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『セラフィタ』

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『セラフィタ』
バルザック 蛯原徳夫 訳 角川文庫 平成元年 (昭和29年の初版の復刻版)


 色々な意味で難物。というか、正直ヤバい。
 舞台はノルウェーの海際の寒村。登場人物は5人だけ。つまり、パリの雑踏の中を多くの登場人物が交錯する「人間喜劇」シリーズとは真逆を行く小説である。
 主人公、セラフィタ・セラフィトゥス(なんという名前!)は、この世の全てを一歩高いところから見下ろしているような、神秘的な人物である。ものすごい美形であるが、性別は判然としない。あるときは男のようであり、あるときは女のようである。いわゆる両性具有ということらしい。
 そして、彼/彼女にそれぞれ激しい恋心を抱いている一組の若い男女、その女の方の父親である懐疑主義者の牧師、セラフィタの無口な老下僕。以上が登場人物の全てである。
 物語はある意味単純で、セラフィタがこの男女に、延々と神の実在と神への恭順を説き、最後には熾天使なる存在となって昇天してゆくというものである。何だかよくわからないが、この熾天使(セラフ)というのは、天使の中では一番偉いらしい。
 要するに、21世紀の極東に生きる無神論者たる私には、かなり縁遠い話と言わねばならぬ。文庫本にして約200ページという分量は決して長いものではないのだが、結局読み通すのに一週間ほどかかってしまった。数十ページにわたって繰り広げられる複雑で深遠な神学を、旧漢字で、それも、昭和二十年代の劣悪な印刷をそのまま再現した復刻版で読まされたのが、中々読みすすめられなかったことの原因の一つである。それは明らかだ。
 でも、これを読んでいるときに常に感じていた何とも言えない焦燥感は、おそらくその内容から来るものであって、私はこの一週間、数頁、時には数行読んだだけで溜息と共に本を閉じ、何か満たされない気持ちのまま、焼酎をラッパ飲みしたり、落ち着きなくPCを起動させては、よからぬページを覗いたり、ムシャクシャまかせに馬鹿なことを書き込んだり、といったことを繰り返していたのである。
 唐突だが、私は神の実在は信じられないけども、やはり美の実在は信じているのだ。その目に、本書の中で折に触れて語られる、フィヨルドに縁取られた北国の早春の風景は、神々しいくらいに美しい。神々しい、と書いたが、何か、ほとんど麻薬的な美しさなのである。薬物や極限状況によってハイになった精神が見る世界はかくやという感じである。ところで、私はこの美を心底から信じられるだろうか。それともこうした「法悦」は脳内物質がひきおこすまやかしのデンパに過ぎないのか。前者だとすれば、私の今の生活は全否定されざるを得ないし、後者だとすれば、この宇宙はあまりにも味気なさ過ぎる。かくて焼酎の瓶に手が伸びて悪酔いが始まるのである。
 バルザックはやはり怪物なのだ。少し前に『「絶対」の探求』の読了報告で、バルザックは相容れない二者の間で引き裂かれた存在だと書いたが、本書にもこうした二項対立のダイナミズムは顕著である。男と女、肉体と精神、天界と地上、信仰と懐疑、神の単一性とこの世の多様性。。。そして恐るべきは、本書一冊が他の全ての「人間喜劇」シリーズと、深淵を挟んで対峙しているように思われることである。バルザックはその深淵の底で悠々と玉突きでもしているのではないか。
 もっとも、私はまだバルザックの巨大な長編群のうち、まだ数冊しか読んでいないので、これは勇み足かも知れない。他の作品をもっと読んだ後に、本書を再読して見ようと思います。とにかく疲れた。。。

2005年12月6日
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