である『勝手にしやがれ』に始まって、『小さな兵隊』『女と男のいる舗道』『気狂いピエロ』『メイドインUSA』と続き、比較的長い中断の時期をはさんで『探偵』『カルメンという名の女』に至る、いわゆる「犯罪映画」の系譜においては、ゴダールは頑固なまでに「ヌーヴェル」の形態にこだわっているように思われる。それはとりわけ主人公の死という形を取って現れる。『勝手にしやがれ』と『気狂いピエロ』におけるジャン=ポール・ベルモンドの人格は、ソリッドで終始変化することのない「キャラクター」であり続け、そうした人物には突如として最後の審判が下り、それが映画の最後ともなるのだ。
 これはある意味で極めて奇妙な事態である。「映画を破壊した」とまで言われるゴダールが、ハリウッドでのB級映画製作者が蒙っていた経済的=政治的要請からは自由だったにも関わらず、長編デビュー作の冒頭でB級映画製作専門のモノグラム社への敬意を表明したばかりか、積極的にこうした「不自由」に身をゆだねているのだ。蓮實重彦はこうした身振りを「倒錯」と呼ぶ。

「装置にさからうには、間違ってもその総体を破壊しようなどと目論んではならない。その総体がますます円滑に連動しかねぬ歯車のようなものへと自分を畸型化させても涼しい顔をしていること。肝腎なのは、戦略的に倒錯すること。そして倒錯に耐えうるだけの柔軟さを見失わずにおくことだ。倒錯すべき正統的な理由など求めてはならない。とりあえずの契機がありさえすれば、もう心配はいらないだろう。ザッヘル=マゾッホを想起してみるまでもなく、倒錯とは、きまって戦略的なものではなかったか。」
(蓮實重彦『表層批評宣言』より)

 こうした、どこか宗教行事を思わせる厳格な「倒錯」を、人々はよく商業主義にくみした退廃だと見誤る。だから、一連の哀川翔主演作品において、非常に野心的な「倒錯」を試みた黒沢清に対し、時に「商業ベースに乗ったやっつけ仕事の多い」といった評価が下されるのは、これまである種の映画監督たちが蒙ってきた無理解と弾圧の歴史が、ここでまた小規模に反復されているのだといってよい。
 蓮實重彦のいう「倒錯」とは、決して「私」の嗜好に忠実であるような態度を指すのではない。むしろ「倒錯」は、ある「総体」に向かうのだ。「倒錯者」ゴダールは、決して「自分の映画」(フィルム)を撮ろうと欲望したことはないだろう。彼が夢見るのは、あくまで「ザ・映画」(シネマ)なのだ。そして、黒沢清もその無茶な欲望に連なる一人である。こうした表現者にとって、自分の「個性」などというものは、とりあえずやりすごすしかない必要悪のようなものに過ぎない、と言えば言いすぎだろうか。
 では、「一本の映画」(フィルム)を「ザ・映画」(シネマ)たらしめる戦略とはいかなるものか。それは、一本の映画にありとあらゆる要素を詰め込む、といった態度ではない。逆に、「ザ・映画」(シネマ)を目指す作り手たちとは、映像を極限まで「貧困化」させる企てを試みる者たちに他ならない。
 世の中には間違えた前衛気どりというものが一定数いて、彼らによれば、世界や人生の「本質」は、どこか奥まった、隠された場所にあるということらしい。ゆえに、彼らの仕事はその奥まった、ないしは隠された何かを探求し、暴き立てることに終始することになる。こうして過度の暴力や、性や、時には糞尿までもが前衛という付加価値を帯びることになるだろう。しかし、実は「真実」という名の最も凶暴な怪物は、「奥」ではなく、常に「表面」に棲まっているものである。それを詳細に述べたのが、先にも引用し、これからも参照することになる蓮實重彦の『表層批評宣言』であるが、ここでは黒沢清自身の言葉を引用してみよう。

「ところで、電気屋の店先に備えつけられたビデオカメラで、不意に自分の姿を撮られてしまった経験がおありだろう。陳列されたビデオモニターに自分の顔が突如大写しで浮かびあがる。あれはもうメディアでもなんでもない正に“凶暴なる何ものか”とでもいったものだ。カメラとモニターは、万年筆などではいささかもなく、全ての物語が剥げ落ちた不気味な光学的現実でわれわれを不意打ちする凶器にも思えてくる。店先の一撃は、それまで自分自身について抱いていたさまざまな物語を粉微塵に破壊する力を秘めている。あの映像を数秒以上見続けることのできる者はまずいるまい。」
(黒沢清『映像のカリスマ』)

 言うまでもなく、ビデオモニターに大写しされた自分の顔こそが「ザ・映画」(シネマ)なのだと言い募るつもりはない。しかし、この“凶暴なる何ものか”の気配を常に背後にひしひしと感じているのでなければ、人は映画を撮ってはいけないのだ。映像にとって、「豊かさ」などは虚飾に過ぎない。映像業界で発達してきた様々な技術は、実は「今目の前にある何ものか」をひたすら隠蔽するために発達してきたのだと言ってもよい。

 蓮實重彦はこう述べる。

「思考から瞳を装った瞳、つまりはそこに存在しないものしか見ない瞳を奪うこと。想像力の奔放さによって思考の自発性を語るのではなく、イメージの媒介なしの素裸の思考の自発性を生々しく生きること。」
(蓮實重彦『表層批評宣言』より)

 つまり、「ザ・映画」(シネマ)を目指す「倒錯者」たちは、無垢の映像を、自らの「個性」で、ごたごたと塗りたてるようなことはしない。たとえば、ゴダールの『映画史』で時々使用される、美しさもへったくれもない画面転換エフェクトがそれである。あれはセンス云々で語れるものではなく、まさしくビデオ映像のアーキテクチャーがむき出しになった“凶暴なる何ものか”である。それらは圧倒的に「貧しい」。
 黒沢清やゴダールの映画は、この「貧しさ」と積極的に渡り合う倫理性を有している。たとえば映画における「死」である。ゴダールの『はなればなれに』では、登場人物が「死んだふり」をする場面が出てくる。もはや私の記憶が曖昧で、その時銃に撃たれたふりをして倒れたのがクロード・ブラッスールだったかサミ・フレーだったか覚えていないのだが、地面にバタリと倒れるその演技は、劇中で「死ぬ」演技と正確に同一であり、映画ではお約束のその動作が、いかに「死」の表現として「貧しい」ものなのかを暴き立てていた。
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某掲示板に投稿した文章です。

『CURE』は、役所広司によって演じられる高部という刑事が、映画における人格が持つ、
二つの様相を通過するという構成を持っている。
これは、主人公がいかにして自らの顔を選択するか、という物語なのだ。
高部は最初、不完全で不確定な、揺れ動く心理を持つ顔の持ち主として現れ、
一連の試練のはてに、ソリッドで完璧なキャラクターを持つ顔を有するに至るのである。

高部が最初に登場するシーンを見てみよう。
彼が事件の通報を受け、車で現場に向かう高部の表情を捉えた場面である。
その表情は、日常的な疲労の影がいささか兆してはいるものの、何かの感情を表現している
顔ではない。空白である。
しかしこの空白は、「無表情」という「意味」すら有さない、単なる空白のための空白なのであり、
間違っても、ビートたけしの演技のような、背後に何かを隠している思わせぶりな無表情ではない。
顔は、何かを隠すための仮面なのではなく、それ自体として充実した「表面」なのだ。顔は、
それが空白であることにおいて、圧倒的に貧しく、同時に圧倒的に充実した何ものかなのである。
そして、『CURE』では、すべての事象が、この貧しくも充実した「表面」において生起することに
なるのだ。

この事態は、仕事帰りに高部がクリーニング屋に寄った時、そこに居合わせたサラリーマン風の
男の言動において、既に明確に予告されている。
この人物は、高部の隣で品物を待つ間、下を向き、ぶつぶつと職場の誰かへと向けられているらしき
呪詛の言葉を吐いているのだが、店員が現れて品物を差し出すと、ごく自然に日常的な礼儀を備えた
態度に変わり、一礼して去ってゆく。
ここで一体何が起こっているのだろうか。この男は、誰にも見られたくない「素顔」をしばし
無防備にさらした後、再び「仮面」をかぶりなおしたのだろうか。恐らくそれは違う。ほんらい、
むき出しの現実というものは、「隠されるべきもの」や「隠さなくてよいもの」といった、
階層構造や遠近法を持たない。全ては一つの表面上の、無差別な移行として推移するのである。
サラリーマンの独語と店員への挨拶は、どちらかがどちらかを隠蔽するという関係にはなく、
顔の表面における、互いに同等の資格を有する状態Aから状態Bへの移行だと見られるべきなのだ。

この表面における等質な移行、間隙や障壁を持たない移行、摩擦ゼロの移行は、その後の場面で、
もっと端的に示されることになる。間宮に催眠をかけられた交番の駐在員は、日常的業務をこなす
一連の動作の中、それらと全く区別を持たない動きの一つとして、同僚を射殺するのだ。
これは異常な事態なのだろうか。いや、これこそが「現実」なのだと蓮實重彦は述べる。

「現実とは、それが生きられつつある瞬間には、方向を欠いた多様なる意味がわれがちにたち騒ぐ
無表情なる表層にほかならない。生きるとは、距離もなく中心もなく、ひたすらのっぺらぼうな
意味作用の磁場に身を置き、その白痴の表情と向かいあう残酷なる体験を不断に更新することだ。
そして「問題」(原文傍点)とは、その無表情な残酷さをいかにもそれらしいイメージと置きかえ、
それが欠いている方向と意味とを捏造し、ありもしない輪郭をことさらきわだたせ、世界を構成する
あまたの事物や存在とがそこへと向けて秩序だった配置ぶりを示す偽の中心を捏造する現実回避の
恰好の口実なのだ。それは、世界の無表情をそれらしい表情にすり換え、そのすり換えによって
自分自身の顔と名前とを確信しようとする、白痴の残酷さの放棄なのだ。」
(蓮實重彦『表層批評宣言』)

高部は、劇中のせりふの中で、自分の職業を、「犯罪を説明する言葉を捜すのが仕事」だと
定義している。つまり、彼の営みこそ「世界の無表情をそれらしい表情にすり換え、
そのすり換えによって自分自身の顔と名前とを確信しようとする、白痴の残酷さの放棄」
に他ならない。高部を始めとする登場人物は、皆、間宮という空白、いわば人物として体現された
「白痴の残酷さ」を「言葉」で埋めんとして、逆にそれらの「言葉」に復讐されることになる。
そう、言葉、なのだ。重要なのは、登場人物たちの欲望を構成する単位が、「心」でも「魂」でも
「脳」でもなく、発せられた「言葉」だということだ。間宮が犠牲者たちを最終的に屈服させるのは、
得体の知れない心の闇、といったものによってではなく、完璧に分節された「社会的」な言葉に
よってである。

間宮による「治療」の核心部分は、最初のいくつかのケースでは隠されているが、彼が洞口依子
演ずる内科医に相対する場面で、ついにその過程の全貌が明らかになる。間宮が内科医に囁くのは、
「女のくせに」医者となった彼女が、いかに男性優位の社会によって抑圧されてきたのか、
ということである。このように、間宮の「カウンセリング」は、常に対象者の社会的身分を
テーマとする。つまり、洞口依子をして、犠牲者の首筋に深い十字を刻ませ、そればかりかバリバリと
顔の皮を剥がさせるに至ったのは、例えば幼少期のトラウマなどという「隠された」何かではなく、
あくまで、彼女と社会との関係性という、徹底的に「深み」を欠いた、きわめて「表面的」な
事柄なのだ。
ゆえに、間宮は高部のことを、名前ではなく、常に「刑事さん」と呼ぶ。
間宮は高部にこう語りかける。

「仕事と私生活を分ける。それがあんたのやり方だ。刑事としてのあんたと夫としてのあんた。
どっちがほんとのあんたなんだ」

間宮はこのように、高部の持つ二つの社会的身分、つまり彼の「刑事」と「夫」という二つの
「役割」に対して、辛辣な論評を加える。恐るべきは、これらの言葉の持つ暴力的な「通俗性」である。
これらの言葉は、決して高くも深くもない。間宮は、ラジオの人生相談コーナーのように、
きわめてありふれた「物語」を語るのにすぎない。
では、「ほんとうのあんた」なる、これ以上通俗的な言葉もあるまいと思われるフレーズを、
無造作かつ暴力的に連発する、間宮なる怪物が棲息しているのは、一体どのような地点なのか。
間宮は過去と未来を失い、時間というものを、現れては消える「現在」の果てしない連鎖としてしか
認識できない男である。
その現在の連鎖は、空白の連鎖とも言えるし、また逆に、まったき充実の連鎖とも言える。
というのは、空白や間隙を抱えているのは、社会的ポジションと固有の歴史を持つ、刑事にして夫の
高部のほうだからだ。
間宮は、先ほどのせりふに続いて、こう言いきる。

「どっちもあんたじゃないよな。ほんとのあんたはどこにもいない」

この空白や間隙が、高部の慢性的な苛立ちを生み、それは折にふれて、突発的な暴力という形で現れる。
カメラはそうした発作的な暴力を、いささか居心地の悪いポジションから切りとって見せる。
そう、間宮を収監した精神病院の独房を高部が訪れる場面で、激昂した「刑事さん」を捉えるカメラの
ポジションとサイズは、ちょうど我々が、駅や往来や職場で、たまたま他人のケンカに居合わせて
しまった時の視点と一致しているのだ。
しかし、このように突き放した視点が取られているにも関らず、やはり映画の主人公は高部である。
こうした場面も、いわば高部の「顔」の延長と言ってよい。高部が時々くりだす暴力は、何の結果を
生むこともないという意味で、「行為」の名には値しないからだ。これらの行為は、目や口元や眉の
動きと同様の、微小なものにすぎない。彼が初めて「行為」の名にふさわしいアクションを行うのは、
映画のほとんど終盤に至ってからである。
「刑事」と「夫」という役割を持つ社会のインサイダーであり、揺れ動く「心理」を持つ登場人物
である高部は、ある「変化」を経て、別の何ものかに生まれ変わる。つまり、彼は間宮のいう
「本当の自分」を見出したのだ。では、この「本当の自分」とは何か。
本当の自分を見つけることとは、社会的な関係性の網から作り上げられた自分という名の物語から開放され、
より「本質的な」自己に達するということなのだろうか。
おそらく、それは誤りだ。むしろ、「本当の自分」を見いだすということとは、身体に張り巡らされた
社会的関係の編み目を縦横に駆け抜ける複数の欲望に対して、序列や遠近法を一切持ちこまず、
それらの欲望を、一つの同じ平面において、摩擦ゼロで交互に駆け巡らせるということなのではないか。
そして、この「平面」こそが顔であり、「現実」であり、「世界」なのではないか。
高部はまず間宮を殺し、これによって「刑事」として分節され、抽象化され、その存在に空隙を
埋めこまれていた自己を「脱構築」し、さらに妻を殺すことによって、「夫」として分節されてきた自分を
同じく「脱構築」する。(ここで笑ってはいけない。)黒沢清が映画でポストモダン批評のパロディを
行ったと言いたいのではない。高部の行為こそ蓮實重彦のいう「批評」そのものなのだ。

「「生」とは、喪失や崩壊が世界に局部的にうがつ過渡的な陥没点を根気よく念入りに埋める作業によって
無意識に消費されるのではないし、ましてや過去の不幸な体験の記憶に厳しく耐えてみせる英雄的な行為
でもなく、刻々と表情を変えながら決してもとの顔には戻ることのない充実した過剰の戯れが世界にもたらす
畸型的変容と向かいあい、その愚鈍の残酷さに心から脅える資質を身につけてゆくことにほかならない。
そして、そのはてに「生」と距離なしに接しあった「死」へと自分を譲りわたそうとする荒唐無稽な試み
なのである。だからこそ、「現在」(原文傍点)の徹底した無表情に深く恐れながら、「問題」(原文傍点)
による「生」と「死」との抽象化にさからわねばならないのだ。
(『表層批評宣言』)

高部は今まで、刑事として、夫として、「喪失や崩壊が世界に局部的にうがつ過渡的な陥没点を根気よく
念入りに埋める作業」によって人生を浪費して来た人間である。それが、どことも知れぬ廃墟での、
ある逆転現象によって、完全に孤立した、しかしそれゆえに宇宙と一体化したかのような、得体の知れぬ
怪物に生まれ変わる。
しかし、彼はどこか彼岸の高みにいるのではない。彼はあくまで「表面」に止まるだろう。
おそらく彼は刑事という職業を止めないだろうし、再婚すらするかもしれない(新しい伴侶を、なんの
躊躇もなしに殺すことはあり得るが)。
ラストシーンのレストランで、何の屈託もなく、食事をうまそうに口に運ぶ高部は、もはや揺れ動く
「心理」は持たず、存在が即「行為」であるような、完璧な「キャラクター」を有する存在となった。
同時に彼は、観客が同一化する「見る主体」であることを止め、永遠の謎である「見られる客体」と
なった。この移行は、きわめて「死」に似ている充実した「生」であり、きわめて充実した「空白」
である。

「何ものかがそれを埋めればたちどころに空白であることをやめるような相対的な空白など、多少は
人を恐れさせ苛立たせることはあっても、やがては思考が手なずけることの可能ないささか気の荒い
家畜のように他愛のないしろものだ。真に恐ろしいのは訓致しがたい野獣のように獰猛な絶対的空白、
世界に理不尽な変容をもたらす充実した過剰としての積極的な空白、なにやら動物めいた愚鈍さで
こちらの反応を無視する残酷な空白ではないか。それは、誰もが知っているはずの世界を、不意に
名前もなく顔もないのっぺらぼうな環境へと変容させ、そしてそれと向かいあう存在に、その白痴の
無表情を共有せよと迫る愚鈍の残酷さともいうべきものだ。そこには、欠落とか間隙とか距離とと
いった受身の消極性は何一つなく、全てが積極的で充実しきっている。そして、あらゆるものが、
「知」や行動の規範としての階層的秩序を無効にしながら、われがちに存在へと攻撃をしかけ、
視線から距離感を奪うべく視界の表層へといっせいに浮上してくるさまは、ただもう荒唐無稽という
ほかはない。その充実しきった過剰ぶりが演ずる荒唐無稽の戯れこそ、我々の日々の体験としては
もっとも親しい具体性としての現在という瞬間である。」
(『表層批評宣言』)

これがCUREのラストで起こっていることの全てである。
 丹七さんは、そのまま離れようとしないわたくしたちを抱きかかえるようにして、家の中に入れました。丹七さんは、むっつりと黙ったまま、上がりかまちにおねえさまを座らせて、土で汚れた足の裏を、慣れた手つきで丁寧にぬぐってあげました。おねえさまは、屈み込む丹七さんの背中に手を置き、わたくしを見上げるようにして微笑みました。でも、わたくしはそのとき、はっと冷や水を浴びせられるような思いがいたしました。おねえさまの顔には、いつもの柔らかさや優しさが見当たらなかったのです。それは、例えば自分が勝つことを確信した将棋指しが見せるような、静かですが、近寄りがたい、芯に強い意志を秘めた笑顔でした。それは、おねえさまの中で燃え上がる何かから、自然にこぼれ出る光のようなものであって、決してわたくしに向けられたものではなかったのです。
 丹七さんは、おねえさまを床に横たえると、隅の暗がりであぐらをかき、また黙ってお酒を飲み始めました。おねえさまは、その恐いような微笑を真上の虚空に向けたまま、わたくしに尋ねました。
「良雄さん、結婚するんですってね」
 わたくしが、何も答えられずにおりますと、おねえさまはなおも、
「それはいつ?」
と聞きました。
 わたくしは、地獄の業火に焼かれる思いで、ただ、
「来月の、五日」
とだけ答えました。

「そう」
 おねえさまは、そう答えたきり、しばらく何か考えているふうでした。その横顔は、深く物思いに沈み込み、うだるような暑さの中で、まるでそこだけ冬の山の峰のように、ただ白く、厳しく、輝いておりました。
 その時、わたくしは、あることに気がつきました。おねえさまの目鼻立ちが、どこか以前と変わって見えるのです。それは、とてもかすかな違いで、どこがどうとも申し上げられないのですが、見れば見るほど、何かが違っているように思われてくるのです。それは、少しできの悪い石膏細工が、本来あるべき均整を、わずかに狂わせているのに似ておりました。わたくしが、言いようのない不安を覚えながら、おねえさまを見つめておりますと、不意にその顔がほころんで、わたくしに向きました。それは、目さえ閉じておりましたが、昔のままのおねえさまの、優しく、懐かしい笑顔でした。
「そのころにはもう、お社さまの土手に、曼珠紗華がたくさん咲いているでしょうね」
 わたくしは、その言葉と笑顔を、かわいた土が如雨露の水を吸い込むように、基督教徒が十字架に接吻するように、全身全霊で飲み干しました。

「そうでしょうね」
 わたくしは、叫ぶなり、おねえさまの手を握り締めました。おねえさまは、わたくしの手を優しく握り返してくださいました。おねえさまは、穏やかな、夢を見ているような顔で、
「昔、三人でよく、曼珠紗華を摘んで遊んだわねえ」
と言いました。わたくしは、ふいに涙がこぼれてきて、止まらなくなったので、こみ上げてくる嗚咽を押さえながら、思わず、
「あのころが、一番よかった」
と答えると、わたくしの手を握り返していたおねえさまの手の力がぎゅっと強くなりました。
「本当に、そう思う?」
振り向くと、おねえさまは、真顔に戻っていて、閉じられたまぶたの裏側から、真っ直ぐにわたくしを見つめておりました。
「本当に、あのころが一番よかったと、たかちゃんも思う?」
 もう一度尋ねたおねえさまの調子が、あまりに真剣だったので、わたくしは少しとまどいながらも、思うままのことを口にしました。
「うん、だって、この頃は、地獄のようだもの」

 地獄!まさか自分の口から、そのような激しい言葉が突いて出るとは、わたくし自身、思いもよりませんでした。でも、一度この言葉を吐き出すと、今までわたくしの中で蠢いていた、正体のわからない毒の雲のようなものが、ぽんと体の外に飛び出して、はっきりとした像を結んだような心地がいたしました。おねえさまは、しばらく黙りこんでしまいました。かすかにお祭りの喧騒が聞こえてくる中で、かちりと固いものが触れ合う音がしました。丹七さんが、一升瓶をお椀に当たのです。続いて、お椀にお酒が注がれる、とぷとぷという音が、寂しく、あさましく、ほのぐらい部屋の中に響きました。
「たかちゃん、本当にこの世が地獄なら、たかちゃんはどうするの?」
 おねえさまは、ようやく口を開いて、静かに尋ねました。
「わからない」
 わたくしは、そう答えるしかありませんでした。するとおねえさまの口元に、静かな笑みが広がりました。
「そう、でもあたしはわかるわ」
「どうするの?」
「あたしもね、お嫁入りをするのよ、その日に」

 それは、あまりに突拍子もない言葉でした。わたくしが、驚いて返事もできないでいますと、おねえさまは、声を立てて笑い出しました。
「いやね、たかちゃん、あたし頭がおかしくなったわけじゃあないのよ」
 おねえさまは、くつくつと笑いながら、また私の手を握り締めました。
「少し、いたずらをしてやるの。それだけ」
「どんないたずら?」
「それはまだ言えないわ。たかちゃんにも」
 そう話すおねえさまは、とても快活で、わたくしは、今までの重苦しい空気が、全て吹き飛んでしまったような気持ちがいたしました。おねえさまは、続けて、
「でも教えて。良雄さんの婚礼をする部屋は、どこかしら。離れ?」
と尋ねました。
 おねえさまは、まるで遊びに行く先を聞くような気軽さで、この質問をしたのです。わたくしも、すっかり気楽な気持ちになって、
「ううん、離れは今使っていないから、たぶん母屋の奥座敷でしょう」
と答えました。
 すると、おねえさまの顔がさっと曇りました。
 おねえさまは、しばらく考え込んでいるふうでしたが、やがて、こう言いました。
「たかちゃん、一つお願いをしてもいい?」
「いいわ、わたし何でもやるわ。何?」
 わたくしは、おねえさまの役に立つことが、自分にも何かできるのだと思い、勢い込んで答えました。
 おねえさまは、明るい笑みを浮かべながら、こう言いました。
「なんとか、良雄さんの婚礼を、離れでやるようにしてもらいたいの」
 暗闇の中で、灯明皿が一つだけ、そよとも揺らがない、真っ直ぐな炎を立てている側に、二つの人影がありました。寝床に横たわっているおねえさまと、その傍らで、あぐらをかいて座っている丹七さんでした。おねえさまは、起きているのか眠っているのか分かりかねましたが、淀んだ暑さの中、寝乱れるようなこともなく、寝床の上で、真っ直ぐに体を伸ばして、ちょうど灯明の炎のように、ぴくりとも動きませんでした。わたくしに背を向けて座っている丹七さんは、そんなおねえさまの額のあたりを、しきりに団扇であおいであげていました。その度に、おねえさまの髪が、生え際で、ふわり、ふわりと浮き上がっては落ちました。そうしながら丹七さんは、脇に置いた一升瓶から、時々椀にお酒を注いでは、ぐいと飲み干しました。お祭りのざわめきがかすかに流れ込んでくる中で、二人はずっと黙り込んだままでした。
 わたくしは、そんな二人の様子を、どれほどの間、見つめていたのでしょう。わたくしは、二人に声をかけることもできず、かといって、その場を離れる気にもなれず、小さな炎に照らされたおねえさまの横顔と、黒々とした影になった丹七さんの背中を、かわるがわる見やることしかできませんでした。そこには悲しみがございました。そう、そこに、まるで手で触られるかのように、本当の悲しみがあったのでございます。その日、これまでわたくしが見てきたものは、全てまやかしの幻燈のようなものでございました。今、目の前にいる、おねえさまと丹七さんの悲しみだけが、本当のことだったのです。では、それを見ているわたくしは、一体何者なのでしょうか。わたくしも、おにいさまやおとうさまやおかあさまのような、まやかしの世界の人形にすぎないのでしょうか。なぜわたくしは、今すぐにでも、おねえさまの元に駆け寄って行ってはいけないのか。そうして、一緒に喉が枯れるまで泣いてあげてはいけないのか。

 わたくしが、張り裂けそうな思いを抱えて、暗がりの中でじっと立ちすくんでおりますと、今まで眠っているように見えたおねえさまが、突然口を開きました。
「おとっつあん、雨戸が少し開いているようだから、閉めておくれな」
「何を言う、この暑さだ。お前の体にさわるよ」
 丹七さんは、普段わたくしが聞いたことのない、まるで恋人にかけるような、低く優しい声で答えました。
「お祭りの声がうるさくて眠れないの。おとっつあん、おねがい」
 丹七さんは、しばらくじっと黙っていましたが、
「そうか」
と言うと、腰を上げて、雨戸を閉めに、わたくしの方に近づいて来ました。
 わたくしは、身を隠す暇もなく、その場に凍りついたまま、真っ黒な影になった丹七さんの姿がどんどん大きくなってくるのを、ただ息を詰めて見つめることしかできませんでした。ついに、わたくしの鼻の先で、雨戸の隙間に、大きな手がにゅっと懸かりました。そして、戸を閉めようとした手がはたと止まり、お酒臭い息と共に、丹七さんの頭が突き出されました。
「誰だ」
 丹七さんの顔は、黒一色の影になっていたので、一体どういう顔をしているのかはわかりかねました。でも、その声からは、怒りや驚きよりも、いいようのない疲れが滲み出しておりました。わたくしが、返事もできずに立ち尽くしておりますと、丹七さんは、こちらをためすがめつして、ようやくわたくしが誰か悟ったらしく、しばらく黙ってこちらを見ているようでございましたが、奥からおねえさまが、
「誰。誰かいるの」
と尋ねると、
「いや、俺の気のせいだったようだ」
と言って、ぴしゃりと雨戸を閉じてしまいました。
 
 今度こそ、わたくしは、本当のひとりぼっちになってしまいました。もう、涙も出ないまま、わたくしは、暗闇の中で、首をうなだれて立ちつくしておりました。すると、裏の戸が開く音がして、丹七さんが提灯を下げて現れました。丹七さんは、黙って手招きをすると、物憂い足取りで、庭の外れの蜜柑の木の下に向かいました。そばに行きますと、丹七さんは、わたくしをじっと見て、小声で
「何をしに来なさった」
と尋ねました。その大きな目は、お酒で赤みがかってはいましたが、静かで深い悲しみと、揺るがない厳しさを帯びておりました。
わたくしが、何も答えられないでおりますと、
「もう来るなと申し上げたはずですぞ」
と言って、なおもわたくしをじっと睨むのでした。
「お帰りください。ここはもう、お嬢様の来るところではありません」
 丹七さんが、そう言って立ち去りかけた時です。家の中から、おねえさまが大きな声で呼わばるのが聞こえました。
「おとっつあん、誰かいるの」
「誰もいやしない、厠に行くだけだ」
 丹七さんは、そう声を上げると、わたくしに手振りで立ち去るように促しました。
「嘘、そこにたか子さんがいるんでしょう。入ってもらってちょうだい」
 丹七さんの顔が苦しげに歪みました。
「嘘などつくか。誰もいやしない!」
 丹七さんは、どなり声を上げると、わたしに向き直って
「もう、あなたにできることは何もないのです。それに、今会えば、あれもあなたもとり返しのつかないことになるかも知れない。どうぞ後生ですからお帰りください」
と小声でささやきました。そうして、腰を折って、深深と頭を下げました。

 わたくしが、その言葉の意味を計りかねておりますと、戸ががらりと開く音がしました。
 振り向くと、開かれた雨戸にすがりつくようにして、おねえさまが立っておりました。
「たかちゃん、そこにいるんでしょ」
 おねえさまは、目を閉じたままの顔をこちらに向けて、呼びかけてきました。
 丹七さんは、なおも
「何を言う、誰もいない!」
と大声で応じました。するとおねえさまは、
「黙って!」
と、信じられないような大声を上げました。それは狂ったような絶叫でした。おねえさまは、その拍子に足をもつれさせ、どうと地べたに倒れこんでしまいました。わたくしは、思わず駆け寄って、おねえさまを抱き起こしました。わたくしが、おねえさまの顔についた土を払いのけますと、おねえさまはその手を握り締めて、
「やっぱりたかちゃんだ」
と言って微笑みました。わたくしが、何も言えないでおりますと、
「来てくれると思ってたの。待ってたんだよ」
と言って、さらにぎゅっとわたくしの腕を握り締めました。その力は信じられないくらいに強く、五本の指が肉に食い込んで、痛いほどでございましたが、わたくしも、おねえさまを負けないほど強く抱きしめて、わんわんと泣き出してしまったのです。
 翌日は、朝から盆踊りの準備で、お社さまも、わたくしの家も、大賑いでございました。玄関が広く開け放たれて、注連縄が飾られました。土間には大きな樽がいくつも置かれて、出入りをする誰彼となく、お酒がなみなみと注がれた升が振舞われました。
 それは今までも、お盆には毎年見られる景色だったのです。でもその年は、一つだけ、いつもと違うことがございました。それは、そこに丹七さんの姿が見られなかったことです。いつもなら、こうした行事の時は、丹七さんが先頭に立って、あれこれと物事を整えてくださるのですが、笑顔を振り撒きながら、表玄関と厨の間を敏捷に走りまわる小柄な姿が、その日は見られなかったのです。
 ちよばあさんは、若い女中たちに、なにくれと指図をしながら、つい、
「ああ、丹七さんがいてくれたらねえ」
と言ってしまい、それから慌てて辺りを見回して、口をつぐむのでした。
 お日様が傾いてきて、お社さまの杉林の向こうに隠れようとしている時分に、おにいさまが、人力に乗って帰ってきました。わたくしは、それを二階の窓から見ておりました。おにいさまは、玄関の前に止まった人力から下りると、そこに集まっていた村の人々が、口々に挨拶の言葉を述べているのに、それがまるで目に入らないかのように、スタスタと家の中に入ってしまいました。そうして奥座敷に引っ込むと、おかあさまと何かを話し合っているらしく、なかなか出てくることはありませんでした。

 やがて、日がとっぷりと落ちて、お社さまから、太鼓や笛の音や、人々の笑い声が、にぎやかに響き渡ってまいりました。わたくしは、二階の自分の部屋で、ひとりで物思いにふけっておりました。ちよばあさんが、自分がお社さまに踊りに行くとき、わたくしにも声をかけてくれたのですが、わたくしは、とても浮かれてお祭りに出かけるような気持ちにはなれなかったのです。
 すると、乱暴に階段を上ってくる足音がして、わたくしの部屋の前を通りすぎると、隣のおにいさまの部屋の襖が開け閉てされ、どさっと何かが畳に投げ出される音がしました。わたくしが、おにいさまの部屋に行きますと、おにいさまは、トランクを傍らに放り出したまま、手枕にごろんと仰向けに横たわって、天井を見つめていました。
「よお」
 おにいさまは、わたくしの姿を見て、ひとこと声をかけると、また上を向いてしまいました。
「おにいさま、手紙は届いた」
 わたくしが尋ねると、おにいさまは、
「ああ、あれか」
と言ったきり、目をつぶってしまいました。
 そのまましばらく、どちらも口を開きませんでしたが、私が立ち去ろうとしないので、おにいさまはしぶしぶ目を開いてわたくしを睨みました。

「なんだ、俺は疲れているんだ」
「おにいさま、あさ子さんとの約束はどうなるの。あさ子さんを放っておいて、他の人と結婚するの」
 わたくしは、今まで心の中で、何十回、何百回となく繰り返した質問を投げかけました。
「約束?馬鹿なことを言うな。それはあいつがひとり決めにしてただけだ。俺があんな女に結婚の約束をするわけがないだろう」
 おにいさまは、吐き捨てるように言うと、ごろりと横を向いてしまいました。
「だって、おにいさまがあさ子さんに悪い病気をうつしたって言うじゃありせんか」
 なおもわたくしが食い下がると、おにいさまは横を向いたままで、
「何を言う。あんなやつ、誰にうつされたかわかったもんじゃない。俺だって迷惑しているんだ」
と言うと、ぐるりと振り向いて、
「おいそれだけか、とっとと出ていってくれ」
と声を荒げました。
「あさ子さんは、目がみえなくなってしまったのよ」
 わたくしも、泣き出したくなる心を必死で押さえて言い返しました。
 おにいさまは、やにわに立ちあがり、
「俺が知ったことか。お前も余計なくちばしを挟むんじゃない」
と怒鳴ると、むりやりにわたくしの肩をつかんで部屋の外に追い出し、ぴしゃりと襖を閉じてしまいました。
 
 もう家の中には、わたくしの居場所はありませんでした。わたくしは、何かに無理やりに押し出されるようにして、外にさまよい出たのでございます。風はそよとも吹かず、昼間の暑さがまだ、あたりに意地悪く居座っている宵でした。お社さまの方を見やると、木の間ごしに、松明の炎がいくつも煌煌と輝いていて、人々のざわめきの中で、太鼓がどんどんと地響きを立てておりました。喉が自慢の乾物屋のおじいさんが、今年も高らかにサンサを唄っているのまで、よく聞こえてきたのでございます。

「…さあさ皆さんお集まりなされ
 老いも若きも残らず寄って
 十重に二十重に輪を書きましょう
 そして仲よく踊ろじゃないか
 今夜は楽しいお盆の踊り…」

 このおじいさんのサンサ節は、わたくしが生まれる前から、お盆の名物のようなものでございました。幼いころのわたくしは、いつもおにいさまとおねえさまに手をつながれて、盆踊りを見物に行ったものでございますが、そんな時は、朗々と声を張り上げるおじいさんの節まわしに合わせて、昼間のように明るい松明の炎の下、村中の人々が、色とりどりの一つの流れとなって、やぐらの周りを轟々と回っているのを、浮き立つような、それでいて何やら恐ろしいような気持ちで眺めていたものでした。おねえさまは、毎年、おにいさまが屋台で掬ってくれた小さな金魚を持ち帰って、それは大切に育てたものでございます。

 わたくしは、そんな思い出に吸い寄せられるかのように、ふらふらと境内に足を踏み入れました。するとわたくしを出迎えたのは、真っ赤に上気した顔、顔、顔でございました。すれ違う村人は、夜まださめやらぬ真夏の空気と、踊りの熱と、お酒と、松明の炎とで、皆、湯だったようになって、喧騒の中で、大声でわたくしに挨拶を掛けてきました。それにもう、おにいさまの結婚は、村中に知れ渡っているようで、わたくしは、あちこちからお祝いの言葉をいただいたのです。
 それでも、わたくしは、呆けたような笑顔を向けてくる人々の陰で、そこここから、物言わぬ暗い眼差しが、じっと自分に向けられているのにも気がつきました。それは、昔遊んだ覚えのある、同年輩の少女たちのこともあれば、そうした子供の親のこともありました。皆、おにいさまとおねえさまのことを知っていたのでございます。
 甘酒の屋台の前で、床几に腰掛けて涼んでいたおじさんがおりましたが、この方は、わたくしと目が合うと、ついと背中を向けてしまいました。わたくしは、このおじさんに、おにいさまと同じ年の息子さんがいたのを知っておりました。その息子さんは、前の年に兵隊にとられ、旅順の戦いで亡くなっていたのです。ひどい戦争でしたから、この村でも、若い男の方は、貧しい家から兵隊にとられ、もう何人もの方が亡くなっていたのでした。おじさんは、わたくしに、桃色に上気した首筋を向けると、団扇でやたらに顔を扇ぎ始めました。
 やぐらの上では、乾物屋のおじいさんが、ますます高らかに、ひょうきんに、歌い踊っておりました。

「…一にゃ願います太鼓打ち様よ
 七つ拍子に打ちきりょ願う
 次に願います踊り子様よ
 サンササンサの拍子をば願う
 三にゃ願いますご見物様よ
 踊り踊る気でご見物願う
 伊勢は津でもつ津は伊勢でもつ…」

 おじいさんが、おどけた身振りを交える度に、取り囲む群集が、わっと歓声を浴びせました。子供も、若い男女も、お年よりも、みな明るく笑っておりました。その笑顔の渦の中で、わたくしだけが笑えずにいました。ここでも、わたくしはひとりぼっちだったのでございます。わたくしは、歌い踊る人々の輪から離れて、暗い方へ、暗い方へと歩いて行きました。

 明かりと人いきれから離れて、暗い杉林の中に分け入りますと、空気は心なしか、涼しくなったようでございました。でも、わたくしが、狭い敷石の上をあてどもなく歩いておりますと、やがてあちらこちらの暗がりから、衣擦れの音や、吐息混じりの低い囁きが聞こえてまいりました。
 こんな景色には、前にも何度か出会ったことがありましたから、今更驚くようなことでもありませんでしたが、思いますと、おにいさまとおねえさまの逢瀬が始まったのも、前の年の今ごろだったといいますから、それはもしかしたら、こんな夜の出来事だったのかも知れないのです。わたくしが、そんなことを考えながら歩いておりますと、道から少し離れて立っている石灯篭の後ろで、突然、「キャッ」という若い女の叫び声が上がりました。笑いと媚びを含んだその声は、すぐにクツクツという低い笑い声に変わりました。すると、男の低い声が、なにやら聞き取れない呟きで応じました、再び女の笑い声が、高く短く響くと、あとはまた静まり返ってしまいました。わたくしは、草木が夏の夜に吐き出す強い香りに混じって、獣臭い汗の匂いや、すえた吐息の匂いが、こちらにまで漂ってくるような心地がいたしまして、思わず顔をそむけました。おにいさまとおねえさまも、むっとする夏の宵闇の中で、こんな汚らしいことをしたのだろうか。男と女は、必ずこんなことをしなければならないようにできているのかしら。だとしたら、この世は地獄だ。強い悲しみと、嫌悪の思いが、体にまとわりつく淀んだ熱気とぶつかって、わたくしは、熱病にかかった時のように、ガタガタと体を震わせました。
 いつしかわたくしは、お社さまの杉林の外れに出ておりました。小さな石段を降りれば、そこはもうおねえさまの家の裏庭です。わたくしは、そっと様子をうかがいました。小さな家は、闇の中で、林を通して漏れてくるお祭りの明かりにかすかに照らされて、黙りこくっておりました。この暑さの中、全部の戸が閉め切られていて、人の気配が感じられません。わたくしは、裏から家のぐるりを回って、反対側を覗きました。すると雨戸が少し開いているのが見えたので、近くに寄ってみました。隙間から覗きますと、部屋の中で、小さな灯火が一つだけ点っているのが見えました。
 その夜、皆が寝静まったころ、わたくしは、自分の部屋をそっと抜け出し、玄関の脇にある、ちよばあさんの小部屋に行きました。ちよばあさんは、床にランプが一灯だけ点った三畳の部屋で、正座してわたくしを待っておりました。
 わたくしも、ランプを挟んで、ちよばあさんの前に正座をいたしました。ちよばあさんは使用人に当たるとはいえ、お互いにこんなにかしこまった行儀で相対したことは、今までにないことでした。
 ちよばあさんは、大きなため息を一つついて、
「むごいことじゃ」
と一言つぶやくと、おにいさまとおねえさまとの間に起こった出来事を、言葉を選び選び、わたくしに語って聞かせてくれました。
 それにしても、なんということでしょう! その時分のわたくしは、まだ何もわからぬ子供だったのです。わたくしは、ちよばあさんの口から漏れる、おにいさまとおねえさまが人目を忍ぶ仲になったこと、おにいさまの悪い遊びのせいで、おねえさまが病気にかかり、光を失ってしまたこと、おにいさまが無情にもおねえさまとの縁を切ってしまったことなどを、まるで異国の芝居を見るような心地で、ぼうっと聞いておりました。それでも、その理不尽で、蛇のように冷たくいやらしい舞台の中に、わたくしも立たされているのだ、もう逃げることはできないのだ、という思いが、お腹の底のあたりで、鉛のように重い塊となって、わたくしを打ち拉ごうとするのです。

 ちよばあさんは、わたくしのそんな気持ちを察したのでしょう。その恐ろしい話を終えると、私の肩を抱いて、顔を寄せて言いました。
「こんな話はしましたが、嬢さまには何の関わりもないことですぞ。大人のことは、大人がなんとかすることじゃ。あさ坊のことも、このばばだって子供同然に思っておる。みんなで面倒を見ればいいことじゃ。だから嬢さまは、今まで通り、にこにこ笑って、何も心配しないで、ご学業をがんばりなさるとええ。ばばに全部、まかせなされ」
「でもおにいさまは、おねえさまに、なんでそんな酷い仕打ちをしたのかしら」
 わたくしが尋ねると、ちよばあさんは、顔をしかめて
「殿方は考えなしに、よくそういうことをするものじゃ。嬢さまにはまだ早い話ですがの。これは知っておいたほうがええ」
と低く呟くように言いました。そして気持ちを振り切るおように顔を上げ、
「さあさあ、すっかり話が長くなりましたぞ。もうお休みなされ。ぐっすり眠って、明日の朝には全部忘れてしまいなされ」
と笑顔で立ちあがって、わたくしに部屋に戻るよう促しました。
 その時でございます。かすかな、高い叫び声が、どこかで上がったのを、わたくしは聞きました。
 
 わたくしは、はっとして、部屋にただ一つ開けられた、小さな格子窓を見やりました。丸い窓の外は、全くの暗闇でございます。風もなく、虫や蛙の鳴き交わす声もない、しんとしたしじまの底から、遠く小さな叫び声が聞こえてくるのでございます。声は、聞こえるか聞こえないかのあわいで、時にすすり泣きとなって這いまわり、時に呪詛の叫びとなって高まりました。それは、前の晩に、お社さまで聞こえた声と、同じものだったのです。
「何か聞こえない」
 突然立ちつくして、震える声で尋ねるわたくしを、ちよばあさんは怪訝な目で見守り、自分も少し耳をそばだてましたが、
「さあ、なにも」
と答えて、再び心配そうにわたくしを見るのでした。それでも、わたくしが窓の外の暗闇を見つめたまま、凍りついたように動かないでいますと、
「嬢さまはお疲れになっておる。なに、気のせいでございますよ。さあ、ばばがお部屋まで送っていきましょう」
と言って、わたくしを抱くようにして、部屋から連れ出したのでございます。叫び声は、暗い廊下を歩いている内に、だんだんと小さくなり、やがて聞こえなくなりましたが、それでも、何かべったりと濡れた冷たいものが、わたくしの背中をどこまでも追いかけてくるような気持ちが消えることはありませんでした。
 自分の部屋に戻ってからも、わたくしは、なかなか寝つくことができませんでした。しんとした闇の中で、床に横たわっておりますと、どこか彼方から、かすかな悲鳴が聞こえてくるような心地がしてまいります。わたくしは、これは気のせいなのだ、本当は何も聞こえてはいないのだと、無理やりに目をつぶるのですが、浅い眠りにおちると、今度は夢の中で、形のない、白いものが、恐ろしい叫び声をあげながら襲いかかってきて、わたくしははっとなって目を覚ますのでした。

 わたくしは、その後おねえさまと会うこともなく、すぐ学校に戻りました。そこでは、同級の少女たちの、相も変わらぬさんざめきの中で、何ごともなく日々が過ぎてゆきましたが、時々、皆が寝静まった夜中に、どこからかあの叫び声が聞こえたような気がして、はっとして目が覚めることがございました。そのような時は、わたくしはもう眠ることができず、暗闇の中で目を見開いたまま、じっと聞き耳を立てるのです。そうしていると、いつも思い浮かんでくるのは、おねえさまは今、どうしているだろうということでした。すると、しんしんと胸が痛んできて、涙がこぼれて来るのです。物憂げにうねる寒冷色の思いのなかで、小さい頃の楽しい思い出がふと、ともし火がぽっと点るようによみがえることもございましたが、その後には決まってより大きな悲しみが、うねりのように押し寄せてきて、わたくしは、枕に顔を押し当てて泣き声を押し殺すのでした。
 その頃、わたくしは、おにいさまに宛てて、何度か手紙をしたためて、おねえさまのことを詰問いたしました。でも、一度も返事が戻ってくることはありませんでした。
 そうこうしている内に、校舎の門の脇にあるお花畑では、桜が散り、躑躅や薔薇が咲き、それから紫陽花が宝石のような花々を開いたと思うと、すぐに茶色くしおれて襤褸のように垂れ下がりました。日差しが強くなり、木々の緑はますます厚く黒々と生い茂って、やがて蝉が鳴き始めました。
 こうしてお盆が来て、わたくしはまた、家に戻ってまいりました。わたくしが帰ったのは、お社さまの盆踊りの前の日でございましたが、おにいさまは、一日遅れて、盆踊りの始まる夕方あたりに帰ってくるとのことでした。

 その夜、両親とわたくしとの夕餉の席で、おとうさまはいつもより口数が少なく、おかあさまは、なんとなくそわそわとしておりました。普段なら、わたくしが帰ってきた時、おとうさまやおかあさまは、学校での様子などを聞きたがって、うるさいぐらいでしたのに、二人とも、なぜか押し黙っていて、奇妙な雰囲気でございました。
 わたくしが、何ごとだろうかと思いながら、お膳の前で座っておりますと、それまで黙ってお酒を口に運んでいたおとうさまが、おかあさまに軽く目配せをした後、お猪口を置いて、
「たか子、お前に知らせておくことがある」
と言い出しました。
 わたくしが、何事かと顔を上げますと、おとうさまは
「良雄の縁談が決まった。相手は深津の康子さんだ。お前も何度か小さい頃に会っているだろう」
と言いました。
 わたくしが、驚いて何も言えないでいると、お父様は何か苛々したような早口になり、
「祝言の日取りももう決まっている。来月の5日だ。お前には盃を運ぶ役目をやってもらうから、そのつもりでいるように。学校には休みの届けを出しておきなさい」
と言い終わると、また黙ってお酒を口に運び始めました。

 おかあさまは、おとうさまの言葉を引き継ぐように、
「少し急なようだけどね、とてもおめでたい話なんだよ。あした良雄が帰ってくるから、お祝いを言っておあげ」
と言って笑いました。
 わたしが、なおも黙っていますと、おかあさまは、
「おまえもね、いつまでも子供のままではいけないのだからね。すぐにおまえにだって、どこかいい人の元にやられる日が来るんだよ。今からでも、心構えはちゃんとしておかないとね」
と言うと、箸を手に取って、ごはんを食べ始めました。おとうさまは、ずっと黙ってお猪口を空けていました。
 わたくしがその時感じていたのは、怒りや悲しみではなく、じりじりと胸が灼かれるような焦りでした。お膳の前でうなだれるわたくしを、たったひとり置き去りにして、世の中は、宇宙は、無情にも、自分の勝手な理屈にしたがって、ガラガラと歯車を回転させ、ずんずんと先に行ってしまうのです。今までわたくしが大切にしてきたもの、わたくしが美しいと思ってきたものの全てが、いまや、誰の気に懸けられることもなく、冷たく野辺に打ち捨てられようとしておりました。それも、わたくし自身の親兄弟によってでございます。わたくしには、わたくしの前で食事をしているおとうさまとおかあさまが、まるで感情というものを持たない泥人形のように見えてなりませんでした。そして、わたくしもまた、冷たいからくりに絡めとられて、おねえさまの人生を打ち拉ぐ役割を演じなければならないのでした。おねえさまを裏切ったおにいさまに、このわたくしが、三三九度の盃を運ばなくてはならないのですから。
 翌朝早く、わたくしは皆が眠っている間に床を出て、もう一度、家を抜け出しました。なんとしても、おねえさまに会いたい、会って無事を確かめたい、会ってずっと会えなかった恨みを申し上げたい、そして最後にはいっしょに笑い合いたい。そんな一心でございました。裏庭から石段を小走りに駆け上がって、土手の上の道にさしかかったとき、わたくしは昨夜のことを思い出して、こわごわと下を覗き込みました。夜明けに少し雨が降ったらしく、土手の草々は濡れそぼっておりました。わたくしが白いものを見たように思ったあたりは、手前に生い茂る草むらに隠れて様子がよくわかりませんでしたので、わたくしは思い切って、すそが濡れるのもかまわず、急な土手を一気に駆け下りました。するとやはり、土手の下の草むらの一角が、ひどく荒されておりました。群れて茂っていたヨモギが、何か重いもので押しつぶされ、花開いていた蒲公英も千切り取られて、あたり一面に散らばっておりました。所々は草が根こそぎむしり取られていたので、赤色の土が、そこここで、醜いブチのようにむき出しになっていました。潰されて散り散りになった葉っぱや花が、雨で泥のようになった土にべったりとはりつきながら、むしろその緑や黄色が、どぎつく鮮やかに映えているのを見て、わたくしは、なんともいやなものを見てしまった心持ちがしました。ゆうべのことは、わたくしの見間違いでもなんでもなく、たしかにあのものは、ここにいたのです。わたくしは、何やらわからないまま、わたくしがこれまで暮らしてきた、優しく、穏やかで、笑いが絶えなかった世界が突然ぐにゃりと裏返しになって、よそよそしい、得体の知れない顔が、ぬっと現れたように思いました。そして、その予感は、決して間違ってはいなかったのです。

 わたくしは、その忌まわしい眺めから、努めて背を向けると、土手の上には戻らずに、そのままお社さまの前の道を歩きだしました。いつものわたくしなら、おねえさまの家に寄るときは、お社さまの境内を横切って、低い石垣に切られた三段の階段を下り、鉢植が小奇麗に並ぶ小さな裏庭を抜けて、勝手口の扉を開け、「あさ子さん!」と呼ぶのですが、この日は、早朝、半ば人目を偲ぶようにして会いに行くという後ろめたさから、わたくしはかえって、いつもは使わない、お行儀のよい道を選びました。鳥居の前を行き過ぎると、すぐに生垣に囲まれた、小さな板張りの家の前に出ます。そこが、おねえさまの家なのでした。朝まだきに、雨戸が堅く閉ざされたままの、おねえさまの家は、まるで知らない人の家のようでした。わたくしが、雨戸を叩こうか、それとも勝手口に回ろうかと、もじもじと思案しておりますと、裏で戸の開く音がして、角からおねえさまのお父様がひょっくりと現れました。丹七さんは、わたくしの姿を見ると、ちょっと驚いたふうに立ち止まりましたが、
「これはお嬢様、おひさしぶりでございます」
と言って、小柄な体を深深と折り曲げ、にっこりと顔を上げると、
「しばらくお見かけしないうちに、ずいぶんとお綺麗になられました。すっかり都会のおひとになられましたな」
とお世辞を言いました。

 わたくしは、ひどく拍子抜けをいたしました。丹七さんが、いつもの丹七さんと、何も変わらなかったからです。まるでお芝居の大詰めに、勝手口からご用聞きが「毎度」と現れたような按配でした。わたくしが、おねえさまの無事を尋ねますと、丹七さんは、しばらくにこにこしたまま、わたくしの顔を見つめておりましたが、わたくしが本当に何も知らないと悟ったのでございましょう、
「いえ、あれは大したことはないのです、今は少し伏せっておりますが、なに、じきに治りましょう。お嬢様にこんなに心配をおかけして、本当にもったいないことでございます」
と言って、また深深と頭を下げました。
 丹七さんは、普段からこのような様子で、わたくしのような小娘が相手でも、馴れ馴れしいような態度を見せるようなことは決してありませんでした。かと言って、無闇にへりくだるということでもなく、いつもにこにこと、機敏に立ちまわりながら、まるで空気のように、ひとの邪魔にならない方でした。何をするにも、人の数歩先をささっと走って行っては、万端ゆくりなく整えてしまうお方で、小柄ななりと、短く刈った髪と、目の大きなお顔が、失礼ながらお猿さんに少し似ていたものですから、うちの使用人などは、「太閤様」などと呼んで、よく笑っていたものです。

 でも、実を申しまして、わたくしは、丹七さんのことが、あまり好きではありませんでした。丹七さんは、いつもにこにこしている代わりに、決してひとと深く交わろうとはしないお方だったのです。わたくしが何を話しかけても、「さようですか」という相槌から始まる、当たり障りのない返事に終わってしまうので、幼いころのわたくしは、このひとは、心のない、お人形みたいなものなのだと独り合点しておりました。少し大きくなってから、丹七さんがおねえさまのお母様と駆け落ちをされたこと、そのお母様が川に身を投げてしまったことなどを知るともなく知りましたが、当の丹七さんに、そのような浮いた雰囲気が何も感じられなかったので、わたくしはいつも不思議な感じを抱いたものです。
 このように、その頃のわたくしにとって、丹七さんは、「大人」という得体の知れない生き物の、それは代表のようなお方だったのですけれども、わたくし、今となっては、そのお心の内がよく分かるような気がいたします。丹七さんのように、恐ろしい悲しみを味わって、それが人生の一部になってしまったような方は、その悲しみを自分ひとりの胸の底に沈めたまま、かえって何事もないように、平気に振舞われるものなのです。また、そうしたお方は、不幸が育つ芽というものを、ほんとうに目ざとく見つけてしまうので、わたくしたちが、まだ年端もいかぬ内から、丹七さんは、自分の娘と、わたくしたち兄妹の間柄に、そうした芽を早くも見て取って、それがだんだんと育って行くのを、きっと悲しく見守っていらっしゃったに違いないのです。

 それに引き換え、わたくしはなんという愚か者だったことでしょう。
 わたくしは、丹七さんの言葉を鵜呑みにして、ほっと一安心すると、丹七さんに、おねえさまに一目会わせてほしいとお願いをしました。丹七さんは、あれはまだ床にいるから、かえってお嬢様に失礼になりましょうと、最初やんわりと断りを入れましたが、それでもわたくしが、眠ったままのおねえさまでいから、一目顔が見たいと懇願すると、しばらく横を向いて思案している様子でした。そして、わたくしの顔をじっと見て、
「ようござんしょう、お入りなさい」
と言ったきり、黙って雨戸を畳み始めました。
 わたくしは、まだ全部の雨戸が開かないうちから土間に入り込み、じっと奥の暗がりを見つめました。丹七さんは、音を立てぬように注意をしながら、それでも手際よく雨戸を開いていったので、土間からすぐ続く、八畳一間の部屋の中ほどで、おねえさまが横になっている様子が、だんだんと見えてまいりました。そうして、一旦裏に回った丹七さんが、西側の雨戸も開けたので、障子ごしの朝の光が、さっとおねえさまの顔を照らしました。

 急に明るくなった部屋の真中で、おねえさまは、こんこんと眠り続けておりました。細い光の筋が、おねえさまの横顔を、背後から縁取っていて、わたくしは、その、額のまろみに始まって、真っ直ぐに通った鼻筋に続く、白く柔らかな線を、まるで彼方の山の連なりを見るように、ただじっと見つめておりました。胸のあたりの布団が、穏やかなリズムで上下しているのが、おねえさまの、ただ一つの生きている証でございました。
 と、布団がひときわ大きく盛りあがり、おねえさまの唇が小さく開きました。
「お父っつぁん、誰かいるの?」
 おねえさまは、目を閉じたまま、外の丹七さんに問いかけました。
「木村のお嬢様がお見舞いにいらっしゃったんだ。挨拶をしな」
 そう丹七さんが答えますと、しばしおねえさまは黙り込んでしまいました。目を閉じたままの横顔は、象牙の彫像のようで、何の表情も浮かべてはおりませんでした。でも、その動かないお顔の内では、一体どんな思いが荒れ狂っていたのでしょう。わたくしは、今思うと恐ろしいばかりでございます。
 表口から入ってきた丹七さんが、まだ口をきかないおねえさまに、
「ほら、お嬢様が心配してなさるじゃないか。こんな病気はすぐになおると、お前からも言っておやり」
と声をかけ、そのままお勝手の方に抜けて行きました。
 おねえさまは、なおしばらく身じろぎもしませんでしたが、目をつぶったまま、
「たかちゃん、こっちに来たら」
と静かにおっしゃいました。

 わたくしは、おねえさまに会うなり、いきなり抱きついてやろうと、密かに心に決めて来たのでした。でも、なぜかその時のわたくしは、まるで水の中を歩くような心地でおねえさまに近寄ると、その傍らにそろそろと座ることしかできませんでした。
 おねえさまの口元に、ようやく笑みが浮かびました、
「たかちゃん、学校は、どう?」
 わたくしは、それには答えず、
「おねえさま、目をどうかなされたの?」
と聞きました。
 おねえさまは、微笑んだまま、
「なあに、大したことではないの。すぐに治ってしまうのよ」
とおっしゃいました。朝の、暖かい光に照らされて、目を閉じたおねえさまの笑顔は、いい夢を見ている最中のようでございました。わたくしは、ああ、これが本当のことなのだ、昨夜から今までのことは、全部嘘だったのだ、悪い夢だったのだと思いました。畳の上で握り締めた右手の甲に、ぱたりと何か温かいものが当たりました。わたくしは、知らずの内に泣いていたのです。わたくしは、大急ぎで涙をぬぐうと、堰を切ったように、思いつく限りのことを喋り続けました。算術の授業で誉められたこと、それを妬んだ級友にいじめられたこと、寄宿舎に迷い込んできた猫のこと…。
 わたくしは、なんという浅はかな娘だったことでしょう。わたくしは、その時のわたくしに、平手打ちを食らわせてあげたい気持ちでございます。それでもおねえさまは、わたくしの愚にもつかないおしゃべりを、黙って笑ってお聞きになっていました。

 そろそろ皆が起きだすころなので、わたくしはおねえさまに暇を告げて立ちあがりました。戸口で振り向くと、おねえさまは見えるはずもないのに、布団から半身を起こし、わたくしの方に向かって手を振りました。わたくしも、思わず手を振って、
「さよなら」
と言いました。
 おねえさまも、
「さよなら」
と笑って言って、また床の上に身を横たえました。
 わたくしが、すっかり心も晴れ晴れとなって、元来た道を歩き出しますと、後ろから小走りに追ってくる足音がありました。振り向くと、物憂げに下を向いたまま、丹七さんがわたくしを追って来たのでした。
 丹七さんは、わたくしの前で立ち止まると、顔を背けたままで、こう言いました。
「お嬢様、あれにはもう会わないでやってくださいまし」
わたくしが、驚いて訳を尋ねますと、丹七さんは、ただ
「あれには、魔が憑いておりますので」
とだけ言って、わたくしに深深と頭を下げますと、また小走りに、家に戻って行きました。

 わたくしは、丹七さんの後ろ姿が生垣の陰に消えた後も、しばらく茫然と立ち尽くしておりましたが、気がつくと、いつの間にやら、のろのろともと来た道を辿っておりました。でも、わたくしは、一体どこに帰ればよいというのでしょう。両足は、確かに自分の家を目指して歩いているのでございます。でもその歩みには、機械じかけのお人形のように、何の意味も目的もございません。そして、わたくしの心の中では、さきほどの丹七さんの言葉と、目を閉じたままのおねえさまの笑顔とが、入れ替わり立ち替わり、ぐるぐると駆け巡り、終りの見えない鬼ごっこを繰り広げておりました。
 こうしてわたくしは、またあの忌まわしい、乱れた土手の下に来てしまったのでございます。泥にまみれ、散り散りになった草むらが目に入りますと、わたくしはもう、ただ恐ろしく、悲しくなりまして、泣きながら家に駆けもどりました。
 家の裏口に戻りますと、井戸端では、もう、ちよばあさんが起き出して、低く鼻歌を唸りながら、朝餉の支度をしておりました。ちよばあさんは、わたくしの乳母でしたから、実の親子のように気心の知れた、何でも話せるひとでした。わたくしが、隠れることもなく目の前に立つと、ちよばあさんは驚いて菜っ葉を切っていた手を止め、立ち上がると、
「おやまあ、どうされた」
と声をあげました。

 わたくしが、何も言えずにただぽろぽろと涙を流しておりますと、ちよばあさんはわたくしの肩を抱き、
「こんな早くにどこ行きなされた。いったい誰に泣かされなさった。ばばに話してくだされ。な」
と言うので、わたくしは、涙ながらにおねえさまに会いに行ったことを話して聞かせました。
 ちよばあさんは、驚いた顔でわたくしの話を聞いておりましたが、丹七さんが最後に言ったことを耳にすると、急に考え深げな顔になりました。
 ちよばあさんは、あたりを見回すと、小声でこう言いました。
「嬢さま、嬢さまには知らんでええことが、世の中にはたんとあるもんですわ。悪いことは言わねえ。丹七さんの言うことを聞きなされ。嬢さまはあさ坊には、もう会わんほうがええ」
 わたくしは、一体何を期待して、ちよばあさんに打ち明け話をしたのでしょうか。それはわたくし自身もわかりませんけれど、そのような答えではなかったことは確かです。わたくしは言葉もなく、茫然と、ちよばあさんを見返すことしかできませんでした。ちよばあさんは、そんなわたくしの目の芯を、考え深げにじっと見つめていましたが、ふと目をそらすと、下を向いたまま、低い声でこう言いました。
「夜、ばばの部屋に来なされ。そっとですぞ。ばばが話して聞かせましょう」
 そして、ちよばあさんは、わたくしに背を向け、また菜っ葉を包丁で叩き始めました。でもちよばあさんの口からは、もう鼻歌が漏れることはありませんでした。
小酒井 不木の「血の盃」という短編小説にインスパイヤされて書き始めた小説です。
続きを書くかは未定。

青空文庫 小酒井不木 「血の盃」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000262/files/48068_39012.html


「あなた様も、ずいぶん変わったお方でいらっしゃる。こんな山奥に、わざわざ、わたくしのような者の話を聞きに訪ねてくださるなんて。
 あの出来事のことでしたら、いまでもよく覚えております。わたくしは、一部始終をこの目で見たのですから。それに、ついこの間、小酒井さまのお書きになった小説を、ひとにお頼みして読んでいただいたのです。院長先生は、このようなものを読んでは体に障るからとおっしゃって、ずっとわたくしから遠ざけられていたのですが、もう遠い過去のことですから、気持ちに整理をつけるためにも読ませてほしいとお願いしたら、しぶしぶ許してくださいました。
 感想ですか?失礼ですが、あんまりに事実と違うでしょう。所々、怒るのを通り越して笑ってしまったこともございます。
 そんな、天井から滴った血が、たまたま盃に当たったなどと、馬鹿馬鹿しい。それに、縊死をしたおねえさまが血を流したならば、それがどんな血なのか、そうしたことに昏い、わたくしのような女にも、思い当たることがございます。ほんとうに汚らわしいお話ですこと。あのとき起こったのは、そんなことではなかったのです。わたくしがこれからお話しすることで、おねえさまの悪い噂が、いくらなりとも晴らされるなら、こんなにうれしいことはございません。

 いいえ、わたくしはあさ子さんの肉親ではありません。わたくしの名前は、木村たか子でございます。良雄は、わたくしの三つ上の兄でございます。わたくしは、幼いころ、いつも良雄おにいさまとあさ子さんといっしょに遊んでおりました。だから、あさ子さんのことはおねえさまと呼んでいたのです。
 大きくなると、あさ子さんやあさ子さんのお父様は、我々のような者に、お嬢様がそんな呼び方をされるのはもったいないとおっしゃりましたので、表向きはあさ子さんとお呼びしていましたが、あさ子さんは、二人きりのときだけはおねえさまとお呼びすることを許してくださりましたし、わたくしも、本当のおねえさまのようにお慕いしておりました。だから、今もあさ子さんは、わたくしにとってはおねえさまなのです。
 そう、わたくしのことは、小酒井さまの小説には書いてありませんね。でも、表沙汰にこそなりませんでしたけれど、たぶん小酒井さまは、わたくしが、あの出来事の最後にしてしまったことを、ちゃんと知っていらっしゃたのでございましょう。その上で、若い娘の身空を思いやって下さり、結末をぼかして下さったのだと思います。
 それはありがたいことでしたが、あの小説の中には、つじつまを合わせるため、小酒井さまが勝手に捻じ曲げておしまいになったことがいくつもあるのでございます。

 婚礼の日は、四月の長雨の時などではなく、よく晴れ渡った九月のある日のことでした。
 そう、九月。わたくしの家とおねえさまの家の間に、小さなお社さまがあったのは、小説にも書かれてあったでしょう。境内の南に、田んぼに向かった土手があったのです。毎年この頃合には、そこに曼珠紗華の花がいっぱいに咲き乱れて、それは見事な眺めでございました。わたくしたち三人は、小さいころ、そこでよくおままごと遊びをしたものです。おにいさまがお父様になり、おねえさまがお母様になって、真っ赤な曼珠紗華を、小さな椀に盛ってくださって、「さあめしあがれ」と差し出してくださったのを今でも覚えております。
 話が脱線していけませんね。婚礼があったのは秋口でございましたが、おねえさまが病気がもとで光をなくしたのは、その何ヶ月か前でしたから、春のころであったでしょう。
 いいえ、おねえさまは、その後も、決して気がふれたりはなされませんでしたとも。小酒井さまが書いていらっしゃることは、全部嘘です。あれは、田舎のうぶな娘が、男に捨てられたらどうなるだろうか、ということを、想像で、さもあったかのように書いていらっしゃるだけなのです。
 それは、光をなくしたばかりか、用のなくなったお人形のように捨てられて、おねえさまのなかで、おにいさまへの憎しみは、紅蓮の炎となって燃え上がり、おねえさまの身と心を、昼となく夜となく苛んでいたはずでございます。でも、その生き地獄の中で、おねえさまは最後のときまで正気を保っていらっしゃいました。そうでなければ、どうしてあのような手の込んだからくりで、おにいさまに復讐をすることができたでしょう。おねえさまは、それは強いおかただったのです。でもわたくしは、おねえさまは、おにいさまに捨てられたとき、いっそ狂ってしまわれたほうが、どれだけ楽だったろうかと、今でも時々考えるのでございます。

 わたくしは、おにいさまとおねえさまが男女の仲になったといわれる頃は、静岡の女学校にやられておりました。だから、二人の間にどういうことが起こったのか、実はよくわからないのです。
 それより前、おにいさまが名古屋の中学に上がった時分は、おにいさまが離れてしまった寂しさもあって、わたくしとおねえさまは、実の姉妹のように、色々なことを相談し合う間柄でした。わたくしが、おねえさまの家のあがりかまちに腰かけて、おにいさまの消息を話すときなど、おねえさまは仕事の手を一時止め、口元に小さな微笑を浮かべながら聞き入っていらっしゃったものです。わたくしは、おねえさまのそういうお顔を見るのが大好きでございました。
 わたくしは、おにいさまが東京に出たのと同じ年に、女学校の寄宿舎に入れられました。わたくしとおねえさまは、それでも日にあけず手紙を交換し合って、お互いの悩みを打ち明け合ったものです。ところが、学校に入って、最初のお盆が過ぎたころから、おねえさまからの手紙は途切れがちになって、それまでは、秘められた心の襞の一枚一枚を解きほぐすような、真心のあふれたやりとりをしていたのが、急に時候の挨拶のような、あたりさわりのないことばかり書きよこすようになってきたのです。

 わたくしは、たいそう寂しい思いをいたしました。そこで、年の末に帰省したおり、一度おねえさまを問い詰めたことがございます。それは、夕暮れ時のお社さまでのことでした。涙ながらにおねえさまの薄情を責め立てるわたくしの言葉を、おねえさまはしばらくじっと黙って聞いていらっしゃいましたが、いきなりわたくしを抱き寄せたかと思うと、小さな、でもしっかりとした声で、
「たかちゃん、まだ誰にも言っちゃだめだけどね、おねえちゃん、たかちゃんの本当のおねえちゃんになれるかも知れないんだよ」
と言いました。
 わたくしは驚いて身を離して、おねえさまを見つめました。おねえさまは杉の木の間から差し込む、透き通った冬の残照を斜めに受けて、目に珠のような涙を浮かべながら、優しく微笑んでいました。わたくしは、こんなに綺麗なおねえさまの姿を見たことがなかったので、どぎまぎしました。
 その時、わたくしの家の方から、調子外れに軍歌を奏でる口笛が聞こえてきました。振り向くと、黒いマントを羽織り、学生帽をあみだにかぶったおにいさまが、こちらにぶらぶらと歩いてくるところでした。おねえさまは、はっと体を硬くして、他所を向きました。おにいさまは、わたくしたちのどちらにでもなく、
「よう」
と声をかけ、そのまま口笛を吹き吹き、どこかに歩いて行ってしまいました。

 わたくしが、おねえさまとおにいさまの仲を匂わせるような出来事に出会ったのは、これが最初で最後でございます。次の春に、わたくしが帰省したとき、おねえさまはもう光を失っておりました。わたくしは最初何も聞かされず、ただお母様から、もうおねえさまの家に寄ってはいけないと強く言いわたされました。おねえさまが病気をしていて、会えばわたくしに病気がうつるかもしれないからというのがその理由です。お母様の説明は、聞いているそばから、いかにもその場限りの空々しい嘘だとわかりましたが、それでも何か大変なことが起こったことだけは確かなようでした。おにいさまなら、おねえさまの様子を知っているのではと思いましたが、そのとき、おにいさまは東京にいたのです。そこでわたくしは一計を案じ、ある夜中にこっそりと家を抜け出して、おねえさまの家に向かいました。
 その晩は、新月だったので、お社さまの境内は真っ暗でした、目を凝らしても、かすかな星あかりに、敷石が白くぼんやりと浮かび上がっているのが、やっと目に入るだけで、あとは、顔に黒い布を押しあてられたような暗闇です。見上げれば、春の少し霞んだ星々が、黒々とした杉の木立に、ギザギザに切り取られているのがわかるだけでした。それでも、ここは自分の家の庭のようなものでしたから、わたしは提灯を持たずとも、易々と歩いて行けたのです。

 わたくしが、境内の短い参道の敷石を横切って、おねえさまの家の裏手へと続く、杉木立の中の小道に分け入ろうとした時でした。背後の土手のあたりから、かすかな低い唸り声のような音が聞こえてきたのです。
 わたくしは、最初、獣の類かと思って、足を止めて耳を澄ませました。すると声は、高く低く、境内の地べたを這いまわるように響きながら、だんだんと強く、大きくなってまいりました。それは、わたくしが今まで聞いたことのないような唸り声で、喉の奥から無理やりしぼり出したような、不自然で、ひどく心をかき乱す調子を持っておりました。
 わたくしは、恐ろしくて、体の芯まで凍りつきそうになりましたが、それでもきびすを返して、その唸り声が聞こえてくる土手の方へと、そろりそろりと向かいました。好奇心というよりも、それが家に戻る一本道で、これほどの闇夜なら、声の主に見つからずに済むだろうと思ったからです。わたくしは、這うようにして、所々に石塔が立ち並ぶ、土手の上の小道に戻りました。その間も、唸り声はどんどん大きくなり、獣じみた慟哭の調子を帯びてきました。そして、わたくしが土手の脇にたどりついたとき、そのすぐ下で、耳をつんざくような高い絶叫が響いたのです。

 その、およそこの世のものとも思えない咆哮を間近に聞いて、わたくしはすくみあがりましたが、身を守るためと好奇心とで、石塔の陰から、そっと顔を突き出しました。向こうの方では、田植えを済ませたばかりの田んぼが、星の光をぼんやりと映しておりました。手前の道から、足元の土手にかけては、ぬまたばの闇でございます。その闇の底で、見えるともつかない、白いぼんやりとしたものが、なにやら蠢いているようでございました。そのものは、地べたに伏し、のたうちまわりながら、恐ろしい叫び声を上げていたのです。それは、むき出しの絶望を無理に呑みこんだようなむせりになり、言葉にならない呪詛を低くごろごろとしばらく続けたかと思うと、突然闇を引き裂く金属的な叫びになって、闇空に怒りと悲しみををぶちまけました。そのなにものかは、土手の斜面の下のほうでもだえ転がりながら、あたりの若草を、手当たりしだいに毟り取っているようでした。ちぎれたヨモギが立てる青臭い匂いが、わたくしのところまでただよってきて、わたくしはそれにも、何とはなしにぞっとする思いをしました。私がそこを立ち去ることもできず、じっと隠れている間に、叫び声はしだいにすすり泣きに変わっていきました。やがて、その白いものは、おんおんと慟哭しながら、お社さまの前の道を、よろよろと這いつくばるようにして去って行きました。
 わたくしは、その時見たものが一体何だったのか、いまでも説明ができません。あのものは、おねえさまの家がある方向に去って行きました。今となっては、あるいは人知れず慟哭するおねえさまの姿を見てしまったのかも知れないとも思いますが、その様は、あまりに人間離れしておりました。それに、その時のわたくしは、おねえさまに振りかかった悲運については露ほども知らなかったので、何か恐ろしいものを見たとだけ思い、震えながら家への道を引き返したのです。

某掲示板に去年の9月頃アップしたものです。

 探偵と被疑者の関係は、批評家と作者の関係に非常に似通っている、というか、探偵は、行われた犯罪に対して、隠喩でも直喩でもなく、文字通りの「批評」を行う存在なのである。
 大抵の場合、探偵が登場する時点で、既に事件は完了してしまっている。探偵がすることと言えば、事件そのものを「生きる」ことではなく、それを後追いし、模倣することでしかないのだ。だから、「推理小説」である、「盗まれた手紙」という「作品」には、D**大臣による陰謀という「作品」と、それに対するデュパンの「批評」という入れ子構造が存在することになる。
 作品=犯罪が、それ自体の論理で存在を全うしようとする動物だとするならば、批評は狩猟者なのであり、その根底にあるモチベーションは、生存ではなく、「プライド」である。ゆえに、デュパンとD**大臣の関係は、本質的に非対称なものとならざるを得ない。それは、両者を流れる時間の質の違いという形で、端的にあらわれる。
 D**大臣は、(たとえG**警視総監による伝聞という形をとるにせよ)、あくまで「現在」を生きる存在である。後にデュパンによって「模倣」されることになる、D**大臣による最初の盗みは、瞬時の観察と決断によるものである。また、その盗んだ手紙を、あえて誰の目にも触れる場所に置くという決断も、不確定な未来に対する、現在における挑戦に他ならない。
 このように、神業的な反射神経を持ち、なおかつ、論理的なものであり、同時に美的なものである、未来に投機される「プラン」を描き、実行できる人物。「詩人でしかも数学者」。これがD**大臣である。
 一方、優美な野生動物であるD**大臣=作者を追う、狩猟者=批評家であるデュパンはどうか。
 彼にはありあまる時間がある。つまり、全ては既に起こってしまっているからだ。彼の行うことは、まず過去の分析である。さらに、彼は周囲の環境による、生存上の束縛を受けない。まあ推理小説の探偵とは大抵そんなものなのだろうが、それでも物語上、彼は事件に鼻面を突っ込まなければならないので、ポーもいくつかの布石は敷いている。つまり、5000フランの報酬、デュパンの政治的信条、そして最後に文字通り「取ってつけられた」個人的な復讐に至るまで。しかし、こうしたものは、単なるアリバイに過ぎない。デュパンをこの事件に結びつけるものは、本質的には、狩猟者としての「プライド」と、そして(同じことだが)批評家としての、作品に対する強烈な「復讐心」でしかない。この「復讐心=プライド」は、推理小説である「盗まれた手紙」の背骨をなすものである。
 この復讐心は、最後にほのめかされるD**大臣とデュパンとの過去の因縁が原因なのではない。むしろ事態は逆なのであって、この、作品に対する、批評の本質的な復讐心を正当化するために、このエピソードが添えられているのだ。
 ところで批評とは何か、という問題だが、批評の秘められた、しかし最大の野心とは、作品を正確に分析して見せることではなく、「作品にしっぺ返しを食らわせる」ことではないか。
 しかしこれは、作品とは別個に存在するフォーマットに従って、作品を断罪することではない。それを試みて失敗しているのが、警視総監のG**なのであって、「彼は、扱っている事件をあまり深く考えるか浅く考えるかして、いつも失敗してしまう」のだ(まあこれは大抵の「文学研究者」に当て嵌まりそうですねえ)。たとえば、この小説において、「手紙」そのものは「マクガフィン」でしかないのだから、これに過剰な意味付けをするような読解はG**並みの愚鈍さだと思う。 
 批評による作品への復讐は、まずは批評が、作品を徹底的に模倣するところから始められなければならない。その原理は、デュパン本人によって、「丁半遊び」の常勝法という形で述べられている。つまり、批評とは、まず己を殺して、「ものまね」をしなければならない、とデュパンは説いている。
 これは、D**大臣も共有している概念である。なぜなら、彼もまた、警察の手法を知り尽くした上で、手紙を最も目立つ場所に放り出すという「批評」を行っているからだ。なぜこれが、批評の名に値する行為かといえば、これが、何らかの恒久的な知的フォーマット(例えばG**警視総監の捜査方法のような)に則って行われたものではなく、あくまで警察がどう出るかという「シミュレーション」を前提とした、動的な作戦であるからだ。
 つまり、D**大臣は、警察の捜査フォーマットという「作品」に対して、論理的帰結と、大胆な独創をもって「批評」を行っている。しかもこの批評は、作品への復讐という、批評の陰惨にして甘美な夢をついに実現してしまったのだ!
 ところが、この批評は、作品の完全な「ネガ」として存在しているがゆえに、全体としては不可視のままにとどまっている。D**大臣が、冷酷な悪役、というか、「いやなやつ」であるのは、この点に由来している。彼は「自分のためだけに」批評を行ったのだ!そして、それを己の「作品」としたのだ!この事態は断固是正されなければならない。そこでデュパンの登場、となるわけだ。
 もちろん批評とは言葉なので、デュパンの仕事は主に喋ることである。デュパンはとにかく喋りまくる。これは、D**大臣が表向きは「アンニュイにひどく悩まされている」という態度を崩さないのと好対照を為している。D**大臣は作者=行為者としての絶対的優位を保持しており、それに対して批評家デュパンのできることは、基本的には「D**大臣自身をシミュレートした言葉」を語ることでしかない。
 しかし一方で、批評家のやるべきことは、そのシミュレートされた像に、僅かな変奏、偏差、ノイズを持ちこんで、ある種の「奇型児」を産み落とすことでもあるのだ。批評家の隠された夢とは、その歪んだ私生児を「作品」の前でかざし、「ほら、これがあなたの子供なのだ。驚いただろう」と叫ぶことに他ならない(つまり、批評とは「隠し子騒動」なのだ!この思いもよらぬ結論に至って、今、私は戦慄に身震いしているううう)。デュパンが大詰めで行う仕掛けは正にそれである。彼は、D**大臣が行った手紙のすりかえを、彼なりの流儀で反復する。こうしてデュパン=アトレは、D**大臣=ティエストの子供=陰謀を、密かに料理して差し出すわけだ。「ほら!これがあなたの子だ!」と。
 これにて「批評」の「作品」に対する復讐は完遂される。
 しかしこれは果たして大勝利なのだろうか?デュパンは物語を産み出すのではなく、あくまで批評を行う人間である。この差は埋めがたい!つまり彼は、D**大臣が瞬時の判断でやりおおせたことを、周到な準備のもと、まる二日もかかって達成しているのだ。
 この物語を通じて、己のめぐらした陰謀によって、人生の恐るべきアップダウンを生きるのは、D**大臣である。作中、真に生きていると言えるのは、この人だけなのであって、デュパンはその影、本体に復讐を誓った、二律背反的な影に甘んじている。では、何がデュパンを生かしているかといえば、それは批評精神である。つまりは純粋状態にある、猟師のプライドなのだ。
 おそらく知性には二つの種類がある。あるフォーマットやモデルを産み出し、それを運用する知性と(これはスタティックな知性と言ってよい)、ある状況に対して「批評」を行う知性と(これは動的な知性と言えよう)。ポーは、後者の知性の権化としてデュパンなる人物を産み出した。しかし、この動的な知性が産み出す批評行為には、実は終端というものがない。
 D**大臣とデュパンとの対決は、デュパンの勝利で幕を閉じるが、「丁半遊び」の腹の読み合いで既に暗示されていたように、このゲームは権利上、際限なく積み重ねることができるのだ。デュパンは仮に勝利したのに過ぎない。なぜなら、「手紙」そのものに、絶対的な意味も価値もないからだ。この、おはじきの玉にも等しい「マクガフィン」が、批評行為の無限の続行を可能にしている。これは知性の勝利なのか?それとも呪いなのか?この小説の結びとなる引用文が、際限のない復讐劇から取られていることは偶然ではないと思う。